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652.お知らせ:夏法座をお勤めします

20200629掲示 20200629ナツツバキ  

 新聞版「壽福寺だより」の記事でご連絡しましたように、7月12日に夏の法座をお勤めします。
 先日の法中会で、7月の法座について情報交換を行ったのですが、中止することを決められたお寺が5か寺、実施する予定だとされたお寺が4か寺、とほぼ半々という状況でした。
 壽福寺では、マスクの着用をお願いし、手を消毒していただき、席が近づかないようにする、戸を全開にするなどの対策を実施してお勤めすることにしました。
 振り返ってみますと、最後にお勤めした報恩講が昨年の11月10日でしたから、8カ月ぶりに皆さんとお会いし、ご一緒にご法話をお聞きすることになります。

 先日、掲示板に夏法座のご案内と「ひとこと」を掲示しました。そのひとことは「これからが、これまでを決める」という言葉にしました。
 この言葉は、『文藝春秋』の6月号で出会ったものです。同誌の巻頭言に当たる部分に、数学者の藤原正彦氏が毎号文章を寄せておられるのですが、氏は「近所の真宗の寺を通りかかった時、」この言葉に出会い、「何気なく通り過ぎた私は、十メートルほど行ってから「あっ」と声を出し掲示板に戻った。」と記されています。

 藤原氏は、私たちが普通に考える「これまでがこれからを決める」という考え方は、「原因があって結果があるという欧米型世界観で」あり、この出会った言葉は「これからの生き方次第で、これまでの人生の意味が違ってくるということ」を示してくれる「東洋の哲学だ」と受け止められたようです。

 少し前になるのですが、金子大栄師の言葉をヒントに「やり直しのきかぬ人生ではあるが、見直しはできる」という言葉を寺の掲示板に記したことを思い出しました。
 大栄師の「やり直しのきかぬ人生であるが、見直すことができる 」という言葉を、掲示用の用紙に納まる字数にするためという申し訳ない理由で縮めたものでした。

 大栄師の言葉と今回藤原氏が紹介された言葉とは、通底するところがあると思います。
 私たちは、「過ぎ去った過去は変えることができない」と普通は考えます。しかし、何かを契機にして現在の姿について見え方が変わる、というようなことを体験することがあります。自身が病気になったり、親しい人が亡くなったりというような経験をすると、これまで当然のことと思っていたことが、そうでなく本当はかけがえのない大切なものだったと気付くことがあります。そうすると、これまでの過去も同じものでありながら違ったものに見えてきます。変えることができないと思われた私自身の「過去」についても、違った見え方ができることがあります。
 
 大栄師の言われる「見直す」ことのきっかけは、藤原氏の紹介された「これから」に向かう私たち自身の姿勢だということになるのでしょうか。このようにして、「これまで」を違う目で見るようになった私たちは、今度は再び「これから」に向かって違うアプローチができる、というサイクルを持つことができるのかもしれません。

 このブログでもご紹介しましたNHKの朝のドラマ「半分、青い。」で、医師から5年後の生存率が50%と告げられた主人公の母親の受け止め方も印象に残ることでした。彼女は、その宣告を受けて、これまでの当たり前だと思っていた時間が本当はかけがえなないものだったということに気づきます。そして、それに気づいた彼女は、残された時間をこれまで以上に大切にして生きていくことになるというように、「これまで」と「これから」のサイクルがつながっていくのだと思います。

(右の写真は、ナツツバキの花です)

 別名、サラソウジュ(沙羅双樹)とも呼ばれています。お釈迦さまはサラソウジュの元でお亡くなりになられましたが、そのサラソウジュはこのナツツバキとは別の植物です。寒冷な日本では、代わりにナツツバキが寺院などに植えられています。
 ちょうど今頃花期を迎えています。花は朝開き、夕方には落花する一日花です

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

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651.第1回法中会を開催しました

 20200626法中会ss

  6月23日、壽福寺本堂で今年度第1回の法中会を開催しました。
 前回の法中会は、新型コロナウイルスへの対応として、資料を郵送し質問やご意見を寄せてもらうという形でしたので、顔を合わせる最初で、組長になって最初の法中会ということになりました。

