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357.秋法座の準備を行いました

20170828草刈  20170828草刈2s

 昨日、27日に秋法座に向けて境内周辺の草刈りをお願いしました。

 当日は、井上啓志・今橋庄二・徳田順久・三上敏秀・金子富士夫・伊勢野新次・吉屋博志・椙山彰・埴生充・田中光明さんの総代さんと三上さんのお孫さん11の名の方が参加していただきました。

 午前9時からの作業でしたので本格的な暑さになる前でしたが、それでも約1時間半、駐車場と石段周辺、それに石段に至る道の周辺の草刈りに汗を流していただきました。
 また、大岩郷から寺に下る道の周辺は、当日ご都合で不参加の岩﨑昌彦さんが予め除草を行っていただいていましたので、寺への道も含めてきれいになりました。

 作業の後、今橋さんから庫裡横の崩落個所の改修工事について進捗状況を報告いただき、次の今後の予定を説明しました。
  9月下旬    埋め立て用の土を駐車場横から採取し現地への運搬します
  10月中旬以降 作業開始
  10月号の新聞に計画を掲載し、ご協力を呼びかけます

 おかげさまで、法座の当日はすっきりして皆さんのお参りをお迎えすることができます。有難うございました。

 なお、秋法座は次の通りお勤めいたしますので、お誘いあわせてお参りください。

 ○日時 9月3日(日) 10:00~(午前のみ)お斎をご準備します
 ○場所 壽福寺本堂
 ○ご講師 大津東組 清福寺 林 正文 師
 ○引き続き午後に勉強会を予定しています

(写真は、作業後に一息のメンバーときれいにしていただいた石段周辺です)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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356.『阿弥陀経』を読む(35)


20170825ブッポウソウ
    20170825コノハズク

[御文] 舍利弗・其仏国土・尚無三悪道之名・何況有実・是諸衆鳥・皆是阿弥陀仏・欲令法音宣流・変化所作
     (しゃりほツ・ごぶツこくど・しょうむさんまくどうしみょう・がきょううじツ・ぜしょしゅちょう・かいぜあみだぶツ・よくりょうほうおんせんる・へんげしょさ)

[訓読] 舎利弗、その仏国土にはなほ三悪道の名すらなし。いかにいはんや実あらんや。このもろもろの鳥は、みなこれ阿弥陀仏、法音を宣流(せんる)せしめんと欲(おぼ)して、変化(へんげ)してなしたまふところなり。

[訳文] 舎利弗よ、その国には地獄や餓鬼や畜生の名さえもないのだから、ましてそのようなものがいるはずがない。このさまざまな鳥はみな、阿弥陀仏が法を説きひろめるために、いろいろと形を変えて現されたものにほかならないのである。

 前回、お釈迦さまは、お浄土の鳥たちは罪業の報いとして鳥に生まれたのではないと説かれました。お浄土には地獄や餓鬼や畜生というものがないからだとされました。
 そして今回、お釈迦さまはお浄土には地獄、餓鬼、畜生という名もないのだから、実体としての地獄、餓鬼、畜生というものもありえるはずがないのだと説かれます。お浄土は、地獄や餓鬼や畜生といった概念も実体もない、どこまでも清らかな地だということを私たちに示していただいています。

 阿弥陀さまは、さとりを開かれる前、法蔵菩薩の時に48の願をおたてになりました。その第一の願は「わたしが仏になるとき、わたしの国に地獄や餓鬼や畜生のものがいるようなら、わたしは決してさとりを開きません」という願でした。私たちはこの願を「無三悪趣の願」とお呼びしていますが、阿弥陀さま(法蔵菩薩)はまず、地獄、餓鬼、畜生というもののないお浄土を建立したいと願われたのです。
 気の遠くなるような永い修行を経て、阿弥陀さまは48の願を成就され、さとりを開かれたのですから、そのお浄土に三悪道がありえるはずがないのだということになります。

 次いで、お釈迦さまは、お浄土の鳥たちは、法を説き聞かせるために阿弥陀さまが現されたものだと説かれます。阿弥陀さまは、鳥たちの美しく雅な声によって法を伝えられ、鳥たちのその声を聞いたものは、おのずから仏、法、僧の三宝を念じる心が生まれてくるのだと、お釈迦さまは私たちに示していただいているです。

