FC2ブログ

533.降誕会のご案内です

20190430藤棚   20190430藤棚2

 下記により、親鸞聖人のお誕生をお祝いする降誕会のお勤めをいたしますので、お誘いあわせてお参りください。

1.日時
 5月3日(祝) 10:00~(午前)

2.ご講師
 林 正文師(大津東組 清福寺)

3.その他
 ・おときを準備します。(仏教婦人会の皆さんにお世話になります)
 ・餅まきをおこないますので、是非お子さんもご一緒にお参りください。

 昨日4月29日、法座に向けて境内周辺の草刈りをお願いしました。小雨が降り少し肌寒さを感じる天候でしたが、総代さん(代理の方も含めて)の井上啓志さん、岩﨑昌彦さん、山根惣一さん、今橋庄二さん、金子富士夫さん、杉山博子さん、吉屋博志さん、志賀慎次さん、志賀智さん、西睦生さん、岩﨑明さん、田中光明さんに協力いただいて作業を行いました。

 湿った路面に刈った草がくっついて苦労しましたが、約1時間で作業を終えることができました。おかげさまで、駐車場、石段の周辺、寺へ上がる道(大岩郷方面から下る道は当日に先立って岩﨑昌彦さんが刈っていただいていました)の周辺をきれいにしていただきました。
 これで降誕会当日には気持ちよくお参りいただくことができます。有難うございました。

(写真は、境内の藤棚です)

 年によって花のつき方が違うのですが、今年はいつもより多いように思います。例年、降誕会の頃に満開になりますので、これもお楽しみにお参りください。
 中央のオオデマリ(大手毬)ももうすぐ満開になります。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
スポンサーサイト



532.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (27):上巻第八段(2)

20190429第八段西本願寺本


 前回は、親鸞聖人のご絵像を描くために招かれた絵師の定禅法橋が自分が見た夢について語り始めました。今回はその内容です。

 貴僧二人来入(らいじゅう)す。一人の僧のたまはく、「この化僧(けそう)の真影(しんねい)を写さしめんとおもふこころざしあり。ねがはくは禅下(ぜんか)筆をくだすべし」と。定禅問ひていはく、「かの化僧たれびとぞや。」件(くだん)の僧のいはく、「善光寺の本願の御房(おんぼう)これなり」と。ここに定禅掌(たなごころ)を合せ跪(ひざまず)きて、夢のうちにおもふやう、さては生身(しょうじん)の弥陀如来にこそと、身の毛よだちて恭敬(くぎょう)尊重(そんじゅう)をいたす。また、「御ぐしばかりを写されんに足(た)りぬべし」と云々。かくのごとく問答往復して夢さめをはりぬ。しかるにいまこの貴坊にまゐりてみたてまつる尊容(そんよう)、夢のうちの聖僧(しょうそう)にすこしもたがはずとて、随喜のあまり涙を流す。しかれば「夢にまかすべし」とて、いまも御ぐしばかりを写したてまつりけり。夢想は仁治三年九月二十日の夜なり。

 その夢では、尊いお坊さんが二人来訪されました。その一人が言われるには、「この方は仏さまの仮のお姿です。この方の肖像を描いてもらいたいと思います。できたら貴方に筆をとって描いていただきたいのですが、どうでしょう。」そこで私、定禅がお尋ねしました。「仏さまの仮の姿だと言われましたが、この方は誰方ですか。」するとそのお坊さんが「この方は長野善光寺の本願の御房です」と申されました。それを聞いて私は夢の中でひざまずいて合掌しながら、「かねてから善光寺の阿弥陀仏は『生身の弥陀如来』だと聞いていたが、さてはその阿弥陀様に会うことができたんだな」と思い、身の毛よだつ感じがして、心からおうやまいし、拝礼しました。すると「お顔だけを描いてもらえばいいのですよ」とも言われました。そんな会話があって夢がさめたのですが、いまここへおうかがいしてお眼にかかったこのお姿は、夢の中に出て来られた偉いお坊さんとすこしも変わりません。
 と言って涙を流して喜ぶのでした。それでは「夢の通りにしましょう」ということになり、ここでもお顔だけが描かれました。この定禅の夢は、親鸞聖人七十歳の仁治三年(1242年)九月二十日の夜のことでした。


