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428.讃佛歌の掛図を補修しました

20180430掛図2   20180430掛図

 本堂にある讃佛歌などを記した掛図が古くなっていましたので、このたび新しいものに替えました。

 これまで使っていたものはいつ頃作成したものかよく分からないくらいに古く、全体にシミや汚れが目立ち、周辺が破れているものでした。それで、今回、「恩徳讃」「真宗宗歌」と「領解文」の掛図の作成をお願いし、一昨日新しいものができてきましたので、これを木枠に取り付けました。

 これで、3日の降誕会では新しい掛図でご一緒に歌い、唱和することができます。

 とここまでは良かったのですが、これまた一昨日届きました『宗報』の4月号の裏表紙に「讃佛歌掛図」の広告を見つけたのです。
 広島の業者さんが出された広告で、讃佛歌などの掛図を販売しているというものです。え、こんなものがあったのだ・・これまでこのような広告を見た記憶がなかったものですから、今回宇部の看板を制作されている業者さんにオーダーして作成をお願いしたものです。
 (「讃佛歌掛図」という呼び名もこの広告で知りました。宇部の業者さんには「ビラ」を作ってもらいたい、とお願いし、業者さんはこれを「ポスター」と呼んでいる、というようなやり取りもありました。)

 でも、これまで使っていた掛図を掛ける木枠はそのまま利用することにしていましたので、紙のサイズや支えるビスの穴の位置など、やはりオーダーでよかったのだ、ということにします。


(写真は、新しくできた掛図と右はそのオーダーした図面です)

 掛図は、タテ79センチ、ヨコ109センチのサイズです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 
 
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427.『阿弥陀経』を読む(65)

20180427オオヤマレンゲ2   20180427オオヤマレンゲ

「御文」 仏説此経已・舍利弗・及諸比丘・一切世間・天人阿修羅等・聞仏所説・歓喜信受・作礼而去 仏説阿弥陀経
     (ぶっせツしきょうい・しゃりほツ・ぎっしょびく・いっさいせけん・てんにんあしゅらとう・もんぶツしょせツ・かんぎしんじゅ・さらいにこ ぶっせツあみだきょう)

「訓読」 仏この経を説きたまふこと已(おわ)りて、舎利弗およびもろもろの比丘、一切世間の天・人・阿修羅等、仏の所説を聞きたてまつりて、歓喜(かんぎ)し信受して、礼(らい)をなして去(さ)りにき。

「訳文」 このように仰せになって、釈尊がこの教えを説きおわられると、舎利弗をはじめ、多くの修行僧たちも、すべての世界の天人や人々も、阿修羅などもみな、この尊い教えを承って喜びに満ちあふれ、深く信じて心にとどめ、うやうやしく礼拝して立ち去ったのである。

 ご一緒に学んでまいりました、『阿弥陀経』も本日の部分で最後となります。
 前回の段までにはお釈迦さまが説かれたお言葉がそのまま記されていましたが、今回の部分はお釈迦さまの説法を聞かれた方が記された言葉になります。
 この段は、お釈迦さまが教えを説きおわられると、舎利弗さんはじめお聞きしていた方々は尊い教えを喜び、深く心にとどめて礼拝して立ち去られた、と結ばれています。

 今回の部分は、流通分(るずうぶん)と呼ばれている部分に当たります。流通分はお経の最後に置かれて、「教えを伝持流通することを勧める部分」とされます。
 他のお経では、この流通分で、お釈迦さまは経典を付与されて、ご自身の言葉でその教えを後の世に伝えるように勧められたということが記されているのですが、この『阿弥陀経』では、上記のようにお釈迦さまのお言葉もなく、お弟子さん方が歓喜信受して礼拝し立ち去られた、ことだけが記されています。

 他のお経とのこの違いについて、瓜生津師は、善導大師の解釈を紹介されています。
 善導大師は『阿弥陀経』を17段に分けて教えを讃えられておられますが、その第17段(最後の段)は前々回学びました「舍利弗・如我今者・称讃諸仏・・・」から始まる、お釈迦さまと諸仏が互いにそれぞれの不可思議の功徳を讃えられている部分から今回の最後の部分までとされています。お経本でもこの部分には改行が入らずに、一つの段とされています。
 瓜生津師は、この部分も含めた第17段の全体が流通分に当たるとも考えられるとされています。