***今回の記事、一時掲載したのですが、原因不明で記事の内容が消えてしまいました。再度掲載をしましたが、遅くなりました。***

(今回の写真は、2つの鳥です。ウイキペディアからお借りしています)

 といっても、お浄土の6種の鳥ではありません。
 左の鳥は、ブッポウソウ(仏法僧)と呼ばれる鳥です。森で、「ブッポウソウ、ブッポウソウ」と鳴く鳥がいて、このブッポウソウがその声の主だと考えられていたのだそうです。それで、ブッポウソウという名前をもらったのですが、その後この鳥は「ゲッゲッゲッ」という鳴き声しか出さないことが分かったということです。
 それで、「ブッポウソウ」の主を探したところ、ミミズクの一種のコノハズクの鳴き声だということが判明したそうです。昭和10年のことだったと、ウイキペディアにありました。右の写真がそのコノハズクです。
 この情報は今回初めて知りました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください。)

355.『阿弥陀経』を読む(34)

20170821ボタンクサギ2   20170821ボタンクサギ

[御文] 舍利弗・汝勿謂此鳥・実是罪報所生・所以者何・彼仏国土・無三悪趣 
(しゃりほツ・にょもツいしちょう・じツぜざいほうしょしょう・しょいしゃが・ひぶツこくど・むさんまくしゅ)

[訓読] 舎利弗、なんぢこの鳥は実にこれ罪報(ざいほう)の所生(しょしょう)なりと謂(おも)ふことなかれ。ゆゑはいかん。かの仏国には三悪趣(さんまくしゅ)なければなり。

[訳文] 舎利弗よ、そなたはこれらの鳥が罪の報いとして鳥に生まれたのだと思ってはならない。なぜなら阿弥陀仏の国には地獄や餓鬼や畜生のものがいないからである。

 お釈迦さまは舎利弗さんに、美しい声で法を説き示すお浄土の鳥たちは、罪悪の行為の報いとして鳥になったのではない、と説かれます。

 当時のインドでは、人はそれぞれの行為の結果として生死を繰り返し(輪廻し)、その結果迷い往く境界を6種に分けていたと伺いました。それは、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天の6つで、これを六道(六趣)と呼んでいます。
 そのうちの最初の3つ、地獄、餓鬼、畜生が「三悪趣」と呼ばれています。その「三悪趣」を『浄土真宗辞典』に尋ねますと、次のように記されています。
 地獄:「自らの罪業の結果として衆生が趣く苦しみの極まった世界」
 餓鬼:「貪欲(とんよく)の報いとして衆生が趣く常に飢餓に悩まされる世界」
 畜生:「人にたくわえ養われていきているものの意で、鳥・獣・虫・魚としての生存状態をいう。愚痴(ぐち)の報いとして衆生が趣く世界」
 いずれも決して往きたいと思われる世界ではありませんが、私たちの罪業や煩悩の報いということですから、私たちとは関わりのない別の世界だ、と言い切れない世界でもあります。

 今回、お釈迦さまは、お浄土には迷いの世界である「三悪趣」そのものがないのだから、これらの鳥は罪悪の行為の報いとして鳥にされたものではない、と説かれています。

(写真は、ボタンクサギという植物です。庫裡の横でだんだん増えてきています。)

 真夏の暑い時期に華やかな花を咲かせます。花が少ない時期に仏花にしたいところですが、名前の通り「臭木」で悪臭があっていけません。
 右の写真は、偶然に見つけたものなのですが、もう一つの小さな花はヘクソカズラとこれも名前通りに臭い植物です。臭い花コンビの揃い踏みですが、小さい方は、サオトメバナ(早乙女花)という可愛らしい名前も付けられています。

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354.ご紹介します(16):「訳せない日本語~日本人の言葉と心~」

20170818本s   20170818本2s

 今回の「ご紹介します」は、「訳せない日本語~日本人の言葉と心~」という本です。

 この本は、大來 尚順(おおぎ しょうじゅん)さんという方が著された本です。大來さんは山口市徳佐の超勝寺という浄土真宗本願寺派のお寺のご出身で、大学卒業後アメリカで研究をされ、現在では英語を駆使され国内外を通じて伝道活動をしておられる方です。
 また、これは後から知ったのですが、TVの「ぶっちゃけ寺」という番組にも出演されているそうです。

