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305.歴史を訪ねる(3):古文書読み解き会(2)

20170227年表 (2)   

 2月23日、1月に初めて参加しました「古文書読み解きの会」の例会に参加してきました。
 前回と同じく、武波博行さんと宇部フロンティア大学の内田鉄平准教授に指導していただき、『柏村家文書』の国司家の略伝を読みました。

 前回は、予習もせずに参加しましたので、ついていくのが精一杯という状況でしたが、今回はて予め予習もして臨みました。その結果、判読の難しい個所、読み方の分からない箇所を予めつかむことができましたので、前回よりは余裕を持つことができたように思います。
 このように予習をして臨むなどというのは何年振り、いや何十年振りだったでしょうか。学生時代に戻ったような気分でした。

 当日読みましたのは、国司家第8代の元武公の略伝です。元武公は、主君の毛利元就公、輝元公とともに大内氏の滅亡、豊臣秀吉の天下統一、関ヶ原の合戦といった戦国時代の只中を駆け抜けた人でした。

 古文書を読む際に最も難しいのが、崩し字の解読です。特に頻繁に使われる字は、元の字が想像できないような崩し方がされています。これはもう形を覚えてしまうしかないようです。決まった言い回しもありますので、何度も見て覚えるのがポイントのようです。

 今回工夫したことが2つあります。
 一つは、これは昔買った入門書『古文書入門』の中で勧められていた方法なのですが、原文の字を原稿用紙に一字づつ書き取っていくという方法です。読めない字の部分は空欄にしながら書き写していくのですが、そうすることによって全体が見渡せ、よく似た字や言い回しを見つけることができるという意味でも有効な方法だと思いました。
 もう一つは、主要な登場人物を入れた年表を作りました。西暦の年、和暦の年と干支、それに主な出来事を入れたもので、これで、例えば国司家の人物と主家の毛利家の人物のかかわりが見えてきます。
 この年表を作っていて、「あれれ」と不思議に思ったことがありました。国司家の6代目は有相(ありすけ)公といいますが、略伝では明応8年(1499年)生まれとされています。ところが、その子元相(もとすけ)公は同じ略伝の中で明応元年(1494年)生まれとされていて、子の方が先に生まれたということになっていました。なぜこのようなことになったのかということについてはもう少し調べてみよう、ということになりましたが、古文書にはこのような写し間違いなどもあるようで、これも面白そうなところです。

 と、今のところ興味をもって取り組んでおります。しかし、持ち前の飽きやすさ、いつまで続きますやら。
 このようにブログで報告するようにしていると、簡単には放りだせなくなるという効果もあるかもしれませんね。

(図は、自作の年表の一部です)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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304.『阿弥陀経』を読む(10)

20170224アヌルダ 

「御文」「訓読」「訳文」 摩訶劫賓那・薄拘羅・阿㝹楼駄 (まかこうひんな はくら あぬるだ)

 お釈迦さまの説法を聞かれた16人のお弟子さんの最後の3人です。

 摩訶劫賓那(まかこうひんな)さんは、クックタという小さな国の国王だった方だと伝えられています。お釈迦さまが祇園精舎におられることを聞き、教えを聞きたいと向かう途中でお釈迦さまに遭われ、お弟子さんになられたそうです。
 徳が高く行に優れていたことから勇猛端正第一、また天文暦数や数学に秀でていたところから知星宿第一と称された方です。

 ついで、薄拘羅(はくら)さん、長者の子どもとして生まれた方です。
 パーリ語での名前はバークラ(両家の意味だそうです)と呼ばれますが、この名前には物語が伝えられています。ある日川で水浴中に大魚に飲み込まれたのですが、その魚を別の長者の妻が買って不思議にも助け出されたそうです。そこで二人の婦人が薄拘羅さんのことを自分の子どもであると主張したのですが、王の裁定で両家共有の子どもだとされたことからこの名前になったということです。
 出家したのが80歳、160歳まで長生きされた方で、少欲知足の生活を送りその間一度も病気なることもなかったことから、長寿第一、無病第一と称されたそうです。

 最後の阿㝹楼駄(あぬるだ)さんは、お釈迦さまの従弟に当たる方です。お釈迦さまの出身である釈迦族の青年たちが教団に参加するときにその中心となった方だと伝えられています。
 あるとき、祇園精舎でお釈迦さまの説法を聞きながら居眠りをしてしまってお釈迦さまから叱られたことがあったそうです。それ以後、お釈迦さまの前では眠らないという誓いをたてられました。お釈迦さまは苦行はいけないと注意をされたのですが、誓いを忠実に守った結果、視力を失われました。しかし修行に取り組み、心の眼を開くことができ天眼第一と称されました。
 釈迦十大弟子の一人です。

