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201.お正信偈を読む(40):依釈段(17)/曇鸞讃(4)

20160229ツバキ1   20160229ツバキ2

 引き続き曇鸞大師のご功績を讃えられた「曇鸞讃」です。

「御文」 往還回向由他力 正定之因唯信心(おうげんねこうゆたりき しょうじょうしいんゆいしんじん)

「訓読」 往還の回向は他力による。正定(しょうじょう)の因ただ信心なり。

「訳文」 往相も還相も他力の回向であると示された。「浄土へ往生するための因は、ただ信心一つである。・・」

 大師は、『浄土論註』の中で、回向には往相回向と還相回向の二種の回向があると示されました。「往相」は浄土に往生するすがた、「還相」は浄土よりこの世に還ってきて人々を救う活動をすることです。
 大乗仏教は自己が救われることのみで満足するのではなく、他の衆生とともに救われることを目指す教えだと学びました。ということは、往相回向も還相回向もともに往生を願う人がそのために功徳を回向する(差し向ける)ことだということになります。
 しかし、親鸞聖人は、曇鸞大師はこの二種の回向は、阿弥陀如来の本願力によると示されたと讃嘆されています。それが大師の『浄土論註』の底辺に流れている真意なのだとお示しいただきました。
 そしてその本願力は、私がわが力をはげみ、わがさまざまの善根をたのむという自力の力ではなく、阿弥陀如来の願による他力の力でした。
 「他力」という言葉は様々な経論に使われているということなのですが、浄土教で阿弥陀如来の本願のはたらきを表すものとして用いられたのは曇鸞大師が初めてであったとお聞きしています。

 また、大師は『浄土論註』の中で、ただ仏を信じることによって浄土の往生を願えば、如来の願力によってかの浄らかな国土に生まれることができると示され、往生成仏が定まる因はただ信心一つとされました。
 親鸞聖人はこれを今日の第二句の「正定之因唯信心」として記され、讃嘆されました。

(写真は、今回もツバキです。)

 ツバキは花を観賞するもの以外に「葉」を鑑賞(?)するものもあるようです。左は、キンギョバ(金魚葉)、右はボンテンバ(梵天葉)と呼ばれるものです。
 左は京都伏見の「寺田屋」(坂本龍馬ゆかりの地です)で、右は「椿寿庵」で。
 この梵天の言葉は気になりますが、なぜこの名前になったのかよく分かりません。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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200.お正信偈を読む(39):依釈段(16)/曇鸞讃(3)

20160226バレンタインデー   20160226羽衣 (1)

 少し間が空きましたが、「曇鸞讃」の3回目になります。

「御文」 天親菩薩論註解 報土因果顕誓願(てんじんぼさつろんちゅうげ ほうどいんがけんせいがん)

「訓読」 天親菩薩の論を註解(ちゅうげ)して、報土(ほうど)の因果(いんが)誓願に顕(あらわ)す。

「訳文」 天親菩薩の『浄土論』を註釈して、浄土に往生する因も果も阿弥陀仏の誓願によることを明らかにし、

 前回までの「曇鸞讃」で、曇鸞大師は菩提流支(ぼだいるし)三蔵から授けられた『観無量寿経』を読まれ、それまで持っていた仙経を焼き捨てられて浄土の教えに帰依されたことを学びました。
 大師はその後、浄土三部経や龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』、天親菩薩の『浄土論』を研究されて、中国の浄土教の開祖と呼ばれるようになられました。
 
 親鸞聖人は、大師が天親菩薩の著『浄土論』を注釈された『浄土論註』二巻において、「如来の本願の力によってあらわれた仏土に参るには、その因である信心もその果であるさとりも、ともに如来の誓願によることを顕かにされた」と讃仰されています。

 親鸞聖人は『高僧和讃』では最多の34首をもって大師を讃嘆されていますが、その中に次のようにうたわれて曇鸞大師のご功績を讃えられた和讃があります。
 「天親菩薩のみことをも 鸞師ときのべたまはずは 他力広大威徳の 心行いかでかさとらまし」
 (曇鸞大師が『浄土論註』で解説されなかったら、『浄土論』にある一心の信心も五念門の行も、他力の心行であることをどうして知ることができたであろうか)

