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218.お正信偈を読む(42):依釈段(19)/曇鸞讃(6)


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 曇鸞大師を讃えられた偈文も最後の部分になりました。
「御文」 必至無量光明土 諸有衆生皆普化 (ひっしむりょうこうみょうど しょうしゅじょうかいふけ)

「訓読」 かならず無量光明土(むりょうこうみょうど)に至れば、諸有(しょう)の衆生みなあまねく化(け)すといへり。

「訳文」 はかり知れない光明の浄土に至ると、あらゆる迷いの衆生を導くことができる」と述べられた。

 前回、私たちはこの世で信心をいただいたならば、身は迷いの中にありながら仏のさとりをいただくことができるとお示しいただきました。

 このように私たちは阿弥陀如来のお力によってお浄土にいたることができ、さらには同じく迷いの只中にある衆生をさとりに導くことができると述べられた、と聖人はお伝えいただいています。
 前者を往相回向、後者を還相回向とお呼びしていますが、いずれも阿弥陀如来のご本願のはたらきによるものだと、曇鸞大師は示されました。
 無量光明土というのは、阿弥陀如来の本願によりあらわれたお浄土のことと伺いました。限りない光明が輝いている国土を表しています。

 これまで、6回にわたって曇鸞大師の示された教えを学んできました。
 七高僧の第一祖龍樹菩薩は仏教には難行道と易行道とがあって、阿弥陀如来の本願に添う道は易行道であることを示されました。
 第二祖の天親菩薩はこれを承けて、他力の一心こそ往生にいたる道であることを示され、さらに迷いの世界に還って人々を救うのだと示されました。
 そして、曇鸞大師はこの私たちが救われ、また迷いの世界に還って衆生を救うという働きは、一つにかかって阿弥陀如来のご本願の働きによるものだということをお示しいただいたのです。
 曇鸞大師の発揮が「顕示他力」とされ、浄土真宗の大切な柱となるみ教えにつながるものです。

 親鸞聖人は、『高僧和讃』で七高僧の示された教えを讃嘆されていますが、その110首強の和讃のうち曇鸞大師を讃嘆された和讃の数が一番多く34首に登っています。善導大師を讃える和讃が次いで多く26首となっていて、聖人がこのお二人を特に大切に思われていたことが感じられます。

(写真は、ドウダンツツジです)
 ちょうど今頃一番きれいな時期に当たります。また、秋には鮮やかな紅葉も楽しめる植物です。
 右はサラサドウダンという種類で神戸市の「六甲高山植物園」で、左は同じ神戸の「相楽園」で撮影しました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 
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217.降誕会のご案内です


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 下記により降誕会の法要をお勤めいたしますので、お誘いあわせてお参りください。餅まきも予定していますので、是非お子さんもご一緒にお参りください。

1.日時
 5月3日(祝) 10:00~(午前のみ)

2.ご講師
 長門市 清福寺ご住職 林 正文 師(初めてご出講いただきます)

3.当日の行事
 (1)餅まきを行います。
 (2)お斎をご準備いたします。
 (3)引き続き勉強会を開催する予定です。

(写真は寺の近くのヤマフジです。)

 昨年このブログで降誕会のご案内をした時には、満開に近かった境内のフジの写真を載せていたのですが、今年はそのフジの花は咲いていないのです。枝を刈込みし過ぎたのか、あるいは他の原因があるのか不明ですが、皆さんに見ていただこうと楽しみにしていたのですが、残念です。

 代わりに、ヤマフジ(山藤)の写真です。寺の近くに大きな株があってこちらは盛んに咲いています。フジの蔓は右巻き、ヤマフジは左巻きだということです。

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216.お正信偈を読む(41):依釈段(18)/曇鸞讃(5)


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 前回の「お正信偈を読む」が2月29日でしたから、あれからもう2か月になろうとしています。
 親鸞聖人が曇鸞大師のみ教えを讃嘆された「曇鸞讃」の5回目となります。

「御文」 惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃 (わくぜんぼんぶしんじんぽつ しょうちしょうじそくねはん)

