FC2ブログ

393.『阿弥陀経』を読む(50)

20171229来迎図2  20171229来迎図5

[御文] 其人臨命終時・阿弥陀仏・与諸聖衆・現在其前・是人終時・心不顚倒・即得往生・阿弥陀仏・極楽国土
     (ごにんりんみょうじゅじ・あみだぶツ・よしょしょうじゅ・げんざいごぜん・ぜにんじゅじ・しんぷてんどう・そくとくおうじょう・あみだぶツ・ごくらっこくど)

[訓読] その人、命終(みょうじゅう)の時に臨みて、阿弥陀仏、もろもろの聖衆(しょうじゅ)と現(げん)じてその前にましまさん。この人(ひと)終らん時、心(しん)顚倒(てんどう)せずして、すなはち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得(う)。

[訳文] その人が命を終えようとするときに、阿弥陀仏が多くの聖者たちとともにその前に現れてくださるのである。そこでその人がいよいよ命を終えるとき、心が乱れ惑うことなく、ただちに阿弥陀仏の極楽世界に生まれることができる。

 前回までの部分で、お釈迦さまは、阿弥陀仏をこころにとどめ他に心を散らさずに一心に念仏する、という行について説かれました。親鸞聖人は、そこで説かれているお念仏は自力の念仏ではなく、阿弥陀さまから私たちに向けられた信心をいただいたお念仏であると示されました。

 今回、お釈迦さまは、その「果」、お念仏の利益(りやく)について説かれます。
 お釈迦さまは、お念仏申す人は、「命を終えようとするときに、阿弥陀仏が多くの聖者たちとともにその前に現れてくださる」こと(来迎:らいこう)と「命を終えるとき、心が乱れ惑うことなく、ただちに阿弥陀仏の極楽世界に生まれることができる」こと(極楽往生)という二つの果を得ることができる、と説かれます。

 親鸞聖人は今回の部分についても、お経の経文の根底に流れている真意について次のように記されています。
 「来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆゑに。臨終といふことは、諸行往生のひとにいふべし、いまだ真実の信心をえざるがゆゑなり。(中略)真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の義則をまたず。」『親鸞聖人御消息』

 親鸞聖人は、自力に頼る行人は、いまだ信心をいただいておらず、臨終のときに阿弥陀さまの来迎を待たなければならない、とされます。一方、信心をもってお念仏申す人にとって、来迎は臨終のときのものではなくすでに臨終に至るまでに阿弥陀さまの来迎をいただいいるのであり、堅固な信心をいただいているのでなにものにも心を乱されることもなく、信心をいただいた時すでに極楽浄土に往生することが定まっている、まさに「臨終まつことなし、来迎たのむことなし」なのだとお示しいただいています。
 ここでも親鸞聖人は、『阿弥陀経』の「顕彰」と「陰彰」をお示しいただいて、お釈迦さまの説法の真意をお伝えいただいています。

(図は、「阿弥陀聖衆来迎図」と呼ばれる図です。ネットからお借りしています。)

 左は国立奈良博物館、右は高野山所蔵のものでいずれも国宝に指定されています。阿弥陀さまが観音菩薩、勢至菩薩や楽人を従えて臨終の人のもとに降りてこられる様子が描かれています。
 当時の貴人はこの屏風絵を枕元に立てて、阿弥陀さまにつながる紐を手にして臨終の時を迎えていたとお聞きしました。命終わるその時になっても、往生に不安を抱えていたのだということになります。
 そのことを思いますと、私たちには、親鸞聖人の「臨終まつことなし、来迎たのむことなし」というお言葉が改めて力強く伝わってきます。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
スポンサーサイト



392.『阿弥陀経』を読む(49)

 

[御文] 舍利弗・若有善男子・善女人・聞説阿弥陀仏・執持名号・若一日・若二日・若三日・若四日・若五日・若六日・若七日・一心不乱・
     (しゃりほツ・にゃくうぜんなんし・ぜんにょにん・もんせツあみだぶツ・しゅうじみょうごう・にゃくいちにち・にゃくににち・にゃくさんにち・にゃくしにち・にゃくごにち・にゃくろくにち・にゃくしちにち・いっしんふらん・)

[訓読] 舎利弗、もし善男子・善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日、もしは二日、もしは三日、もしは四日、もしは五日、もしは六日、もしは七日、一心にして乱れざれば、