 当日の議題は次の通りです。

 1.第1回組長会情報
  5月28日に山口別院で開催された第1回の組長会に関する情報をお伝えしました。
  コロナウイルスに関わるものが中心で、賦課金に関わる寺院支援の内容、本山や別院の行事計画、行事開催に当たっての留意事項などについて伝達しました。

 2.宇部北組組織運用
  宇部北組の組織および「御同朋の社会をめざす運動」推進組織について説明を行いました。
  宇部北組の運用組織について検討することが宿題になっておりました。三役および「御同朋の社会をめざす運動」委員の福川氏で検討した案を報告しました。

 3.教化団体の今年度計画
  各教化団体の今後の活動計画について、担当者から説明を行っていただきました。コロナウイルスの影響で、研修会を中止したり、延期するなどの対応をする団体もあります。また、教区の方針を確認してから計画を策定することになる団体もあり、今後引き続き検討が進められます。その内容をご紹介します。
  ・「花フェス」の2020年度は中止となりましたが、2021年度の検討体制と計画の説明があり、具体的な取り組みが進められます。
  ・今年度は連続研修会を実施することとなり、その実施案の説明を受けました。
  ・毎年夏から秋に開催されている子供会の行事は今年度は開催が難しいだろう、ということで、来春の「花フェス」とリンクして行事を行ってはどうか、という案も出されて今後検討することとなりました。

 4.その他
  ・新型コロナウイルス流行が及ぼす影響について意見交換を行いました。組の会計収支にも影響が予想されますので、効率的な運営を行ていくことについてご協力いただくようお願いしました。
  ・7月の行事(法座)の運用について情報交換を行いました。宇部北組では、7月に法座を勤められる寺院が4か寺、中止を決定した寺院が5か寺と7月はまだ様子見という状況のようです。

(写真は当日の会合の様子です)

 アルコールで手を消毒してから入っていただく、間隔を確保するために長机2脚に3人座っていただく、戸は全開する、などのウイルス対策を行って会議を実施しました。

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650.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (64):奥書(2)

 
20200622西念寺s   20200622金刀比羅宮s
 『御伝鈔』に付されている「奥書」の2回目になります。今回は第二の奥書の内容を学びます。

 御文は次の通りです。
 「暦応(れきおう)二歳己卯四月二十四日、ある本をもつてにはかにこれを書写したてまつる。先年愚筆(ぐひつ)ののち、一本所持のところ、世上に闘乱のあひだ炎上の刻(きざみ)、焼失し行方知れず。しかるにいま慮(おもんぱか)らず荒本(こうほん)を得て記し、これを留むるものなり。」

 平松令三氏の訳文を載せます。
 「歴応二年(1339)四月二十四日、ある本によって、これを書写しました。実は先年(永仁三年)草稿を作って書き、一本を所持しておりましたところ、世間に戦乱が広がり、本願寺も兵火で炎上した際に、焼けてしまったようで行方知れずになりました。しかしこのたび、粗雑なひどい本ですが、思いがけず一本を手に入れましたので、それを基にして制作し、後世に残すことといたします。」 

 この奥書は、歴応2年(1339年)上人が70歳の時に記されたものです。
 それによりますと、覚如上人は、永仁3年(1295年)に最初の伝絵を制作された際、一本を手元に持っておられたようですが、その一本が戦火の中で焼けてしまったと言っておられます。平松氏によれば、この戦火というのは、建武3年(1336年)足利尊氏が湊川の合戦で楠正成の軍を破り、京都に侵入してきた時の戦火で、この時本願寺が炎上したことを指すということです。その時、覚如上人は近江の国に避難しておられたと伝えられています。
 上人が持っておられた一本は焼失したのですが、原本を写して作られた絵巻を入手することができて、それを元にして後世に残すことにした、と記されています。

 本願寺出版社から刊行された、現代語版『御伝鈔 御俗姓』では、巻末の付録で「伝絵」の本願寺本、東本願寺本、専修寺本の詞書の同異が対比してあり、奥書についてもその異動が分かります。
 それによりますと、西本願寺本と専修寺本にはこの第二の奥書がないようです。この両本は最初に制作されたもので、東本願寺本は、この第二の奥書のさらに後に覚如上人が制作された最後の版でしたからそのようになったのだと思われます。