 師は、さらに、『阿弥陀経』そのものがお釈迦さまの生涯を通じて説かれたみ教えの帰結、集大成であり、このお経の全体によって阿弥陀さまの名号を遠く後世に伝えるように勧められているのだと、されます。『阿弥陀経』は、お釈迦さまがお弟子さんからの要請によって説き始められたのではなく、お釈迦さまご自身で説き起された、このことだけは何としても伝えなければならないと思い定めて説かれたお経です。『阿弥陀経』そのものが、お釈迦さまが生涯を通じて説かれたみ教えの「流通分」に当たる特に大切な「出世本懐(しゅっせほんがい)」のお経だと承けとめたいと思います。

 これまで、ご一緒に『阿弥陀経』について学んできました。
 振り返ってみますと、この「学んで」ということに違和感を感じることに気づきました。確かに、お経の中に説かれていることを知りたい、み教えを知りたいということが「学ぶ」ことの中心になるのですが、その場合、気をつけていないと自分自身が第三者のような立場で、お経を「学んで」いるようなことになってはいないだろうか、ということです。
 2500年前にインドでお釈迦さまが1250人のお弟子さんにお話しされた・・・・ということで、私自身はその様子を後の世に、この日本で、外から見ているような思いになっていないだろうか、ということです。

 「舎利弗よ分かってくれ、舎利弗よ分かってくれ」と何度も呼びかけられ説かれたお釈迦さまの言葉は、2500年前の舎利弗さんにではなく、舎利弗さんを通じてこの私に呼びかけられているのだと、改めて感じます。

 舎利弗さんを始めお釈迦さまの説法をお聞きしたお弟子さんたちは、歓喜信受し礼拝して去られた、と記されています。お釈迦さまの説かれたことをお聞きしてお弟子さんたちは、歓喜(身も心もよろこばせること)し、信受(疑う心なく信じること)され礼拝されました。
 この「礼拝」は、全身を地に投じる五体投地(ごたいとうじ)という最上の礼拝方法だとお聞きしたことがあります。両ひざ、両ひじと額を地面につける礼拝のことなのですが、私たちが歩いている道を五体投地によって進んでいる人に出会ったことがあります。尊崇、感謝の心が全身で表わされている姿として驚きとともに強く印象に残るものでした。
 お釈迦さまのみ教えに対して、五体を投げ出して歓喜信受する心、尊崇感謝する心を2500年前のインドのお弟子さんたちとともに持ちたいと思います。

(写真は、オオヤマレンゲの仲間の花です。2003年6月15日に神戸市「六甲山森林植物園」で。)

 このオオヤマレンゲも引き続きモクレン属の植物です。漢字で書くと「大山蓮華」。奈良県の大峰山に自生していて花がハスの花に似ている所からこの名前になったようです。
 写真の花は、オオバオオヤマレンゲという種で、絶滅が危惧されているオオヤマレンゲに代わって観賞用に苗が栽培されている種だということです。白い花弁と良い香りが印象的な花です。

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426.降誕会の準備を行いました

20180423草刈2   20180423草刈

 4月21日、ご降誕会に向けて境内周辺の草刈り、清掃をおこないました。

 当日は、井上啓志さん、今橋庄二さん、徳田順久さん、三上敏秀さん、山根惣一さん、金子富士夫さん、伊勢野新次さん、吉屋博志さん、志賀慎次さん、志賀学さん、埴生和彦さん、岩﨑明さん、田中光明さんの13名の総代さんにお集りいただき、駐車場や寺に至る道、石段の周辺の草刈り、清掃を行っていただきました。

 快晴、爽やかな風の中、約1時間汗を流しました。おかげさまで、整備された環境でご降誕会のお参りの方をお迎えすることができます。
 ありがとうございました。

 その後、井上啓志さん、今橋庄二さん、徳田順久さんの三役の方に残っていただいて、先に実施した井戸の改修について報告を行い、併せて庫裏の屋根の補修、山門の屋根の補修について今後の進め方について意見交換を行うことができました。

 ご降誕会は次の要領でお勤めいたしますので、お誘いあわせてお参りいただきますようご案内いたします。

1.日時
 5月3日(祝) 10:00~(午前中)

2.ご講師
 豊田組 清徳寺 尾寺 俊水 師

3.その他
 ・美祢地区の仏教婦人会の皆さんにご協力いただいてお斎を準備いたします
 ・当日は餅まきを行いますので、是非お子さんもおいでください
 ・引き続き午後に勉強会を予定しています

(写真は、作業前のミーティングの様子です)