 定禅法橋は、夢の中で訪ねてきた尊い僧侶が「善光寺の本願の御房」だと告げられて「身の毛もよだつほど」感激します。そしてその日、親鸞聖人の御前にうかがったところ、聖人のお姿がこの「善光寺の本願の御房」とされた僧と全く変わらないことに歓喜し涙を流したと、記されています。
 平松令三氏は、「善光寺の本願の御房」とは善光寺を創建した僧侶のことで、善光寺の如来は「生身の阿弥陀如来」だと言い伝えられ広く信仰を集めていたことから、定禅法橋は自分が見た夢とあわせて、前におられる親鸞聖人を阿弥陀如来の化身だと涙を流して喜んだのだとされます。覚如上人はこの逸話を記され、親鸞聖人が阿弥陀如来の救いのお力を私たちにお伝えいただいた方で、阿弥陀如来の化身ともされるべき方なのだと示されました。
 
(図は、西本願寺本の「伝絵」です。左奥に親鸞聖人、右手前に定禅法橋が描かれています。)

 前回の自坊の御絵伝(多くの寺院が所持している御絵伝も)には、聖人が入西房に絵像の制作を許される場面がありましたが、西本願寺本にはその場面はありません。また、西本願寺本の聖人は首に帽子(もうす)という白い首巻を着けておられますが、自坊の第八段の聖人は着けておられないなどの違いもあります。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

531.最近の話題(30):フォーラム「古川薫さんが遺したもの」

20190426古川氏  20190426古川氏2

 4月20日に下関市の「生涯学習プラザ」で開催された山口新聞社主催の「古川薫さんが遺したもの」というフォーラムを聞くことができました。

 古川薫さんは下関出身で、教員を経て現山口新聞社に入社、同社の編集局長を最後に作家活動に入られた方です。1990年に下関出身のオペラ歌手藤原義江の伝記小説『漂泊者のアリア』で直木賞を受賞されたのですが、25年間に9回候補になりながら賞を逃された後の受賞でした。
 古川さんは、昨年5月5日に92歳で亡くなられました。今回のフォーラムは、歿後1年を前にして古川さんを偲んで開催された催しということになります。

 第一部は、文芸春秋社で編集者として長く古川さんを担当されていた岡崎正隆氏の講演でした。各回の直木賞選考の舞台裏なども含めて、古川さんとの思い出をお聞きしました。
 このフォーラムの会場に行く前に、古川さんが名誉館長をされていた「下関市近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館」を訪ねました。ちょうど「春季所蔵品展「古川薫」」が行われていて、古川さんの直木賞受賞までの10作品などが展示されていたのですが、その他に、編集者だった岡崎氏が古川さんに送られた書簡も展示されていました。その書簡の中に、岡崎氏が古川さんの作品について手直しを提案されている内容のものもありました。古川さんもその指摘に同意して手直しをされたことが紹介されていましたが、編集者と作家の間にこのような関係もあったのだということを初めて知った思いでした。それはまた、古川さんが岡崎氏に寄せておられた信頼の厚さを示すものでもあったのでしょう。

 第二部はパネルディスカッションで、パネリストは講演を行った岡崎氏、古川さんの奥さんで歌人の森重香代子氏、下関市の劇団海峡座主宰の武部忠夫氏、田中絹代ぶんか館の主任学芸員の吉田房代氏で山口新聞社の編集顧問の佐々木正一氏がコーディネーターを勤めておられました。
 ディスカッションの中では、古川さんが下関に住むことにこだわられたことが取り上げられていました。東京に出てこないか、という誘いは随分あったそうですし、文壇の「中央」の東京に居を構えることの有利さもあったのでしょうが、古川さんは下関を離れられませんでした。このことについて、「地方のハンディはあったけど、地元の歴史風土を敏感にすくい上げて作品としていた。下関人の誇り」、「幕末維新の中で光が当たらなかった人びとを取り上げるには、資料も含め地元にいることが不可欠でそれが古川さんの力になった」というコメントがあり、これはよく理解できる思いでした。