 それともう一つ、この本で、前回漢字でパソコンの字典で見つけることができなかった字(ごんべん+「比」)は、西本願寺本と専修寺本では「紕」という字になっていることが分かりました。これなら、パソコンにもありました。手元の漢和辞典でも「ごんべん」の方は見つけることができなかったのですが、この「紕」はありました。それによりますと、「紕(ひ)」は「あやまり、まちがい」の意味があるようで、「紕謬」という言葉もあることがわかりました。

(図は、これまで取り上げた以外の「伝絵」下巻第七段の図です。)

 左は茨城県笠間市の西念寺に伝わるもの、右は香川県琴平の金刀比羅宮に伝わるものです。

 以前ご紹介しましたように、笠間の西念寺は、親鸞聖人が庵を結ばれた稲田の地に建立されたお寺です。西念寺に伝わる伝絵は、「弘願本」と呼ばれています。絵図の出入りからみて、弘願本は、西本願寺本や専修寺本の最初期のものと東本願寺本との中間の形態を持っているとされているようです。このことからも、覚如上人は、伝絵を最初に制作された後も手直しをしておられたことが窺えます。

 金刀比羅宮にも伝絵が伝えられているということは、知りませんでした。
 以前にもご紹介したことがありますが、『真宗重宝聚英』という全集の第5巻は「親鸞聖人伝絵」となっていて、多くの「伝絵」を見ることができます。この本の解説は平松令三氏が書いておられるのですが、平松氏によれば、この金刀比羅宮に伝わるものは、江戸時代末期の大和絵の巨匠冷泉為恭(れいぜいためちか)の手になる模写だということです。平松氏は、彼が親鸞聖人の伝絵も模写していたということに注目しておられました。
 図は東本願寺本と同じで、薄紙を当てて模写したものだと言われているようです。面白いのは、伝絵の詞書の部分は、それぞれの段の書き始めと書き終わりの部分だけが記されているということです。つまり、もっぱら絵図を模写することが目的だったということが分かるというわけです。

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649.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (63):奥書

20200619東本願寺本s

 久しぶりに、御絵伝に戻ってまいりました。前回までで、『御伝鈔』の下巻第七段を学んできました。
 今回は、その後に記されている「奥書(おくがき)」について学びたいと思います。

 御文です。
 「奥書にいはく 
  右縁起図画(えんぎずえ)の志、ひとへに知恩報徳のためにして戯論(けろん)狂言のためにあらず。あまつさへまた紫毫(しごう)を染めて翰林(かんりん)を拾ふ。その体(てい)もつとも拙(つたな)し、その詞(ことば)これいやし。冥(みょう)に付け顕に付け、痛みあり恥あり。しかりといへども、ただ後見賢者の取捨を憑(たの)みて、当時愚案の*謬(ひびゆう)を顧みることなきならんのみ。 
  時に永仁第三の暦、応鐘(おうしょう)中旬第二天、晡時(ほじ)に至りて草書の篇(へん)を終(お)へをはりぬ。
                   画工 法眼(ほうげん)浄賀 号康楽寺」

 (文中の(*)の部分は「ごんべん」に「比」という字なのですが、パソコンにありませんでした)

 現代語訳です。平松令三氏によります。
 「右のように、親鸞聖人ご生涯の伝記を絵巻に制作した趣旨は、ただただ聖人の御恩に報いようというためであって、芸能や遊びのためではありません。絵を描き、文章を綴りはしましたが、その体裁は拙劣で、文体も程度の低いものです。仏・菩薩に対しても、この世の心ある人びとに対しても、恐縮で、恥ずかしいものです。しかしこれを見ていただく賢明な方がたが、取捨選択していただくのにまかせて、自分勝手な誤りのあることを気にかけないであえて公開いたします。
  永仁三年(1295)十月十二日午後四時ごろ、ようやく草稿を完了しました。
                   画工は法眼康楽寺浄賀です。」