[訳文] 舎利弗よ、もし善良なものが、阿弥陀仏の名号を聞き、その名号を心にとどめ、あるいは一日、あるいは二日、あるいは三日、あるいは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日の間、一心に思いを乱さないなら、 

 しばらく空きましたが、『阿弥陀経』に戻りました。
 今回は、この段の最後「一心不乱」について学びます。

 この部分の訓読は「(名号を執持すること)一心にして乱れざれば」であり、訳文は「(その名号を心にとどめ)一心に思いを乱さないなら」で、「一心不乱に念仏することによって往生を遂げる」というように受け止めることができます。
 私たちも日常的に「一心不乱で受験勉強をする」などと使いますが、この場合はまさしく自分の努力で目標を達成しようという活動です。そのような見方でみると、この「一心」はあたかも(自力)念仏のことを説いているかのように思われる部分です。

 しかし、辻本師は、「一心不乱」に当たるサンスクリット語の原文は「心を散乱させることなく」となっているといわれます。つまり、念仏以外のものに心を乱されないこということになります。

 親鸞聖人は、『教行信証』の中で、『阿弥陀経』の「一心」について「「一」の言(ごん)は無二になづくるの言(みこと)なり。「心」の言は真実になづくるなり。」「執持はすなはち一心なり。一心すなはち信心なり。」と記されています。
 聖人は、『阿弥陀経』のお経の表面では、一心不乱の(自力の)称名念仏が説かれているように思われる部分(顕彰:けんしょう)も、その底に深く流れ隠れている真意(隠彰:おんしょう)は、他力の真実信心に他ならないのだと明らかにされました。

 親鸞聖人は、「この一心は、念仏のまことを信じて疑わず、弥陀に自己のすべてをまかせる心であって、しかもその心は如来から恵まれるものである」(瓜生津師)とされたのです。

(写真は、先日、山陽小野田市の焼野海岸で出会った夕日です)

 焼野海岸の夕日が登場するのはこれが3回目になりますが、夕日を見ていると、一日の終わりにホッと肩の力を抜くことができるような思いです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

391.新聞版「壽福寺だより」を発行しました

20171222紙面  20171222紙面2

 新聞版「壽福寺だより」の2017年12月号(2018年新年号と合併)を発行しました。
 総代さん経由で、あるいは直接に、郵送などでお手元にお届けします。

 記事は次の通りです。

[1面](12月号)
 「報恩講をお勤めしました」

 「宇部北組の「連続研修会」が開催されます」

 「来年のご法事のご連絡など」
  今回は、来年4月以降にご年忌を迎えられるお宅にご連絡をしています。

[2面](新年号)
  「あけましておめでとうございます」

  「杉林法面の改修工事が完成しました」
   改修工事実施状況とお礼です

  「今年の壽福寺の行事計画です」
   年間5回の法要の予定をご連絡しています

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

390.第6期連続研修会のご案内です

   
IMG_0736.jpg  IMG_0812.jpg  

 宇部北組の第6期連続研修会の開催要領が決まり、募集を行います。
 この連続研修会は、仏教や浄土真宗についての基礎的なことを学び、グループに分かれた話し合いの中で疑問点や意見を出しあうことによって、さらに深くみ教えを学ぶことを目的として開催されるものです。旧厚狭北組から通算して今回が6回目となります。

 会場は組内の寺院持ち回りで、また講師も一部を除いては組内の僧侶が担当するという手作りの研修会です。是非ご参加をいただきますようご案内いたします。

1.開催時期
 第1回 平成30年2月10日(土)14:00~16:30(受付13:30~)
 以後、原則として毎月第2土曜日、次により開催します。
 平成30年3月10日、4月14日、5月12日、6月2日、7月14日、9月8日、10月13日、11月10日、12月8日

2.研修内容
 毎回テーマを設定して、次のような項目について学びます。
 「仏事」「仏壇」「葬儀」「お経」「親鸞聖人、浄土真宗」「慈悲」「念仏」「信心」「浄土」「念仏者の生き方」「ビハーラ」

3.その他の詳細
 12月の新聞「壽福寺だより」によりご案内します。

(写真は、前回第5期の班別の話し合いの様子です)