 今回のフォーラムの会場で、奥さんの森重香代子氏の短歌15首と古川さんの俳句1句を記した資料が配られていました。古川さんが創作に向かわれていた姿、直木賞などに積もる思いなどを奥さんの眼で詠まれた歌、そのような奥さんに対する古川さんの思いが感じられる歌や句で、いずれも印象深いものでした。
 奥さんの歌です。
  午前二時シャワー浴びつつ喚きをり小説書きの囚はれ男
  ふと人に変化(へんげ)し鬼の出でしあと鬼の栖(すみか)をわが叩(はたき)をり
  直木賞八度逸せし心境を問はれゐる夫フラッシュあびて
  てのひらに結びし春の雪だるまパン皿にのせ夫がもち来る(奥さんが入院されていた時の歌だと思います)
  七日経し雨の夜を来てわが肩に止まりし羽虫夫にあらぬか
 古川さんの句です
  廃園に佇む妻の袖に蝶

 実は、古川さんご夫妻については思い出があります。
 関西にいた頃に、卒業した高校の同窓会関西支部というのがあり、その役員をやっていたことがありました。毎年開催する総会の中で特別講演(公演)会を計画し、同窓生や下関に関連のある方に来ていただいて講演や公演をお願いしていました。
 役員の中に古川さんに講演をお願いできる人がいて、古川さんには私が役員をやっていた15年の間に2回講演をお願いしました。同じ方に2回お願いするというのは古川さん以外にはありませんでしたが、快くお引き受けいただきました。
 最初の演題は「歴史から見た山口県と関西」、二回目は「田中絹代の光と影」で、いずれも下関に関わる興味深いお話しを、丁寧にお話しいただいたことを覚えております。
 今回のフォーラムで驚きましたのは、奥さんが「鬼」とまで表現された古川さんの作家としての姿と、同窓会で講演しておられる姿のギャップです。作家として創作に当たっておられた古川さんは、奥さんの眼には、シャワーを浴びながら喚く「小説書きの囚われ男」だったのでしょう。
 また、同窓会の講演会には奥さんもご一緒においでいただいたこともあって、このフォーラムは大変印象に残るものになりました。

(写真左は20日のパネルディスカッションの様子、右は古川さんご夫妻です)

 右の写真は1997年の同窓会総会で講演していただいた時の写真で、同窓会の会報のコピーです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

530.最近の話題(29):黒猫(2)

20190422ネコ  20190422ネコ2  20190422ネコ3

 以前、よく黒猫を見かけるようになったというお話しをしました。その時は2匹を同時に見たのですが、3匹いるという未確認情報もあると記していましたが、やはり3匹いました。

 先日、台所から外に出る戸を開けるとそこに黒猫が3匹いました。
 面白かったのは、私の姿をみるとそれぞれが少し離れた畑の方に移動していったところです。申し合わせて一緒に行くのでもないのですが、3匹がばらばらと畑の方に向かって歩いていきました。
 聞きますと、残菜を畑の隅の決まった所に捨てるようにしているということですので、そこを自分たちの「餌場」だと思っているようです。私が戸口から出ようとしたのを、餌の残菜を持って行こうとしていると勘違いしたのでしょうか。
 餌を巡ってこの猫たちの競争相手は近くにいるカラスのようで、空中から降りてくるカラス相手だと猫の方が分が悪く餌を横取りされているのようです。
 全身黒色ですから3匹を見分けるのが難しいのですが、1匹だけ大きくてゆったりと行動するのがいて、これが他の2匹の親だろうということです。