 この本は次の4つの章で構成されていて、その中で24の「翻訳しにくい(できない)日本語」が取り上げられます。
  第1章 あいさつの言葉に隠された暖かな思い
  第2章 何気なく使う言葉に含まれる「和」の心
  第3章 日本人の心に根ざした言葉
  第4章 日本文化に育まれた奥深い言葉

 第1章の最初に取り上げられた2つの言葉は「いただきます」と「ごちそうさまでした」です。
 この「いただきます」「ごちそうさまでした」は、料理を準備していただいた方への感謝の言葉として翻訳すると大事なものが抜けてしまいそうだと、大來さんは言われます。
 私たちは、私たち自身の命を維持するために他の命、動物や植物の命、かれらが生きている環境の命を「いただ」かなければ生きていけない存在なのです。従って「いただきます」は「命をいただきます」ということになります。そうすると「ごちそうさまでした」も、走り回って(馳走して)食材を準備していただいたことに対するお礼にとどまらず、いただいた命、に対するご恩を謝する言葉となります。
 私たちが称える「食前のことば」にも「多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました・・」と、まさにそのことが言われています。
 考えてみますと、私たちが自分の命を維持するために他の命をいただいているのだということを実感することが少なくなっています。魚も肉も調理され、野菜もきれいに洗われて店頭に並んでいて、私たちが命をいただいているという実感をもちにくくなっています。そのことをいつも思い返すことの大切さを思いますし、「もったいない」(この言葉も第3章にとりあげられています)という言葉の深い意味も理解できるように思います。そして何よりも、直接命にかかわっている方々への感謝の気持ちをひと時も忘れないことが大事なことだと、改めて思います。

 第3章では「おかげさまで」という言葉が取り上げられていました。「ご家族はお元気にされていますか」「おかげさまで元気にしています」という時の「おかげさま」です。これも翻訳しにくい言葉なのだそうです。
 話をしている当の相手に対して「おかげさま」と感謝しているだけではない、「おかげさま」がそこには感じられます。
 大來さんは、この言葉には自然の中で生き抜いてきた日本人の感性が込められているといわれます。地震など自然災害が多い環境の中で、日本人は自然には逆らうことができない力があるということを理解していて、そこには「良し悪しの区別無く、すべての現象は人の力ではなく、目には見えない力によってもたらされているという『人の驕(おご)り』をかき消す精神が流れている」とされます。
 そのような精神は、仏教思想にも通じるところがあって、「諸々の法(物事)には、我は無い(何一つとして独立して存在していない)」という「諸法無我」の仏教の大切な教えと違和感なく合致したのではないかと言われます。
 自然と自身を区分し、自然を解析し利用し、時には自然と対決するという西欧流の自然観とは違った、日本人の古来の自然観が外国から入ってきた仏教思想と融合して日本人の世界観を形成してきたということになるのでしょうか。「おかげさまで」は相手も含めた私たちのいる世界の中で、自然現象も含めてお互いに依存しあいながらの「おかげさま」であるということを思いました。

 最近の、少なくとも昔にはなかった「若者ことば」(と私が感じているもの)も2つほど取り上げられていました。それは「お疲れさま」(第1章)と「微妙」(第3章)という言葉です。

 「お疲れさま」は、顔を合わせたときの仲間の間の挨拶の言葉として使われているようです。もう何年も前になりますが、最初にこの言葉をかけられた時は、「え?別に仕事もしていないのになあ・・・」という妙な感覚を感じましたが、大來さんはこの言葉には「相手を思いやる気持ち」が表されているとされます。
 友人や同僚に出会ったときに、やはり何かひとこと声をかけたいと、私たちは思います。アメリカだと「ハーイ」、日本ならば「やあ」でしょうか。そのようなときに、相手をねぎらい思いやる「お疲れさま」といいう言葉が使われ、それは仏教用語でもある「和顔愛語」にも通じるもので、人間関係での「和」を作り出すことになると、大來さんは言われます。
 これはなるほど、とうなずかされるものがあります。