 会場は、左は壽福寺、右は正善寺です。各回とも班別に分かれて活発な討議、意見交換が行われました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

389.来年の法座の計画です

20171215雪景色  20171215雪景色2

 来年の法座の計画ができましたので、ご案内いたします。お誘いあわせてお参りいただきますようお待ちしています。
 総代会、仏教婦人会の皆様にはお世話になりますが、よろしくお願いいたします。

○春季永代経法要
 日時 3月10日(土) 10:00~(午前)
 ご講師 鶴山 景子 師(宇部北組 浄誓寺)
 (お斎を準備します)

○降誕会
 日時 5月3日(祝) 10:00~(午前)
 ご講師 尾寺 俊水 師(豊田組 清徳寺)
 (お斎を準備します。餅まきを予定しています)

○夏法座
 日時 7月8(日) 10:00~(午前)
 ご講師 河野 宗致 師(美祢西組 長楽寺)

○秋法座
 日時 9月1日(土) 10:00~(午前)
 ご講師 中山 和泉 師(白滝組 西楽寺)
 (お斎を準備します)
 中山師には初めてご出講いただきます。

○報恩講
 日時 11月25日(日) 10:00~(午前・午後)
 ご講師 桑羽 隆慈 師(美祢東組 正岸寺)
 (お斎を準備します)

 なお、報恩講以外では法座の後で勉強会を開催する予定ですので、ご参加ください。

(写真は、12月12日の雪の風景です)

 今シーズン初めての本格的な雪になりました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

388.『阿弥陀経』を読む(48)

20171211西明寺紅葉  20171211西明寺紅葉2

[御文] 舍利弗・若有善男子・善女人・聞説阿弥陀仏・執持名号・若一日・若二日・若三日・若四日・若五日・若六日・若七日・一心不乱・
     (しゃりほツ・にゃくうぜんなんし・ぜんにょにん・もんせツあみだぶツ・しゅうじみょうごう・にゃくいちにち・にゃくににち・にゃくさんにち・にゃくしにち・にゃくごにち・にゃくろくにち・にゃくしちにち・いっしんふらん・)

[訓読] 舎利弗、もし善男子・善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日、もしは二日、もしは三日、もしは四日、もしは五日、もしは六日、もしは七日、一心にして乱れざれば、

[訳文] 舎利弗よ、もし善良なものが、阿弥陀仏の名号を聞き、その名号を心にとどめ、あるいは一日、あるいは二日、あるいは三日、あるいは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日の間、一心に思いを乱さないなら、

 今日は、「若一日・若二日・若三日・若四日・若五日・若六日・若七日」の部分について学びます。
 今回の部分を、前回学びました「執持名号」と次に出てきます「一心不乱」と併せて読みますと、お釈迦さまは「心を乱すことなく、若一日、~若七日、名号を執持すれば」と説かれます。

 この「若一日、~若七日」をどのように理解するのかということについて様々に理解がなされたとお聞きしました。
 七日までの間一心不乱に念仏を称えることをいっているのだという解釈がなされた一方、「若(もしは)」の語に注目して日時を限らずに一生涯称えることをいっているのだという解釈もあったようです。
 これに対して、法然聖人は、経典のことばは一日から七日と特定の日数を説いているようだが、日時を限らず一生涯称える念仏のことだと領解された、と瓜生津師は記されています。
 第十八願に「乃至十念」の念仏が誓われていますが、この「乃至十念」は十ぺんの念仏に限らず、一声の念仏でも一生涯の念仏であっても、その多寡は影響がない、と理解されます。

 法然聖人は、お念仏を往生の因とされたのですが、法然聖人ご存命中から、往生に必要なお念仏の多寡について論争があったということです。一念多念の諍論(じょうろん)と呼ばれる論争なのですが、親鸞聖人はこの論争に対して、一念か多念かというお念仏の多寡にこだわるべきではない、とされ、お念仏の根底にある信心が往生の因であるとされたと伺いました。