 以上の16人のお弟子さんが、『仏説阿弥陀経』の中でお釈迦さまの説法を聞かれたと記されています。
 そのうち、釈迦十大弟子と呼ばれるお弟子さんは次の7人です。
  舍利弗、摩訶目犍連、 摩訶迦葉、摩訶迦旃延[、阿難陀、羅睺羅、 阿㝹樓駄
 ただ、中村元氏はその著書『浄土三部経(下)』の中で、この7人に摩訶劫賓那さんを加えた8人の方を十大弟子とされていますが、その違いの背景はよく分かりませんでした。 

 中村元氏が訳された『仏弟子の告白 テーラガータ』という本があり、この16人の大弟子について知ることができるということですので、一度読んでみましょう。

(図は 阿㝹樓駄さん、最後に登場する十大弟子です)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

303.『阿弥陀経』を読む(9)

20170220羅睺羅

「御文」「訓読」「訳文」 羅睺羅・憍梵波提・賓頭盧頗羅墮・迦留陀夷 (らごら きょうぼんはだい びんずるはらだ かるだい)

 前回に続き、お釈迦さまの説法を聞かれたお弟子さんのお名前です。

 最初に、羅睺羅(らごら)さんです。
 羅睺羅さんは、お釈迦さまの実子とされる方です。十大弟子の一人とされています。
 お釈迦さまは、出家される前に16歳で母方の従妹と結婚され、10年後に男の子を恵まれます。この男の子が羅睺羅さんです。
 さとりを開かれたお釈迦さまが初めて帰国された時に、実子の羅睺羅さんを出家させられたと伝えられています。学を好む学習第一、微細に戒を守る密行第一と称された方です。

 次いで、憍梵波提(きょうぼんはだい)さん。憍梵波提さんはベナレスの富豪の子だったと伝えられます。
 以前、お釈迦さまの説法を聞かれたと記されているお弟子さんの数1250人について、その「内訳」を記しましたが、これにも色々な説があるようです。三迦葉(さんかしょう)と呼ばれる三人兄弟がお釈迦さまに入信する時に連れて行ったお弟子さんの数は1000人で変わらないのですが、舎利弗さんと目連さんがそれぞれ100人、耶舎(やさ)さんという方の仲間が50人で入信されたという説もあるようです。
 憍梵波提さんはその耶舎さんの友人で、耶舎さんの出家を聞いて自身も出家されたということです。
 戒律を理解することに優れた方で、解律(げりつ)第一と称されるようになられました。お釈迦さまの死を聞いて焼身自殺されたとも伝えられます。
 
 賓頭盧頗羅墮(びんずるはらだ)さん、王舎城のバラモンの子だったと伝えられます。
 説法に秀でた方で、特に仏教以外の人に対する教化の力を持たれ、獅子吼(ししく)第一と称されました。
 また、しばしば神通力をもてあそんだためにお釈迦さまに叱られ、南インドの摩利山に住してお釈迦さまが亡くなった後も衆生を救うように命じられたと伝えられています。そのようなことから、他の宗派ではその像を伽藍の前に安置して、これを撫でると病が治るというような俗信があるのだそうです。

 迦留陀夷(かるだい)さんは、カピラ城の大臣の子としてお釈迦さまと同じ日に生れ、お釈迦さまの太子時代の朋友であった人です。
 後にお釈迦さまがさとりを開かれた時に、使者となってお釈迦さまを故郷に迎え、仏弟子となられたと伝えられます。
 本名を優陀夷(ウダーイン)と言われたそうですが、優陀夷という名前の人が他にもあって、これらの人との異同が議論されているようです。中には、よく問題を起こしてお釈迦さまに叱責された優陀夷さんもいたそうです。

 前回にも書きましたがお釈迦さまの周りには様々な人がおられたのですね。お釈迦さまに叱責された人もおおくあったようで、お釈迦さまのご苦労も偲ばれます。
 「対機説法」という言葉があります。『浄土真宗辞典』では、「仏が相手の素質や能力に応じて適切に教えを説くこと。」「また、このような仏の説法を医者と患者との関係に譬えて、応病与薬ともいわれる」とされています。
 お釈迦さまは、お弟子さんを始め相対する人がどのような悩み、苦しみを抱えているのかということを理解され、さらに相手の能力、理解力も考慮されて教えを説かれたと伝えられています。

