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140.仏教のことば(3):三法印(3)


20150731ヒオウギ1
   20150731ヒオウギ2

 今回は、三法印の最後「涅槃寂静印」です。

 『浄土真宗辞典』では、「涅槃寂静とは、煩悩の火が吹き消された状態(涅槃)は究極の安穏の世界(寂静)であるということ。」とされています。

 つまり、「煩悩を克服した涅槃の境地が私たちが求めるべき究極の寂静の世界である」とすることが仏教の3つ目の大事な旗印だということになります。
 先の「諸行無常印」、「諸法無我印」においてあらゆるものは生滅変化してとどまるところがなく、またあらゆるものには固定した永遠不滅の実体もない、ということが示されましたが、そのような中で私たちが求めていくものを示していただいたのがこの「涅槃寂静印」です。

 私たちは 貪欲、瞋恚、愚痴という3つの代表的な煩悩(三毒)に囚われ迷いから抜け出すことができずにいますが、この煩悩を対治して再びそれに煩わされないような絶対安住の境地に達すること、これが仏教が掲げる理想の旗印であり、第三の法印とされる所以でもあります。 
 先に、「四諦」の項で見ましたように、お釈迦さまは私たちの苦悩の内容(苦諦)とその原因(集諦)、目指すべき状態(滅諦)とそのための実践事項(道諦)をお示しいただきました。
 その「滅諦」はまさしく、「人生の苦を滅した境地が、涅槃であるという真理」であり、私たちが目指すべき境地であり、そのために実践すべき道として八正道を示していただいたことになります。

 このお釈迦さまが示された「涅槃」については、その後時代と地域により異なった理解が示されるようになったということですが、あらゆるものが生滅変化しとどまるところを知らない現実の中で、煩悩を克服することが苦悩を脱して涅槃に至る道だと示され、その正しい道筋を四諦と八正道の形で示されたのがお釈迦さまだったのです。

(写真は、ヒオウギです。昨日秋吉台で出会いましたが、鮮やかな橙色の花が印象的な植物です。)

 ヒオウギは漢字で書くと「檜扇」、重なった葉を扇に見立てたそうです。このヒオウギの葉は祇園祭を迎える京都の町家の玄関に飾られます。剣の形をした葉が魔よけの役割を果たすと考えられたということです。
 ヒオウギは真っ黒な実をつけるのですが、これは「ぬばたま」と呼ばれていて、「黒」や「夜」にかかる枕詞として使われる「ぬばたま」です。

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139.仏教のことば(2):三法印(2)


20150727コオニユリs
   20150727オニユリs

 今回の三法印は、前回の「諸行無常印」についで「諸法無我印」です。

 「諸法無我」の言葉を『浄土真宗辞典』で調べますと、「すべてのもの(有為法・無為法)は永遠不変の実体(我)ではない、すべてのものに永遠不変の実体は存在しないということ。」とあります。

 ここでいう「有為(うい)」とは「さまざまな因縁(原因と条件)によってつくられた生滅変化するもの」であり、一方「無為(むい)」は「生滅変化を超えた常住不変の真実のこと」とあって、現在私たちが使っている有為、無為とは随分違った内容を持っております。
 先の「諸行無常」の諸行は有為のものを指すのですが、諸法の方は有為と無為を含めた「全てのもの」ということになります。つまり、諸法には因縁によって生滅し私たちの感覚で認識できるものの他に、因縁にかかわりなく厳然として存在しているもの(真理、法性)も含むということになります。

 これら諸法の全てが「無我」だということですから、全てのものに「我が無い」ということになります。
 この場合の「我」は一般的に私たちがいう「我」とは違って「永遠不滅の実体としての自我・個我・自己のこと」(『浄土真宗辞典』)とされています。「無我」とはこのような「永遠不滅の実体はない」ということを表します。

 お釈迦さまの当時のインドのバラモン哲学者は、身体や精神は変化するがそれにもかかわらず、私たちの中には何か永遠に変わることのない不生不滅の固定的な実体があるという風に考えていたということです。しかも、そのような「我」がこの世だけではなく死後までも変わらずに輪廻する、つまり「不滅の霊魂がある」と考えており、これが当時の思想のいわば常識だったということです。

 第一の法印で諸行が無常であるとされたお釈迦さまは、この「我」だけが生滅変化しないとするのはおかしいとされ、インドの伝統的で正統の「魂が不滅である」という思想を覆されたのです。
 このことは当時の思想界において極めて画期的なことだったと思われますが、2500年後の現在に至るまで仏教の(最も)大切な柱であり続けた思想だと思います。

 このように諸法が無我であるという認識は、私たちにとってどのような意味を持つのでしょうか。『仏教要説』の北畠典夫先生は次のように仰っておられます。

 まず、無我を認識するということは、ものには固定した体(本体)や性(性質)がなく限りなく変化しており、私たち自身も社会も一切のものは他と無関係に存在することは許されない、ということを認識することになり、無我を認識することの実践的な意味は、「無所得」と「無碍(むげ)」の2面から考えられるといわれます。

 「無所得」とは、所得の否定であり執着しないということです。私たちは私たちの周りのものに対してそれを所有し、所有し続け、さらにそれを増大させたいと願い、それに執着します。これは、私たち自身と所得の対象となるものとがいずれも固定常在のものであると誤認して、それに執着する姿だということになります。これに対し、無我の理を得ることができれば、自ずとその執着や囚われから自由になることができるといわれます。

 「無碍」とは障碍(さまたげ)が無いということで、自由自在ということです。自由自在といってもこれは決して自分勝手でいいということではなくて、法(真理)にかなった姿で自己についても自己の所有についても執着し囚われるところがない、つまり「無所得」が完成した姿であり、これが目指すべき姿だということになります。

 私たちは「無我」を認識することを通して自他の対立を否定し利己主義を排除する生活を実践すること、それが「無我」の実践的な意味だとされます。

(写真は、先日秋吉台で出会ったオニユリの仲間です。鮮やかな橙色が印象的でした。)

 左はコオニユリ(小鬼百合)、右はオニユリ(鬼百合)と呼ばれ、よく似ていますが別の種とされています。写真ではちょっと見えにくいのですが、オニユリは葉の付け根に黒色のムカゴとよばれるものを持っていますが、コオニユリにはそれがありません。
 当日目にしたのはほとんどがコオニユリで、オニユリはこの1株だけでした。

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138.終戦70年「平和のつどい」

20150724ピアノ  20150721高橋氏

 7月21日山口別院で、終戦70年「平和のつどい」、が開催され、総代の井上さん、坊守と3名で参加しました。
 このつどいは、御同朋の社会をめさす運動山口教区委員会が主催されたもので、当日は追悼法要の後に講演会、被爆ピアノによるコンサートが行われました。

 追悼法要では、阿弥陀経を拝読するなか参拝者一同は戦没者を追悼して焼香を行いました。

 続く講演会では、講師に高橋哲哉氏をお迎えし「靖国神社について考える」という演題でお話を伺いました。

 高橋氏からは、靖国神社が現在問題となっている状況を、外交および政教分離の観点からお話しいただきました。靖国神社が、宗教施設というよりは軍あるいは国の施設として戦意高揚に利用された歴史を説明いただきました。
 国のために命を落とされた方をどのようにして追悼するのか、その中で「二度と戦争をしない」という決意をどのように表現するのかという重い課題を改めて実感しました。

 続く被爆ピアノによるコンサートは、古いピアノを再生し福祉施設などに寄贈する活動をされている矢川光則さんと、ピアニストの大下由紀江さん、ソプラノの大島久美子さんによる演奏会でした。

 広島や長崎で被爆したピアノを再生した「被爆ピアノ」は全国で10台ほどあるのだそうですが、当日演奏されたピアノは昨年矢川さんに託されたものなのだそうです。被爆したこのピアノにはガラスの破片がたくさん突き刺さって、赤土がこびりついたものだったそうですが、矢川さんはこれを可能な限り元の姿を残しながら再生され、鍵盤も滑らかに動くようになったということです。
 この3人の方は全国を回って演奏を行い、戦争や原子爆弾の悲惨さ、非人間性を訴える活動を続けておられます。

 演奏会では、「原爆許すまじ」から「死んだ男の残したものは」、「さとうきび畑」や組曲「原爆ドーム」などの曲を聴きました。
 いずれも戦争の悲惨さを伝える曲なのですが、その曲が被爆から再生されたピアノで演奏されているということに、一つの光明を見出すことができるような感銘も受けました。
 「死んだ男の残したものは」の5番、6番の歌詞は次のようになっています。多くの人々の犠牲の上に私たちの今日があること、これを大切に生きていかなければならないことを改めて思いました。
 「死んだ彼らの残したものは、生きてるわたし生きてるあなた、他には誰も残っていない、他には誰も残っていない
  死んだ歴史の残したものは、輝く今日とまた来るあした、他には何も残っていない、他には何も残っていない」

 開会の挨拶の中で、専如新ご門主の「法統継承に際しての消息」の中の次のお言葉が紹介されていました。
 「時代の常識を無批判に受け入れることがないよう、また苦渋の選択が必要となる社会が到来しないよう、注意深く見極めていく必要があります。」
 安保法制の議論の中で、現在の国際情勢、国内情勢を前提にしてどのようしにて国民の安全を守っていくのかということが論じられています。高橋氏が講演の中で言っておられた「Point of No Return」(引き返すことができなくなるポイント)、この地点にまで踏み込んではいけない、苦渋の選択を突きつけられる事態にならないために今どのような選択が必要なのか、と改めて考えさせられます。

(写真は、当日演奏された「被爆ピアノ」と講演中の高橋哲哉氏です。)

 ピアノの白鍵は象牙製で被爆当時のものが使われているのだそうです。

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137.仏教のことば:三法印(1)


20150720カキラン1
  20150720カキラン2

 これまで学びましたように、お釈迦さまは今から約2500年前にインドの地でさとりを開かれ、真実の法をお説きになられました。その後、このお釈迦さまが説かれたみ教えは各地に伝えられて、多くの民族や国家を超えて人びとに受け入れられ「世界宗教」となりました。
 そのみ教えは遠く時代と距離を隔てた日本にも伝えられて、現在、多くの宗旨、宗派の仏教が見られるようになりました。それぞれの宗旨、宗派が説いている教えの間には、時として矛盾や対立があるように思われることもありますが、同じ「仏教」としてお釈迦さまが説かれた法に基づいた共通のものがあります。
 それが三法印(さんぽういん)と呼ばれているものです。

 法印とは「教法の印(しるし)」のことで、お釈迦さまが説かれた法の根本をなすものです。つまり、多くの「仏教」に共通してある「真理の旗印」であり、それはまた仏教であるか否かを判断する基準ともなるものです。

 その三法印として、つぎの3つが示されています。

  諸行無常印(しょぎょうむじょういん)
  諸法無我印(しょほうむがいん)
  涅槃寂静印(ねはんじゃくじょういん)
 これに「一切皆苦印(いっさいかいくいん)」を加えて四法印とされる場合もあります。
  
 今回は最初の法印「諸行無常印」について学びます。

 ここでの「諸行」とは「一切の現象」を指すと伺いました。
 仏教では一切の現象は、全て「因縁」によって出来上がったものだとされます。あらゆるものは原因(因)と条件(縁)によりその結果(果)として生じたものであり、それゆえに一切のものは生滅変化、流転してとどまることがないとされます。
 
 自然界の現象、社会の現象、肉体も精神も、一見安定していて盤石に見えるものもすべてが常に変化、変質していて定まることがないとされます。これが「無常」とされるところです。

 私たち自身を見ても、体の何億という細胞は一定の期間(一説では7年間で)に全て入れ替わるのだそうです。それでいて一定の姿を保持しているので、一見安定しているようにみえますが、この安定は猛烈な速度の変化の中でようやく保たれている姿だと考えることが妥当だとされています。

 『方丈記』の最初の次の一節が思い起こされます。
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。」

 お釈迦さまは、私たちが置かれたこの不安定な現実を示され、それへの対応についてお示しいただいたのです。

 『仏教要説』というテキストのなかで、北畠典生師は私たちがこの「無常」に思いをいたすことによって次のような訓戒あるいは実践的な意味をえることができると仰っておられます。

 ○自己が相対的な存在であることに気づき、絶対的な価値を志向し、自己を深く反省し環境や他との調和を目指すことができる
 ○再び取り戻すことのできないという人生の一回性に気づき、精進努力する、日々を精一杯いきることの重要性に気づく
 ○人生の虚仮不実の相を正しく認識することによって、物心にわたるすべての所有物に対する執着の心を捨て、真実に生きようとする生活態度を感得することができる

(写真は、カキランの花です。)

 昨年撮ったものですが、鮮やかな色彩が印象的でした。ちょうど今頃秋吉台で見られる花なのですが、今年はまだ出会うことができずにいます。

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136.お釈迦さま(12):説かれた法(7)


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  20150717霧2

 私たちはこれまでに、お釈迦さまが初めて説かれたみ教えの中で示された「四諦」について学んできました。

 四諦によってお釈迦さま次の4つの真理を私たちのお示しいただきました。
  私たちの人生の真相は苦であり、その苦の原因が煩悩であるということ。
  人生の苦を滅した状態が涅槃であり、その涅槃を実現する道が八正道であること。
  
 そこで今回は、この八正道について学びたいと思います。
 道諦の内容を具体的に表したものが八正道ですが、これは次の8つを指します。また、滅諦という聖なる真理に至るものであるところから「八聖道」ともいわれます。

 正見(しょうけん):正しい見解
  正しい見方、考え方という意味で、仏教の根本原理や理法に従った正しいものの見方ということになります。
  次の正思惟から正念までで、この正見に達するための具体的な実践が示されていると伺いました。
 正思惟(しょうしゆい):正しい思考
  正見に合致するように心に思うことで、正しい意思、正しい思索ということです。
 正語(しょうご):正しい言語活動
  正見にかなう正しい言葉という意味で、うそを言わない、他人の悪口を言わないこと、さらには自他共に喜べる言葉や優しい言葉をなども示すものだと伺いました。
 正業(しょうごう):正しい行為
  身の行いを正見に一致させることで、邪悪な行いをしないということです。  
 正命(しょうみょう):正しい生活
  正見にかなった積極的な生活という意味で、正しく清められた生活に生き抜くこと伺いました。
 正精進(しょうしょうじん):正しい努力
  正見にかなった積極的な努力ということで、智慧(さとり)の理想を実現するための懸命な努力を意味していると伺いました。
 正念(しょうねん):正しい憶念
  正見にかなった正しい意識を持ち、理想目的を忘れないこととされます。常に正しい反省と注意力をもって、その念(おもい)を失わずに生活することと伺いました。
 正定(しょうじょう):正しい精神統一
  「定」というのは禅定座禅(ぜんじょうざぜん)のことだと伺いました。精神をひとところに集中し統一することで、これによって初めて真実の智慧に目覚め、涅槃のさとりを得ることができるのだと伺いました。

 このようにお釈迦さまは、人生の実相をあるがままに見る正見が禅定という実践によらなければならない、ということをお示しいただきました。そして、その正見のために現実の生活の中で展開されたのが正思惟から正念の6つだということになります。

 この8つの道はどの一つをとっても私たちには困難な道だということが実感されます。
 親鸞聖人は、私たちは煩悩に囚われ一生それから逃れることができない存在だとお示しいただきました。そして、そのような私たちでも阿弥陀如来は間違いなく救っていただけるとお教えいただきました。

 そのように煩悩と一体で生活している私たち、自分の力ではどうしてもこの煩悩を断ち切ることができない私たちでも、そのことに甘えることなく、少しでも、一歩でもお釈迦さまが示された道に沿って進めるよう日々努めることが大切なことだと改めて思います。

(写真は、7月14日の霧です)

 寺の周辺では昼前まで深い霧につつまれていました。ただ伊佐の町に「降りて」みましたら霧はありませんでしたので、寺の周辺の山間部だけだったようです。
 寺へ続く道に沿った竹林はバイオマス燃料の実験用に一部が伐採されていますが、霧がかかってこのような風景になりました。
 蜘蛛がかけた巣にも細かい霧がかかって、打ち上げられた花火(?)のような姿を見ることができました。細かい霧がかかってこのような光景が見られたのではないかと思いますが、自然の造形の偶然の出会いでしょうか。

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135.夏法座をお勤めしました


20150713夏法座

 7月11日、夏法座をお勤めしました。
 梅雨の時期でしたが、幸いに雨にならず30名を超える方にお参りをいただきました。

 ご講師には萬福寺のご住職、厚見崇師をお迎えし、「真の仏弟子」というテーマでお話を伺いました。

 親鸞聖人は、この「真」は、仏教以外の教えである「偽」と、同じ仏教ながら聖道自力の教えや浄土門の中の自力の教えである「仮」に対して「他力の教え」のことであり、この教えを受けたものは「釈迦諸仏の弟子なり、金剛心の行人なり」とされている、とお示しいただきました。
 私たちの身の回りにはたくさんのものがあって、その「真」「偽」「仮」を見分けることが大変に難しいことなのだと、私たちが身の回りに溜め込んだ様々なものの価値を判断して捨てることの難しさを例にとってお話いただきました。
 また、親鸞聖人が、阿弥陀如来以外の諸仏、諸神に対しても、これを軽んじ、蔑むことのないようにと教えられたということも心すべきことだと印象に残ることでした。

 午後には、前回中止になりました第4回の勉強会を開催し14名の方にご参加いただきました。

 法座の準備に当たっては先に草刈のご報告をいたしましたが、前日には仏教婦人会の杉山会長と井上副会長に本堂外陣の掃除と席の設営、回廊の掃除をお願いいたしました。
 また当日は午後に勉強会を行いましたので、軽食としてお握りの準備をいただきました。勉強会に残った一同は、わかめ味と梅干し味の2種類のお握りをいただいて、午後の勉強会に臨みました。

 このように、今回も多くの方のご尽力によって法座をお勤めすることができました。厚くお礼申し上げます。

 またお勤めの前に、今回新しく総代さんをお願いすることになった埴生和彦さん(小野田地区ご担当)、岩﨑明さん(山口市ご担当)のお二人をご紹介しました。
 これで18名の総代さんになりますが、よろしくお願いします。

(写真は恒例になりました集合写真です。)

 今回はご講師にも入っていただきました。

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134.夏法座の準備を行っています

20150709草刈  20150710山門

 7月11日にお勤めする夏法座に向けて準備を進めています。

 7月6日には総代さんを中心に12名の方にお集りいただいて、境内、駐車場および石段周辺の草刈をお願いしました。
 9時に代表総代の井上さんの「けがのないように進めてください」というご挨拶の後、約1時間草刈、植木の刈込をお願いしました。おかげさまできれいになった境内でお参りの方をお迎えすることができます。

 当日参加いただいた橋羽さんは、前日の5日にも来られて石段の周辺の草刈をしていただいていました。ご本人によれば前日は「日を間違えて来てしまった」のだそうですが、2日にわたってお疲れさまでした。

 作業が終わった後に、井上さん差し入れのポカリスエットを飲みながら、情報交換、今後の計画などを話し合う時間を持つことができました。

 寺からは次の事項をご報告、ご連絡しました。
 ○小野田地区の埴生和彦さん、山口地区の岩﨑明さんに新たに総代に加わっていただくことになりました
 ○宇部市から、壽福寺を「緊急避難場所」に指定したいという要請があり、了解しました
 ○新聞「壽福寺だより」で今年の秋からスタートする連続研修会の案内をしていますが、総代さんにはぜひ受講をお願いします
 ○8月27日に予定されている山口教区の子供会行事の応援を、総代さんから吉屋さん、清水さん、仏教婦人会から杉山さん、井上さんにお願いしました。暑い時期ですがよろしくお願いします

 また、井上さん、今橋さんから、寺の山門の柱の一部が腐りかけているので補修をしたいという提案がありました。概略次のように、可能な範囲は自力で対応しようということになりました。
 ○補修は今年の秋、稲刈りが終わった時期に実施する
 ○寺の杉林の杉を伐り製材して柱を補修する。この作業には数名の協力をお願いする

 また、11日の夏法座の後に勉強会を行いますが、当日は昼食のおときがありません。それで、お握りを準備しようということになっていますので、是非お参りいただき勉強会にもご参加ください。

(写真は当日の「総代会」の様子と山門の柱です)

  石段から山門に向かって左前の柱に腐食が見えます。

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133.お釈迦さま(11):説かれた法(6)


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  20150706アジサイ2

 お釈迦さまが私たちにお伝えいただいた4つの真理の後2つです。

滅諦(めったい):人生の苦を滅した境地が、涅槃であるという真理
 お釈迦さまは、私たちの苦の真の原因が煩悩にあるとお示しいただきましたが、その苦の原因である煩悩が全て滅した状態が「涅槃(ねはん)」と呼ばれる世界だとお示しいただいています。

 この「涅槃」という言葉は、原語である梵語の「ニルバーナ」(吹き消すこと、吹き消されている状態)を音訳したものだと教えていただきました。一切の煩悩が吹き消されている状態、悟りの世界を表す言葉で、「滅度(めつど)」「寂滅(じゃくめつ)」と意訳されます。
 古い経典に「すべての貪欲の滅尽、瞋恚の滅尽、愚痴の滅尽、これを称して涅槃という」という言葉があるということですので、まさしく3つの代表的な煩悩が吹き消された状態、絶対安住の無苦安穏の状態が涅槃ということになります。

 ここでもう一度お釈迦さまが修行されていた時のことを思い返します。
 当時の修行者の目指すところはこの涅槃であったのですが、この涅槃に到達する主要な方法として、「修定」(心の動揺を鎮める修行)と「苦行」(肉体によって心の平安が乱されないように肉体の力をそぐ修行)とが行われていたといいます。
 お釈迦さまはその修定、苦行両方の修行に取り組まれましたが、そのいずれによっても絶対のさとりをえることができないと考えられて、苦行を捨てて新しい道を開かれました。

 この涅槃に至り本当のさとりを得る方法が、4つ目の真理の「道諦」です。

道諦(どうたい):苦を滅して涅槃を実現する道が八正道(はっしょうどう)であるという真理

 これは、苦を滅して涅槃のさとりを得る実践を八正道として具体的にお示しいただいたものです。

 この八正道については次回で学びたいと思いますが、先の医師が患者に対している例でいいますと、この道諦は「病を知って対治する」、滅諦は「病から回復させ再発させない」という働きに当たります。

 また、お釈迦さまが示された4つの真理は、は私たちの苦の原因とその結果、その原因を滅する方法とその結果を表したものということができます。

(写真はまたまたアジサイです)

 神戸市の摩耶山のアジサイです。
 摩耶山という名前は、この山にある「天上寺」にお釈迦さまの母上の摩耶夫人(まやぶにん)の像を安置しているところから名づけられたと伝えられています。
 標高は700メートルほどですが、神戸の市街から近く四季を通じて人気の山歩きコースになっています。

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132.ご紹介します(6):「馬関でまっちょるそ」

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 今日は、「馬関でまっちょるそ」という本をご紹介します。

 著者は平井優子さんという福岡県春日市在住の方ですが、平井さんの祖父にあたる山本瑳企(たまき)さんという方が吉部の長谷のご出身で、山本家はかつては壽福寺のご門徒さんでした。

 「馬関でまっちょるそ」はこの山本瑳企さんを中心にした山本家の方々の実録なのですが、実際に一緒に暮らした経験や、直接接した人から聞かれたことが文章にされていて、登場人物の息遣いが感じられるような本でした。

 山本瑳企さんは、明治29年(1896年)旧厚狭郡吉部村(現宇部市西吉部)で誕生、上京し苦学しながら大学に進学されたのですが在学中に召集を受けました。第一次大戦終戦後は台湾に渡り公務員として勤務、その後醤油の粉末化の研究に着手しその技術を確立されました。
 醤油の粉末化というのは、運搬に負担が大きい液体の醤油を粉末化することにより、戦地でも「日本の味」を味わうことができるという画期的な技術で、この技術の活用により兵士は戦場でもふるさとの味にひと時心の安らぎを得ることができたと思います。
 終戦後、引退を考えていた瑳企さんは請われて防府での会社経営に関わるのですが、その会社は倒産することになります。そのような中でも、瑳企さんは新しい商品の研究開発に尽力され、ついには負債も完済されたのです。

 瑳企さんは唱和63年(1988年)に91歳でご往生されました。
 瑳企さんのご生涯を見ていますと、「世のため、人のため」という言葉がすべてを表しているように思います。戦場でも日本の味を味わってもらいたいと粉末醤油を開発し、戦後の引揚者を雇用しようと会社を経営し、請われれば技術を指導し、経営にかかわるという行動がそのことを如実に表しています。

 この著書を読んでいて感銘を受けましたのは、ご家族はもちろん、友人や瑳企さんを取り巻く方々が瑳企さんに対して抱かれていた尊敬の念、親しみの気持ちです。もちろんこんな瑳企さんの好意を利用しようと近づいてきた人々がいたことも書かれていますが・・・特に著者の母の瑛子さん(瑳企さんの長女)が娘さんの優子さんに語られた瑳企さんの姿は生き生きとしていて、この本の魅力となっています。

 本題とは外れますが、本の中で印象に残ったことを二つ、
  戦時下では各家庭で自家用の防空壕を作ったのですが、家族の力量で立派な防空壕になったり、そうでないものができたりしたのだそうです。立派な防空壕ができた家にはみんなが「見学」に行ったのだそうですが、苦しい戦時下の記事の中でにこりとさせられるエピソードに感じました。

 もう一つ、「粉末醤油ー陸軍と海軍編」と瑳企さん自身が記されたメモで、粉末醤油を戦地で役立ててもらいたいと訪問したときの陸軍と海軍の反応を記しておられます。両者の(体質の)違いを端的に表しているなあ、と思いながら読みました。
  陸軍「兵隊に食わせるのだからどんなに安い物でも良い」
  海軍「兵隊に食わせるのだからどんなに高い物でも良い」

 去る6月19日、優子さんが吉部を訪ねられ、壽福寺にもおいでいただきました。
 長谷の山本家の家屋はもう残っておらず場所もはっきりしなかったのですが、短時間でしたが長谷の地を見ていただくことができました。

(写真は、その「馬関でまっちょるそ」です。)

 『「益っさん」がきた!』と帯にありますが、幕末明治の元勲、大村益次郎氏は瑳企さんの母方の親戚に当たり、「益っさん」と呼ばれて親しく行き来があったということです。

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