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166.お正信偈を読む(28):依釈段(5)/龍樹讃(4)

20151030境内2 (2)  20151030境内 (2)

「御文」 憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 (おくねんみだぶつほんがん じねんそくじにゅうひつじょう)

「訓読」 弥陀仏の本願を憶念(おくねん)すれば、自然(じねん)に即(そく)の時、必定(ひつじょう)に入(い)る。
                                     
「訳文」「阿弥陀仏の本願を信じれば、おのずからただちに正定聚に入る。

 前回、龍樹菩薩は、難行と易行の二つの道があって、その易行の道を進むようにお勧めになられたことを学びました。今回の2句はこの易行がどのようなものであるのかをお示しいただいた部分になります。

 龍樹菩薩は、前回ご紹介した『十住毘婆沙論』の中の「易行品」において「阿弥陀如来のご本願を信じる一念の時、直ちに必ず仏になるという身になることができる」と説かれています。

 御文で使われている「自然(じねん)」という言葉は私たちが日常的に使っている自然(しぜん)とは少し違った意味を持っています。親鸞聖人は「自」は「おのずからと」いうことをあらわしていて行者の計らいではなく、「然」は「しからしむる」という意味でこれも行者の計らいではない、と示されています。
 このように、親鸞聖人は「自然」という言葉で、私たちが仏になるという身にさせていただくのは私たちの計らいによるのではなく、阿弥陀如来のご本願、他力によるものであるということを示されました。

 また、「憶念」とは「心に保って常に思い出すこと」、「必定」とは、「必ず仏となるに定まること」を表しています。

 ここで親鸞聖人は龍樹菩薩の説かれたことばを引かれて、私たちが仏にならせていただく道は、自力に頼って苦しい難行の道を行くのではなく、信心をいただいて阿弥陀如来のお力におすがりするという易行の道を行くほかにはないのだとお示しいただいています。
 このことから、この2句を「信心正因」を謳われた偈文とお呼びしています。

(写真は、剪定を終えた境内です)
 藤棚のフジも刈り込みしていただきました。来年も多くの花を期待しています。
 
(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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165.お正信偈を読む(27):依釈段(4)/龍樹讃(3)

20151026庭    

「御文」 顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽 (けんじなんぎょうろくろく しんぎょういぎょうしいどうらく)

「訓読」 難行の陸路(ろくろ)、苦しきことを顕示して、易行(いぎょう)の水道(すいどう)、楽しきことを信楽(しんぎょう)せしむ。

「訳文」 龍樹菩薩は、難行道は苦しい陸路のようであると示し、易行道は楽しい船旅のようであるとおすすめになる。

 すでに学びましたように、親鸞聖人が七人の高僧方を選ばれた基準の一つに、「発揮(独自の見解)がある」ということがあげられていました。親鸞聖人は七高僧のお一人ひとりが、阿弥陀如来のご本願について独自の教学の展開をされたかどかということに注目されているということになります。

 龍樹菩薩の発揮については、「二道鴻判は南天の功」と称されています。
 南天は、天竺(インド)の南部、龍樹菩薩がお生まれになった地を示します。
 龍樹菩薩は仏教に「難行道」と「易行道」との二つの道(二道)があって、阿弥陀如来の本願に沿った道は易行道だということを初めてお示しいただきました。このことを親鸞聖人は龍樹菩薩がお示しになった大切な功績だと仰っておられるのです。

 龍樹菩薩はその著書『十住毘婆沙論』の中の「易行品」において、歓喜地に至る道についての問答を記しておられます。

 そこでは、難行道の修行によって歓喜地に至るには、もろもろの難行を行じなければならない、長い時間を必要とする、しかも途中で小乗の悟り(自分一人の悟りに満足する)に堕することがある、などの難があるとされます。

 龍樹菩薩はこれに対して私たち凡夫の進むべき道、易行道を次のようにお示しいただきました。
 「世間の道に難しい道と易しい道があって、陸路を歩くのは苦しいが水路を船に乗って渡るのは楽しいように、菩薩の道も、いろいろな行を積んでいくものもあり、あるいは信方便の易行をもって速やかに不退転(歓喜地)の位に至るものもある」とされ、難行苦行を積むことではなく、信心をいただくことにより速やかに悟りの境地に至る道があるということを示されたのです。

 この龍樹菩薩が示された易行道が、「他力本願」という私たちの浄土真宗の大切な柱へと伝えられています。
 親鸞聖人は、『高僧和讃』の中で次のようにうたわれて龍樹菩薩のご功績を讃嘆されています。
  「龍樹大士世にいでて 難行易行のみちをしへ 流転輪廻のわれらをば 弘誓のふねにのせたまふ」

(写真は、現在の寺の庭です)
 10月23日までで植木の剪定を行っていただき、すっきりして報恩講にお参りの方々をお迎えすることができます。サザンカも咲き始めて、近づく冬を感じるようになりました。

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164.最近の話題(10):ワイアレスマイク設備をかえました

20151023マイク

 本堂のワイアレスマイク設備をかえました。寺の音響は、ワイアレスマイク設備と別に置いてあるアンプ、スピーカー(本堂に2台、台所に1台)という組み合わせで行っています。

 これまで使っていたワイアレス設備は随分古いものだったようで、途中で音が途切れるということが起こるようになっていましたので、今回更新することにしました。
 宇部北組のご住職で、音響設備や照明設備の仕事をされている方がおられて、お世話になりました。
  
 一緒に使っているアンプの方はまだ使えるということですので、こちらにはまだ頑張ってもらいましょう。
 11月の報恩講から使用します。

(写真は新旧のワイアレスマイクです)
 旧(右)の方はカセットデッキとスピーカー機能も持っていますが、新しい方がコンパクトです。

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163.お正信偈を読む(26):依釈段(3)/龍樹讃(2)

20151019龍谷会龍谷会2  20151019龍谷会3

「御文」 悉能摧破有無見         (しつのうざいはうむけん)
     宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽 (せんぜつだいじょうむじょうほう しょうかんぎじしょうあんらく)

「訓読」 ことごとくよく有無の見(けん)を摧破(さいは)せん。
     大乗無上の法を宣説(せんぜつ)し、歓喜地(かんぎじ)を証(しょう)して安楽に生(しょう)ぜんと。

「訳文」 有無の邪見をすべて打ち破り、
     尊い大乗の法を説き、歓喜地の位に至って、阿弥陀仏の浄土に往生するだろう」
     と仰せになった。

 前回お釈迦さまが龍樹菩薩がこの世にお生まれになることを予言されたところの続きになります。本日の3句までがお釈迦さまが仰られた内容です。

 お釈迦さまは、まず龍樹菩薩は「有無の邪見を打ち破り」と言われます。これはお釈迦さまが明らかにされた法(真理)「全てのものは因と縁によって生じ、また滅し、変化する」に対して、永遠不変の実体があるとしてそのことに執着する見方(有の見)と全てのものは無(虚無)であるとしてそれに執着する見方(無の見)(=有無の邪見)のいずれも排する立場を言います。
 龍樹菩薩はこの両極端に偏した見方を排して、「中道」に立つことを説かれました。「レッツ正信偈」ではこれを「有無を言わせない」教えだと表現されていました。

 龍樹菩薩はこのように、有と無のいずれにも偏らない見方を示されたのですが、さらに進んで「空(くう)」の思想を打ちたてられたと伺いました。
 この「空」という言葉は難しい言葉なのですが、『浄土真宗辞典』では次のように述べられています。
 「もろもろの事象は、因縁によって仮に和合しているのであって、固定的な実体(自性)はないことをいう。」
 この固定的な実体のないものについて、「有」や「無」として認識(誤認)しそれに捉えられているというのが私たちの姿だと示していただいたのだと思います。

 次いでお釈迦さまは、龍樹菩薩は大乗の法を説き、歓喜地に至って、阿弥陀仏の浄土に往生するだろう、と予言されます。
 以前にも学びましたが、「大乗」は「大きな乗り物」の意味で、一切の衆生を救済するというお釈迦さまのみ教えを受け継ぐ立場です。「歓喜地」とは、菩薩の修行の段階(52位)の第41位に当たり、この位に達すれば真如をさとり後戻りすることがない境地だと伺いました。

 龍樹菩薩という方は色々な文書にお名前が登場される方なのですが、その一方で確実な伝記が伝えられていない方のようです。現代では、前回学びましたように南インドご出身の紀元150年~250年頃の方だとする学説が有力になっているようです。
 多くの著書を著され、インドはもとより中国やチベットにも大きな影響を与えられた方で、その思想は広く諸宗の基盤となっていることから、日本では「八宗の祖師」とお呼びしている方でもあります。
 親鸞聖人は、龍樹菩薩をお釈迦さまからみ教えを伝えられた高僧の中の第一祖とされました。

(写真は、大谷本廟で営まれた龍谷会での庭儀の様子です)
 龍谷会は、毎年10月15、16日の両日大谷本廟で営まれる報恩講で、15日にお参りすることができました。
 庭儀は法要が行われる場所まで行列を編成して進む作法で、当日は導師である即如前ご門主を中心に集会所(しゅうえしょ)から明著堂(めいちょどう)まで雅楽が奏される中、行列が進みました。

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162.前進座公演「如月の華」

 20151016公演1 20151016公演2 

 10月13日に山口市民会館で催された、前進座の公演「如月の華ー九條武子ものがたりー」を観賞してきました。

 九條武子夫人は、明治20年に本願寺第21代門主の明如上人の次女としてお生まれになり、与謝野晶子、柳原白蓮とともに大正時代の三大女流歌人と謳われた方です。
 また、仏教婦人会の設立に関わられ、女性の地位向上、女子大学(現京都女子大学)の設立にご尽力されました。
 大正12年の関東大震災ではご自身も被災されながら被災者の救護活動に身を挺して当たられました。震災後も診療施設「あそか病院」や保護少女教育感化施設「六華園(りっかえん)」を設立されるなど社会活動にご尽力されていましたが、このような激務が原因で病を得られ昭和3年2月7日42歳の若さでご往生されました。
 毎年ご命日の2月7日には本願寺で仏教婦人会総連盟が「如月忌」を営み、ご遺徳をお偲びしています。

 今回の公演は、武子夫人90回忌に先立ち浄土真宗本願寺派、本願寺派仏教婦人会総連盟の後援により全国で行われているものです。
 当日はその山口公演に当たるものですが、会場の山口市民会館の大ホールがほぼ満席となるほどの来場者でした。

 劇の前半では、武子夫人の活発な少女時代、義理の姉に当たられる大谷籌子(かずこ:「かず」という字は見えにくいですが竹かんむりに「壽」です。武子夫人の兄、鏡如ご門主夫人です。)様や歌人の柳原白蓮との交流の様子や、本願寺が迎えた困難な状況などが描かれ、そして関東大震災に遭遇されます。
 震災ではご自身も命の危機に遭われるのですが、一人の老人が現れ「そなたにはまだやるべきことがあろう」という言葉とともに差し出された手により救われるという印象深い場面がありました。
 このようにして九死に一生を得られた夫人は、震災の直後に設置された本願寺震災救護班に医療を求めてやってくる人々の診療を助け、たくさんの孤児の世話をされました。
 その最期は、病院のベッドで生母、夫、実の兄(真宗木部派のご門主)、宗門や仏教婦人会の人びとそれに震災の中で助けられた多くの人びとが称える「南無阿弥陀仏」の唱和の中で短い生涯を閉じられました。

 写真をお借りした公演のパンフレットに武子夫人の歌として紹介されている歌を記しておきます。

  「おほいなる もののちからにひかれゆく わがあしあとの おぼつかなしや」

 この歌を刻んだ歌碑が東京の築地本願寺の境内にあるということです。

(写真は舞台と会場の様子です。舞台の撮影ができませんでしたので、パンフレットからお借りしました。)
 

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161.連続研修会(2)

20151012れんけん1   20151012れんけん2

 10月10日、吉部の常光寺さんを会場に第2回目の連続研修会が開催されました。

 開会式、お勤めに続いて、当日のテーマである「仏事・法事」について、明山寺の山名学道氏より問題提起をいただきました。

 ご講師からは、「お寺での法要・行事」、「家庭での仏事・法事」について説明をいただきました。
 まず、お寺での年中行事、初参式や仏前結婚式などの節目の仏事の意味や内容についてご紹介いただき、続いてご家庭での年回法要、月ごとの命日、お盆・お彼岸のお参り、お取越し報恩講、入仏式などの仏事の意味と内容について説明をいただきました。

 その後、3グループに分かれて話し合いを行い、各グループからその話し合いの内容について報告を行いました。
 報告の中では、やはり法事(年回法要)に関する意見や質問が多くありました。
 法事の意味や、なぜ1周忌から始まって3回忌・・と勤められるのかなど、法事そのものについてや、法事の具体的な運用方法(49日の期間の設定、法事に呼ぶ人の範囲、法事の次第)などについて話し合いが行われたようです。
 また、子供たちにどのようにして仏事を伝えていくのかという、大切な問題提起もあげられていました。

 これらの各グループからの報告を受けて、山名講師からまとめのお話をいただきました。

 ご講師からは、仏事や法事は「ご恩報謝」が基本にあるということを認識しておかなければならない、というお話がありました。
 私たちを必ず残さず救うとお立ちいただいた阿弥陀如来のご恩に対してお礼申し上げるということが仏事の基本であり、法事もご先祖さまのご縁で今私たちがここにいることに対してお礼申し上げることがその基本だと聞かせていただきました。
 また、次の世代にお念仏を伝える一つの方法として、お孫さんが帰省されたような機会に夜一緒に床について「今日も無事に過ごせました。南無阿弥陀仏」とお念仏を申し上げる姿を見せるなどの工夫をすることも大切だというお話がありました。

 日ごろ離れて過ごしているお孫さんなどの家族と接する時間は限られていますから、その時間を使ってお念仏の大切さを伝える工夫が必要だと改めて実感することができました。

(写真はご講師による問題提起とグループでの話し合いの様子です)

 
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160.新聞版「壽福寺だより」を発行しました

20151009新聞1   20151009新聞2

 新聞版の「壽福寺だより」10月号を発行しました。
 これから、総代さん経由、郵送、直接お届けする、一部はメール添付などの方法でご門徒さんのお手元にお届けします。

 今月号の内容は次の通りです。

(1面)

 「秋法座をお勤めしました」
 「皆さんには大変お世話になりました」
   秋法座にご協力いただいた総代さん、仏教婦人会の方へのお礼です
 「報恩講のご案内です」
   壽福寺の報恩講(11月8日)のご案内です
 「ご連絡です」
  ○お取越しのご案内
   新聞の送付案内とともに、今年のお取越しの計画をご連絡しています
  ○来年のご年忌(法事)のご案内
   来年1月~3月に年忌を迎えられるお宅にご連絡しています
  ○秋の褒章を受章される方に
  ○山口別院の行事のご案内
   別院の報恩講、帰敬式についてご案内しています

(2面)

 「宇部北組連続研修会がスタートしました」
 「強力な台風が通過しました」
   台風の被害状況についてご報告しています
 「お手伝いいただけませんか」
   山門の腐食している部分を補修する計画を立てていますが、作業へのご協力をお願いしています
 「ご存知ですか(7):お正信偈の読み方」
   11月の報恩講ではお正信偈を行譜で拝読しますので、草譜と行譜の相違点などについて説明しました

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159.ご存知ですか(11):仏前結婚式

20151005仏前結婚 (2)


 先日ご縁をいただいて、仏前結婚式の司婚者を勤めさせていただきました。
 仏前結婚式は、阿弥陀如来の御前でともに敬愛和合の日を持つことを誓う人生の大切な節目の「仏事」です。

 当日は次のような次第で結婚式を執り行いました。

  ○勤行(合掌礼拝、「三奉請」、「表白」、「讃仏偈」)
  ○「司婚・誓いの言葉」
  ○指輪交換、念珠授与
  ○新郎新婦焼香
  ○法話
  ○式杯
  ○合掌礼拝

 この「司婚・誓いの言葉」では次のことばが述べられました。

(司婚者)
 み仏のおん前において      
  新郎 ○○さん
  新婦 ○○さん
 の結婚式を挙行するにあたり 新しい人生の門出に際して
 お二人の誓いを求めます

(新郎新婦)
 本日 阿弥陀如来の尊前におきまして
 わたくしたちの結婚式を挙げますことは
 まことの有難いことであります
 これひとえに両親をはじめ 皆様方のお陰であると
 心から感謝いたします
 この上は み教えにしたがい 夫婦仲むつまじく
 互いに いたわり助けあって
 内にあってはうるわしい家庭をつくり
 外にあっては世のため人のために尽くす
 よき社会人となるよう努力することを 誓います
  (新郎) ○○
  (新婦) ○○

(司婚者)
 ただいまの言葉をもって
 ご両人の結婚がめでたく成立いたしました
 今より後は いよいよみ仏の教えを仰ぎ
 夫婦が力をあわせて 幸せな人生を築き
 明るい報謝の生活を営まれますよう 切に望みます

  平成○○年○月○○日
  司婚者 ○○寺住職 釋○○

 先ほど結婚式を「仏事」といいましたが、仏事という言葉でお葬式や法事のことを想い浮かべられる方が多いのではないかと思います。しかし人生の節目に当たって阿弥陀如来の御前でお礼申し上げ、心を新たにすることは大切な仏事ということになります。
 私たちの周りでは、赤ちゃんが生まれるとお宮参り、結婚式は教会(またはお宮)でお葬式は仏式、と使い分け(?)されることが普通になっているように思われますが、赤ちゃんの初参式にお参りいただいたご門徒さん、息子さんが帰省されたからとご一緒にお参りいただくご門徒さんがおられます。また子供さんが成人したのでお寺にお礼に参ってきましたと仰った方もありました。

 節目ごとに阿弥陀如来の御前でお礼申し上げることは、仏教徒として大切なことだと改めて思ったところです。

(写真は、「司婚・誓いの言葉」の様子です)

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158.お正信偈を読む(25):依釈段(2)/龍樹讃(1)


20151002竜樹菩薩

 「お正信偈を読む」の「依釈段」の第2回目ですが、今回から「龍樹讃」と呼ばれる部分に入ります。親鸞聖人はここからの12句で七高僧の第一祖、龍樹菩薩を讃えられています。

「御文」 釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺 (しゃかにょらいりょうがせん いしゅうごうみょうなんてんじく)
     龍樹大士出於世         (りゅうじゅだいじしゅっとせ)

「訓読」 釈迦如来、楞伽山(りょうがせん)にして、衆のために告命(ごうみょう)したまはく、
     南天竺(なんてんじく)に龍樹(りゅうじゅ)大士(だいじ)世に出でて、

「訳文」 釈迦如来は楞伽山で大衆に、
    「南インドに龍樹菩薩が現れて、・・・」と仰せになった。

 お釈迦さまは楞伽山(りょうがせん)という山で法を説かれたときに、ご自分の後に法を伝える者として、南天竺(南インド)に龍樹菩薩がお生まれになられる、と言われたと伝えられています。
 そして、このお釈迦さまの予言の通りに、龍樹菩薩が出現されました。西暦150~250年のころに活躍された方です。

 竜樹菩薩について逸話が残っています。
 幼少のころから優れた才能をもっていた竜樹は、その学識で高い名声を得ていましたが、ある時他の才能豊かな3人の友人と語り合い隠身(おんしん:透明人間のように身を隠す)の秘術を得ることができました。身を隠して、快楽を尽くそうと考えたのだと伝えられています。
 その術を使って4人は宮廷に忍び込み、宮廷の女性にいたずらをしました。これに怒った王は、秘策を使ってその3人を切り殺すのですが、竜樹だけは九死に一生を得て生き延びました。
 宮廷から逃げ延びた竜樹は、人生の苦しみのもとは欲望であるということをさとり、山上の塔を訪ね受戒出家されました。その後90日間で上座部仏教(小乗仏教)の仏典を学び尽くされたと伝えられています。

 その後、竜樹菩薩は「大乗仏教最大の思想家」として、後世の仏教に大きな影響を残されることになります。

(写真は、寺の竜樹菩薩の御影です)

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