「訓読」 惑染(わくぜん)の凡夫(ぼんぶ)、信心発(ほつ)すれば、生死(しょうじ)すなはち涅槃(ねはん)なりと証知(しょうち)せしむ。

「訳文」 煩悩具足の凡夫でもこの信心を得たなら、仏のさとりを開くことができる。・・・」

 前回までで、浄土に向かう往相回向も浄土から戻りこの世の人々を救う還相回向も、ともに阿弥陀如来のご本願の働きによるもので、信心一つで私たちはお浄土に生まれることができると示していただきました。
 罪悪、煩悩に汚された凡夫である私たちも、信心をおこせば仏のさとりを得ることができるということを示されています。

 「惑染凡夫信心発」の部分は、『往生論註』の中で、曇鸞大師が「高い陸地には蓮華が生じないが、低い泥の中に蓮華が生じる」という経文を引かれて、「これは凡夫が煩悩の泥の中にあっても、浄土から出られた菩薩に導かれて、仏の正覚をひらく華、すなわち信心を生じる」とたとえられた、ことを親鸞聖人が讃嘆された部分です。
 惑染の「惑」は衆生の心を惑わす煩悩を、「染」はその煩悩に汚されていることを示しています。

 次の、「生死すなはち涅槃」の部分です。「生死」は生死輪廻を繰り返す迷いの世界、「涅槃」は全ての煩悩が消え去ったさとりの世界で、両者はいわば全く相容れない状態を表しているように思われます。なぜこの迷いとさとりの世界が「即」で結ばれているのでしょうか。
 ここでは、前句のように信心を得させていただいた私たちは、この生死を繰り返す迷いの世界も、そのままが迷いを超えたさとりの世界になるという、「仏のさとり」をいただけるということが重要なポイントのように思われます。

 私たちが煩悩にとらわれている間は、私たちは生死のはざまでもがき、苦しむ迷いの世界から逃れることができず、さとりとはほど遠いところにいます。しかし、そのような私たちでも、信心をいただいたならば、ちょうど蓮の花が泥の中で美しく開くように、身は迷いの世界にありながら仏のさとりを得ることができるとお示しいただいたのだと思います。
 
(写真は、エヒメアヤメという植物です。昨年のちょうど今頃に撮影しました。)

 左は小串にある自生地(日本で自生している場所はごく限られているということで、小串はその南限になるそうです。現地では天然記念物として広く金網で囲われて保護されています。)のもの、右は川棚の「リフレッシュパーク豊浦」で栽培されていたものです。
 背丈も小さく華奢な印象のアヤメです。タレユエソウ(誰故草)というロマンチックな(?)名前もつけられています。

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215.上宇内地区の降誕会をお勤めしました


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 昨日、4月17日に上宇内地区の集会所で、この地区の降誕会をお勤めしました。当日は降誕会(「誕生講」と呼んでおられます)と盆会を兼ねて勤行とご法話のお取次を行いました。

 この集会所でお勤めをするのは、一昨年の11月22日に報恩講とお紐解きの法要をお勤めして以来の一年半ぶりでした。
 前回の記事にも書きましたように、この地区には当山の他に正恩寺さん、法栄寺さんの3か寺のご門徒さんがおられます。春と秋には地区合同で降誕会と報恩講のお勤めを勤められており、この3か寺の住職が順番にお勤め、お取次を担当することになっていることによります。

 当日は、11名の方にお参りいただき、行事鐘(当番に当たられたご門徒さんが衝かれます)の後にお正信偈と讃佛偈をお勤めし、ご法話をお取次しました。

 このように降誕会はお寺でお勤めする降誕会の他に地域でも行われ、報恩講はお寺での報恩講と各ご家庭でのお取越以外に地域でもお勤めされているということになります。また、毎日お仏飯と花を供えられるなど、阿弥陀様を絆にしたこの地域の結びつきの強さを感じさせるものです。
 また、報恩講の時もそうでしたが、法要が終わったあとに新しく炊かれたご飯をみんなで分け合っていただくという行事もありました。

 前回の報恩講の記事と、この行事について調べた内容です。ご参考までに。
  「上宇内地区の報恩講をお勤めしました」 
  「聞き書き 上宇内地区の報恩講(1)」  
  「聞き書き 上宇内地区の報恩講(2)」  

(写真は当日の様子です。)
  集会所は、板張り、椅子席にかわっていました。

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214.平和に関する論点整理(9)


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 前回に続く「平和に関する論点整理」で、文書のⅧ.章になります。

