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192.最近の話題(13):杉材を製材していただきました


20160129杉材1
  20160129杉材2

 去る1月16日、昨年庫裏の横の山から切り出した杉2本を製材していただいた杉材が搬入されました。

 この杉の木は昨年の台風25号で一部が崩落した庫裏横の斜面にあったもので、11月1日に草刈に集まっていただいた総代の皆さんで1本を切り出していただきました。その後、総代の今橋さんご夫妻に、3回にわたってもう1本の杉を切り出しチェーンソーで切りそろえて、バックホーを使って引き上げるという作業を行っていただきました。

 今回搬入いただいた杉材は、その杉の木2本から切り出した材をご自宅に運んで製材していただいていたものです。16日の当日は、ご夫妻とご子息が搬入の作業を行っていただきました。
 杉材は、座板約100枚と、柱用の角材10本余り、その他の材で、本堂の回廊の下に納めていただきました。

 角材は今年予定しています山門の修復に、座板は屋根や床の補修等に利用することになっております。
 皆さんのお力添えで材料をご準備いただき、お礼申し上げます。

(写真は格納された杉材です。)

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191.最近の話題(12):本格的な冷え込み

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 天気予報の通り、土曜日1月23日の夜から稀にみる本格的な冷え込みになり、24日の境内は写真のような雪化粧でした。
 毎朝朝刊を配っていただいている新聞配達の方が残された二輪車の轍と足跡も、その後昼までに降った雪で消されてしまうような雪でした。この冷え込みと雪の中、早朝に新聞を配っていただいて、本当に有り難いことだと新ためて感謝しました。

 24日には、2件のご法事を予定しておりました。

 まず、10時から予定されていた揚げ法事(寺においでいただいてお勤めする法事です)は、延期となりました。この雪では寺まで上がっていただくのは大変だろう、どうされるのかなと思っていたものです。
 それも、遠くから来られる予定の方がおられたので、割合に近くにおられる一族の方が車で寺の近くまで車で来られて、この雪では難しいだろうと判断されて中止のご連絡をいただいたのだそうです。早朝に寺の近くまでお出かけいただいたことになります。

 午後のご法事は、宇部の厚南地区のご門徒さんのお宅でお勤めしました。
 いつもならば車で35分もあれば行けるお宅なのですが、余裕をみて1時間半前に寺を出ました。途中の道路のほとんどが圧雪状態で、のろのろ運転が続きました。途中の登り坂を大型トラックが登れずにいるというところもあったりして、かつて住んでいた福井県の敦賀の大雪を思い出させるような光景でした。
 お勤めが終わって辞去するときに、雪の中お見送りいただいたご家族のお姿が思い起こされます。

 宇部に行く道も、かつては竹に雪が積もり道をふさいで行く手を遮るというようなことがたくさんあったのですが、この竹も昨年に切り込まれていて障害なく進むことができました。
 多くの方々のご苦労によって生活が支えられているということを改めて実感させていただきました。

(写真は、境内と、宇部に向かう途中の山道です。)
 右の道は、これまで雪を載せた竹の枝が重く垂れて前に進めないということが何度もあった所です。 

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190.「平和に関する論点整理」(5)


20160122ロウバイ2 (2)
  20160122ロウバイ1 (2)

 前回に続く「平和に関する論点整理」のⅣ.章です。

 Ⅳ.現実の平和づくり
 「世界の平和づくりにおいて、軍事力はどのような役割を果たしているのでしょうか?」
  ・『国際連合憲章』は戦争を否定しているが、非常事態における武力の行使は認めている。
  ・「自衛権」(個別的及び集団的自衛権)は、この武力行使の一形態として『国際連合憲章』に認められている。
  ・国際連合は、「保護する責任」をうたい、人道的介入を推進している。

 前回のⅢ.章では、平和の二つの姿(積極的平和と消極的平和)について学びましたが、今回はこの平和を維持するために軍事力はどのような役割を果たしているのかという大切な論点です。特に、現在平和維持に重要な役割を果たしている国際連合の中で、平和と軍事力がどのように位置づけられているのかという点です。

 ここで「論点」は、「1)「国連の活動」、2)「個別的自衛権」、3)NATOなどの軍事同盟による「集団的自衛権」の三つを除くすべての戦争行為を違法行為とし、2)と3)は国連のPKO等の措置が発動されるまでの暫定的なものとして認められている」としています。つまり、国連も戦争を否定することを前提としつつ、やむをえない場合には軍事力によって平和を維持するという考え方が示されています。

 この1)、2)、3)の軍事力行使の形態のどこまでを「平和の維持」のために認めるのか、という点が論点の中心になると思います。先の安保法制の論議の中でも、まさにその点が議論されていたのですが、これが論点として十分に共有されていたのかという点では疑問が残るように思います。

 それと、過去の戦争で「自衛のため」以外の理由で始められたものは、おそらくなかったのではないかという点も考えなければならないことだと思います。先制攻撃した国も、応戦した国もともに「自衛」を唱えて戦いに突入したというのが実態だったのではないでしょう。
 その一方で、たとえ「自衛」のためといえども武力の行使はできない、と徹底すること(かつて「非武装中立」という主張もありました)も現実の国際関係の中では非現実的と言えそうです。

 ここでも、目指すべき仏教の理想の姿を現実の環境の中でどのように持ち続けるのかという、私たち自身の姿勢が問われているのだと思います。

(写真はロウバイの花です。ちょうど今頃良い香りの花を咲かせます。)
 写真は、2013年1月23日に京都の本山近くの法輪寺さんで撮影させていただきました。大輪のみごとな花でした。
 法輪寺さんも本願寺派のお寺なのですが、「座敷御堂」という独特の本堂を持っておられます。この前年にお邪魔して以来、時々訪問させていただいています。

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189.「平和に関する論点整理」(4)


20160118淡路島スイセン  

 少し離れていましたが、「平和に関する論点整理」に戻りました。
 今回は、論点整理のⅢ.章を見てみます。

Ⅲ.一般的な「平和」概念について
 「現代社会において、『平和』とは、どのような状態を意味するのでしょうか?」
  ・平和概念は、「消極的平和」と「積極的平和」に分類される。
  ・「消極的平和」は、戦争がない状態のこと。
  ・「積極的平和」は、単に戦争がないだけでなく、戦争の原因となる貧困・飢餓・不平等などが解消されていること。
  ・安全保障概念(国家や地域を脅威から守り安全を築く)において、国益という視点ではなく、国家という単位を超えて、一人ひとりの人間に着目する「人間の安全保障」が提起されている。
  ・安倍晋三首相の提唱する「積極的平和主義」は軍事力均衡による国家間の武力紛争発生の防止を主内容とするが、非軍事的な多様な活動も含む。


 このⅢ.章で取り上げられた「積極的平和」「消極的平和」という概念によって、これまで漠然としていた「平和」概念の整理ができた思いがしました。
 「積極的平和」を実現するためには、「一人ひとりの安全保障」の観点から、戦争を引き起こす可能性のある事態をなくすこと、「論点」では安全、公平、平等、人権の尊重、飢餓の克服、環境問題などの様々な課題に取り組むこと、が必要だとされています。これらの課題に対応できなければ、例え戦争がない状態が実現できても、戦争が起こる恐れがない状態にはなっていない、とされています。
 前回に学びました、「仏教の説く平和」の視点からみれば、私たちはまさにこの「一人ひとりのの安全保障」を実現して「戦争が起こる恐れのない状態」を実現する、という「積極的平和」を目指さなければならない、ということになります。

 しかし、現実の国際政治を見てみると、軍事力の均衡の上に、国と国との力の均衡の上に平和が成り立っているということもまた事実です。このような中で、その均衡状況を無視して「一人ひとりの安全保障」のみを追求することは、「消極的平和」をも失うということになりかねません。
 「論点整理」の中で、「「人間の安全保障」を含む「積極的平和」にも、「より凄惨な戦争状況を軽視しがちになる」といった課題が指摘されています。」とされているのはその意味ではないかと思われます。
 ここでも、私たちは、私たちが最終的に求める状態と現状の間のギャップを的確に把握して、その中で一歩ずつでも理想の方向に進むという難しい道をとらざるを得ないのだ改めて思います。
 
 最後の安倍首相の「積極的平和主義」に関する「論点整理」のコメントついては、この中に「積極的平和」を実現するための方策がどのような形で組み込まれているのかという観点からもう一度みてみようと思ったところです。

(写真は、淡路島のスイセンの群生地です。ちょうど今頃が見頃です。)

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188.お正信偈を読む(36):依釈段(13)/天親讃(7)


20160115六甲山氷漠

 今回は、親鸞聖人が天親菩薩を讃嘆された天親讃の最後の2句になります。

「御文」 遊煩悩林現神通 入生死薗示応化(ゆうぼんのうりんげんじんずう にゅうしょうじおんじおうげ)

「訓読」 煩悩(ぼんのう)の林に遊んで神通(じんずう)を現(げん)じ、生死(しょうじ)の薗(その)に入りて応化(おうげ)を示すといへり。

「訳文」 (天親菩薩は)さらに迷いの世界に還り、神通力をあらわして自在に衆生を救うことができる」と述べられた。
 
 前の2回で、天親菩薩は、信心を得ることができた者は次の2つの利益を得ることができる、とお示しいただいたことを学びました。
 ○この世で菩薩の仲間入りができる
 ○浄土に生まれるとただちに仏になれる

 今回の2句は、先に学びました「五念門」、「五果門」とのかかわりでいえば、第五の「回向門」(自己の功徳のすべてを衆生にふりむけて、ともに浄土に生まれたいと願う)とその結果としての第五の「園林遊戯地門」(本願力の回向によって、浄土に往生しさとりを開いて仏となった後に迷いの世界に還って他の衆生を救うことができる)が述べられています。

 この御文の中の「煩悩の林」も「生死の園」もともに迷いの世界を示しています。
 私たちは、信心をいただいて浄土に往生し仏となった後には、他の衆生を救う働きをさせていただくのだと、お示しいただいています。
 これが他力の信心をいただいた者が受けることができる、3番目の利益ということになります。

 ただ、私は「迷いの世界に還って」という言葉は、「浄土から霊魂のようなものが還ってくる」というような印象を与えかねないなあ、と感じて、そのことをうまく表現できずにいます。
 「往生を遂げ仏となられた方々の願いが、阿弥陀如来の願いと同じようにこの世に残された私たちに届いていただく」といった感覚でお伝えできればいいなあ、と思っています。
 
(写真は、氷結した六甲山の「七曲の滝」です。)
 2010年1月16日に撮影したものです。最近はこの「氷漠」もなかなか目にするのが難しくなっているようです。
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187.お正信偈を読む(35):依釈段(12)/天親讃(6)


20160111関門海峡

 前回に続いて今日は「天親讃」の9,10句について学びたいと思います。

「御文」 得至蓮華蔵世界 即証真如法性身 (とくしれんげぞうせかい そくしょうしんにょほっしょうじん)

「訓読」 蓮華蔵(れんげぞう)世界に至ることを得(う)れば、すなわち真如(しんにょ)法性(ほっしょう)の身(しん)を証せしむと。

「訳文」 「阿弥陀仏の浄土に往生すれば、ただちに真如をさとった身となり、」

 前回に続いて、親鸞聖人は天親菩薩が示された他力回向の信心を得た者がいただくことができる利益についてお示しいただいています。

 今回の2句(とそれに続く2句)は、前回の「現益(げんやく)」に対して「当益(とうやく)」と呼ばれるもので、私たちがこの世に縁が尽きた後(当来)にいただく利益です。

 天親菩薩は、私たちは他力回向の信心をいただくことによって、蓮華蔵世界に至ることができ(宅門)、浄土に往生してただちに種々の法味楽をうけ楽しむことができる(屋門)と示されました。

 ここで、「蓮華蔵世界」というのは、『華厳経』というお経に出てくる言葉で広く諸仏の浄土を示す言葉だということですが、親鸞聖人は阿弥陀如来の浄土とされていると伺いました。
 また、「真如」「法性」は、ともに涅槃を示していると伺いました。

 このように、第一の当益は、「浄土に生まれ、ただちに阿弥陀如来と同じさとりを開いて仏にならせていただくことができる」という利益です。

 私たちがどのように救われて浄土に迎えられるのか、ということについては同じ仏教でも様々な教えがあると伺いました。
 親鸞聖人は、煩悩を抱え煩悩から逃れることができない私たちは、阿弥陀如来のご本願に遭うことができれば、煩悩はそのままにして現世において往生は間違いないと定まり、往生の後は直ちに仏にならせていただける、とお示しいただきました。
 煩悩を消すために修行を行う、死後も修行を行うなどのことは不要で、ただ他力の信心をいただくことだけでよいのだとお示しいただいたのです。

(写真は、九州の風師山から見た関門海峡です)
 前回、前々回と同じときに撮った「年賀状」用の写真ですが、今回はこのいずれも使われずに終わってしまいました。前の2枚は源平合戦と幕末の「長州砲」と殺伐として年賀状向きでない素材でしたし、この関門海峡はいささかありふれた感じでしたから。
 でも、長州の観光PRにはいいかもしれませんね。

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186.お正信偈を読む(34):依釈段(11)/天親讃(5)


20160108壇ノ浦

 「お正信偈を読む」の最後の記事が昨年の12月7日でしたから、ちょうど一か月が経ちました。
 引き続き親鸞聖人が天親菩薩を讃えられた部分を学びたいと思います。7、8句になります。

「御文」 帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数(きにゅうくどくだいほうかい ひつぎゃくにゅうだいえしゅうしゅう)

「訓読」 功徳(くどく)大宝海(だいほうかい)に帰入(きにゅう)すれば、かならず大会衆(だいえしゅう)の数に入ることを獲(う)。

「訳文」 「本願の名号に帰し、大いなる功徳の海に入れば、浄土に往生する身と定まる。・・・」(と述べられた)

 天親菩薩は『浄土論』の中で、浄土に往生するための行として次の「五念門」を示されました。
  礼拝門=身に阿弥陀仏を礼拝すること
  讃嘆門=口に阿弥陀仏の徳を讃えること
  作願(さがん)門=一心に阿弥陀仏の浄土に往生したいと願うこと
  観察(かんざつ)門=阿弥陀仏や菩薩の姿、浄土の荘厳相を思い浮かべること
  回向門=自己の功徳をすべての衆生にふりむけて、ともに浄土に往生したいと願うこと

 そして、この「五念門」を修する結果として得られる徳として次の五つの功徳「五果門」を示されました。
  近(ごん)門=阿弥陀仏を礼拝することにより、安楽世界に生まれることができる
  大会衆(だいえしゅ)門=阿弥陀仏を讃嘆することにより、浄土で大会衆(阿弥陀仏の説法の会座に連なる大衆)の数に入ることができる
  宅(たく)門=一心専念に浄土に生まれようと願い、寂静三昧の行を修めることにより、蓮華蔵世界に入ることができる
  屋(おく)門=観察の行を修めることにより、浄土に往生して種々の法味楽を楽しむことができる
  園林遊戯地(おんりんゆげじ)門=本願力の回向によって、浄土に往生しさとりを開いて仏となった後に迷いの世界に還って他の衆生を救うことができる

 親鸞聖人は、今回の2句で、天親菩薩が「大きな宝の海のような阿弥陀如来の名号「南無阿弥陀仏」を聞信した信心の人は、この世にありながら浄土の菩薩と同じ仲間に加えていただける」とされたことを讃嘆されています。

 また、この2句は現益(げんやく)、つまり私たちがこの世においていただく利益、を示されたものとされています。
 私たちは、この世に縁が尽きた後に往生が定まるのではなく、この世で信心を得させていただいたその時に、往生は間違いないと定まるのだとお示しいただいているのです。

(写真は、壇ノ浦を望む公園に置いてある「長州砲」のレプリカです。)
 幕末、長州藩はこの近くの砲台から外国船を砲撃しましたが、その後反撃を受けて砲台は破壊され、占領されるという事態になりました。藩はその後、討幕、開国に向けて舵をきることになります。
 前回の源平の合戦とともに歴史の転換点の舞台となった地なのですが、「平和」と「武力」とをどう考えればいいのか、改めて考えさせられる地でもあります。

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185.「平和に関する論点整理」(3)

20160104壇ノ浦

 前々回に続いて今回は「論点整理」のⅡ.章を見ていきたいと思います。

Ⅱ.仏教の説く平和
 「仏教は、どのような「平和」を説いているのでしょうか?軍事的均衡による平和も、仏教から認められますか?」
  ・争いがなくなり、生老病死の苦悩や不安を互いにささえあうことができる「平和」を仏教は説く。
  ・人間の心からの平和づくりを目指すのが仏教の特徴。
  ・平和のためには煩悩や愚かさが自覚されていかねばならない。
  ・仏教では武器なき平和を理想としている。

 本文の中に、「仏教は一貫して「殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。また他の人々が殺害するのを容認してはならぬ。」と不殺生を説きますし、仏典中の『律』においては出家者に対し軍隊に近づいてはいけない、武器を持つ者に法を説かない、といった記述があり、武力を否定する立場を明確に見ることができます」という言葉がありました。

 仏教が「自他共に心豊かに生きることのできる社会」を目指しているということは前回の「論点整理」で確認したところなのですが、どのような平和を求めるのか、とりわけ(平和を維持するために)武器を持つことをどう考えるのか、というのがこの章の主要な論点のように思われます。

 「自己の心の根底に潜む煩悩や愚かさが自覚され、各人がそれを克服していこうとすることが、一人ひとりの幸せを実現するとともに、社会の安穏を生むというのが仏教の考える平和と言えます。」と論点整理では仏教の目指す「平和」について記してあります。
 そのような内面に向かう志向と現実の社会のありさまとのギャップについて考えざるを得ません。利害が絡みあう国際関係の中では、「武力」が「平和」を可能にするというのが、現実の姿だと言わざるを得ない状況にあります。
 この現実の中で、私たちはどのように考え、どのように行動することが必要なのでしょうか、という論点が提起されているのだと思います。

 実は、お釈迦さまが武器を持つことに対して、このように明確に否定されているということを今回初めて知りました。

 「殺生してはならぬ、武器を持ってはならぬ、近づいてもならぬ」というみ教えと、武器があって初めて可能になっているように思える「平和」の現実、との相克の中で私たちはどのように生きていくことになるのでしょうか。
 私は、このような解決の困難な命題について、安易に一方をもって他方を押さえつけてしまい、それで「問題解決」としてしまってはならないと思います。
 「現実の社会が平和のためには武器を必要としているのだから仕方ないではないか」としてしまう姿勢や、「仏教では武器を持ってはならないとされています」と現実とは別の高みから見物しているような姿勢をとるべきではないと思うのです。

 私たちが目指す理想と現実の間に隔たりがあることをいつも認識していて、その中で一歩でも目指すところに近づくように努めることが必要なのではないかと思います。

(写真は下関「壇ノ浦」の源義経と平知盛の像です)
 今年の年賀状用の写真を撮ろうと下関に出かけたときの写真で、平氏が滅んだ壇ノ浦にある像です。「諸行無常の響きあり」の言葉通り、武力で天下をとり、また武力で滅んでいく平氏の姿(義経もまた同じ運命を免れることはできませんでした)は、私たちの「平和」のありかたを示しているとも思えます。
 (結局、年賀状にはこの時の写真は使いませんでした)

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184.山口別院の今年の行事計画です


20160101日の出

 新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 今年最初の記事は、山口別院の今年の行事計画です。お誘い合わせてご参加いただきますようご案内いたします。

 ○専如ご門主の山口別院ご巡回
  7月25日 午後に予定されています。

 ○常例法座(毎月5日。1月以外は13:30~です)  
  1月5日 山口別院輪番   隂山 正憲 氏 10:30~(元旦会)
  2月5日 大津東組 光浄寺 小内 良文 氏  
  3月5日 美祢西組 報恩寺 藤永 白雄 氏
  4月5日 周南組  松巌寺 渓 宏道 氏
  5月5日 大津東組 正福寺 上原 泰教 氏 (降誕会)
  6月5日 豊田組  清徳寺 尾寺 俊水 氏
  7月5日 下松組  専明寺 藤本 唯信 氏
  8月5日 白滝組  専修寺 森 芳麿 氏
  9月5日 美祢東組 明巌寺 中島 昭念 氏
 10月5日 玖珂西組 専称寺 和田 俊昭 氏
 11月5日 周南組  宝性寺 御園生 宣尚 氏
 12月5日 厚狭西組 願生寺 山名 真達 氏
 *4月5日は宇部北組が法座準備の奉仕活動の当番となっています。

 ○別院設立30周年記念法要(永代経法要を併修)
  6月8,9,10日 いずれも10:00~および13:30~
  ご講師 大阪教区 榎並組 法栄寺 小林 顕英 氏

 ○帰敬式
  11月25日 13:30~

 ○報恩講
  11月26,27,28日 いずれも10:00~および13:30~
  ご講師 兵庫教区 神戸湊組 高松寺 谷川 弘顕 氏
  *宇部北組の参拝割り当ては日は11月28日となっていますが、それ以外の日にも参拝いただけます。

(写真は、12月22日吉部の高台から見た日の出です)
 6時過ぎに車で通りかかりました。この地区は盆地になっていて濃い霧が発生することがあります。

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