 ということは、お念仏を称える回数の多寡が往生の条件ではない、ということです。さらには、回数に関わらず私がお念仏を称えたからそれが因となって往生を得ることができる、ということではないということです。煩悩に苦しみ、抜け出せずにいる私を救い摂らずにはおられない、私に任せよ、と呼びかけていただく阿弥陀さまの声がお念仏となり私に届いていただいたことが、南無阿弥陀仏のお名号だということです。それが阿弥陀さまから私に向けられた信心だと、親鸞聖人はお示しいただいたのだと思います。
 そこでは、「私が称えるお念仏」から「私に届いていただいているお念仏」に、主体が入れ替わるということになります。決して、私が信心をもってお念仏申し上げたから、それで阿弥陀さまが私の方に向いていただいたのではなくて、阿弥陀さまは既に私のことを救わねばならない存在だと声をおかけ続けていただいていたということになります。
 そしてまた、南無阿弥陀仏のお念仏は、間違いなく救うという阿弥陀さまの願い対する感謝の想いが私の声になってあらわれ出たものでもあり、これを「称名報恩」とお呼びしています。

(写真は、京都の高尾にある西明寺の紅葉です。11月中旬の写真です)

 西明寺(さいみょうじ)は真言宗のお寺で、近くの清滝川(右の写真です)周辺も含めて紅葉の美しいところです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 

387.『阿弥陀経』を読む(47)

20171208光明寺紅葉2    20171208光明寺紅葉

[御文] 舍利弗・若有善男子・善女人・聞説阿弥陀仏・執持名号・若一日・若二日・若三日・若四日・若五日・若六日・若七日・一心不乱・
     (しゃりほツ・にゃくうぜんなんし・ぜんにょにん・もんせツあみだぶツ・しゅうじみょうごう・にゃくいちにち・にゃくににち・にゃくさんにち・にゃくしにち・にゃくごにち・にゃくろくにち・にゃくしちにち・いっしんふらん・)

[訓読] 舎利弗、もし善男子・善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日、もしは二日、もしは三日、もしは四日、もしは五日、もしは六日、もしは七日、一心にして乱れざれば、

[訳文] 舎利弗よ、もし善良なものが、阿弥陀仏の名号を聞き、その名号を心にとどめ、あるいは一日、あるいは二日、あるいは三日、あるいは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日の間、一心に思いを乱さないなら、 

 この段の3回目になりますが、今回は「執持名号」について学びたいと思います。

 『浄土真宗辞典』にこの「執持名号」の項があり、そこには次のように記されています。
 「執持とは、しっかりととりたもつこと。」「『化身土巻』には、執の言は心堅牢に移転せざることを彰すなり。持の言は不散不失に名づくるなり、『文類聚鈔』には、執持はすなはち一心なり。一心はすなはち信心なり、とある。」
 執持名号とは阿弥陀さまのみ名を心にしっかり承けとめ、他に心を散らさずにたもつこと、ということになります。

 瓜生津師は、「法然聖人は、ここ(の部分)は諸善万行をすてて念仏の行をすすめているところであるから、名号を執持するとは念仏のことである、と見られた」とされ、「親鸞聖人は、この法然聖人をうけながら、この念仏は他力金剛の信心をあらわしているとうけとめていかれました」と記されています。

 この「念仏」という言葉ですが、『阿弥陀経』には2回だけ出てきます。2回ともすでに登場したのですが、その両方で「念仏念法念僧」(仏を念じ、法を念じ、僧を念じる)と使われています。
 『浄土真宗辞典』で「念仏」をたずねますと、「念仏」とは「仏を念ずること。」とあって、仏の名号を称える称名念仏の他に、真如を念ずる実相の念仏や、観想の念仏、観像の念仏などがあるとされ、浄土門では称名念仏を極善最上の法とする、とされています。このようにしてみると、『阿弥陀経』に2回でてきた「念仏」はひろく「仏を念ずること」と理解されるようです。

 法然聖人は、念仏こそ名号を執持することだとみられました。法然聖人が深く尊崇された善導大師は、南無阿弥陀仏の六字には願と行がともに備わっており阿弥陀さまのご本願にかなうものであるから、それにより報土に往生できるのだと、説かれました。
 法然聖人は、善導大師の『観教疏』の中の「一心にもつぱら弥陀の名号を念じて、行住坐臥に時節の久近を問はず念々に捨てざるは、これを正定の業と名づく、かの仏願に順ずるがゆゑなり」という言葉に出遭われて、本願を信じて称名念仏することが往生の因であると信知されたと伝えられています。