 この「奥書」といいますのは、「巻軸・写本などのおわりに、その来歴などをしるした書き入れ」のことで、今回の『御伝鈔』には、3つの奥書があるとされています。今回はその第一の奥書で、永仁3年、26歳の覚如上人が最初に『伝絵』を完成されたときのものです。
 上人はこの中で、この絵巻は親鸞聖人への報恩のために制作したものであって、決して遊び心によるものではない、と述べておられます。

 奥書の中で上人は、「絵は、康楽寺の浄賀という人の手になる」と記されているのですが、平松氏によりますとこの康楽寺がどこのお寺なのかということについては、まだ明確な結論が出ていないのだそうです。 

 そこで思い出したのですが、このシリーズの第1回目で、この康楽寺は長野市にある康楽寺のことで、浄賀師は同寺の第2世だという説をご紹介していました。なのですが、どうもこの説は怪しいもののようです。
 平松氏によりますと、同寺の寺伝でも同じことが伝えられていて一時期はそれが定説になっていたのだそうですが、その後の研究により、その伝承は後世の偽作ではないかという説が出されたのだそうです。かつて京都に康楽寺というお寺があって、ここで言われている康楽寺はそのお寺のことではないかということになっていて、平松氏もこちらの説の方が有力だとみておられるようです。
 2年前のことですが、ちょっと勇み足だったようで、お詫びします。

(図は、東本願寺本の伝絵です)    
 
 前回まで注目していました図の像で見ますと、廟堂の中には親鸞聖人のご影像と三具足が置かれてあり、覚如上人とされる僧侶が境内を掃除している姿が描かれていますが、回廊には人影が見えません。また、廟堂の屋根は檜皮葺で描かれています。
 この康永2年(1343年)に制作された東本願寺本が、覚如上人による伝絵の最終版とみなされ、その後広く伝えられる『御絵伝』のもとになっているとされています。

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648.新聞版「壽福寺だより」を発行しました

20200615紙面s 20200615紙面2s

  新聞版「壽福寺だより」6月号を発行しました。明日からお宅にお届けします。

 今月号の記事は次の通りです。通常ですと、降誕会法要や「花フェス」の報告という記事が入るのですが、今年はその両方が中止となり、記事の内容が随分と変わりました。1面と2面の写真には、本山のメッセージポスターを使わせていただきました。

〇1面
 「降誕会を休座しました」
  3月の永代経法要に続いて降誕会も休座しました。餅まきにとお預かりしていますご懇志は来年の降誕会に使わせていただきます。
 「新型コロナウイルスの影響」
  本山や山口教区での対応についてご紹介しております。
 「夏法座のご案内です」

 「夏法座にはぜひお参りを」
  初めてのご出講となるご講師の杉山恵雄氏を紹介しています。

〇2面
 「組長日誌」
  組長の最初の2カ月について紹介しています。
 「ハガキをご紹介します」
  組長会で紹介があったハガキについて紹介しています。
 「人と人とのつながり」
  新型コロナウイルス感染について感じていることを記しました。

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647.初組会の書面議決、法中会

20200612仕出し        20200612茶わん蒸し

  (またしても「新型コロナウイルス」で記事が始まりますが、)新型コロナウイルス対応として進めてきました、宇部北組の新年度の行事の状況についてご報告します。

 2020年度の初組会(宇部北組の決議機関に当たります)は、会合を開かずに議案書と関連する資料を組会議員(34名おられます)にお送りし、書面による議決をお願いしておりました。
 6月7日にその議決書の返送を締め切りました。その結果、31名の方から議決をいただき、その全員の方から5つの議案について賛成をいただきました。これで、今年度の議案は組会の承認をいただいたことになります。

 6月10日に、各ご住職に次のご連絡をお送りしました。 
 (1)書面による初組会議案の議決報告
  上記の議決報告で、ご門徒さんの組会議員にも同封した報告書を渡していただくようお願いをしております
 (2)「組定期便(5月)」
  本山から組長に定期的に送付される「定期便」というものがあるのですが、これを組内の寺院に伝達するのも組長の仕事です
 (3)2020年度法中会の開催案内
  年度最初の法中会は書面で行いましたが、今回は「3密」対策を行って6月23日に会合を開くことにしました。先に開かれた教区の組長会議の情報などをお伝えしたいと考えております。