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425.井戸の改修工事を行いました

20180420井戸改修   20180420井戸改修2

 寺の駐車場のそばに井戸があります。寺の周辺には上水道が来ておらず、この井戸が水源となっているのですが、最近、井戸の電源用の電気料金が大幅に増え、水が濁るという現象が起こっていました。

 業者さんに見ていただいたところ、水をくみ上げるポンプが老朽化しており、水の濁りも老朽化によるものだろう、ということでした。
 この井戸は、平成6年に新設したもので、井戸の深さは約120メートルもあり、約70メートルのパイプに給水ポンプをつけて水をくみ上げる構造になっています。このポンプは本来は断続運転されるのですが、給水ポンプが老朽化して給水力が低下した結果、連続運転することになって、電力料金が急増したということです。

 工事は、給水ポンプと老朽化したパイプを交換し、コンプレッサーにより水を汲み出して濁り対策などを行うこととしました。5月3日の降誕会ではお斎を準備しますので、それまでに工事を終わるように計画しました。
 
 4月16日にポンプ小屋の屋根をはずす予備作業を行い、17日に本体改修工事を行いました。
 本体工事は、5.5メートルのパイプを順次引き抜き、コンプレッサーで空気を送り濁った水を排出し、給水ポンプを交換し、老朽化したパイプは交換しながらパイプを戻す、というものでした。
 
 工事終了後、本日には、水の濁りは解消され、ポンプも順調に断続運転しているようです。

(写真は、工事の様子です)
 左は、パイプの引き抜き作業、右はパイプの引き抜き作業および引き抜いたパイプです。引き抜いたパイプのうち、右の3本はさび付いています。

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424.『阿弥陀経』を読む(64)

20180416タイサンボク  20180416タイサンボク2

「御文」 舍利弗・当知我於・五濁悪世・行此難事・得阿耨多羅三藐三菩提・為一切世間・説此難信之法・是為甚難・
     (しゃりほツ・とうちがお・ごじょうくあくせ・ぎょうしなんじ・とくあのくたら・さんみゃくさんぼだい・いいっさいせけん・せっしなんしんしほう・ぜいじんなん・)

「訓読」 舎利弗まさに知るべし、われ五濁悪世においてこの難事を行(ぎょう)じて、阿耨多羅三藐三菩提を得て、一切世間のために、この難信(なんしん)の法を説く。これを甚難(じんなん)とす」と。

「訳文」 舎利弗よ、よく知るがよい。わたしは濁りと悪に満ちた世界で難しい行を成しとげ、この上ないさとりを開いて仏となり、すべての世界のもののためにこの信じがたいほどの尊い教えを説いたのである。このことこそ、まことに難しいことなのである」

 お釈迦さまは、前回の諸仏がお釈迦さまを讃嘆される言葉を承けられて、反復するように「自分はこの汚れた世で難しい行を成しとげ、信じがたいほどの尊い教えを説いた。これこそまことに難しいことなのだ」と述べられます。

 今回は、前回にも出てきましたが「難信之法」という言葉について考えてみたいと思います。
 訳文では、「この信じがたいほどの尊い教え」とされていますが、これは、「信じられないような尊い教え」あるいは「難解で難しい教え」というように読まれてしまいそうに思われます。
 瓜生津師は、この部分はそうではなく、「自力にとらわれている心をもってしては、たとい億劫をへても信じることができない」難信なのだと記されます。

 お釈迦さまは、煩悩にとらわれた凡夫であっても直ちにお浄土に迎えられると説かれました。
 この教えは、お浄土に迎えられることは難しいことだ、何らかの努力をしなければ往生できないはずだ、と考えていた私たちにとっては、理解しがたい教え、到底信じることができない「不可思議」の教えにみえます。自力の思いに取りつかれている私たちにとって、阿弥陀さまのお力にお任せして往生するという教えはとても信じられないことになります。
 しかし、お釈迦さまは、そのような凡夫だからこそ、阿弥陀さまはそのままの姿で救い摂ってくださるのだと、お示しいただいています。
 そのみ教えは決して難解なものではないのですが、私たちの方の疑いが深くて、私たちの方がそのことを信じ難いことにしてしまっているということになります。