 この『浄土論註』で大師は、
 ・本願他力の回向によって
 ・五逆十悪の凡夫が
 ・広大無碍の一心をいだき
 涅槃のさとりに至ることを説かれたと教えていただきました。

 龍樹菩薩は、さとりに至る道として「難行」「易行」の二道があり、私たち凡夫が進むべき道は仏の願力に依る「易行」の道であることをお示しいただ、天親菩薩は、信心一心をもって往生をとげることができるということをお示しいただきました。
 このインドの両菩薩の教えを承けて、曇鸞大師は私たち凡夫が救われる姿をお示しいただき、親鸞聖人へと伝わる大きな流れを作られた方です。

(写真は、前々回に続いてツバキです。)
 左は「バレンタインデー」という品種、右は「羽衣」という品種名が掲げてありました。いずれも、以前に登場した大和高田市の「椿寿庵」で撮りました。
 ツバキも花の色、形、それに葉の形にも色々なものがあって特に花の少ない冬の時期、魅力的な植物です。

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199.新聞版「壽福寺だより」を発行しました

  20160222新聞1  20160222新聞2
 新聞版「壽福寺だより」の2月号を発行しました。

 記事の内容は次の通りです。

1面
 「総代会を開催しました」
 「山口教区(別院)の行事計画」
 「春法座のご案内です」

2面
 「宗門総合振興計画について」
   計画の概要と、要請のありました懇志についてご門徒さんにお願いする旨をご連絡しております。
 「宇部北組の団体参拝計画」
   平成29年4月17日に予定されています、宇部北組の伝灯奉告法要への参拝計画についての情報です。
 「ご紹介します(3)山本千代子さん」

 今回は、上記の「宗門総合振興計画」を承けて、懇志をお願いする文書および本山で作成されたパンフレットも併せてお届けしました。

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198.法中会のご報告です


20160219八重侘助
   20160219肥後椿

 3月15日に、西念寺さんを会場に今年度第3回目の宇部北組法中会が開催されました。

 次のような議題について討議を行いました。

1.組会の開催
 今年度は、次により開催することとなりました。
  3月9日   臨時組会
  4月~5月  初組会
 通常の年ですと初組会がその年度の唯一の組会となるのですが、今年度は組長の改選時期に当たりますので、27年度内に臨時の組会を開催して28年度の役員を決め28年度の初組会は新役員で実施することになったものです。
 この臨時組会で組長と教区会議員(決定後本山に報告されます)が選任されます。

2.宇部北組のキッズサンガ
 一昨年までは春休みに開催していましたが、仏教婦人会連盟の総会が4月7日に予定されているなどスケジュールが混んでいることを考慮し、今年度は夏休み中に開催することになりました。
 (昨年は、教区のキッヅサンガを宇部北組が引き受けで8月27日に計画をしていましたが、台風により中止となりました)

4.宇部北組の伝灯奉告法要への団体参拝
 来年の4月17日(月)14:00からの法要に参拝することを前提にその前後の計画案について説明があり、内容について意見交換を行いました。
 内容が決まりましたら、ご案内し参加募集を行います。

(写真は、前回に続いてツバキです。両方とも前回と同じ京都市左京区の「霊鑑寺」のものです。)

 左は八重の侘助、右は肥後椿と呼ばれているものです。
 侘助というと(名前からして)おとなしい花というイメージがあるのですが、これは華やかです。
 江戸時代から明治にかけて旧肥後藩地域では花の改良、育成に力が入れられ、それが「肥後六花」と総称されるようになりました。この肥後椿に始まって、肥後芍薬、肥後花菖蒲、肥後朝顔、肥後菊、肥後山茶花がそうです。
 ただ、「肥後六花」という呼称は割合に新しいもの(昭和30年代以降)なのだそうです。

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197.平和に関する論点整理(7)


20160215玉の浦      20160215胡蝶侘助 (2)

 「論点整理」は、前回に続くⅥ.章です。

Ⅵ.不殺生か利他か
「他国から侵略等によって、武力を用いなくてはならない状況が生まれた場合には、仏教はどのように判断するのでしょうか?」
 ・多くの人命が失われようとする極限の状況で、不殺生と利他のジレンマが起こる例が経典中に見られる。
 ・経典の解釈には多様性があるため、それだけをもって仏教の立場を明確にできないが、殺人を正当化する正義の戦争、聖戦といった考え方は導き出せない。
 ・「侵略されたら、どうするのか?」という問いかけへの対応は必要である。


 この章では、多くの人の命を救うために殺生を行うことを仏教の立場からみてどのように判断すればよいのか、という非常に重い問いかけが取り上げられています。
 自国が侵略される恐れがあるとき、あるいは「同盟」している他国が侵略されそれが自国の存立にかかわるとき、に武力を行使することは許されるのか、という問いかけにもつながるものです。

 論点整理の本文に二つのお経が取り上げられていました。
 一つは『大宝積経(だいほうしゃくきょう)』もう一つは『涅槃経』で、いずれも菩薩が殺人を犯す例が取り上げられています。
 前者では、「船の上で多くの人びとが盗賊によって殺されようとしている状況において、菩薩は地獄へ落ちることを覚悟しつつ盗賊を殺害するというものです。」ここでは、「不殺生と多くの人びとの命を救うという利他とがぶつかりあっています。」

 このお経には、この菩薩は、殺人という罪を盗賊に犯させないように自らが殺人の罪を引き受けた、と記されていると「論点整理」の本文にありました。この菩薩の殺人の解釈については、以前にもお聞きしたことがあって、その解釈に仏教の殺生を忌避する強さを強く感じたという経験がありました。
 いずれにしても、「論点整理」で述べられているように、仏教においては利他の殺生であっても罪であることは免れない、どのような理由があっても殺人が正当化されることはない、正義のための戦争、聖戦という考え方は導き出せないということは明確になっていると思われます。

 現実の政治状況の中で考える場合、この不殺生と利他とのジレンマをどのように考えるべきなのでしょうか?(現実の国際政治の中では「利他」といいながらその中に「自利」が潜んでいるということも多いのですが)
 「論点整理」の中で述べられているように、「極限的な状況」にあるかどうかという判断が重要な視点であることは間違いないことのように思われます。

 ただ、前回のⅤ.章「国際社会における平和構築の手段」で取り上げられていた、軍事力によらない平和構築の試み、によって「極限的な状況」を作り出さない行動も極めて重要だと思われます。

 一昨年6月の法統継承に際して専如ご門主が出されたご消息に次のようなお言葉がありました。
 「宗門の過去をふりかえりますと、あるいは時代の常識に疑問を抱かなかったことによる対応、あるいは宗門を存続させるための苦渋の選択としての対応など、ご法義に順っていないと思える対応もなされてきました。このような過去に学び、時代の常識を無批判に受け入れることがないよう、また苦渋の選択が必要となる社会が再び当来しないよう、注意深く見極めていく必要があります。」
 極限的な状況(苦渋の選択を迫られる状況)に至らないように、どのような方策で対応するのかあらかじめ多くの方策を考えておくことの必要性を強く感じます。
 また、昨年山口別院で開催された「平和のつどい」のご講師高橋哲哉氏が言っておられた「point of no return」(引き返すことができなくなるポイント)という言葉も改めて思い起しました。前の大戦のように、「気づかないうちに、あるいは勢いでこのpoint of no returnを踏み越えていた」ということがないように注視をしておくことが重要だと思います。

(写真は、ツバキです。)
 左のツバキは「玉の浦」、右は「胡蝶侘助」と表示されていた品種です。
 玉の浦は大和高田市の「椿寿庵」という椿園、胡蝶侘助の方は京都市の「霊鑑寺」というお寺で撮影しました。どちらもツバキで知られているところです。

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196.平和に関する論点整理(6)

20160212ロウバイ1   20160212ロウバイ2

 再び「平和に関する論点整理」に戻ってきました。Ⅴ.章になります。

Ⅴ.国際社会における平和構築の手段
「国際社会における「平和」は、いかなる活動によって構築・維持されているのでしょうか? やはり軍事力の均衡が重要なのでしょうか?」
 ・平和は多様な方法によって維持されている。
 ・平和構築・維持において、軍事力の均衡と、軍事力による抑止が重要とされる。
 ・「核の傘」は、抑止力になるのかという議論がある。
 ・平和づくりにおいては、多様な方法の中で具体的な活動が求められる。


 この「論点整理」では多様な観点から論議が提起されていますので、互いに矛盾する論議が提起されていることもあります。二番目の論議、軍事力の均衡に関する評価についても、意見が分かれるところだと思われますが、一つの論議として提示されていると考えられます。

 平和が維持される多様な方法として、この「論点整理」では17の項目が挙げられています。その一番目に「軍事力の利用と管理」が挙げられていますが、それ以外の16項目には「経済的な相互依存」、「構造的暴力(飢餓、格差、差別など)の克服」、「民主化」、「人的交流」といった「非軍事的」な方法が挙げられています。戦争の悲惨さとりわけ核兵器の取り返しのつかない破壊的な力を目の前にして軍備に頼らない多様な方策が模索されてきた結果が挙げられています。

 その「非軍事的」な方法の中には、「宗教的寛容の推進」や「戦争の歴史についての教育(宗門における戦争協力の歴史への反省もこれに含まれる)」といった私たちにも深くかかわることも取り上げられています。
 前者の「宗教的寛容」の内容は明確なものではありませんが、現在でも宗教を理由にした戦争が行われていること、政治的な対立が宗教対立の形をとっている、あるいは逆に宗教的な相克が国家間の戦争の原因になっている、ことを克服するということを課題にしたものではないかと思います。

 先日、このブログに次のようなコメントをいただきました。

 「仏教的価値観については異議はありませんし、素晴らしいものだと思います。
しかし、それに基づいて社会を構築しようとする所に、摩擦が生じるのではないでしょうか。
人間の価値観は様々です。
多種多様の世界観が、共生できる道を探る社会を構築することこそが、今求められていて、人類が生き延びる道なのではないかと思います。」

 この方が危惧されていることも「宗教的寛容」の問題と通じるところがあるように思います。
 一つの宗教や思想が社会を規制(構築)することになった場合に、これがその社会の中の他の人びとを、あるいは他国の人びとを圧迫する要因になることはないのかという問題です。戦前の国家神道の姿が思い浮かべられます。その時に「他の人びと」であった私たちの宗門のあり方が、「戦争の歴史についての教育」という形で戦争を回避する方策として取り上げられた所以のように思えます。

 ISの姿は、宗教に基づいて(宗教を前面に押し出して)社会を構築しようとするもっとも鋭利な形で現れた現象のように見えます。ISの姿を見ていますと、宗教が社会を統治し規制する手段(とされることが)であってはならないのではないかとの思いを強くします。
 政治は政治固有の論理で動くものでなければならないでしょうし、国際政治もそうです。経済も科学もそれぞれの積み上げられた固有の論理で展開されることが必要でありもっとも効率的だと思われます。
 ただ、それらの論理が暴走することがあるかもしれません。その最大のものが戦争でしょうか、暴力的な圧制、経済格差の拡大、非人間的な兵器、深刻な環境破壊などが生み出されることもあります。

 このような場合には、それぞれの固有の論理ではそれをとどめることはできないかもしれません。
 このような時に、宗教が大切な役割を果たし得るのではないかと考えています。
 「寛容でありながら、暴走をとどめる力」というものが私たちに期待されているところではないでしょうか。

(写真は、前回の「論点整理」に続いてロウバイです。左は奈良県の「石光寺」、右は神戸市の「須磨離宮公園」で撮影しました。)
 こちらは前回のロウバイに対してソシンロウバイという名前を持っています。漢字で書くと「素心蝋梅」。
 前回のロウバイは黄色の周辺部分に対して中央部分が紫褐色をしていましたが、こちらは中央部分も黄色です。そんなところから「素心」とつけられたのだそうです。こちらの方が前回のロウバイの変種だということです。

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195.お正信偈を読む(38):依釈段(15)/曇鸞讃(2)


20160208雪景色

 前回に続き曇鸞讃の2回目になります。

「御文」 三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦 (さんぞうるしじゅじょうきょう ぼんじょうせんぎょうきらくほう)

「訓読」 三蔵流支(さんぞうるし)、浄教(じょうきょう)を授けしかば、仙経(せんぎょう)を焚焼(ぼんじょう)して楽邦(らくほう)に帰(き)したまひき。

「訳文」 菩提流支三蔵から浄土の経典を授けられたので、仙経を焼き捨てて浄土の教えに帰依された。

 曇鸞大師は不老長寿を得るために北中国からはるばる南中国まで道教の第一人者の陶弘景を訪ねられ、道教の仙経を与えられて北中国五台山まで戻られました。

 その五台山への帰途のことです。
 大師が当時の都の洛陽に入られたときに、インドから渡って来られていた仏教の学者の菩提流支(ぼだいるし)三蔵がお経の翻訳をされていました。
 大師はこの三蔵に会われ「仏法の中に長生不死を説くこと、この仙経に勝れたるものがあるか」と問われました。
 これに対して、三蔵はカッと大地に唾を吐いて次のように言われたと伝えられています。「この国の仙経に説く長生不死の法は、真の長生不死の法ではない。必ず遠からず死んで流転の苦悩を承けねばならぬ。もし真の永世の道が知りたくばこれを見られよ」と言われ、大師に『観無量寿経』を授けられました。
 大師はこの経を拝読して、たちまちにこれまで大事に持っていた「仙経」を焼き捨てて、浄土の教えに帰依されたと伝えられています。

 三蔵は、例え長生の仙術によって命を長らえたとしても、生死のはざまを迷い続けるだけであって、根本苦としての生死を超えることはできない、ということを示され、大師はただちにそのことを悟られ、翻然として浄土のみ教えに帰依されました。

 日本はかつて経験したことがない長寿社会になっていますが、単なる長寿社会の進展は上記の仙術によって命を長らえることに当たるのかもしれません。生老病死の苦を解決できないまま物理的な命だけが長くなっていく、そんな姿も見えるような気がします。

 全く私事になりますが、いつ頃だったのでしょうか、私はこの「三蔵流支授浄教」のところ、内容はわからないもののルーシーさんという人の話なのだと思い込んでいた時がありました。子供のころに「ルーシーショー」という番組がありましたが、その影響だったのかもしれません。今でも、お経がこの部分に来るとそのことを思い出します。

(写真は、昨日の朝の雪景色です)
 寺の周辺には雪が積もったのですが、自動車の屋根に雪を載せて車で10分ほどの吉部まで降りるとそこではほとんど積もっていませんでした。きっちり高低によって降りわけています。
 前のデジタルカメラが調子が悪くなり、新しいカメラに変えて最初の写真です。前のは2002年に買ったものですから、それから随分と進化したというか、複雑になっています。ぼちぼち使い方を調べてみましょう。

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194.お正信偈を読む(37):依釈段(14)/曇鸞讃(1)

20160205曇鸞大師  

 少し間があきましたが、「お正信偈を読む」に戻りました。

「御文」 本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 (ほんしどんらんりょうてんし じょうこうらんしょぼさつらい)
     
「訓読」 本師(ほんし)曇鸞(どんらん)は、梁(りょう)の天子、つねに鸞(らん)の処(ところ)に向かいて菩薩と礼(らい)したてまつる。
     
「訳文」 曇鸞大師は、梁の武帝が常に菩薩と仰がれた方である。
     
 今回からの6行12句は、親鸞聖人が七高僧の第3祖、曇鸞大師を讃嘆して記された「曇鸞讃」です。

 曇鸞大師は中国の方です。これまでのお二人龍樹菩薩、天親菩薩はインドの方でしたが、親鸞聖人はお釈迦さまのみ教えをお伝えいただいた中国の方として三人の高僧を選ばれました。その最初が曇鸞大師なのです。

 曇鸞大師は、476年に生まれられ542年に亡くなったと伝えられています。当時の中国はいわゆる南北朝時代で、大師は北中国の北魏の鴈門(がんもん)というところでお生まれになりました。
 この鴈門に近いところに五台山という霊山があって古くから神仙道の霊山として開かれていて、当時は多数の寺院を擁する仏教の聖地のひとつとされていたということです。

 曇鸞大師はこの五台山で出家されました。
 出家された曇鸞大師は、広く仏教内外の典籍を学ばれ、高名な学者になられました。その後、大師は『大集経(だいじつきょう)』という大部のお経を注釈することを志されたのですが、途中で病気になられました。なんとかこの注釈を完成させたいと、自らの寿命を伸ばすことを考えられた大師は、遠く南中国にいた道教の第一人者陶弘景を訪ねて不老長寿の術を教わり、道教の仙経10巻を授かりました。

 陶弘景に会われる前に、大師は南中国の六つの王朝の一つ梁を訪ね初代皇帝武帝に拝謁されます。この武帝は仏教を重んじる皇帝で、大師が北に戻られてからも大師を菩薩と仰いで礼拝しておられました。

 『高僧和讃』の中の「曇鸞讃」で、親鸞聖人は大師と「世俗の君子」(皇帝)との教えに関する問答について記されています。この皇帝は梁の武帝だったのでしょうか、武帝は大師の教えを大変に尊崇されたのです。
 また大師が北中国に帰られても、その地の皇帝からも手厚く迎えられたことが和讃に記されています。

(写真は、寺の曇鸞大師のご絵像です)

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193.総代会を開催しました

 20160201パンフ120160201パンフ2 (2)

 昨日1月31日に定例の総代会を開催しました。
 
 10時より本堂で讃仏偈をお勤めした後に、庫裏で総代会を開催しました。総代さんは19名、うち新たに総代さんになられた方は7名で、3名の方は昨年新たに総代さんを置いた地区から、4名の方は前任者からの交代で就任いただきました。

 当日の次第と審議内容は次の通りです。

 1.代表総代挨拶(井上代表総代)
 2.自己紹介(各総代さん)
 3.平成27年の報告(住職)
 4.平成27年門徒講金会計報告(住職)
 5.平成27年門徒講金会計監査報告(今橋会計監査担当総代)
 6.今年度の行事計画、その他(住職)
 7.「宗門総合振興計画」の概要と対応(住職)

 その主な内容は次の通りです。

5.今年度の行事計画、その他
  壽福寺および山口別院、宇部北組の年間行事計画について説明し、その他の事項について次が確認されました。
  (1)山門の補修
   前回ご報告した杉材を使って3月初めに補修に着手することなりました。総代さんに助力いただいて可能な限り経費を削減することとします。
  (2)境内のトイレの改善
   費用を削減するために簡易水洗方式によることで検討を行います。

7.「宗門総合振興計画」への対応
  このたび「宗門総合振興計画」について、本山より趣旨の説明と併せて懇志の要請が来ましたので、概略次により対応することとなりました。
  (1)懇志のお願い
   ご門徒さんに各戸一律の進納をお願いすることとなりました。お願いに当たっては次のような対応をします。
   依頼文書及び本山作成のパンフレット「門信徒の皆様へ」の配布:各戸に配布します。依頼文書については総代会席上でご説明した案を一部修正したものを配布します。
   訪問しての趣旨のご説明:新しく総代さんを設けた地区を中心に必要に応じて住職も訪問して趣旨をご説明します。
   新聞「壽福寺だより」:新聞にも情報を掲載して趣旨の徹底を図ります。
  (2)集金方法
   通常の門徒講金と同様の方法(郵便振替または総代さん経由の現金)で集金します。
  (3)懇志の締め切り
   11月末をめどに集約できるようにします。
  
(図は、「宗門総合振興計画」を説明する資料の一部です。)

 「社会」「同朋」「基盤」の3つの基本方針の3期(平成27年~36年)にわたる展開が示されています。

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