(今回の図は羅睺羅さんです)

 お釈迦さまの十大弟子のお一人です。

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302.『阿弥陀経』を読む(8)

 
20170217阿難陀 
「御文」「訓読」 離婆多・周利槃陀伽・難陀・阿難陀 (りはた しゅりはんだが なんだ あなんだ)
「訳文」 離婆多(りはた)・周利槃陀伽(しゅりはんだか)・難陀(なんだ)・阿難陀(あなんだ)

 今回も、前々回、前回に続いてお釈迦さまの説法をお聞きしたお弟子さんたちの紹介です。

 離婆多さんは、舎利弗さんの末弟と言われる方です。
 母から結婚を勧められたのですが、兄の舎利弗さんのようになりたいと出家し、苦しい修行に耐えてさとりを開かれた方と伝えられています。一人瞑想を好んだところから座禅第一と称されました。

 続いて、周利槃陀伽さんです。
 先に出家した兄が阿羅漢となり、その兄に導かれて仏弟子となられた方です。ところが兄と違って生来愚鈍だったために、お釈迦さまの教えを覚えられず大変な苦労をされたのだそうです。そこで、兄は弟を還俗させようとしたのですが、お釈迦さまは「自らの愚かさを知るものは愚かではない」と言われ一本の箒を周利槃陀伽さんに与えて「塵を払おう垢を除こう」と称えながら掃除をするように教えられました。
 周利槃陀伽さんはその教えを忠実に実行し、遂に阿羅漢のさとりを得ることができたと伝えられています。

 難陀さんは、お釈迦さまの異母弟と伝えられる方です。
 お釈迦さまは難陀さん自身の結婚式の日に出家させられました。容姿端麗な人で愛欲の心に悩まれたのですが、欲望のもととなる感覚器官を制御する第一人者、調伏諸根第一と称されるようになられたと伝えられます。

 本日の最後のお弟子さん阿難陀さんは、お釈迦さまのいとこだと言われている方です。お釈迦さまの晩年の25年間侍者として仕えられました。お釈迦さまの説法を最も多く聴聞したお弟子さん、多聞第一と称されました。
 この「仏説阿弥陀」の最初の「如是我聞」の我はこの阿難陀さんで、第一回目の経典編集の会議「第一結集」では教えをまとめる責任者だったとされています。
 また美男で優しい人だったそうで、在家信者特に女性にも人気だったとか・・

 今回も含めてお釈迦さまのお弟子さんのことを知ると、お弟子さんには様々な方々がおられたのだなあ、と改めて思います。私たちと変わらない悩みを抱えながら修行に取り組まれ、それをお釈迦さまが支え、その方にあった方法で導かれたのだということを感じることができます。
 (お弟子さんのこともつい「○○さん」と呼んでしまいたくなります)

(写真は、阿難陀さんです)

 今回のお弟子さんの中で棟方志功氏の「釈迦十大弟子」に描かれているのは阿難陀さんだけで、一人だけの図となりました。

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301.新聞版「壽福寺だより」を発行しました

20170213新聞1面    20170213新聞2面

 新聞版「壽福寺だより」の2月号を発行しました。明日以降お届けします。
 今月号の記事は次の通りです。

[1面]

 「総代会を開催しました」
  1月31日に開催しました、定例の総代会のご報告です。
 「春季永代経法要のご案内」
 「山口教区(別院)の行事計画」

[2面]
 
 「総代会を開催しました(2)」
  昨年2月にご依頼しました『宗門総合振興計画推進懇志』に関する報告です
 「宇部北組の春の行事のご案内」
  4月5日に予定されています、仏教婦人会連盟の大会及び子供会行事の連絡です
 「ご紹介します(5)」
  昨年の第70回山口県美術展覧会で入選された岩崎則彦さんを紹介しています。
 「門徒講金についてのご連絡」

 今回、上記の宗門総合振興計画推進懇志をお寄せいただいた方に、新聞と併せて収支報告書および伝灯奉告法要記念の品として、ご門主の著書「ありのままに、ひたむきに」をお贈りすることにしました。