 もう一つの「微妙」ですが、「こんな案はどうでしょうか?」「うーん、微妙ですね」という感じでしょうか。
 大來さんは、この言葉は「ダメとは言いにくいものに、やんわり否定的なニュアンスを含めながらも、全否定はしない」という優しい気遣いの言葉だとされています。若い人たちの会話の中でこの「微妙」が使われているのを聞いて、どうやら上のような意味ではないか、と推測したことを思い出します。

 複数の国語辞典で「微妙」を調べてみました。大きくは2つの意味があるようです。(1988年 三省堂『大辞林』)
 1.「なんともいえない味わいや美しさがあって、おもむき深いこと」
 2.「はっきりととらえられないほど細かで複雑なこと」
 おもしろいのは、同じ『大辞林』の第3版(2006年)では、1.と2.はほぼ同じ記述があるのですが、2.の記述の後に次の言葉が付記されています。
 [自分の意見や判断をはっきり言いたくない場合や、婉曲に断ったり否定的に言ったりする場合に用いることがある]として、次の例文があげてありました。「日曜日は来られる?」「ちょっと微妙ですね」
 どうやらこの時期に、「微妙」の新しい使い方が一般的になってきたようです。

 大來さんも書かれていますが、「微妙(みみょう)」はもともと仏教用語で、「仏教の真理・教えやそれを悟る智慧の深遠ですぐれたさまを形容する語」(岩波仏教語辞典)でした。いま、学んでいます『阿弥陀経』にも「微妙香潔(みみょうこうけツ)」とあるよう経典にはよく使われる言葉だと伺いました。
 そして、これが上の1.の意味に使われるようになり、「なんともいえない」というところを受けたのでしょうか、2.の意味を加え、そして「若者ことば」になったものと思われます。

 仏教の教えが私たちの生活の中に深く浸透するに従って、多くの仏教用語が日常用語になりましたが、その中で仏教用語の意味するものが変遷していった実例のように思われます。
 大來さんが言われるように「微妙」は日本的な気遣いの言葉だと思いますが、「日本語には微妙(!)なニュアンスがあって難しい」とされる原因にもなりそうです。

(写真は、その本です。右の帯に取り上げられた24の言葉が記されています)

 大來さんは一昨年『英語でブッダ』という本を出されています。仏教用語を英語に翻訳されたもので、『正信偈』の翻訳も掲載されています。
 この本を読んで思ったのですが、英語に置き換えることによって仏教用語の意味するところがはっきりするということもあるようです。

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353.『阿弥陀経』を読む(33)

 20170814カラスウリ   20170814カラスウリ2 

[御文] 其土衆生・聞是音已・皆悉念仏・念法念僧
     (ごどしゅじょう・もんぜおんに・かいしツねんぶツ・ねんぽうねんそう)

[訓読] その土(ど)の衆生、この音(こえ)聞きをはりて、みなことごとく仏(ぶつ)を念じ、法を念じ、僧を念ず。

[訳文] そこでその国の人々はみな、この鳴き声を聞いて仏を念じ、法を念じ、僧をねんじるのである。

 お釈迦さまは、お浄土の人々はお浄土の鳥たちの優雅な声を聞くと、おのずから仏、法、僧を念じる心を起こすのだと説かれます。

 この「仏法僧」は三宝とも称され、「さとりを開かれた仏・ブッダ」と「その教え・ダンマ」と「その教えを受けてさとりを目指す集団・サンガ」を指します。
 瓜生津師は、お浄土の鳥たちがさまざまな多くの教えを説く声は、畢竟この三宝の徳を讃える声となるので、人々はその声を聞くことによって三宝を念じるようになるのだとされています。

 お釈迦さまは、仏教に入門したい者に対して、この三宝に帰依すること三度繰り返すように指示されたと伝えられています。
 それを承けて、宗門で門徒として帰敬の心を表す帰敬式では「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」と称えられますが、まさにそこでは三宝に帰依することが誓われています。
 聖徳太子が定められた『十七条憲法』の第2条にも「篤(あつ)く三宝を敬う。三宝は仏・法・僧なり。(中略)それ三宝に帰りまつらずは、なにをもつてか枉(まが)れるを直(ただ)さん。」とされ、三宝を敬うようにと示されます。