 それから数日後のことですが、私が境内の草引きをやっていると、小さいほうの1匹がそばにやってきました。それまでのように遠巻きに様子を見るのではなく、私が立ち上がると足の周りにすり寄り、近くで寝転んだりしていました。前回の黒猫の記事で、その時におられた猫好きの(猫に好かれた)人に対してやっていたような行動です。私も猫にとって安全な存在だと認められるようになったのでしょうか。しばらくそうして遊んだあとは、すっとどこかに行ってしまいました。
 今回近くに来たこの猫の前足は両方とも少し赤みがかった毛をしています。少しずつ識別ができるようになりそうです。

(写真左2枚は3匹同時に現れたときのもの、右は草引きのときのものです)

 左2枚で、手前の2匹はあちこち動いているのですが、奥の少し大きな1匹は悠然としています。これが親猫か。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

529.上宇内地区の降誕会をお勤めしました

20190419宇内降誕会   20190419宇内降誕会2

 4月14日、上宇内地区の誕生講および盆会の法要をお勤めしました。

 以前にもお伝えしましたが、上宇内地区には16軒の浄土真宗のご門徒さんがおられます。壽福寺と正恩寺さん、法栄寺さんのご門徒さんなのですが、年に2回降誕会(今回の誕生講および盆会です)と報恩講を地区合同で勤められ、3か寺の住職が順番にお勤めを行っています。お聞きしますと、もう戦前から(多分明治より以前から)行われているという長い歴史をもった行事です。

 今回は壽福寺が担当で、12名の方が会場の集会所にお参りいただきました。

 お取次では、最初に、2023年に予定されている「親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年」慶讃法要や本山で進められている阿弥陀堂内陣、飛雲閣、唐門の改修工事とそれに伴う遷佛、遷座、それとこのブログでもご紹介しました龍谷大学の学舎が大河ドラマ「いだてん」の舞台になったこと、などを最近の話題としてお伝えしました。
 引き続いて、仏教の大切な教えの一つの「諸行無常」についてお話しをさせていただきました。

 この地区の方は毎朝交代で、この集会所のお仏壇にお花とお仏飯をお供えしておられます。また、当日も集会所の周辺はきれいに草刈りがされていました。古くから伝えられた仏事、ご苦労も多いことと思いますが、大切に伝えていただきたいと思っております。

 上宇内地区の仏事に関する過去の情報は次の通りです。
  上宇内地区の報恩講をお勤めしました(2014年11月24日)
  聞き書き「上宇内地区報恩講」(1)(2014年12月12日)
  聞き書き「上宇内地区報恩講」(2)(2014年12月19日)

(写真は当日の様子です)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

528.「花フェス2019(花まつり)」を開催しました

20190415花フェス5  20190415花フェス7

 4月13日、「アクトビレッジおの」で宇部北組の花まつり「花フェス2019」を開催しました。

 以下、それぞれの実施状況をご報告いたします。
 
 ○当日、開会前から総代会の皆さんにより会場への誘導案内を行っていただきました。
 ○10時 開会式(勤行、法話、組長挨拶、代表者甘茶かけ)
 ○10時半より催し物が各会場で実施されました。
  ・屋外のフリーマーケット(シェード7軒のお店が出されました)
  ・ステージ(午前はギター演奏、午後は宝林寺さんのライトコールアンサンブルの皆さんのコーラスを楽しみました)
  ・ビジターセンターでの仏教体験コーナー(写経・お経本作り、腕輪念珠作り、葬儀体験の3つのコーナーが設けられました。葬儀体験では国吉企画さんのご協力をいただきました)
  ・テントでの子供さんコーナー(輪投げやスーパーボールすくいを楽しみました)
  ・テントでの白象飾りつけ(今年は光安寺さんのものも含めて2頭の白象に飾りつけをおこないました)
  ・テントでのパネル展示(「貧困と子供」に関わる情報提供および募金の呼びかけ、差別問題への対応など)
  ・ポップコーン、フランクフルト提供(光安寺のみなさんが実施していただきました)
  ・芝生の椅子席(芝生の椅子に座って屋外での歓談を楽しんでいただきました)