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300.本山報恩講でのご門主のご親教

20170210晨朝   20170210銘品店

 本山では、1月9日午後より16日午前までの間、御正忌報恩講(ごしょうきほうおんこう)法要がお勤めになりました。15日には、ご門主がご親教(法話)を述べられましたので、以下その内容をお伝えいたします。

 本年も、ようこそ御正忌報恩講にご参拝くださいました。全国から親鸞聖人をお慕いする皆さまがご参拝くださり、ご一緒におつとめをし、お念仏申させていただく、尊いご縁であります。このご縁にあたり、あらためて親鸞聖人がお説きになった浄土真宗のみ教えを味わわせていただきましょう。
  親鸞聖人は、比叡山で20年間修行をされました。しかし、煩悩がなくなることはなく、自己中心的な身であることに悩まれました。明日おつとめいたします『嘆徳文(たんどくもん)』には親鸞聖人のおこころを、「定水(じょうすい)を凝(こ)らすといへども識浪(しきろう)しきりに動(うご)き、心月(しんがつ)を観(かん)ずといへども妄雲(もううん)なほ覆(おお)ふ」(『註釈版聖典』1077ページ)と記されています。平らな水面を見ると波が立ち、月をみると雲に覆われてしまうということであります。
  親鸞聖人だけでなく、仏教を説かれたお釈迦さまの時代から、私たち人間の姿は変わりありません。それは、真実をありのままに受け止めることができず、自分の思いや執(とら)われの中で、悲しみ、苦しむ姿であります。
  親鸞聖人は、そのような私たちに対して、阿弥陀さまがはたらきかけてくださっていると明らかにされました。阿弥陀さまのおはたらきの中で、私たちは真実を聞き、真実に気付くことができます。そのことによって、自分自身のありのままの姿、自己中心的な姿を知ることができます。
  現代は、先のことを予測することが難しい、不確かな時代です。そして、嘘(うそ)や偽りを含む多くの情報があふれています。
  昨年1年間で注目を集めた英単語として「post-truth(ポスト・トゥルース)」、「ポスト真実」という言葉が選ばれたという新聞記事がありましたが、それは、客観的な事実や真実が重視されず、感情的な訴えが政治的に影響を与える状況を意味する形容詞だそうです。これを受けて後日の新聞には、アメリカ大統領選挙を具体例として、「ネット社会では〝脱真実情報〟が無料で拡散され、シェアされれば虚偽も〝真実〟に転化する」という記事が掲載されていました。
  そのような時代であるからこそ、親鸞聖人の「煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)、火宅無常(かたくむじょう)の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」(同853ページ)、「私どもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変わる世界であって、すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つない。その中にあって、ただ念仏だけが真実なのである」というお言葉を深く味わわせていただきましょう。
  本日は、ようこそご参拝くださいました。


(写真左は2月8日の「御影堂」での御晨朝(じんじょう:朝のお勤め)の様子です)

 報恩講にはお参りできませんでしたが、2月8日朝にお参りすることができました。
 「阿弥陀堂」「御影堂」の両堂とも、伝灯奉告法要に合わせて椅子席になり、向拝の階段も傾斜が緩くなるよう調製がされるなど、お参りしやすいようにと随所に工夫がなされていました。
 右の写真は、「御影堂」前の白洲に設けられた、本願寺おてらカフェ&マルシェ「AKARI」の内部です。京都のお土産品が揃っており、中央では食事もできます。

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299.『阿弥陀経』を読む(7)

201702062迦旃延         201702061迦葉

「御文」「訓読」 摩訶迦葉・摩訶迦旃延・摩訶倶絺羅 (まかかしょう まかかせんねん まかくちら)
「訳文」 摩訶迦葉(まかかしょう)・摩訶迦旃延(まかかせんえん)・摩訶倶絺羅(まかくちら)

 前回に続いて、お釈迦さまの説法を聞かれたお弟子さん方のお名前が続きます。今回は3人のお弟子さんです。

 摩訶迦葉さんは、お釈迦さまの十大弟子の一人で大迦葉とも呼ばれる方です。(前回の摩訶目犍連さんもそうですが、「摩訶」という言葉は、「大」という意味を表す言葉だとお聞きしました)
 辻本氏の『阿弥陀経のことばたち』によりますと、王舎城近くのバラモンの生まれで、求道心が強く出家の決意を固めておられたのですが、無理に結婚させられたのだそうです。ところが、その奥さんも出家を熱望されていて、両親の死後に二人は揃って出家されたということです。
 お釈迦さまが入滅された後に開かれた最初の仏典編集会議(第一結集:けつじゅう)を主催された方でもあります。
 衣食住について最低限の生活をし煩悩をふるい落とす修行(頭陀行:ずだぎょう)に徹され「頭陀第一」と称されました。