 本日の「是為甚難」(これを甚難とす」)までがお釈迦さまが説かれたお言葉です。
 ちょうど1年前、昨年の4月17日の記事で、お釈迦さまが「従是西方・過十万億仏土」(「ここから西の方へ十万億もの仏がたの国々を過ぎたところに、)と説き始められたことを学びました。それから本日までのお経文はすべてお釈迦さまが語られた言葉です。他のお経では、お弟子さんなどとの問答を含めて説法をされる様子が記されていますが、『阿弥陀経』ではいわば「一方的に」お釈迦さまがお話しをされています。
 まさしく「無問自説」のみ教えです。何としてもこれだけは伝えておきたいというお釈迦さまの思いが伝わっていただいているような思いを持ちます。「舎利弗よ、舎利弗よ」と何度も何度も呼びかけられますが、これは他でもない私たちに「わかってくれよ、わかってくれよ」と呼びかけられるお釈迦さまの呼びかけだったのだと、改めて受け止めたいと思います。

(写真は、タイサンボクの花です。)

 今回のタイサンボクもモクレン属の植物で、こちらはアメリカ大陸原産の植物です。大きな花を咲かせ、庭木としても見かけます。

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423.『阿弥陀経』を読む(63)

20180413ホオノキ2  20180413ホオノキ

「御文」 舍利弗・如我今者・称讃諸仏・不可思議功德・彼諸仏等・亦称説我・不可思議功德・而作是言・釈迦牟尼仏・能為甚難・希有之事・能於娑婆国土・五濁悪世・劫濁見濁・煩惱濁・衆生濁・命濁中・得阿耨多羅・三藐三菩提・為諸衆生・説是一切世間・難信之法
     (しゃりほツ・にょがこんじゃ・しょうさんしょぶツ・ふかしぎくどく・ひしょぶっとう・やくしょうせツが・ふかしぎくどく・にさぜごん・しゃかむにぶツ・のういじんなん・けうしじ・のうおしゃばこくど・ごじょくあくせ・こうじょくけんじょく・ぼんのうじょく・しゅじょうじょく・みょうじょくちゅう・とくあのくたら・さんみゃくさんぼだい・いしょしゅじょう・せツぜいっさいせけん・なんしんしほう)

「訓読」 舎利弗、われいま諸仏の不可思議の功徳を称賛するがごとく、かの諸仏等もまた、わが不可思議の功徳を称説(しょうせつ)してこの言(ごん)をなしたまはく、<釈迦牟尼仏、よく甚難希有のことをなして、よく娑婆国土の五濁悪世、劫濁・見濁・煩惱濁・衆生濁・命濁のなかにおいて、阿耨多羅三藐三菩提を得て、もろもろの衆生のために、この一切世間難信の法を説きたまふ>と。

「訳文」 舎利弗よ、わたしが今、仏がたの不可思議な功徳をほめたたえているように、その仏がたもまた、わたしの不可思議な功徳をほめたたえてこのように仰(おお)せになっている。<釈迦牟尼仏は、世にもまれな難しく尊い行を成しとげられた。娑婆世界はさまざまな濁(にご)りに満ちていて、汚れきった時代の中、思想は乱れ、煩悩は激しくさかんであり、人々は悪事を犯すばかりで、その寿命は短くなる。そのような中にありながら、この上ないさとりを開いて、人々のためにすべての世に超えすぐれた信じがたいほどの尊い教えをお説きになったことである>

 この段では、お釈迦さまは、ご自身が諸仏の不可思議の功徳をほめたたえられるように、諸仏もお釈迦さまの不可思議の功徳をほめたたえられている、と仰います。
 仏方は、お釈迦さまが「五濁悪世のこの時代に、よくぞこの上ないさとりを開き、人々のために信じがたいほどの尊い教えをお説きになられた」と讃嘆されます。

 「五濁」については、「訳文」にその内容が記されていますが、思想の乱れ、激しい煩悩、悪事の横行、など現代の社会そのもののように感じられます。2500年前にお釈迦さまは、私たちが時代を超えてこのような濁りから自由になることができない存在なのだということを見抜かれていたのだと感じることができます。
 技術が発達し、物が豊富になり、さまざまな思想が説かれて、物質的にも思想的にも一見豊かになったように思える現在でも、私たちの姿は変わらないということなのですが、極大化した人間の力は一瞬にして地球を破壊するほどの力を持つようになりました。このように私たちが持つ力が大きくなった分だけ、問題はより深く、鋭くなっているということを改めて感じさせられます。
 お釈迦さまは、そのような濁世で煩悩にとらわれている私たちは、どのようにしても自らの力でさとりを得ることはできない、私たちは阿弥陀さまのお力におすがりするほかに道はないのだと、示されました。その道は、科学技術が極限にまで発達したと思われる現代においても変わるところはない、のみならずこの現代だからなおさら、そのことに気づいてくれよとよびかけていただいているお釈迦さまのお言葉に耳を傾けたいと思います。
 
(写真は、ホオノキの花です。ホオノキも前回取り上げたタムシバやその前のコブシと同じくモクレン属の植物です。)
 高さ30メートルにもなる高木で、普段は目の高さでみることはなかなか難しいのですが、左の写真はそばにあった階段から撮ることができました。葉は朴葉味噌に、また材は下駄の歯に使われるなど身近な植物でもあります。

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422.『阿弥陀経』を読む(62)

20180409タムシバ   20180409タムシバ2
「御文」 舍利弗・若有人・已発願・今発願・当発願・欲生阿弥陀仏国者・是諸人等・皆得不退転・於阿耨多羅・三藐三菩提・於彼国土・若已生・若今生・若当生・是故舍利弗・諸善男子・善女人・若有信者・応当発願・生彼国土
     (しゃりほツ・にゃくうにん・いほツがん・こんぽツがん・とうほツがん・よくしょうあみだぶっこくしゃ・ぜしょにんとう・かいとくふたいてん・おあのくたら・さんみゃくさんぼだい・おひこくど・にゃくいしょう・にゃくこんじょう・にゃくとうしょう・ぜこしゃりほツ・しょぜんなんし・ぜんにょにん・にゃくうしんじゃ・おうとうほツがん・しょうひこくど)

「訓読」 舎利弗、もし人ありて、すでに発願し、いま発願し、まさに発願して、阿弥陀仏国に生(しょう)ぜんと欲(おも)はんものは、このもろもろの人等(ひとら)、みな於阿耨多羅三藐三菩提を退転せざることを得て、かの国土において、もしはすでに生れ、もしはいま生れ、もしはまさに生れん。このゆゑに舎利弗、もろもろの善男子・善女人、もし信あらんものは、まさに発願してかの国土に生るべし。

「訳文」 舎利弗よ、もし人が阿弥陀仏の国に生れたいとすでに願い、または今願い、あるいはこれから願うなら、みなこの上ないさとりに向かって退くことのない位に至り、その国にすでに生まれているか、または今生まれるか、あるいはこれから生まれるのである。だから舎利弗よ、仏の教えを信じる善良なものたちは、ぜひともその国に生れたいと願うべきである。

 前回、お釈迦さまは、阿弥陀さまの名(みな)を聞き、念仏する人は、現生において諸仏に護られ不退転の位を得ることができる、と説かれました。
 今回、お釈迦さまは、「発願」の利益(りやく)をあげて信を勧められます。お釈迦さまは阿弥陀さまのお浄土に生まれたいと願うならば、だれでもさとりから戻ることのない不退転の位につくことができると説かれます。

 「発願」を『浄土真宗辞典』に尋ねますと次のように記されています。
 「願いを発(おこ)すこと。(中略)浄土教では、法蔵菩薩が浄土を建立してすべてのものを生まれさせたいという願いをおこしたこと、また衆生が浄土に往生したいという願いをおこすことをいう。」

 発願は願いを発することなのですが、お浄土に生れたいと私たちから発する心ではなくて、阿弥陀さまが私たちを生まれさせたいとされた願いが私たちに届いていただき、そのことによって私たちに起こる「発願」なのだということを味あわせていただきたいと思います。それは「必ず救う、もれなく救うから任せよ」と喚(よ)びかけていただいている阿弥陀さまの願い、声が私たちに届き、往生は間違いない、と願っていただいたそのことによって私たちがお浄土に生まれることを願う心です。

 お釈迦さまは、さらに、この「発願」の利益は、すでに発願した人、今現在発願する人、これから発願する人、と過去、現在、未来の三世の人が、それぞれの世において「生まれる」ことなのだと説かれます。
 以前の「六方段」で空間的に数限りない仏方が阿弥陀さまのお救いの功徳を讃嘆されていることを学びました。今回は、いわば時間的に、過去、現在、未来にわたって阿弥陀さまの願が私たちに届いて私たちにお浄土に生れたいと願わせていただいているということをお示しいただいています。

 このように、お釈迦さまは、前回と今回で「聞名、聞経名」と「発願」の利益を説かれて、私たちに信をお勧めになられています。

(写真は、タムシバの花です。)

 タムシバは以前に載せたコブシと同じモクレン属の植物です。両方はよく似ているのですが、コブシの花の下には1枚の葉があるのに対して、タムシバにはこれがないというところで見分けがつくということです。
 写真は、4月中頃六甲山で撮ったものです。六甲山にはこのタムシバの木がたくさんあり、まだ色彩の乏しい山を白く彩ります。
 (実は、先日シデコブシという同じモクレン属の花の写真を撮っていて、本日はこれを載せる予定にしていたのですが、その写真を保存せずに削除してしまったようです。で、やむを得ず急遽タムシバに変更となりました。シデコブシの方は、来年登場ということになりそうです)

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421.新聞版「壽福寺だより」を発行しました

 20180406誌面  20180406誌面2 

 新聞版「壽福寺だより」4月号を発行しました。記事は次の通りです。
 総代さん経由、郵送、あるいは直接ご自宅にお届けする、などでお配りしています。ご一読ください。

[1面]
 「春季永代経法要をお勤めしました」

 「連続研修会が始まりました」

 「降誕会のご案内です」

[2面]
 「仏教婦人会幹部会を開催しました」
  壽福寺の仏教婦人会の議題、会計報告の内容、改選に伴う新役員のご紹介、です

 「花フェス2018(はなまつり)を開催」

 「お詫びしてご紹介します」
  2月号でご紹介した総代さんのお名前が漏れていましたので、追加してご紹介しました

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420.宇部北組の花まつりをお祝いしました

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 3月31日、「花フェスタ2018(はなまつり)」を「アクトビレッジおの」で開催しました。このはなまつりはお釈迦さまのご誕生をお祝いする行事で、昨年以来、養福寺の津室智山氏を中心に関係者で企画と準備を進めていただいたものです。

 当日は、約30名の子供さんと、保護者の方約20名に参加いただき、快晴のもと楽しい一日を過ごすことができました。壽福寺からは、古川拓磨くん、山本桃歌さん・紘暉くんの姉弟の3名が参加しました。

 当日は次の行事を実施しました。
  仏参指導
  開会式
   勤行(らいはいのうた)、組長挨拶、法話、真宗宗歌斉唱、代表による甘茶かけ
  白象つくり
  昼食・休憩
  ネイチャーゲーム
  白象パレード
  全員による甘茶かけ
  閉会式
   副組長挨拶、恩徳讃斉唱

 この白象は養福寺のご門徒さん徳本博美さんに作っていただいたもので、午前中の「白象つくり」で飾りつけをおこないました。
 飾りつけでは、参加者は、絵を描く、折り紙を作る、色紙で花を作るという3つの班に分かれてそれぞれを順番に担当しました。出来上がった作品で飾りつけを行った白象は華やかに飾られ、お祝いの雰囲気を盛り上げてくれました。

 午後の、ネイチャーゲームでは、参加者は2つのゲームを楽しみました。
 その1つは、コウモリが蛾を追っかけるというゲーム、もう一つは視覚や、聴覚、嗅覚、触覚を使って自然を感じるゲームでした。このゲームを通して、参加者は自然の姿をを実感することができました。
 参加者はどちらのゲームを楽しそうに取り組んでいました。私は、その両方とも初めて見るものでしたが、特に五感を通して自然を体感する後者のゲームはいいゲームだと感じました。

 午後の白象のパレードは、午前中に飾りつけを終えた白象を引いて、屋外でパレードをおこないました。子供たちは自分で飾り付けた象を自慢げに楽しそうに引いていました。

 今回のはなまつりの実行に当たっては、当日も多くの方にご協力をいただきました。
 総代会の皆さんには、車の会場への誘導、駐車場の整理などに当たっていただきました。
 参加者の楽しみの一つ、昼食のカレーライスは、仏教婦人会と坊守会の皆さんに準備していただきました。

 このように、はなまつりは宇部北組全体で取り組み盛り上げることができました。


(当日の写真です)

最初の2枚は、飾りつけの終わった白象と全員の集合写真です。

  IMG_3436.jpg  IMG_3437.jpg IMG_3440.jpg
飾りつけ作業の様子、左から「絵描き」、「色紙の花作り」、「折り紙」のグループです

   IMG_3460.jpg  IMG_3489.jpg  IMG_3427.jpg
左から、昼食の様子、白象のパレード、カレーライスを準備していただいた仏教婦人会と坊守会のみなさんです
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