 このように、組長の業務に、組内の寺院へ郵便物を送付するという仕事もあります。
 特に定形外の郵便物を発送する時には、車で10分ほどの距離にある郵便局に持って行って発送をお願いしています。それについて以前笑ってしまったことがあります。お送りする16か寺のうち、郵便局に行く途中に1か寺、郵便局のすぐ近くに3か寺があるのですが、考えてみるとこのお寺に文書を届けるには、郵便局にもっていかずに直接郵便受けに入れた方が早いし、郵便料金の節約にもなります。
 そんなことで、この4か寺とそれ以外で直接お会いして話がしたいお寺さんには、私が「配達」することにしています。

 以下は、組長の仕事とは関連のないことですが、今回のコロナウイルス対応で気づいたことがありました。それは、妙な話なのですが、「茶わん蒸しのおいしさ」なのです。

 先日、ご門徒さんのお宅でご法事のお勤めをする機会がありました。普通ですと、お勤めのあとに、お参りいただいた方と一緒に食事(「おとき」と呼ばれています)をご馳走になることが多いのですが、このコロナウイルスの影響で、これが中止されたり、お料理はお持ち帰りください、というパターンが多くなっています。
 そのお宅でも、「お料理はお持ち帰りください」ということになっていたのですが、茶わん蒸しとお吸い物を準備しておられました。多分、直前までは一緒におときをいただくことを考えて、仕出し料理のセットとして注文しておられたのだと思います。
 それで、「茶わん蒸しとお吸い物だけでもご一緒に召し上がってください」ということになって、珍しい茶わん蒸しとお吸い物だけのおときということになりました。

 そんなことで、最初に茶わん蒸しをいただいたのですが、これがおいしいのです。一緒にいただいていた方とも話をしたのですが、その人も「茶わん蒸しっておいしいですね」と同じ感想を言っておられました。
 考えてみると、これまで料理と一緒に出される茶わん蒸しというのは、言葉は適切ではないかもしれませんが、「添え物」といった感じがあったように思います。
 通常おときをいただいて料理が余った場合は、それを持ち帰ることになります。特に僧侶として皆さんと一緒にご馳走になっている場合、頃合いを見計らって「それでは私はこれで・・・」と辞去するようにしていますが、茶わん蒸しやお吸い物は持ち帰ることができませんので、(私の場合ですが)どちらかというと早めに食べていたように思います。

 妙な習慣が身についたものですが、茶わん蒸しは先に「片づけてしまう」料理になってしまっていたようです。しかし、今回は茶わん蒸しが主要な料理となりましたので、ゆっくり味わうことができて、そのおいしさに気づいたのだと思います。
 もちろん、その茶わん蒸しがことのほかおいしくできていたとも考えられますが、いずれにしても「茶わん蒸しのおいしさ」は、コロナウイルスによって気づかされたこと、の一つになりました。

(図は、後半の話題に対応して「仕出しの料理」と「茶わん蒸し」です。ネットからいただいてきました。)

  こうして見ますと、仕出し料理や茶わん蒸しには、日本の食文化が濃縮されて詰められているような思いがします。見た目、味、香りなど豊かなものをいただいているのだ、と改めて感じます。

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646.最近の話題(49):新型コロナウイルス感染拡大(3)

20200608花火   20200608花火2

  またも、新型コロナウイルス感染拡大に関わる記事になりました。テレビの報道番組も軒並みこの話題に占領されたような毎日で、なにか他の記事にしようと考えたのですが、「またコロナ」状態です。

 報道によりますと、日本のコロナウイルスへの対策は、国際的にみるとうまくいっているという評価を受けているようです。
 NHKの集計では、6月7日午前零時時点での日本の感染者数は17,164人(チャーター機、クルーズ船関連を除く)、亡くなった方は916人となっています。他の国を見て見ますと次のようですから、人口比率でみても日本では感染の爆発的な拡大は抑制されていると思われます。
 (感染者数上位から。感染者数/死者数)
  アメリカ:1,897,380人/109,132人。ブラジル:645,771人/35,026人。ロシア:449,256人/5,520人

 このように日本では急速な感染の拡大を防ぐことができている背景にはなにがあったのか、ということについて様々な考え方が示されているということを知りました。海外では強制的な外出禁止命令などが行われていても、効果をあげることができなかったのに対して、日本では外出「自粛要請」で、感染を抑制できているということに注目がなされているようです。その要因として、次のようなことがあげられていました。あちらこちらの情報を集めてみますと、
 ・土足で家に上がらない習慣
 ・マスクに対する抵抗感がない
 ・ハグする習慣がないなど、適当な個人間の距離を保つ生活スタイル
 ・BCGの接種が行われていること

 それと、これは海外からの報道の中で言われていたのですが、日本人の集団としての行動様式、よく言えば集団としての規律に従うという習慣、別の言い方をすれば(その海外の論調はこちらに近かったのですが)他人の目を気にする習慣、もその要因の一つとして考えられるのだと言います。
 この行動様式は、関西や東日本の大震災の時にも、厳しい環境の中でも譲り合い助け合って困難に向かっていった日本人の行動として取り上げられ、高く評価されたことでした。

 この日本人の行動様式にその要因を求める報道について知って、前々回このブログで取り上げました、「人は、なぜ他人を許せないのか?」という本を思い出しました。
 脳科学者である著者の中野信子さんは、日本人の行動様式は、耕作地が限られしかも天災地変に見舞われる島国日本で生き延びるためには、集団の構成員としてその規律に従うことが不可欠だということが「遺伝子レベルで」刷り込まれているのだと、説明しておられました。

 そのような私たちの行動様式が、現在の日本でウイルス感染拡大に対する強力な防波堤になっているかもしれない、ということは注目してよいことだと考えます。ただ、そのことは中野さんのいう、集団の規律を乱す「他人を許せない」という一面も持っているということにも、注意しなければならないと思います。

 あまり良い語感を感じないのですが、時々「自粛警察」という言葉を耳にします。自粛を規則で定めるわけではないけど、「お互いに守りましょう」という申し合わせから「守っていない人には注意しましょう」、さらには「守っていない人がいたら、警察に連絡しましょう」にまで進んでしまうことです。注意する人からすると、「私は正しいことを言っている」という「正義の履行」意識がありますので、エスカレートしていくことは、中野さんが同書で書いておられる通りです。

 私たちが大切にしてきた、集団で困難に向かっていくということを維持しながらも、それからこぼれ落ちそうな人、はみ出しそうな人、がいたらどうするのか、という命題だと思います。そのような人を追い詰めたり疎外したりせずに、それでも集団としてまとまっていけるという「柔軟な集団」が求められている、ということなのかもしれません。
 これはなかなか難しいことかもしれませんが、集団の常識からはみ出しそうな人こそ、新しい発想で新しいものを創り出す力を持っている人かもしれません。耕作地の制約からは自由になっている現在の日本ですから、そのような人もとりこんで世界の中で存在感を持つ国になることが求められていると言えるようです。

(写真は、6月1日に全国で行われた「CHEER UP ! 花火プロジェクト」の花火です。画像は、ネットからお借りしています。)

 このプロジェクトは、全国163の花火業者が「全国の人に希望と元気を」届けようと、同日午後八時から一斉に実施されたものです。3密状態を避けるために、事前に告知することなく実施され、偶然見ることができた、という人はラッキーだったということのようです。私も、残念ながら目にすることができなかったのですが、花火はいいですね・・・。

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645.最初の組長会が開催されました

20200605ハガキs       20200605本願寺ポスターs

  5月28日に山口別院で山口教区の組長会が開催されました。

 山口教区には33の組があり、その組長が出席して開かれるのが組長会です。これまでも、副組長の時に組長の代わりに出席していたこともあるのですが、今回は組長として出席する初めての組長会で、ちょっと緊張しての出席でした。
 本来は4月28日に開催される予定でしたが、ここでも新型コロナウイルス感染拡大への対応ということで、1カ月延期されての開催となりました。会議はいつもは大会議室で行われていますが、当日は広い本堂で席の間隔をとり、窓を開放して行われました。

 組長が改選されて初めての組長会ですので、最初に自己紹介が行われ、その後組長会の正副会長とブロック代表者を選びました。このブロックというのは、33の組をさらに5つのブロックに分けるもので、宇部北組は第3ブロックに属しています。
 互選により、会長には周南組徳応寺の赤松泰城氏が、副会長には岩国組光福寺の藤山正則氏と大津西組龍雲寺の長岡裕之氏が選ばれました。第3ブロックの代表者には、山口北組圓龍寺の讃井芳正氏を選びました。

 最初の自己紹介の中で分かったのですが、33人の組長のうち新任ではない人は11名でした。思ったよりも少ないなあ、という感じでした。組長というのはベテランの方が長くやっているのでは、という漠然としたイメージを持っていたのですが、これは間違いだったようで、なんとなくホッとした感じでした。

 組長会の内容を少しご紹介します。

 やはり、新型コロナウイルス感染拡大に関わる事項が多くありました。
 その一つは、別院を中心として開催が予定されていた行事に関わる事項です。既に、5月5日に予定されていた別院の降誕会法要は中止とされていましたが、6月8~10日に勤修の予定の別院永代経法要も中止(別院の職員のみで修行されます)、その他多くの教区の行事も中止もしくは延期されるという説明がありました。
 そのような中で、毎月5日に勤められことになっていた常例法座は7月から再開されるということで、少しずつですが、新しい動きも感じることができました。
 また、各寺院で行事を開催するにあたっての留意事項が示され、地域の状況などを勘案して進めてもらいたいという要請がありました。
 本山からのコロナウイルス対策として、個別の寺院を支援するため、毎年進納している賦課金について今年度は減額するという方針も示されました。

 この会議の内容を組の寺院にご連絡するために、法中会(組の住職の集まりです)を開催することを検討します。
 例年は初組会に先立って開催している法中会も、今年は資料をお送りして確認していただくという形にしましたので、今度開く法中会が初めての会合による法中会となります。6月中旬から下旬の間に開催できればと思いますが、3密を防ぐ工夫が必要となります。

(図左は当日紹介、配布された創作ハガキ、右は本願寺で制作、公開された新型コロナウイルス感染拡大へのメッセージポスターです。)

 左のハガキには、「しばらくは離れて暮らす「コ」と「ロ」と「ナ」 つぎ逢ふ時は「君」といふ字に」と書かれています。
 カタカナの「コ」「ロ」「ナ」を組み合わせると漢字の「君」という字になる、といことを使って作られています。なるほどなあ、と感心しました。今は、君に会えないけれど、今度会える時まで頑張ろうね・・という思いがうまく表現されています。
 あるイラストレーターがご自分で作った言葉にイラストを加えられたものだそうです。

 右の図の左下には、「ありがとう 私たちのいのちと 今の生活を 支えてくれている 全ての方々へ」という言葉が添えられています。
 医療従事者の方々を始め、このコロナウイルス感染が広まっている中で私たちの生活の基幹部分を支えていただいている多くの方々について、思いを寄せたいと思います。

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644.ご紹介します(24):「人は、なぜ他人を許せないのか?」

20200601書籍      20200601書籍2

  今回ご紹介しますのは、中野信子さんという方が書かれた「人は、なぜ他人を許せないのか?」というタイトルの本です。
 帯には、「すべての人の心に潜む「正義中毒」という快楽を最新の脳科学が解き明かす!」とあり、さらに「自分は絶対正しい」「他人の言動が許せない」という二つのフレーズも記されています。

 この帯の言葉だけで、この本を読んでみたいと思いました。
 ちょうどいま、新型コロナウイルス感染拡大に対応して外出自粛の呼びかけが行われています。その中で、他の人の行動を批判する過剰な行動やネットへの書き込み、医療従事者への差別の問題が表面化しています。また、木村花さんという女性のプロレスラーが亡くなりましたが、ネット上で彼女で対する執拗な非難が行われたことがその背景にある、という報道がなされていました。

 私は、以前から私たちは過剰に正義を求めすぎているのではないか、と感じていました。特に自分以外の人に対して、正しくあることを求め、少しでもそれと違うことを目にし、耳にすると居丈高にその人を非難してしまって、寛容性が狭まってきたなあ、と感じることが多くありました。