 ○12時より昼食にカレーライスを楽しみました。
  坊守会と仏教婦人会の皆さんに準備をしていただきました。今年は初めての試みとして通常の牛肉入りのカレーライスの他に野菜だけの精進カレーも準備して選択していただけるようにしました。どちらのカレーライスも美味しかったと好評をいただいました。

 ○14時半から
  ・白象のパレードを行いました
  ・閉会式(勤行、組長挨拶)

 ○閉会式の後に餅まきも行いました

 ○なお、前日12日には、法中のメンバーを中心にして会場の準備をおこない、また坊守会、仏教婦人会の皆さんにはカレーライスの準備をしていただきました。
  また、13日当日も開会前に各会場の準備を、閉会後は会場の撤収作業を皆さんで行っていただきました。

 晴天もあって、当日はスタッフも含めると300人近い多くの方においでいただきました。
 昨年までは「花まつり」を子供会の行事として実施していましたが、今年度はお年寄りや大人も含めて幅広い層の方に参加していただこうと企画されました。その結果、子どもさんとご一緒の方は勿論、大人だけのメンバーもたくさんおいでいただきました。
 また、ご門徒さん以外の方の来場者も多かったように思われます。ビラで知ったり、休日で「アクトビレッジ」に来てこの行事をやっていたのできました、という方や、本格的な自転車に乗られたグループがおられたり、と様々な方においでいただきました。
 会場に流れるBGMに、子供さんの歓声やフリーマーケットの売り声も加わって楽しいフェスタ気分溢れる会場となりました。

 壽福寺からは、岩崎祥子さんがポストカードや小さな絵のお店を、友人の大山しのぶさんがクラフトバンドの作品のお店を出していただきました。壽福寺のご門徒さんを始め多くの方がお店を訪ねて、声をかけていただきお買い上げいただいたようです。
 昨日14日に上宇内地区の降誕会のお勤めをしたのですが、その時にこの「花フェス」に参加された方がお参りしておられました。その方は、祥子さんの可愛いポストカードが気に入って購入し、眺めて楽しんでいる、と喜んでおられました。
 出店いただいたお二人とおいでいただいた皆さんにお礼申し上げます。

 このように多くの方々のお力添えでフェスタを楽しむことができました。厚くお礼申し上げます。

   20190415花フェス    20190415花フェス2    20190415花フェス3
 (写真は左より、準備中のフリーマーケット、写経体験コーナー、カレーライスを準備していただいた坊守会および仏教婦人会の皆さんです)

   20190415花フェス4    20190415花フェス6    20190415花フェス8
(写真は左より、ポップコーン・フランクフルトコーナー、ステージの音楽に合わせて踊る子供さん、餅まきの様子です)
 
(先頭の写真は当日の様子です)

 左は、芝生上の昼食の様子、右は今回初登場の光安寺さんの白象のパレードの様子です

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください) 

続きを読む

527.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (26):上巻第八段

20190412第八段自坊s

 「御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯」は、第八段になります。4幅のうち2幅目の最後(一番上)の図です。
 『御伝鈔』第八段の御文の最初の部分と訳文です。

 御弟子入西房(にゅうさいぼう)、上人[親鸞]の真影(しんねい)を写したてまつらんとおもふこころざしありて、日ごろをふるところに、上人そのこころざしあることをかがみて仰(おお)せられてのたまはく、「定禅法橋(じょうぜんほうきょう)[七条辺に居住]に写さしむべし」と。入西房、鑑察(かんさつ)の旨を随喜して、すなはちかの法橋(ほっきょう)を召請(ちょうしょう)す。定禅左右(さう)なくまゐりぬ。すなはち尊顔に向かひたてまつりて申していはく、「去夜、奇特(きどく)の霊夢をなん感ずるところなり。その夢のうちに拝したてまつるところの聖僧(しょうそう)の面像、いま向かひたてまつる容貌に、すこしもたがふところなし」といひて、たちまちに随喜感歎(ずいきかんたん)の色ふかくして、みづからその夢を語る。

 お弟子の入西房が、親鸞聖人のご肖像を描いておきたい、との願いを抱いて日々をすごしていたところ、聖人はその心中をお察しになって、「七条のあたりに住んでいる定禅法橋に描かせてはどうか」とおっしゃいました。入西房は自分の心の中を察していただいたことをとても喜んで、すぐにその定禅法橋をまねきました。定禅は直ちにやって来ました。そして聖人にお眼にかかると、びっくりして申しました。「実は昨夜、私は不思議な夢を見ましたが、その夢の中でお眼にかかった尊いお坊さんのお顔は、いま私の前にいらっしゃるお方のお顔とそっくりです。これはどうしたことでしょう」と。そしてその場で感激にむせびながらその夢の話を語り始めました。

 今回の上巻第八段は、「入西鑑察(にゅうさいかんざつ)」の段とよばれているものです。
 この段では、入西房というお弟子さんが登場します。入西房は親鸞聖人のお姿を描きたいと密かに思っていたところ、聖人がそのことを察せられて、定禅という絵師を招かれたところから始まります。入西房は、聖人が自分の密かな希望を知っておられたことに大変感激をされます。
 一方、呼ばれた定禅絵師は自分が前夜に見た夢の話をします。彼は、その夢の中に出てきた徳の高い僧侶のお顔が親鸞聖人とそっくりだったと、感激しながら語り始めるのです。

 この入西房について、岡村喜史氏は、関東で親鸞聖人の教えを受けて門弟になられて人だとされています。この段の後の方に、この出来事が仁治3年(1242年)9月のことだったという記述がありますので、聖人70歳のころになります。入西房は遠く関東から都におられる親鸞聖人を訪ねておられたようです。聖人のお姿を描きたいと強く思っておられたのですが、直接言い出せなかったのではないでしょうか。それだけに親鸞聖人から肖像の制作の声をかけられたことを大変感激されたのだと思います。

(図は、自坊の御絵伝の第八段です)

 今回も、右から左へと二つの場面を描いています。
 右では、奥に座っておられる親鸞聖人が手前右の入西房に肖像を作成することを許されているところです。手前左は、いつも聖人に従っておられた蓮位房だとされています。蓮位房は第四段「蓮位夢想」の段に登場した人です。
 左は、奥の方でこちらに向かっておられる聖人のお姿を手前右の定禅法橋が描いている場面です。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

526.最近の話題(28):山門に夜間照明を設置しました

IMG_4709s.jpg  IMG_4715s.jpg  IMG_4712s.jpg 

 少し前になりますが、山門に夜間照明を設置しました。

 これまで「夜間の境内が暗い」という声をいただいていましたので、その対策として設置したものです。電源が近くになかったものですから乾電池方式で、人を感知すると点灯するというものです。

 人ではなく動物が近づいても点灯するのでしょうか、興味あるところです。「證誠寺の狸囃子」ではありませんが、夜に動物がこの灯りの許に集まってくるということがあればおもしろい、などと思っている所です。

 それと、今回写真を撮っていて気づいたのですが、山門に蟇股(かえるまた)の細工が施されていました。
 以前、「寺社の建築様式」の記事で「蟇股は自坊の本堂では見当たらなかった」と記しておりましたが、山門にあったのです。山門の二階部分、本堂側と石段側の2面に設置されていました。

 梁を支えるというよりは装飾的な機能が大きいように思われます。
 この山門の建設時期はよく分からないのですが、蟇股などから時期が分かるかもしれません。もう少し調べてみたいと思っています。

(写真左は照明施設、中と右は山門の細工です) 

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

525.新聞版「壽福寺だより」を発行しました

20190404新聞   20190404新聞2

 新聞版の「壽福寺だより」4月号を発行しました。
 今月号の内容は次の通りです。

 ○1面
  「春の永代経法要をお勤めしました」

  「連続研修会が終了しました」

  「募金箱を置いています」
   「子どもの笑顔のために募金」の募金箱をご紹介しています

  「降誕会のご案内です」
   
 ○2面
  
  「仏教婦人会幹部会を開催しました」
   壽福寺の仏教婦人会役員会の報告です

  「「花まつり」にご門徒さんが出店されます」
   出店される岩崎祥子さん、大山しのぶさんをご紹介しています

  「念仏奉仕団の計画です」
   10月21~23日に実施される念仏奉仕団の計画概要です

 (このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

524.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (25):上巻第七段(3)