 このように、三宝は仏教そのものといえ、これに帰依することは仏教徒の基本だといえます。

 仏教音楽に『三帰依文』という印象的な曲があります。You Tubeで曲を見つけましたので、ご紹介します。「ブッダ、ダンマ、サンガ」の三宝に帰依するという誓いがパーリ語で歌われます。
 https://www.youtube.com/watch?v=kjrTXo9gpfY&feature=related&gl=CO&hl=es-419

(写真は、カラスウリの花です。今、花期を迎えている植物です。)

 寺の台所の前で咲いています。カラスウリの花は日没後に開いて翌朝には閉じてしまいますので、まわりが明るいうちに咲いているのを見ることができるのはほんの短い間だけということになります。
 昨年まではここにカラスウリがあることすら意識していなかったのですが、今年はたくさん咲きました。秋に実がなるのが楽しみです。

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352.『阿弥陀経』を読む(32)

20170811ハマゴウ2   20170811ハマゴウ

[御文] 是諸衆鳥・昼夜六時・出和雅音・其音演暢・五根五力・七菩提分・八聖道分・如是等法
     (ぜしょしゅちょう・ちゅうやろくじ・すいわげおん・ごおんえんちょう・ごこんごりき・しちぼだいぶん・はっしょうどうぶん・にょぜとうほう)

[訓読] このもろもろの鳥、昼夜六時に和雅(わげ)の音(こえ)を出(いだ)す。その音、五根・五力・七菩提分・八聖道分、かくのごときらの法を演暢(えんちょう)す。

[訳文] このさまざまな鳥たちは、昼夜六時のそれぞれに優雅な声で鳴き、その鳴き声はそのまま五根・五力・七菩提分・八正道分などの尊い教えを説き述べている。

 前回、お浄土にいる鳥たちが紹介されていましたが、お釈迦さまは、その鳥たちは昼夜を分かたず優雅な声で鳴いていて、その鳴き声は「五根・五力・七菩提分・八聖道分」などの尊い教えを説いていると示されます。

 今回は、この「五根・五力・七菩提分・八聖道分」について学びたいと思います。

 「三十七道品(さんじゅうしちどうぼん)」という言葉があります。
 『浄土真宗辞典』に尋ねますと、「さとりを得るための37種の修行方法。四念処(しおんじょ)・四正勤(ししょうごん)・四神足(しじんそく)・五根・五力・七覚支(七菩提分)・八正道を合わせたもの」とされていて、さとりを得るための代表的な実践修行とされたものだとお聞きしました。
 今回の「五根・五力・七菩提分・八正道分」はその「七部三十七種」のうちの後半の四部を示しているということになります。中村元氏によれば、玄奘訳の『称讃浄土経』では、この部分では七部の全部が挙げられているということです。
 従って、お浄土の鳥たちは優雅な声で、さとりを得るための37種の尊い教え、実践修行の徳目について鳴き伝えているということになります。

 まず、「五根」と「五力」ですが、『浄土真宗辞典』によりますと、五根とは「煩悩をおさえてさとりを開かせるすぐれたはたらきのこと。信根・精進根・念根・定根・慧根の五」とあり、五力とは「五根の実践がさらに進んで悪を破る五つの力となったもの。信力・精進力・念力・定力・慧力の五」とされています。
 辻本敬順氏は、信(=信仰、道理を信じること)、精進(=努力、よくつとめはげむこと)、念(=憶念、道理を忘れないこと)、定(=禅定ぜんじょう、精神を統一すること)、慧(=智慧、道理を見きわめること)とされています。

 「七菩提分」は『浄土真宗辞典』では、「さとりを得るための三十七品の実践のうち、五力に次いで修する第六の修行方法のこと」とされ、念(心に明らかに想いとどめてわすれないこと)、択法(ちゃくほう:智慧によって法の真偽を選択すること)、精進(一心に努力すること)、喜(法を楽しみよろこぶこと)、軽安(きょうあん:身心が軽やかで安らかなこと)、定(心を集中して乱さないこと)、捨(心の興奮や沈滞がなく平静なこと)の七つとされていました。
 ここでの「分」は「因」の意味で、さとりという結果を生じる因、ということになります。

 「八聖道分」は、以前に学びました「八正道」のことです。お釈迦さまは、最初の説法でさとりに至る実践道として、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の道を説かれました。

