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113.降誕会のご案内です

20150427藤棚

 降誕会のご案内をさせていただきます。

 1.日時
  5月3日(祝日)10:00~(午前のみ)

 2.場所
  壽福寺 本堂

 3.ご講師
  宇部北組 寶林寺住職 市川 幸佛師

 4.当日の予定
  (1)ご法話に引き続き餅まき、お斎を予定していますので、ぜひお子さんもご一緒にお参りください
  (2)午後に第5回の勉強会を開催いたします

 降誕会に向けて、昨日4月26日今橋庄二さん、岩﨑昌彦さん、吉屋博志さん、榊原廣志さん、橋羽正祐さんに駐車場、石段周辺および寺への参道の草刈りをお願いしました。
 おかげさまできれいに整備され、お参りの皆さんをお迎えすることができます。

(写真は、境内の藤棚です)

 このところの暖かさで開花が急速に進みました。
 昨年はあまり多くなかったのですが、今年はたくさん花をつけました。降誕会は天気もよさそうですので、満開のフジをご覧いただきたいと思っています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

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112.お正信偈を読む(22):依経段(18)

P1140958 (2)    P1140954 (2)

 引き続き、依経段をお読みします。

「御文」 一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 (いっさいぜんまくぼんぶにん もんしんにょらいぐぜいがん)
     仏言広大勝解者 是人名分陀利華 (ぶつごんこうだいしょうげしゃ ぜにんみょうふんだりけ)

「訓読」 一切善悪の凡夫人(ぼんぶにん)、如来の弘誓願(ぐぜいがん)を聞信(もんしん)すれば、
     仏、広大勝解(こうだいしょうげ)のひととのたまへり。この人を分陀利華(ふんだりけ)と名づく。

「訳文」 善人も悪人も、どのような凡夫であっても、阿弥陀仏の本願を信じれば、
     仏はこの人をすぐれた智慧を得たものであるとたたえ、汚れのない白い蓮の花のような人とおほめになる。

 阿弥陀仏の本願の信心を得た人に恵まれる「利益」の5番目で、「諸仏称讃の益」とお呼びするものです。
 親鸞聖人はこの4句で、善人も悪人も阿弥陀仏の本願を信ずるならば仏さまに讃えられる人となると、お示しいただいています。

 ここに「聞信」という言葉が出てきますが、浄土真宗では「聞く」ことはとても大切なことだとされています。
 『浄土真宗辞典』に「聞即信」という言葉について次のような説明があります。
  「浄土真宗における聞と信との関係のことで、聞くことがそのまま信心であり、聞のほかに信はないということ。」
 「聞く」のは単に言葉を「聴く」ことではなく、阿弥陀仏が本願起こされた由来と、その結果として私たちを救済されていること(仏願の生起本末)を「聞く」ことがそのまま信心であり、聞くことをおいてほかに信心はあり得ない、とお示しいただいています。

 このような信心を得ることができたひとは、仏さまからほめたたえられるというのが後の2句の内容となっています。

 「広大勝解者」を『浄土真宗辞典』で調べてみますと、「広大なすぐれた法をよく領解した智慧の人の意で、他力信心の行者のこと。」とあります。
 一方次の句に出てきます「分陀利華」は、訳文にありますように白い蓮の花を示す言葉で、煩悩を離れ涅槃を得たたとえとされている蓮の中でも最も高貴なものとされています。

 阿弥陀仏の信心をいただいたものは、仏さま方から「広大勝解者」「分陀利華」と讃えられる存在になるのだとお示しいただいています。

(写真は、一昨日俵山の「しゃくなげ園」で撮ったものです。)

 この「しゃくなげ園」は、金川さんといわれる方が個人でご自宅の裏山や休耕田に植えてこられたとものだということで、170種約3万本もの花を見ることができるそうです。
 汗ばむくらいの快晴のもと、ご苦労を偲びながら楽しませていただきました。

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111.お正信偈を読む(21):依経段(17)

 
20150420霧の境内   

 少し間が空きましたが、お正信偈の依経段の続きです。

「御文」 獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき そくおうちょうぜつごあくしゅ)
「訓読」 信を獲(え)て見て敬(うやま)ひ大きに慶喜(きょうき)すれば、すなはち横(おう)に五悪趣(ごあくしゅ)を超截(ちょうぜつ)す。
「訳文」 信を得て大いによろこび敬う人は、ただちに本願力によって迷いの世界のきずなが断ち切られる。

 この2句は、阿弥陀仏の本願に遭い信心を得た人が恵まれる4番目の利益をお伝えいただいています。
 訳文にありますように、信心を得た人は阿弥陀仏の本願のお力によって迷いの世界(五悪趣)から離れ、仏の世界に生まれ変わることができるという「横超五趣の益」とお呼びしているものです。

 この「五悪趣」を『浄土真宗辞典』で見てみますと、「五悪道・五趣・五道ともいう。衆生が自らなした悪業によって導かれ赴くところ。地獄・餓鬼・畜生・人・天の迷いの世界」とあります。
 これに「阿修羅」を加えたものを六道と呼び、これも衆生が生まれ変わり、死に変わりして迷う世界とされています。

 地獄、餓鬼、畜生、阿修羅はそのような迷いの世界だということは想像がつきますが、人や天はどうして迷いの世界とされているのでしょうか。
 「人」の世界は「欲望に執着することによって苦悩する娑婆世界」とされ、まさに私たちが今過ごしているこの世界のことです。
 「天」の世界は、「天人や天の神が住む世界ですが、まだ欲望にとらわれている迷いの世界」だとされています。

 ここでも「衆生が自らなした悪行によって」という点に注目したいと思います。
 私たちは、「地獄」というとなにか自分の外にあって怖い所だという思いを持っているように思います。子供のころに教わったことから来ているのかもしれません。
 しかし聖人は、これらの悪趣は私たち自身にその原因があるのだと、仰っているのです。私たちは、私たち自身が作り出した「地獄」に囚われ、抜け出せずにいるのだとお示しいただいています。

 聖人は、阿弥陀仏の救いの力がなければ、この欲望にとらわれ、互いに争い、憎みあう世界の中で生まれ変わり、死に変わることから抜け出すことはできないのだと示されています。

 (写真は昨日の朝の境内の様子です。)

 暖かな朝で濃い霧が発生していました。昨年はあまり元気がなかったハナズオウも、今年は鮮やかな色を見せています。イチョウにも若芽が出始めました。

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110.宇部北組念仏奉仕団が催行されました


20150417奉仕団
 

 去る3月24日から26日に、宇部北組の企画による念仏奉仕団が実施されました。

 念仏奉仕団は、ご本山の清掃などの奉仕活動を行うもので、宇部北組としては平成25年10月以来の実施となりました。約40名の方のご参加をいただき、壽福寺からは山本ミチヱさんと坊守が参加しました。

 3月24日早朝に新山口駅に集合したメンバーは新幹線で新大阪へ、その後貸切バスで移動し最初に京都東山の「大谷本廟」に参拝しました。
 大谷本廟ではご希望の方には納骨のお勤めが可能なスケジュールになっていて、山本さんも昨年亡くなられたご主人のご遺骨を納骨されました。

 大谷廟参拝を終えた一行は本山に向かい25日との両日で、親鸞聖人のお像を安置している「御影堂」の清掃奉仕活動を行いました。
 その間には、専如新ご門主のご対面を受け、国宝の「鴻の間」でお茶の接待を受けるなど、印象に残る二日間となりました。
 25日の朝には、6時から「阿弥陀堂」および「御影堂」でお晨朝(朝のお勤めです)にお参りしました。早朝の京は底冷えのする寒さでしたが、全国から来られた奉仕団の参加者や一般の参拝者とともにお勤めをすることができました。

 奉仕活動を終えた25日の午後からは、天橋立を経由して丹後に向かい、夕日ヶ浦温泉に一泊しました。宿泊先の「佳松苑」では、山陰のカニの味も楽しむことができました。

 3日目の26日は、姫路周辺を観光したのちバスで一路新山口へ、一同元気で帰着しました。

 参加された山本さんに感想を伺いましたが、「初めてご本山に参りましたが、山門から境内に入るときには身の引き締まる思いがしました。朝のお勤めも厳かで印象に残りました。主人の納骨も果たすことができて嬉しく思っています。」とおっしゃっておられました。

 参加されたみなさん、お世話いただいた方々お疲れ様でした。

(写真は、専如ご門主を囲んでの記念撮影です。)

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109.宇部北組仏教婦人会連盟総会が開かれました


20150413仏婦総会1
   20150413仏婦総会2
 去る4月9日、瓜生野の明専寺さんを会所に宇部北組仏教婦人会連盟の総会および研修会が開催されました。
 壽福寺からは、杉山博子会長、野原泰子さん、金子加津子さん、志賀信子さん、古川幸恵さんと坊守が出席しました。

 「重誓偈」のお勤めの後、総会では平成26年度の活動報告、会計報告、会計監査報告が行われ、引き続き平成27年度の活動計画案、会計予算案が提案され、いずれも原案通り承認されました。

 今年度は連盟の役員の交代期に当たります。
 今回の役員交代にともない、壽福寺の杉山会長が連盟の会長に就任されますので、平成27年度の活動計画案は杉山新会長が説明されました。

 総会終了の後、大津東組清福寺のご住職、林正文師を講師に迎えて「浄土真宗のみ教え」という題でお話を伺いました。
 講師からは、お仏飯やお仏壇の荘厳、お取越しや七日ごとのお勤めなどの浄土真宗の作法や行事に込められたみ教えについて説明をいただき、日頃気づかずにいたことについて改めて確認することができました。

 午後からは、林師のご指導のもと腕輪念珠の作り方について学びました。
 この腕輪念珠は、写真のような輝きをもったもので、多面にカットされた水晶のビーズをつないで作ります。小さなビーズを扱いますので細かい作業になり、参加者は苦労しながらも念珠作りを楽しんでいました。

 今年8月27日に実施されます山口教区の子供会の大会でもこの腕輪念珠作りを取り入れます。坊守を中心に、今回の経験を生かして子供会の参加者の念珠作りを応援することになっています。

(写真は、念珠作りの様子と出来上がった念珠です)

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108.ご紹介します(5):「レッツ正信偈」


20150410本1
   20150410本2

 今日は、「レッツ!正信偈」というご本をご紹介します。
 辻本敬順さんという方が書かれ、本願寺出版社から発行されています。

 タイトルは「レッツ!・・」と軽やかなのですが、内容は非常に充実したものだと思います。
 「正信偈」の御文、訓読、訳文が対比して整理されていて、それぞれについて関連する事項を原典から引用され、また仏教の歴史や、用語についても解説していただいています。

 また、「コラム」という欄があって、本文の記述に関して理解を助けるようなエピソードや解説が付け加えられています。たとえば、「法蔵菩薩って・・・」、「「他力本願」を学ぼう!」など、私たちが誤って理解しがちなことなども興味をもって読めるようにしていただいています。

 このブログの「お正信偈を読む」の記事を作成するに当たっては、まずこの「レッツ!正信偈」を読ませていただいて、内容を理解、整理させていただいています。また、「御文、訓読、訳文」という構成にさせていただいたのも、このご本を参考にさせていただきました。

 お正信偈の内容を正しく理解することは大変重要なことなのですが、辻本師は、まえがきの部分で、蓮如上人がお正信偈を日常のお勤めに定められたことを引かれてお正信偈を声に出して唱和することの大切さを説いておられます。
 「信仰に心ひかれてお勤めをするようになったというのではなくて、お勤めの場にすわり、共に唱和するようになってから、仏法を聞く身にしていただいたようです。」という灘本愛慈先生のお言葉を引用されて、社会の変化により家庭での唱和の機会が少なくなったことにたいして、「これからはお寺をはじめ、どこでも「正信偈」を唱和する機会を数多く設けるべきではないでしょうか。」と仰っておられます。

 お正信偈の内容を解釈し、理解する以前に声に出して唱和することの大切さを再確認することができました。

(写真は、「レッツ!正信偈」です)

 実は、この「レッツ!正信偈」をご紹介する記事をずっと前に予定していたのですが、その日に他の記事を入れ、それからまた他の記事が入って、といつの間にか抜けてしまっていました。
 大切なご本だったのですが、申し訳ありません。ぜひご一読ください。

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107.新聞「壽福寺だより」を発行しました


20150406新聞1
  20150406新聞2
 新聞版「壽福寺だより」の4月号を発行しました。
 記事の内容は次の通りです。

(1面)
 「春の永代経法要をお勤めしました」
 「宇部北組の念仏奉仕団に参加しました」
 「降誕会のご案内です」

(2面)
 「仏教婦人会幹部会を開催しました」
 「ご存じですか(5)『合掌・礼拝』」
 「ご紹介します」

 今回から新しく「ご紹介します」というコーナーを開始しました。このコーナーは、様々な活動をされているご門徒さんを紹介しようというもので、その第一回は、「ご存知ですか」のイラストを描いていただいた岩崎祥子さんを紹介させていただきました。
 これからご門徒さんの活動を取り上げた楽しいコーナーにしたいと思います。自薦、他薦を問わず情報を寄せていただきますようお願いします。

 2日から満開のサクラを楽しみながら配布しました。

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106.お正信偈を読む(20):依経段(16)

20150403カタクリ1  20150403カタクリ2

 前回に引き続き、「心光摂護の益」について学びます。

「御文」 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇 (ひにょにっこうふうんむ うんむしげみょうむあん)
「訓読」 たとへば日光の雲霧に覆(おお)はるれども、雲霧の下あきらかにして闇(やみ)なきがごとし
「訳文」 しかし、たとえば日光が雲や霧にさえぎられても、その下は明るくて闇がないのと同じである。

 前2回で、聖人は、阿弥陀仏の光明に照らされることによって私たちの無明の闇は晴らされるのですが、私たちの煩悩が雲霧になって信心の空を覆っている、と示されました。
 今回はその御文に続く2句です。

 この2句で聖人は、日光が雲や霧に遮られているとしても、阿弥陀仏の光明によって明るく闇がないのと同じ状態になるのだとお示しいただいています。
 私たちは貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)に代表される深い煩悩から逃れることができずにいるのですが、それでも阿弥陀仏の光明は私たちを明るく照らしてくださるのだと仰っておられます。私たちは私たちの煩悩に囚われながらも、阿弥陀仏のおすくいにあずかることができる、私たちの煩悩は往生の妨げにならないのだとお示しいただいています。

 ここでは、阿弥陀仏が、私たちが私たち自身の作り出す煩悩から逃れることができない存在であることを見抜かれて、そのような私たちでもすくおうと立たれた仏さまなのだということを改めて示していただいています。

(写真は、前々回のミツマタと同じ日に撮ったカタクリの花です)

 「重源の郷」の木立の中にカタクリが自生している場所が2か所ありました。カタクリの花にはこれまで植物園で出会ったことはありましたが、自生しているものは初めてでした。
 左の花は日光に当たる前のもので、日光を受けると花弁を上方に反り返らせて右の写真のようになります。

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