20190401第七段専修寺本

 久し振りの『御絵伝』になりますが、引き続き上巻第七段について学びたいと思います。上巻第七段に当たる『御伝鈔』の御文は、前2回で取り上げた部分で終わりなのですが、今回はこの第七段に記された論争についてもう一度振り返ります。

 1つ前の第六段は「信行両座」の段でした。
 法然聖人のお弟子さんの間で、往生の因は信心なのか、念仏の行なのかという論争があって、親鸞聖人ほか少数のお弟子さんが信不退(信心によって不退転の位に達するとする)の立場につかれ、法然聖人もこれを支持されたという出来事です。
 実は、この出来事が本当にあったことなのか、という点について疑問が呈されたことがあったそうです。赤松俊秀氏は『人物叢書 親鸞』の中で、この「信行両座」について「それを直接裏書する確かな資料がなく、事実であったかどうか、少し疑念が持たれる」とされながら、当時、法然聖人のお弟子さんの間で「一念義、多念義」の論争があったことを紹介され、「その論争を反映していると解してよい。」とされています。
 平松令三氏も、赤松氏の見解を受けて「これが『御伝鈔』制作当時に行われていた伝承であることはまちがいないとして、その伝承が事実にもとづくものか否か、という点が、どうとも結論が出ないのです。」とされています。

 一方、今回の第七段「信心諍論」ですが、親鸞聖人のお弟子さんであった唯円房が著された『歎異抄』の「後序」と呼ばれる部分に、全く同じ出来事が次のような書き出しで記されています。

 「故聖人の御物語に、法然聖人の御時、御弟子そのかずおはしけるなかに、おなじく御信心のひともすくなくおはしけるにこそ、親鸞、御同朋の御中にして御相論のこと候ひけり。」

 (今は亡き親鸞聖人からこのようなお話をうかがったことがあります。法然上人がおいでになったころ、そのお弟子は大勢おいでになりましたが、法然上人と同じく真実の信心をいただかれている方は少ししかおられなかったのでしょう。あるとき、親鸞聖人と同門のお弟子がたとの間で、信心をめぐって論じあわれたことがありました。)


 このことからも、今回の第七段「信心諍論」は実際にあったことだと考えられます。

 また、赤松氏は、よく似た逸話が、法然聖人のご生涯を描いた『法然上人行状絵図』に「阿波介の申す念仏」として記されているとされる増谷文雄氏の見解を引用されています。
 それは、法然上人が聖光房というお弟子さんに、阿波介という上人に仕えていた人物を指して「あの阿波介が称える念仏と源空の称える念仏のどちらがまさっていると思うか」と質問されたという逸話です。聖光房は、「同じはずはありません」と答えたのですが、これに対して上人は「日ごろ何を学んでいるのか。助けたまえと申す念仏に勝劣があるわけがない」と言われたというものです。
 原文では「上人由々しく御気色変はりて、『されば、日来浄土の法門とては、何事を聞かれけるぞ。』」と、きつく諫められた様子が伝わる一文です。

 赤松氏によりますと、『親鸞伝絵』の方が『法然上人行状絵図』より先に成立していて、法然聖人の逸話を受けて『親鸞伝絵』の記述がなされたということはなく、この「信心諍論」は実際にあったことだろうとされています。

(図は、専修寺本の『親鸞聖人伝絵』です)

 法然聖人を中心にして親鸞聖人が左に、他のお弟子さん方が右に座っておられます。前回の本願寺本と同じく、論争の雰囲気が伝わってくるような構図になっています。その点では、前々回の自坊の御絵伝の構図(これは、多くの寺院に見られるものと同じですが)とは違った空気が感じられます。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR