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227.オバマ大統領のスピーチ


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 オバマ大統領は、5月27日に広島を訪問、原爆資料館を見学し原爆慰霊碑に献花した後にスピーチを行いました。

 TVでの中継は見ることができなかったのですが、そのスピーチの内容を見てみたいと思います。これまでご一緒に「平和に関する論点整理」について学んできましたが、この論点整理に取り上げられた「論点」について大統領がどのように考えているのかというようなことについても考えてみたいと思います。
 
 今回は、スピーチの前半の部分を見ていきます。なお、日本語訳は毎日新聞社のものを使っています。

 最初に、オバマ氏は「私たちはなぜここ広島に来るのでしょうか。」と問いかけます。広島が私たちに問いかけているものは何なのかという問いです。
 それは「それほど遠くない過去に恐ろしい力が解き放たれたことを考えるために」また、あの原爆によって命を奪われた多くの「死者を悼むため」だとし、犠牲者の魂が「心の内を見て私たちは何者なのか、私たちはどのようになれるのか、振り返るように語りかけてきます」という言葉が続きます。
 ここで氏は、広島の地に立って、このような多くの犠牲を出した原因について、私たち自身の「内」に眼を向けることが必要だと言っています。

 続いて「広島を際立たせているのは戦争という事実ではありません。」という言葉があって、次のように語りかけます。
 ・太古の昔から人類は戦いを行ってきた。「どの大陸においても文明の歴史は戦争に満ちています。」
 ・その一方で、人類は科学技術を発展させてきたが、それは同時に比類のない破壊力を生み出した。「そうした発見が、効率的に人を殺す機械になり得るのです」
 ・先の世界大戦は、「最も豊かで強い国々の間で戦われました。その文明は素晴らしい都市や美術を生み」「思想家は正義や調和、真実という進んだ考えを見いだしてきました」しかし、「支配、征服を欲する本能という(古くからの)同じ根本から戦争は起きてきました。」
 ・私たちの支配、征服を欲する本能はそのままで、「古いパターンが制約が働くことなく、(近代技術の)新しい能力により増幅されてきました」

 そして、次のように述べます。
 「技術のみの発展ではなく、同様に人間社会が進歩しなければ、我々を破滅させる可能性があります。原子を分裂させた科学の革命は私たちに道徳的な進歩も要求しています。」
 「これが私たちが広島を訪れる理由です」

 このように、私たちは原子を取り扱う技術に象徴されるように、科学技術の発展によりかつてない豊かさを手にしましたが、それと同時に、私たち自身を破滅させるほどの破壊的な力も手に入れました。
 オバマ氏は、その一方で支配、征服を欲するという根本の部分では私たちは太古のままであると言っています。氏は、このような破壊的な力を手に入れた私たちは、それにふさわしい私たち自身の進化をなさなければ、破滅的な結果に至るのだと警告をしています。 

 ここまでの部分を読んできて、3つの煩悩のことを思い浮かべていました。
 「支配、征服を欲する本能」とはまさしく、貪欲(むさぼり、我欲)であり瞋恚(怒り、腹立ち)です。この煩悩をそのままにして、私たちはかつてない強力な破壊的な力を手中にしたということになります。

 こうした現状では、「煩悩」に突き動かされてこの破壊的な力を行使することをどのようにして抑止するのか、対立する当事者がそれぞれこの力を持って対峙している現状で、破滅的な事態を生じないようにするにはどうしたらよいのか、そのような力を持っていない者(我が国がそうなのですが)はどのような行動をとることができるのか、といったことが重要な課題となります。

 それはまさに、「平和に関する論点整理」が取り上げていた「論点」と重なるところでもあります。

(写真は、セッコクです。)

 玄関横のカイヅカイブキに着生していて、ちょうど今頃が見頃です。

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226.教区総代会全体会に出席しました


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 5月24日、山口別院で山口教区門徒総代会全体会が開催され、壽福寺からは代表総代の井上啓志さんと住職が出席しました。

 この門徒総代会というのは、山口教区内の631か寺の門徒総代さんで組織されるもので、会則によりますとその目的は「門徒総代が自ら聞法にはげみ、相互の親睦提携を密にし、伝道に協力する体制を整えるとともに、寺門の護持発展に寄与すること」とされています。
 毎年この時期に全体会を開催し、理事会で決議した事項について報告を受け、情報交換、研修を行っています。

 報告事項では、今後2年間の役員の選任報告もありました。壽福寺の属している宇部北組の総代会会長である藤本一規氏は、教区の門徒総代会の常任理事の担当をされることになりました。

 全体会の後に志賀教区の藤實無極氏より法話をいただきました。
 ご講師からは、法然聖人と親鸞聖人の受け止め方の違い、法然聖人の「念仏為本(念仏をもって本となす)」と親鸞聖人の「信心為本(信心をもって本となす)」の違いや大無量寿経についてお話をいただきました。

 また、ご講師からご自坊で行っておられる活動についてもお話をいただきましたが、次のようなことが印象に残りました。
 ・毎日6時半(冬季は7時)からのお朝事(おあさじ:朝のお勤め)にご門徒さんが7,8人参っておられる
 ・毎月10日の夜に1時間、「十念講座」という勉強会を開催されていて、これにも15人程度の方が参加されている
 ・はがき法要として、はがき大の用紙に法話を記してご門徒さんのお宅に行かれるときに持参されている
 ・寺報を毎月発行、現在261号になっている
 ・門徒定期総会を開き、4期12年の長期計画を検討し進めている
 平素からご門徒さんとの接触を大切にされていることがうかがえて、参考にしたいと思いました。
 
(写真は、ご講師の藤實無極氏です)

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225.トイレ改修を進めています


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   20160523トイレ改修

 1月に開催しました総代会のご報告にもありましたように、今年度はトイレの改修を行うことになり、その作業を進めています。
 
 改修作業のうち、トイレ室内および廊下の改修などの大工仕事は総代の今橋庄二さんを中心に、井上啓志さん、徳田順久さんの三役の方で作業を行っていただき、その後、便器の設置、給排水などを専門の業者の方にお願いをするという形で進めることになりました。

 5月8日に作業をスタートし、14日、18日そして昨日の22日と4日にわたり作業をお願いしました。またその間も、今橋さんには準備などで寺においでいただくこともあり、皆さんに多くの時間を割いていただいています。
 次回は24日に作業を予定していて、その後便器の設置の段階に進めるものと思います。

 山門の補修の際も書きましたが、今橋さんの専門の大工さんのような仕事ぶりに一同感心をしながら、「手伝って」いるという感じで作業は進められております。
 また柱などの材木も、先に伐り出した杉材を製材したものを中心に活用するなど、手作りの作業となっています。
 皆さんのご尽力にお礼申し上げます。

 夏法座には改修されたトイレを使っていただけることと思います。ご期待ください。

(写真は昨日の作業の様子です)

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224.「平和に関する論点整理」(11)


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   20160520ユズ

 ご一緒に学び考えてきました、「平和に関する論点整理」も最終となりました。
 そのⅩ.(10)章には次の一文が記されています。

Ⅹ.念仏者の具体的行動とは?
 「念仏者には、どのような具体的な平和の実現のために、どのような具体的な行動が可能でしょうか?」

 本文では、仏教の教義から求められる殺生や戦いを否定する立場と、複雑な国際関係の中で我が国だけが全ての軍事力を廃絶することはできないという現実、のはざまで私たちはどのような行動をとることができるのかという問いが発せられています。

 そして、「仏教の真理観に照らして言えば、個人の心の平和を築いていくと同時に、あらゆる国々が自国の自己中心性を克服していこうという文脈で考えられるべきでしょう。更に言えば、世俗の中で矛盾を抱えながら生きる念仏者ならではの役割は、世間で常識とされている価値の転換をうながすところにあるとも言えます。」とされています。

 私は、この「論点整理」を通じて重要な点は、私たちが、矛盾を抱えながら生きなければならない存在である、ということなのだと改めて実感しました。この点を判断の出発点にすることが必要なのだと思っています。

 戦争と平和の問題だけではなく、現実の私たちはお釈迦さまが説かれた教えとは矛盾しながら生きています。そうせざるを得ないというのが現実なのです。
 そこで、この状態に対する対応は基本的には二通りとなるように思います。
 その一つは、この矛盾から目をそらせて一方だけに足場(現実の生活のことを考えると、足場はお釈迦さまの教えとは違った方に置かれることになるでしょうが)を置いて矛盾はなくなったとし、さらにはそれがお釈迦さまの教えに従ったものだとする対応です。いわば矛盾を「解消」してしまうということになります。
 もう一つの対応は、私たちは矛盾の中で生きることを逃れることはできない、という自覚、あるいは慙愧の念を持ち続けることだと言えます。お釈迦さまの教えは常に時代の価値観に転換を求めるものであり、私たちは常に時代に対して矛盾を感じながら生きることが求められています。

 後者の、矛盾を自覚し続ける立場からは、次のような行動が可能になるように思います。
 ・時代の大勢、風潮に安易に迎合しないという姿勢を持ち続けること
 ・私たちが属しているのとは別の、互いに利害が衝突するグループの中で同じような矛盾を感じながら生きている人びと(それは仏教徒に限られるものではなく、多くの宗教者が含まれていると思います。宗教というものは本質的にこのような矛盾を内に持ちながら生きることを要請するものですから)に働きかけること
 ・自分のみが真理だという思い込みを避けて、他者の主張に耳を傾けること

 このようなことを通じて、今後想定される緊張状態の中で「後戻りできない一点」を超えてしまうことに対する抑止力となることができるように思います。

(写真は、ユズの花です。)
 
 昨年のちょうど今頃、荒滝山の登山口で咲いていました。

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223.連続研修会(4)


20160516連続研修会

 連続研修会に関する記事はしばらく間が空いていましたが、5月14日小野の宝林寺さんを会場に行われた第7回の研修会について報告します。
 今回、当日のテーマである「正信偈について」の問題提起を私が担当しました。前回の4月9日の研修会で、5月の講師に予定されていた方の都合がつかないことが分かり、私が担当することになったものです。

 通常この研修会では講師がテーマについて問題提起を行い、それについて参加者が話し合いを行う形で運営されていますが、今回は正信偈の概要について説明を行った上で、話し合いへの「問い」の形で問題提起を行う形にしました。

 壽福寺では法座の後の時間を使って勉強会を持っていて(時々抜けるのですが・・)、現在は正信偈の内容をご一緒に学んでいます。これは、以前ご門徒さんのお宅でお勤めが終わった後の雑談の中で、「お経を読んでいてもどんなことが書いてあるのか分からない」という言葉をお聞きしたことがあったことを承けて、始めたものです。
 そんなこともあって、まず正信偈の内容について概略を説明した方がよいのではないかと考え説明の内容を次のようにしました。

 1.「正信偈」とは
  ・所載(『教行信証』との関係)、形(7言120句の形式)、日常の勤行へ(蓮如上人による日常勤行への依用、出版)
 2.「正信偈」の構成と内容
  ・帰敬頌
  ・依経段
  ・依釈段
 3.拝読の仕方

 その上で、「話し合いへの『問い』」を次のようにしました。

  「正信偈と私」
  ・「正信偈」にかかわる思い出、父母や祖父母の思い出
  ・どのように親鸞聖人の思いを伝えていくか

 ○3つのグループに分かれて行われた話し合いの内容を報告していただきましたが、次のような発言がありました。
 ・正信偈の記憶はやはり祖父母(特に祖母)が称えておられた声、耳から入ってきたもの
 ・日曜学校で教えてもらって、暗記して読んだものが今も残っているという方もありました
 ・内容についてよく分からずに読んでいる、できれば内容を知りたいという声も多くあったようです
 ・家庭で正信偈を拝読するような時間や雰囲気にない。お経はお寺で、あるいは自宅では僧侶に来てもらって、となっているということも多いようです
 
 ○この発表を受けて講師がまとめをするのですが、次のようなことをお願いしました。
 ・釈尊から七高僧を通じて伝えられたみ教えを親鸞聖人が正信偈や和讃の形で記されたこと、蓮如上人も私たちがお勤めしやすいようにと形を整えられたことは、私たちにみ教えをしっかりと受け継いでもらいたいという強い希望ですので、これを受け止めていただきたい
 ・お経に書かれている内容を知りたいという声があることは嬉しいこと、住職にその希望を伝えられたらきっと喜ばれると思うので、ぜひそうして勉強していただきたい
 ・蓮如上人は、まず聖教を読むように、そのうえで何が書かれているか知りたくなったら学びを始めるように、と言われています。まずは声を出して拝読することを大切にしていただきたい。

(写真は当日の様子です)

 皆さん、熱心にお聞きいただき、話し合いをしていただきました。

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222.法中会のご報告です

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 5月9日、小野の宝林寺さんで2016年度の最初の法中会が開催されました。市川新組長のもとでの最初の法中会となります。
 
 次の議題について、審議、検討を行い、報告を受けました。

 1.2015年度の活動報告、会計決算
  ・宇部北組の活動報告、会計決算
  ・組内教化団体の活動報告、会計報告
   仏教壮年会、若僧会、連続研修、御同朋実践運動、子供会について報告がなされました
  ・大谷本廟納骨所会計報告

 2.2016年度の活動計画、会計予算案
  ・宇部北組の活動計画、会計予算案
  ・組内教化団体の活動計画、会計予算案
   前記の各教化団体から報告があり審議が行われました

 3.宇部北組初組会(各寺院から住職と代表総代が参加する組としての決議機関です)
  ・開催日時 6月3日
  ・開催場所 「宇部72アジススパホテル」
  ・主な議題 
    2015年度活動報告、会計決算報告、会計監査報告
    2016年度活動計画案、会計予算案
   今年度から、総代会および仏教婦人会連盟も活動報告および活動計画を説明することとなりました。この2つの教化団体はそれぞれ監査機能を持っていることから、これまで組会で報告を行っていませんでしたが、活動をPRすることも兼ねて報告することにしたものです。

 4.今後の主要な行事(宇部北組)
  ・キッズサンガ(8月26日 於教善寺)
  
 5.今後の主要な行事(宇部北組以外)
  ・御同朋の社会をめざす運動研修会(5月27日 10:00~)
  ・山口別院設立30周年記念法要・永代経法要(宇部北組は6月10日 10:00~)
  ・専如ご門主の山口別院ご巡回(7月25日 14:30~)
  ・子供報恩講(別院30周年記念事業)(12月3日 10:00~)

 6.熊本地震への対応
  宇部北組としては、各寺院で募金を行い12月に組として別院に募金送金することとしました。
  (壽福寺は各法座で募金箱を設置し、募金をお願いすることにします)
  
(写真は昨日歩いてきた秋吉台の風景と出合った植物です。)

 久し振りの快晴で初夏を思わせるような陽気でした。
 左の植物はハシナガヤマサギソウ、右はソクシンランという植物です。今回は接写で撮ってみました。

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221.「平和に関する論点整理」(10)


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 「平和に関する論点整理」は、Ⅸ(9)章になります。

Ⅸ.日米亜安全保障条約と念仏者の立場
 「日米安全保障条約(抑止力も含む)と自衛隊による安全保障政策によって戦後日本の平和が保証されてきたという考え方がある中で、そうした平和を享受しつつ安易に武器なき平和をとなえるのは、真俗二諦(しんぞくにたい)的な生き方になっているのではないでしょうか?」
 ・「真俗二諦」の使い方には注意が必要である。
 ・世俗権力に対して無批判な態度が、戦争への加担となった。
 ・軍事力に守られていながら、非戦平和を説くのは矛盾ではないか。
 ・矛盾を忘れて生きることと、矛盾を自覚して生きることは異なる。
 ・安易な現状肯定に陥らず、現実を相対化する生き方が求められる。


 今回の論点は、現実の国際情勢の中で我が国が日米安全保障条約による米国の軍事的な保護のもと、自衛隊という軍事力とによって平和を維持しているという現実と、殺生を禁じ、武力を否定する仏教の教えとをどのように整理するのかという問題です。

 「論点整理」の中で「真俗二諦」という言葉が取り上げられていて、「その使い方には注意が必要」だとされています。
 「論点整理」の本文でも説明されていますように、「真俗二諦」の本来の意味は、真如そのものを示すのが「真諦」、それを世間で理解されるように表現したものが「俗諦」だとされています。私たちの分別、認識を超えた存在である真如(真諦)を私たちに理解できるように仮に説きあらわされたものが俗諦であって、両者は根本では同一のものと考えられます。
 ところが、真宗にはこの「俗諦」を国王・王法(時代の権力、時代の法)と理解してきた歴史があると、「論点整理」で述べられています。このような解釈が、時代の権力、風潮を受け入れることは仏教の教えに背くことにはならない、という理論につながり、先の大戦においても戦争を肯定し、推進する背景となったとされています。
 宗門が置かれた厳しい環境があったことと思われますが、仏教の徹底した平和主義と現実の戦争遂行とは矛盾するものではない、とする「真俗二諦」の解釈が戦争を止めることではなく、戦争を容認し推進することにつながりました。

 そのことを踏まえて、軍事力によって支えられている平和というものの中にいる私たちは、どのようにして念仏者としての立場を維持していくことができるのでしょうか?あるいは、念仏者としてこの現実の中でどのように考え、行動することができるのでしょうか?
 このことを考えることこそが、この「論点整理」の最大の課題、最終の目的なのだと思います。

 「論点整理」でも示されているように、平和の問題に限らず、私たちは現実の生活の中で念仏者として矛盾を感じながら生きなければならないということはたくさんあります。
 例えば、私たちが生きていくためには多くの命を奪わなければなりません。そのことをいつも自覚して生きていくことと、そのことから目を背けて生きていくこととは全く違います。私たちの命が他の命を奪いながら維持されていることを常に思うことは、そのことに感謝の念を持ち、私たちの命の一瞬一瞬を大切に生き続けることにつながります。
 そのような自覚を持たない命は、他の命だけではなく結局自分の命をも粗末にしていることになります。

 「論点整理」では、現実の中で「矛盾を忘れて生きること」と「矛盾を常に背負っていることを自覚し生きていること」には大きな隔たりがあると述べられています。私たちが武力によって保たれている平和の中にあるという現実の矛盾を常に自覚していることによって、重要な局面で時代の大勢、時代の風潮に対して疑問を持ち、適切な行動をとることが可能になると考えられます。

 また、「論点整理」では、私たちが自己の中にこのような矛盾を抱えていることを自覚することにより、正義を振りかざし他者を攻撃することを避けることができ、他者を許容することにつながるという指摘もありました。
 このことこそ、矛盾を自覚した念仏者の行動が戦争を避けることにつながる姿だと思います。

 ここでも、以前取り上げました吉野弘さんの「祝婚歌」の次の一節が思い出されます。
 「互いに非難することがあっても 非難できる資格が自分にあったかどうか あとで 疑わしくなるほうがいい」
 「非難できる資格」とは、内部に矛盾を抱えた私自身の姿のことをいっているのだと改めて思います。

(写真は、ヒメシャガの花です。)

 昨年もご紹介したご門徒さんの志賀英治さんの奥さんが育てておられます。昨年は花期を少し外れていましたが、今年は満開の時期に遭うことができました。
 ヒメシャガ(姫射干または姫著莪)は同じアヤメ属のシャガよりも一回り小さな植物です。花色はシャガよりも濃いようで、シャガは常緑で葉は冬も枯れずに残りますが、ヒメシャガの葉は冬には枯れるという違いもあります。自生しているものは、環境省の準絶滅危惧種に指定されています。

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220.降誕会をお勤めしました


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 5月3日、降誕会をお勤めしました。強風に雨というあいにくの天候でしたが、子どもさんを含む50名近いご門徒さんにお参りいただきました。
 今回は、正信偈のお勤めの後に、専如ご門主の「伝灯奉告法要についての消息」を拝読、お伝えしました。

 ご講師には、当山としては初めて長門市青海島の清福寺より林正文師をお迎えしました。
 ご講師からは、残りなく救い、迎えると誓っていただいた西方浄土におられる阿弥陀如来のご恩を、車のカーナビの例えなどでお伝えいただきました。生老病死という4つの苦を背負って生きている私たちは、間違いなくお浄土に迎えていただけるという阿弥陀如来の誓いに力づけられ、貴重な限りのある日々を大切に過ごしていくことの大切さをお示しいただきました。

 ご法話の後に集合写真を撮りましたが、今回も雨のため本堂での撮影となりました。満開のフジを背景に写真を撮りたいと思っていたのですが、これは来年に持ち越しとしましょう。
 そのフジですが、今年は花の付きがよくなく、花はほとんど見ることができないという状況でした。原因も調べて対策を打ちたいと考えています。

 写真撮影に続いて、恒例の餅まきを行いました。
 ご門徒さんからお寄せいただいたご懇志や、お餅、お菓子により餅まきの材料を揃えました。総代さんから撒かれるお菓子やお餅を一同競い合って拾いにぎやかなひと時でした。

 今回も多くの方々のお力添えをいただきました。
 法要当日のお斎の準備や給仕、後片付けは、船木万倉地区の仏教婦人会会員の皆さんにお願いしました。
 4月30日には総代さん10名に集まっていただき、駐車場および参道周辺の草刈りをお願いしました。また、杉山博子さん、井上幹子さんには5月2日に本堂および回廊の清掃と会場作りをお願いしました。
 いつもご支援をいただきお礼申し上げます。

 ただ、当日予定しておりました勉強会は風雨が強まったことも考慮して、残念ながら今回は中止としました。

(写真は当日の集合写真です。)

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219.長寿社会に思う


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 前回まで学んできたました「曇鸞讃」の中で、不老長生の仙術を身につけたとする曇鸞大師に対してインドから来ていた菩提流支三蔵が「カッ」と大地に唾を吐いてこれを否定し、『観無量寿経』を授けられて、これを読んだ曇鸞大師は仙術を記した仙経を焼き捨てられた、という場面が強く印象に残っています。

 先日ご報告しました上宇内地区の降誕会で、この逸話を取り上げてお話をしたこともあり、以下長寿社会について感じていることを記してみます。

 日本人の平均寿命は男性が80歳を超えて80.5歳、女性は86.8歳なのだそうです。これは女性が世界一、男性も6位、男女平均でも世界一、と日本は世界一の長寿国です。
 この平均寿命というのは、0歳の赤ちゃんが平均して生きられる期間(平均余命)を言いますので、例えば70歳の方の平均余命は男性で15.5歳、女性で19.8歳。ということは70歳の方は、平均して男性では85.5歳、女性では89.8歳まで生きることができるということになります。

 また健康寿命という考え方もあります。健康で自分一人で生活できる年齢のことで、全国平均で男性は70歳強、女性は73歳強となっているそうです。この健康寿命の算出方法がよく分からず、少し短すぎるような気もしますが、いずれにしても、平均余命と健康寿命の差は「健康でない」状態で生きている期間ということになりそうです。

 不老長生の術を身につけた曇鸞大師が「仏法の中に中国の仙経にも勝るほどの長生不死の法はあるのですか」と問われたのに対して菩提流支三蔵は次のように言われたと伝えられています。
 「これは異なことをおっしゃる。たとえ長寿を得ることができて、少しの間死なないですんでも、ついにはさらに輪廻するだけではないか」
 たとえ、寿命を伸ばすことができても、六道を迷い、煩悩に悩まされ、生死の不安にかられ、心の休まらない長寿になんの意味があるのか、たとえ自分一人で健康な生活を送ることができているにしても、本当に心の平安を得た状態で生きることができるのか、ということを菩提流支三蔵は問われたのだと思います。そのような状態のままの長寿は、苦しみの延長に過ぎないではないか、と示されたのです。

 先の、「健康でない」長生きの期間だけでなく、健康寿命の中でも身体の健康だけでなく、心の平安、心の健康を得ることがますます重要になってくると思われます。
 そのような課題にも宗教が重要な役割を果たすものと思います。

(写真は、寺の境内のシラン(紫蘭)です。鮮やかなピンクが緑の葉に映えます。)

 以前、秋吉台でこのシランが自生しているのに出合ったことがありました。「ほー、こんな所にも咲いているのか」と思ったのですが、よく考えてみるともともと野生のシランを庭に持ち込んで栽培しているのですから、野生の方が本家なのだと気づいて苦笑いでした。
 
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