 以上が、今回の内容なのですが、「五根・五力・七菩提分・八聖道分」の間の関係はどのようになっているのだろうか、という疑問がわいてきました。この順番に高度なものになっている、あるいは並列の関係にある、あるいは一部が重なりあっている、その関係がよく分からないままにいます。
 五根から五力へは、「高度化している」に相当するものなのでしょうか?七菩提分に関する『浄土真宗辞典』の「五力に次いで修する第六の修行方法」という意味はどのような意味なのでしょうか。
 いずれにしても、お浄土の鳥たちは煩悩を去ってさとりを得る尊い道を美しい声で歌い示しています。

(写真は、ハマゴウという植物です)

 ハマゴウはシソ科(かつてはクマツヅラ科でしたが)の植物で、この時期海岸で見かける植物です。海岸だけではなく、琵琶湖の畔にも分布しているという情報もありすが、これにはまだ出遭ったことはありません。
 左の写真は、2012年8月10日に鳥取砂丘で撮ったものですので、ちょうど5年前ということになります。右の写真は、先日角島でハマユウと一緒に咲いていたものです。
 名前を漢字で書くと「浜栲」で、「栲」はヌルデという植物のことだそうです。猛暑の砂地で、たくましさとあわせて可憐さももった花です。

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351.ご門徒さん紹介(6):井上竹文さん、清子さん

20170807和屋2   20170807和屋

 8月号の新聞版『壽福寺だより』でご紹介しました井上竹文さん清子さんご夫妻です。

 新聞の記事は次の通りです。
*****
 「ご紹介します」の六回目は、「お食事処和屋(なごみや)」を経営しておられるご門徒さんの井上竹文さん、清子さんご夫妻です。
 和屋さんは、今から十七年前に始められたお店です。メニューには、ラーメンやうどんの麺類を始め、ご飯ものからおかずまでたくさんの献立があり、国道を走るトラックの運転手さんから家族連れまで幅広いお客さんに人気のお店です。
 メニューの中でユニークな(嬉しい)のは、夏でも準備されている「おでん」でしょう。暑い夏は、これを肴にして冷酒を一杯というのがお勧めです。
 お店は、元日の一日を除いて毎日営業されています。数を減らされたそうですがそれでもたくさんのメニューに、毎日の営業、「大変ですよ」と仰っておられましたが、無理をせずに元気で頑張ってください。」
*****

 店は、国道316号線を美祢から長門市に向い、重安駅に入る交差点を過ぎた右側にあります。広い駐車場があります。
 メニューもいろいろ工夫され、新しいものも追加されています。
 麺類では、空揚げが乗ったボリュームたっぷりのちゃんぽん、最近始まった担々麺、カレーうどん(そば)もお勧めです。

 一杯飲んだあとに麺類というのは、体に良いかどうかは別にしてうまいものです。
 ラーメンがいい、という人が多いのですが、私は昔から「カレーそば」でした。飲んだ後のピリッとした感じがいいのです。しかも、そばはうどんよりもカレーとの相性がいいのだ・・・などと言っておりました。和屋さんのカレーそばは、昔のなじみの味を思い出させるものなのです。

(写真は、「和屋」の全景と店内です)

 お勧めのおでんは、右の写真の右下に写っています。この雰囲気がいいですね。ですが、くれぐれも飲酒運転をなさらぬように・・・

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350.新聞版「壽福寺だより」を発行しました

 
       201708一面s          201708二面s   

 新聞版「壽福寺だより」の8月号を発行しました。本日よりお届けします。

 今月号の内容です。

[1面]

 「夏法座をお勤めしました」

 「ご家庭でのお盆のお勤め」

 「宇部北組の取り組み」
  7月19日に開催された「御同朋の社会をめざす運動」委員会の主な内容です

 「秋法座のご案内です」

[2面]
 
 「専如ご門主のご親教」
  今回、専如ご門主の「念仏者の生き方」のコピーを新聞と一緒のお配りしましたので、そのご案内です

 「ご存知ですか(11):供養」
  誤解されやすい「供養」の意味について説明しました

 「ご紹介します(6):井上竹文さん、清子さん」
  ご夫妻とご夫妻が経営されている「和屋」を紹介しています

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