Ⅷ.武力の否定と日本の平和
 「仏教の見方から日米安全保障条約も自衛力(軍事力)も容認できないとした場合、国の独立と安全、国民の生命・財産・自由(信教の自由を含む)は確保されうるのでしょうか?」

 ・いたずらに脅威を煽る言説には注意が必要である。
 ・日米安保だけではなく国連の軍事的枠組が抑止力となっている。
 ・軍事力を容認できない場合、国の安全や国民の生命を保証することはできない。
 ・軍事力があっても、国の安全や国民の生命の完全な保証とはならない。
 ・平和は状態でありながら運動とならざるをえない面がある。
 ・仏教には、人命や財産が失われても、武力を用いないという考え方がある。

 この「論点整理」には、互いに対立する考え方をあえて並べて記してあるという説明が最初にありました。
 そのようにすることによって、多面的な見方の中で、私たちが自分で考え方を整理することが期待されているということでしょう。
 特に、「軍事力」の評価については、全く違った見方が可能なのだということを今回の論点整理を読んでいて改めて感じます。

 ○軍事力を否定したら、国と国民の安全は守れない。
 ○軍事力があっても、完全な保障とはなりえない。
 ○また、自国の軍事力だけではなく、同盟国や国連の軍事力に期待するという考え方も現実的な対応としてありうるということも示されています。
 ○さらには、軍事力以外の手段で国と国民の安全を守る手法についても触れられています。
 ○さらには、軍事力(武力)を否定しその結果、国や国民の安全が全うされなくてもよし、とする仏教の徹底した平和主義も取り上げられています。

 このような論点を検討すると、我が国の平和(戦争のない状態)が、軍事力の均衡と軍事力以外の要因で辛くも維持されているという現実はどうしても無視することはできないように思います。
 この現実を前にして、前回の論点でいうと、軍事力の必要性を「暫定的には」認めて、その縮小を追求していくという対応が最も現実的なものではないかと思われます。
 日本の経済力、外交努力、文化の力、さらには日本人に対する好意といったものも含めた非軍事的な力も大きな役割を果たしていますので、それらをさらに強化して、軍事力に置き換わることができる力に変えていくという努力が求められているように思います。

 複雑極まりない現実の国際政治の中では、簡単には正解は見つからないと思われます。
 逆に、簡単明瞭に提示された「正解」に対しては十分に注意を払いながら見ていく必要があると思います。また「論点」にもありますように、「いたずらに脅威を煽る言説」(これが簡単な正解を導く入り口になることが多いのですが)にも十分に注意をしていかなければならないと思います。

 このためには、やはり日本が前の戦争に突き進んで行った過程、それを止める力がなぜ発揮できなかったのか、といった過去についてもう一度見直す必要もあると改めて思います。

(写真は、荒滝山で撮影したリンドウです。)

 毎年、この時期に見ることができる小さなリンドウで山歩きの楽しみの一つです。ハルリンドウという種だと思われますが、確信はありません。

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213.平和に関する論点整理(8)


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   20160411カイドウ2

 しばらく間が空きましたが、「平和に関する論点整理」の8回目です。Ⅶ.章になります。
 
Ⅶ.日本の安全保障と集団的自衛権
 「日本の安全保障政策は、平和憲法・自衛隊・日米安全保障条約がパッケージの中に含まれていますが、仏教の考え方から、こうした安全保障の政策選択は容認できるのでしょうか?」
  ・容認するか否かだけでなく、暫定的に認めるという立場や国家という枠組で考えない等の立場がありうる。
  ・完全な武力否定の場合、非現実的と批判される可能性がある。

 既に見てきましたように、仏典には暴力や殺人を否定することが説かれ、仏教が徹底して戦争や暴力を否定する平和主義の立場であることは言うまでもないことです。しかし、世界の平和と戦争にかかわる状況を見ると、このような仏教の基本的な態度を前提としても様々な考え方あり得ます。「論点」では次のように考え方を整理してあります。

(1)日米安全保障条約を容認する立場
 ・個別的自衛権の行使は認めるが、集団的自衛権の行使は認めない
 ・個別的自衛権だけでなく、集団的自衛権の行使も認める
(2)暫定的に武力を容認する立場
(3)国家の安全という見方をしない立場
(4)完全に武力を否定する立場

 これをまとめ直してみると、武力の保持、利用に関して次の立場が想定されるように思われ、それぞれに問題、課題があることが分かります。
 武力を完全に否定する立場
  ⇒実際に実現可能なのか、現実の世界で紛争があり人道的な介入が必要な事態にどのように対処するのかなどの問題が提起される立場ということになります
 武力を暫定的に容認する立場
  ⇒具体的にどのようなステップでいつまでに武器なき世界を実現するのかという計画がなければ、武力容認と変わらないことになってしまいます
 武力の必要性を容認する立場
  ⇒争いが止まない現状では、武力は「戦争を起こさないためのもの」とする立場だが、仏教の基本とは相容れないもの。個別的自衛権にとどめるのか、集団的自衛権にまで踏み込むのかという判断が迫られており、日本は集団的自衛権容認に舵を切ったといえます

 ここで、上記の(3)国家の安全という見方をしない立場、の意味を考えてみると、これは「論点整理」に示されているように、「自己中心的な見方が入りやすい自国の安全という視点ではなく、「国家」単位ではない世界の平和を目指そうとする立場」で、「一切衆生」という見方をする仏教のよって立つ姿勢ではないかと思われます。
 ただ、この立場も「相手が「国家」単位の考えを取る場合、自分たちが「国家」単位の考え方を捨てることができるのかといった批判もありうる」と「論点整理」に述べられている通りです。

 このようにして見ると、私たちが求め目指していく形は、一国の安全という見方をせずにおられる環境で、完全に武力を否定できる世界、ということになりますが、それに向けてどのように取り組むのか、現実の事態にどのように対処するのか、リスクが生じないようにする方策は何なのか、リスクが現実のものになりそうになった場合にどのように対処するのか、といった課題を余裕をもって検討しておくことが必要だと思われます。
 特に、問題が目の前に生じるとそれへの対処が焦眉の課題となって、「後戻りできない」地点にまで踏み込んでしまう、ということが十分に予想されるからです。その意味では、過去の戦争に進んでいった経緯について確認することも大切な課題だと思われます。

(写真は、ハナカイドウの花です)

 昨日4月10日に宇部北組の萬福寺さんの境内で撮影しました。当日は、ご住職の継職法要がお勤めされた日でした。
 ハナカイドウ(花海棠)はバラ科リンゴ属に分類される中国原産の植物です。

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212.宇部北組仏教婦人会連盟総会を開催


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 4月7日、教善寺さんを会所に、第5回宇部北組仏教婦人会連盟大会を開催し、お手伝いの会員さんを含めて15か寺から100名を超える方にご参加いただきました。

 開会式の後に、定例の総会を開催し、次の事項について承認をいただきました。
 ・平成27年度活動報告、会計報告、会計監査報告
 ・平成28年度活動計画、会計予算
 壽福寺の杉山会長には、開会式での代表焼香および連盟会長挨拶、総会での平成27年度活動報告および平成28年度活動計画を担当していただきました。

 引き続き、周防大島町の荘厳寺のご住職、白鳥文明師からご法話をいただきました。

 ご講師からは、現代社会における宗教や寺の役割、存在意義について多面的にお話いただきました。
 最初に寺院の数とコンビニの数のどちらが多いと思うか、という問いが投げかけられ(寺院の数の方が多いのだそうです)、ついでどちらが役に立っているのかという問いかけは強く印象に残りました。
 私たちが「豊かな」生活を手に入れたように見えても幸福感は増加していないという事実、その背景には私たちが手に入れたもの(分子)よりも分母である煩悩の方が増大していることにがあるのだというご指摘もありました。
 そのような豊かさに関する誤解、膨張し続ける煩悩について自ら気づくことの難しさ、そのことに対して宗教や寺の役割があるのだと改めて思い返すことができました。

 人間が過去200年の間に作り出した3つの大事なもののお話も印象に残りました。
 「ベスト3は何だと思いますか」、という質問に対して答えをすぐには思いつくことができませんでしたが、その3つは、大事な順に「文字」、「数」それと「言葉」ということでした。確かにこれらがなければ人間ではないのですが、それらが当たり前のものになってしまっていて私たちがそのことに気づかずにいるのだというご講師のご指摘がありました。
 阿弥陀如来の光も、私たちにとっていつもそこにあって私たちを照らしていただいているのだけれど気づかずにいる、そのようなものになっているのではないかというご指摘でした。
 このように当たり前にある(と感じられている、あるいは、と気づかずにいる)もの、について改めてその意味を問い直すということも、宗教や寺の大事な役割だと確認する必要があると思いました。

 昼食の後には、ご講師のご長女の白鳥智明師(荘厳寺の副住職をされています)にご出演いただいて、ライブ演奏を楽しみました。参加者一同は、智明師のご自身を紹介する歌などのオリジナル曲も含めて明るく爽やかな歌声とユーモアを交えたトークに聴き入りました。

 智明師のお話の中で、曾おばあさんを始め、祖父母、ご両親、ご主人やお子さんなどのご家族、友人、ご門徒さんなど実に多くの方々とのかかわりの中で、励まされ育てられたという言葉が印象に残りました。
 そして、それらの関わりを通じて、またジャムを製造販売する活動やライブの活動を通じて、今度は智明師が地元の人びとを始め多くの周りの人びとの励ましになり、活力の源となっておられるのだということを感じました。

 当日ジャムの販売に同行していた長崎出身の男性と話をする機会がありまました。彼は東京で生活していたのだそうですが、瀬戸内ジャムズガーデンの活動に魅力を感じて周防大島にいわばJターンしてきたのだそうです。生産販売の活動を通じて、地元の農家に支えられ、支えているということを実感していると言っておられましたが、智明師の活動が地元に雇用を生み出し、元気を生み出しておられることは素晴らしいことだと思いました。

 このような活動が寺を拠点にして始動したということは、午前中のご法話の「寺の役割」のテーマともかかわることであります。また、私たちが現に直面している「過疎」の問題に寺が力を発揮する一つの姿だとも感じました。

(写真は、ご法話とライブの様子です)

 今回のようにお二人で出かけられることはほとんどないのだそうで、坊守さんからは「今回が最後ですよ」と言われたのだそうです。貴重なお時間をいただきました。

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211.仏教婦人会連盟大会の準備

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 4月7日に教善寺さんを会場に開催される、宇部北組の仏教婦人会連盟の大会の準備を進めています。今回の大会は、壽福寺が事務局として実施する最初の大会となりますので、前任者に確認したりしながら進めています。

 現在確認しているところでは、組内の15か寺(うち仏教婦人会を結成している寺院は12か寺です)からご住職も含めて86名の参加者を予定しています。それに会場の教善寺さんには会員のお手伝いもお願いしていますから、当日は90名を超える参加者となる見込みです。

 大会は先に開催しました理事会で確認した内容で進めますが、実施事項や準備事項の細部を確認してきました。

 当日おいでいただくライブ演奏の白鳥智明師(周防大島町 荘厳寺副住職)は、周防大島で「瀬戸内ジャムズガーデン」というジャムやマーマレードを製造販売されています。地元の材料を使って地域を活性化しようという活動で、製品は西日本を中心に関東などでも広く販売されています。
 7日の大会当日には、参加者の方にも楽しんでいただこうと、会場で製品の販売会も行うこと予定しています。ご期待ください。

 大会前日の6日には、関係者が教善寺に集まり、音響なども含めた最後の確認を行う予定にしています。

(写真は、当日配布予定の資料の一部です)
 表紙には今回新たに制定された「伝灯奉告法要」のスローガン「うけつぐ伝灯 伝えるよろこび」とロゴマークを使用しました。また、右は資料の7ページになりますが、「合掌」のイラストに壽福寺のご門徒さんのお孫さんの岩崎祥子さんに描いていただいたイラストを使いました。

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210.新聞版「壽福寺だより」を発行しました

  
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 新聞版「壽福寺だより」の2016年4月号を発行しました。追ってご家庭にお届けします。

 今月号の内容は次の通りです。

[1面]
 「春の永代経法要をお勤めしました」
 「山門と石垣の補修を行いました」
 「降誕会のご案内です」

[2面]
 「仏教婦人会幹部会を開催しました」
  27年度の決算内容も掲載しました
 「宇部北組の役員等」
 「伝灯奉告法要関連のおしらせです」
  ○スローガンとロゴが決まりました
  ○宇部北組団体参拝計画(平成29年)
  ○宗門総合振興計画のご懇志

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