 著者の中野さんは、そのような傾向、行動は人間にとって当たり前のことなのだ、「そもそも人間の脳は誰かと対立することが自然であり、対立するようにできています。」と言います。私たちの脳そのものが、そのように外に向かって攻撃的になっているのだといわれるのです。哺乳類のうちの多くのものは個体の弱さを克服するために集団を形成するのですが、この集団同士は対立する関係に陥るのだそうです。そうなると、「自己の所属している集団が集団であり続けることこそが正義」だということになります。
 この生き延びるために形成された集団は、その置かれた環境によって性質がすこしずつ異なってくるのだそうです。日本の集団が置かれた環境というのは、狭い島国で、地震や火山の噴火、台風などの厳しい自然環境の中で生き延びなければならなかったという特徴があり、そのような環境では、まとまって行動できる集団の方が生き延びる可能性が高かったのだ、と中野さんは言います。様々な意見が出され、中には突拍子もない者がいてもそのような存在を包含しながら方向を決めるというような余裕もない、そんな環境だったと言えるのでしょうか。そうして生き延びてきた私たちの遺伝子には、集団に依拠して生きるという知恵が組み込まれてきた、ともいえるようです。
 そのような集団の中では、突出した個性を持ち、自分の価値観を前面に出していく構成員は、集団のまとまりを壊す存在だとして排除されることになると中野さんは言います。

 このような見方で、現在起こっている現象を見てみると、「そんなことをするなんて許せない」としてバッシングに走り、中野さんの言葉をお借りすれば「間違ったことが許せない」「間違っている人を、徹底的に罰しなければならない」「私は正しく、相手が間違っているのだから、どんなひどい言葉をぶつけても構わない」ということになります。しかも、そのように「他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物資であるドーパミンが放出され」るのだそうです。
 この私たちの行動傾向は、ネットでの「書き込み」が匿名で可能だということで先鋭化し、さらに新型コロナウイルス感染などのストレスのなかで増幅され、「正義の履行」が止まらなくなったのが現在の姿なのだということが分かります。

 お釈迦さまは、私たちが逃れることができない八つの苦の一つとして「怨憎会苦」をあげられました。怨み、憎む相手と出会わなければならない苦、です。お釈迦さまは、私たちの外にそのような相手がいるのだ、と言っておられるのではなく、私たち自身がそのような対象を作り出してしまうのだ、逃れることのできない煩悩を抱えている私たちがそうしているのだ、ということを教えていただいています。そして、現在の脳科学は、これは私たちが生き延びるために身につけた資質なのだ、ということを示している、ということになります。

 以前ご紹介しました、「二人が睦まじくいるためには」という本のことを想い出しています。吉野弘さんは、「祝婚歌」という詩の中で次のように言われていました。
 「互いに非難することがあっても 非難できる資格が自分にあったかどうか あとで疑わしくなるほうがいい
  正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい
  正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい」

 私たちは、脳の働きでもって他者に対して攻撃的にならざるを得ないにしても、そのような存在であることを認識し、少しでもそれを抑制できるように努めることはできると、自分に言い聞かせることはできると思います。

(図は、本のカバーです)

 今回、たまたま時間があって、ぶらりと書店に入ってこの本に出合いました。このようなことは最近少なくなったような気がします。まず、ぶらりと入るような書店が近くになくなっています。そして郊外にできた大型の書店は、コミックや参考書、趣味の本などの置き場が広くなって、落ち着いて本を眺め、立ち読みするという気分になりにくいです。
 そんなことから、書評で気になった本や誰かから勧められた本を、ネットで注文するというパターンが多くなってしまいました。ぶらりと書店に入って、豊かな(?)時間を過ごすという習慣も大事だな、と改めて思います。

 もう一つ気づいたのですが、前回の「トリセツ」と今回の本、どちらも女性の脳科学者が書かれた本です。どちらの本も、私たちの行動が私たちの脳(や遺伝子)から重要な支配を受けているということを、分かりやすく説明する内容になっているという共通点があります。
 
(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)


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