 親鸞聖人は、法然聖人のこの教えを承けられました。『歎異抄』に親鸞聖人の次のお言葉が伝えられています。
 「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然聖人)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」
 そして、「執持はすなはち一心なり。一心はすなはち信心なり」と示されました。他に心を散らさずお念仏申す一心、それが信心であり、念仏と信心とは別のものではない、と受け止められます。瓜生津師は、このことを「経のことばのうえにあらわれている意味は念仏であるが、その底(おく)にある意味は信心であるということです。」とされています。

 「信心正因」という言葉があります。「浄土真宗における往生成仏の正(まさ)しき因は信心一つであること。」(『浄土真宗辞典』)をいいます。これまでみてきましたように、「名号を執持する」ということは、本願を信じてお念仏もうすことであり、そのお念仏の根底には信心があって、その信心がお浄土に往生する正因ということになります。

(写真は、長岡京市の光明寺の紅葉です。)

 光明寺は、法然聖人が初めて念仏の教えを説かれたとされる場所に建立されたお寺で、西山浄土宗の総本山です。また紅葉の名所としても知られています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 

386.別院の報恩講にお参りしました

IMG_3135.jpg   IMG_3129.jpg

 11月28日、山口別院の報恩講にお参りしました。壽福寺からは坊守と、岩﨑明さん、志賀信子さん、江木都美恵さんにお参りいただきました。

 ご講師は、長野教区正行寺の井上慶真氏で、長野という寒冷の雪国ならではのご苦労なども交えてお話を伺いました。

 その中で紹介いただいた次の歌(昔の戯れ歌だったのでしょうか?)が印象に残っています。
 「頃は三月花の頃、お前十九でわしゃ二十、使って減らぬ金千両、死なぬ子三人親孝行、死んでも命あるように」

 この歌を聞いて、始めはちょっと笑ってしまいました。
 確かにこれが実現できれば「幸せ」そのもの、それはいいですが、まあ欲張っているなあ・・・
 と思ったのですが、考えてみると、私たちはこのような類の「夢」「欲?」を持っていることも間違いないことだとも思ったのです。だからこそこの歌が長く伝えられてきたのでしょう。
 しかし、心地よい季節があったとしてもそれはあっという間に終わり、(お前さんも私も)かつての輝きを失い、使って減らぬほどのお金にはもともと縁遠く、親孝行な子供も見当たらず・・・命だけは医療技術の進化により伸びているが、死を免れるなどはありえない、というのが私たちの姿なのでしょうか。

 ご講師は、人間ドックの結果、医師から「念のため調べてみましょう」と言われた言葉にどのように不安をかきたてられたのか、というご自身の体験をお話しされました。私も同じような経験がありますが、このような場面では、良い季節も、若さもお金も一瞬にして色を失ってしまいます。
 
 お釈迦さまが、あらゆるものは一瞬もとどまることなく刻々と変化するのだから、固定した姿に固執することの誤りを説かれ、私たちは生老病死の苦しみから逃れることができないと説かれても、やはりこのような欲は私たちを取り込んでしまい、私たちはそれに執着させられるものなのだと、改めて思いました。

 もう一つ、ご講師の体験としてお話しされたことを記しておきます。
 ご講師の二人のご子息は3才違いで、いずれも高校野球の選手だったということです。従ってご講師は6年続けて野球選手の父兄だったということになります。
 あるとき、その父兄の集まりで、ご講師がお寺の住職だということから、夏の甲子園大会の県予選に向けてご講師のお寺に「必勝祈願」の参拝をしようということになったのだそうです。皆さんの頭の中には、「お寺だから必勝祈願のお勤めをやってもらえるだろう」ということがあったのでしょう。ご講師はどうしようか、と悩まれたのだそうですが、この「参拝」を引き受けられました。

 ご講師は、お勤めの後に、「今日のお勤めは仏さまに必勝を祈願するお勤めではありません。仏さまに、「勝たせてください」とお願いしそれで済ませるような場ではなく、今日のお勤めを、これから父兄の皆さんが、力を合わせて選手たちにとって良い環境を整え、応援しようと決意した場だと考えてください」といった趣旨のお話しをされたのだそうです。
 参拝された父兄の皆さんはこのご講師の言葉を喜んでおられたと、お話しされていました。ただ、残念なことに、チームは2回戦で敗退だったそうですが。