 続く摩訶迦旃延さんは、アヴァンティという西インドの国のバラモン出身の方です。辻本氏の紹介では、アヴァンティ国の国王の使いで、お釈迦さまを迎えるために祇園精舎に行かれた際にお釈迦さまの説法に感激されて弟子となられた方だそうです。
 やはり十大弟子の一人で、お釈迦さまの教えを広く詳細に説いた第一人者ということで、「論議第一」と称されました。

 摩訶倶絺羅さんは、舎衛国のバラモンの生まれで、舎利弗さんの弟とする説や、舎利弗さんの叔父で長爪梵志(ちょうそうぼんし:学業が成るまで爪を切らないと誓いをたて、十数年爪を切らなかった人)と呼ばれた人とする説、あるいは舎利弗さんとは関係がない人だとする説があるそうです。
 弁舌に優れ、「問答第一」と称された方です。
 
 最後に少し横道にそれますが、頭陀袋というものがあります。「ずたぶくろ」と濁らずに読むこともありますが、先に出てきた「頭陀行」と結びつくのだと初めて気づきました。頭陀袋は本来はこの頭陀行を行う行者が携行用に用いた袋だったのだそうです。
 現在では、どのような袋をそう呼んでいるのでしょうか?運搬用に雑多なものを入れる袋?
 仏教起源を持つ言葉が現代の日常生活に生きているという一例でもあります。

(写真の左が摩訶迦葉さん、右が摩訶迦旃延さんの図です)

 今回も棟方志功氏の版画(板画)「釈迦十大弟子」からお借りしています。

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298.総代会を開催しました


20170203総代会

 1月31日、定例の総代会を開催し、19名の総代さんのうち代理も含めて16名の方にご出席いただきました。
 本堂でのお勤めの後庫裏で総代会を行いましたが、議題および検討状況は次の通りです。

1.今年度総代の紹介、自己紹介
 今回19名の総代さんのうち2名の方が交代となりましたので、改めて自己紹介を行いました。
 今回交代となるのは次の方です。
  伊佐地区 榊原廣志さん⇒伊勢野新次さん
  徳坂地区 志賀雅彦さん⇒椙山彰さん

2.平成28年度の活動報告(住職)
 ・山門石垣の補修、トイレ改修
  総代さんや三役のご尽力で工事が完成しました。お礼申し上げます

 ・宇部北組「連続研修会」
  一昨年から12回にわたって開催され、壽福寺からは2組のご夫婦4名が受講されました

 ・本山「宗門総合振興計画懇志」
  9月13日に僧侶懇志と合わせて本山に進納しました。これに対して、「感謝状」の送付を受けました
  今回「伝灯奉告法要記念」として専如ご門主の著書をご門徒さんにお贈りすることとしました

3.平成28年度会計報告(住職)
 ・基金の一部取り崩し
  山門・石垣の補修、トイレ改修のために、基金会計を一部取り崩し年度会計に繰入しました

 ・「宗門総合振興計画懇志」
  余剰金を年度会計に繰入しました
 
4.平成28年度会計監査報告(今橋監査担当)
 ・今橋さんから「適正に処理されている」旨報告がありました

5.今年度行事計画
 ・壽福寺の法座計画

 ・山口別院の行事計画

 ・宇部北組の行事計画

6.その他意見交換 ・法座の前の草刈り、清掃活動
  約1カ月前に新聞「壽福寺だより」を総代さんにお送りする時に合わせて、草刈りの予定日時を連絡することとしました。
  これにより、大総代さんからその都度連絡いただく手間を省くことができます。
  併せて、活動に必要な機材を準備することとしました。

 ・杉林の法面
  一昨年の台風で一部が崩れましたが、急激に拡大する様子も見られないことから、状況を監視することとしました。

 ・法座への参詣者確保
  総代さんは全員参詣いただきたいよう要請しました。併せて、他の門徒さんにも声をかけていただくようお願いしました。

(写真は、当日ご出席いただいた総代さんです。よろしくお願いします)

 昨年、一昨年とこの写真を撮るのを忘れておりましたが、今年は掲載することができました。

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