 このご講師をお話しをお聞きしていて、先日10月9日に、寺の法面の改修工事の着工に当たって勤めました起工式のことを思い出していました。この起工式が一般の安全を祈願する起工式と混同されないようにしなければならないと考え、次の表白文を拝読しました。
 「敬って大慈大悲の阿弥陀如来の御前に申し上げます
  本日ここに仏祖のご加護と有縁の方々のご協力を得て
  法面改修工事を起工することとなりました
  工事の開始に当たり、恭しく仏前を荘厳し
  懇ろに聖教を読誦して如来のご加護に御礼を申し上げます
  このうえは阿弥陀如来の慈悲の光に護られ
  一同心をあわせて工事がつつがなく進み
  完成の日を迎えますことを
  寿福寺住職釋顕紹謹んで申し上げます」
 
 併せて、このお勤めはいわゆる「安全祈願」のお勤めではなく、着工までに尽力いただいた皆さんに感謝し、如来の慈悲の光の中で一同が力を合わせてトラブルなく工事を完成させることを決意をするお勤めだという趣旨のお話しをしました。
 図らずも、ご講師の場合と重なる思いで、お話を伺いました。

(写真はご講師と、昼休みに、恒例のおぜんざいをいただいている様子です)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

385.ご門徒さん紹介(7):山根裕さん、幸江さんご夫妻

IMG_3126.jpg  IMG_3121.jpg

 本日ご紹介するご門徒さんは、山根裕さん、幸江さんご夫妻です。

 11月25日にお取越しのお勤めで山根さんのお宅に伺った際に、1幅の掛け軸を見せていただきました。
 拝見すると、親鸞聖人の御絵伝にも取り上げられている[弁円済度(べんねんさいど)]を描いた軸でした。

 親鸞聖人が越後から関東に移られた後のお話しなのですが、次のように伝えられています。
 「関東でお念仏の教えを説いておられた親鸞聖人を快く思わない者もおりました。その代表格がこの地の山伏の長(ちょう)弁円でした。
 お念仏の教えが弘まるにつれて、修験道の教えを離れるものが増えて来て、弁円はこれを恨み聖人を亡き者にしようと企てます。思い通りにならなかった弁円は、聖人がお住まいであった稲田の草庵に直接乗り込みます。
 しかし、聖人の尊いお姿に接した弁円は、その場で修験道を捨てて熱心な念仏者になりました。」

 掛け軸には、薙刀を地上に置いた弁円が聖人の御前にひざまづいている姿が描かれています。

 山根さんのお話しでは、この掛け軸は亡くなったお母さんがいつも離れの部屋にかけておられたのだそうです。その後、その離れの整理をした時に、他の多くの掛け軸は廃棄されたのですが、この掛け軸に描かれているのは親鸞聖人だと思って手元に残しておられたということです。
 実はこの掛け軸の裏に「べんねん」とひらがなで記された文字があるのですが、描かれた内容については分からずにおられようです。

 山根さんの奥さんは、11月12日の報恩講にお参りになっておられました。ご講師の市川幸佛師は親鸞聖人のご生涯についてお話しいただきましたが、その中でこの弁円済度の逸話も紹介されました。
 奥さんはご講師のお話しの中で、弁円の名前を聞かれて、ご自宅の掛け軸の「べんねん」のことだと気づかれました。

 そして、25日のお取越しでのお話しとなりました。
 山根さんご夫婦は、「報恩講にお参りしたご縁で、親鸞聖人のご苦労とともにこの掛け軸の内容について教えていただくことができて嬉しいです。母の想いも受け継ぐことができます。傷んだ部分もありますので、表装をし直したいと思います。」と仰っておられました。

 この絵の作者についてはまだ分からないのですが、もう少し調べてみたいと思います。

(写真左は掛け軸と山根さんご夫妻、右は描かれた絵です)

 なお、御絵伝の[弁円済度]の図は次のようなもの(壽福寺の御絵伝)が一般的です。
 この絵では、弁円は弓矢や刀を地上に置いて聖人のお住いの縁に上がっていますが、既に剃髪し墨色の衣を着た姿で描かれているものもあるということです。

IMG_2231.jpg 
 御絵伝の3幅目の最後(一番上)に描かれています。

(上の一部を拡大したものです)
IMG_2231 (2)  
 
(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR