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96.お釈迦さま(1)


20150227釈尊誕生像
    20150227ムユウジュ

 「お正信偈を読む」が「釈迦讃」に入りましたので、お釈迦さまのご生涯とみ教えについて学びたいと思います。
 まず、ご誕生のことについて記してみました。

 お釈迦さまは、紀元前のインドで仏教を広められた方です。

 お釈迦さまのお生まれになった年については諸説があるようで、紀元前6世紀とする説と紀元前5世紀とするものがあるのですが、在世の期間は80年という点については多くの説も一致しているようです。

 その当時のインドは十余か国の大国が互いに争っていた時代で、お釈迦さまはコーサラという国の釈迦族という小さな種族の王子としてお生まれになられました。釈迦族が住んでいた場所は、現在のインド北部かネパールだとされているようですが確定されていないということです。
 お釈迦さまは、その釈迦族の城主であったシュッドーダナを父とし、マーヤーを母としてお生まれになりました。

 お釈迦さまはマーヤー夫人がお産のために実家に里帰りする途中、現在のネパールのルンビニというところの花園で休んでおられたときに出産されたと伝えられていて、夫人がムユウジュ(無憂樹)という木の花に手を伸ばしたときに夫人の右脇からお生まれになったそうです。
 母親の脇から生まれるということは現実にはあり得ないことですが、これは当時のクシャトリアという武士階級の子弟は母親の脇から生まれると表現されたことが伝わっているのだいうことです。

 お釈迦さまは、お生まれになった時に七歩歩み右手で天を指し四方に向かって「天上天下唯我独(為)尊 三界皆苦我当安之」と宣言されたというお話が伝わっています。前回の記事の写真がそうです。これを「四方七歩の宣言」とお呼びしていますが、もちろん実際にこのようなことを言われたとは思われません。
 これは、「この世の生けとし生けるものは苦悩に沈んでいる。だから私はそれらのすべてのものをさとりの世界に導こう」というお釈迦さまの宣言と受け止めることが必要だと思います。
 この四方は余すところがないという意味で、また、七歩というのは、いわゆる六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六界で苦悩に満ちた迷界を意味しています)を生まれながらにして超えておられることを示すものだと伺いました。
 
 

 お釈迦さまは誕生ののちわずか7日で生母のマーヤー夫人と死別され、その後は叔母にあたるマハープラジャーパティーという方によって育てられたと伝えられています。

(写真は、お釈迦さまの誕生を描いた像とムユウジュの花です)
 お釈迦さまの誕生の像をインドの美術館で見た記憶があるのですが、写真が手元にありませんでしたのでネットから借用してきました。マーヤー夫人の右脇からお釈迦さまの姿が見えます。上方には植物もみえますが、ムユウジュの木でしょうか?
 ムユウジュ(無憂樹)は英語でもsorrowless tree(憂いのない木)と呼ばれていて、ボダイジュ、サラノキとともに仏教の3つの聖なる木とされています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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95.お正信偈を読む(15):依経段(11)


20150223釈迦誕生像

 「お正信偈を読む」は「釈迦讃」の2回目になります。

「御文」五濁悪時群生海 応信如来如実言 (ごじょくあくじぐんじょうかい おうしんにょらいにょじつごん)
「訓読」五濁(ごじょく)悪時(あくじ)の群生海(ぐんじょうかい)、如来如実(にょじつ)の言(みこと)を信ずべし。
「訳文」五濁の世の人々は、釈尊のまことの教えを信じるがよい。

 親鸞聖人は、時代は「五濁悪時」だといわれています。『浄土真宗辞典』を見ますと、この五濁とは「悪世においてあらわれる避けがたい5種のけがれのこと」とされ、次の5つがあげてあります。
 劫濁(こうじょく) 時代のけがれ。飢饉や疫病、戦争などの社会悪が増大すること
 見濁(けんじょく) 思想の乱れ。邪悪な思想、見解がはびこること
 煩悩濁(ぼんのうじょく) 貪欲・瞋恚・愚痴(むさぼり、いかり、おろかさ)などの煩悩が盛んになること
 衆生濁(しゅじょうじょく) 衆生の資質が低下し、十悪をほしいままにすること
 命濁(みょうじょく) 衆生の寿命が次第に短くなること

 よく「末法の世」などという言葉をお聞きします。お釈迦さまがなくなられてから後の時代に仏教が衰微していく様を表すのに「正像末」(正法、像法、末法)の3つの時代で表現されてきました。
 「正法」は教(仏の教法)と行(実践)と証(さとり)の三つがすべて備わっている時代
 「像法」は教と行の二つは存しているが証のない時代
 「末法」は教だけがあって、行と証のない時代
 とされて、正法の時代は500年(1000年とも)、像法の時代は1000年、末法の時代は10000年とされています。
 日本では正法、像法を各1000年として、西暦1052年が末法の始まる年だとされていたようです。この時期は平安時代の後期に当たり政治体制が崩壊を始めた不安定な時代、それに加えて飢饉や天災、疫病などが多発してまさに末法の世の到来を実感した時代だと伝えられています。

 このような五濁のはびこる末法の世で、親鸞聖人がお釈迦さまの説かれたみ教えを信じるように呼びかけられたのがこの2句ということになります。
 そして忘れてはならないのは、聖人が呼びかけられた相手は当時の衆生だけではなく、現代に生きる私たちでもあるということです。考えてみますと、「五濁」は、現代において当時よりもさらに根深く動かしがたく時代の中に広まり、はびこっていると思われるからです。
 「群生海」という言葉は、一切の衆生を海にたとえられたお言葉です。

(写真は、お釈迦さまがお生まれになった様子を形どった「誕生仏」です。)
 東大寺蔵のもので、画像はウイキペディアからお借りしています。

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94.お正信偈を読む(14):依経段(10)

 
20150220釈尊像

 しばらく間があきましたが、「お正信偈を読む」は「依経段」の続きです。
 今日から依経段の後半部分、「釈迦賛」と呼ばれている12行24句に入ります。この部分で聖人は阿弥陀如来のみ教えを伝えていただいた釈迦如来(お釈迦さま)を讃えられています。

「御文」 如来所以興出世 唯説弥陀本願海 (にょらいしょいこうしゅっせ ゆいせつみだほんがんかい)
「訓読」 如来、世に興出(こうしゅつ)したまふゆゑは、ただ弥陀の本願海(ほんがんかい)を説(と)かんとなり。
「訳文」 如来が世に出られるのは、ただ阿弥陀仏の本願一乗海の教えを説くためである。

 ここで聖人が如来とお呼びになっておられるのは釈迦如来のことです。お釈迦さまについては別に項を設けたいと思っていますが、今から約2500年前にインドにお生まれになり、私たちの仏教の教えを開かれた方です。

 親鸞聖人は今回の2句で、「お釈迦さまがこの世に出現されたのはひとえに阿弥陀如来の本願を説くためだった」とお伝えいただいています。

 『仏説無量寿経』にお釈迦さまがお弟子さんの阿難さんの問いに答えて次のように話される場面があります。
 「如来はこの上ない慈悲の心で迷いの世界をお哀れみになる。世にお出ましになるわけは、仏の教えを説き述べて人々を救い、まことの利益(りやく)を恵みたいとお考えになるからである。」

 現代私たちが使っている「出世」の意味と違っていますが、仏や菩薩が世に出現されることを「出世」とお呼びし、この出世の目的・本意を「出世本懐(しゅっせほんがい)」とお呼びしています。
 親鸞聖人は、お釈迦さまの「出世本懐」が阿弥陀如来が全ての衆生を等しく救いたいとたてられたご本願を伝えることにあるのだと、お示しいただいているのです。

 御文にあります「本願海」、訳文では「本願一乗海」と訳されていますが、これは阿弥陀如来のご本願が広大で深いことを海にたとえた語です。訳文にあります「一乗」の「乗」は船のことで、「一乗」とは「一切の衆生をのせて等しく仏のさとりに至らしめる唯一の教法」という意味になります。

(写真は、お釈迦さまの像です。ウイキペディアから借りてきました)
 お釈迦さまがなくなられてから約400年の間には、お釈迦さまの像や絵は造られなかったといわれています。当時の崇拝の対象は仏舎利(お釈迦さまのご遺骨です)や仏塔で、お釈迦さまを象徴するものとして法輪や仏足石が使われたと伝えられています。
 写真のようなお釈迦さまの像が盛んに造られるのは、仏教がいわゆるヘレニズム文化と融合することになった時代、地域で始まったのだそうです。

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93.新聞「壽福寺だより」を発行しました

20150216新聞1     20150216新聞2

 新聞版「壽福寺だより」の2月号を発行しました。

 記事の内容は次の通りです。

 (1面)
  
  「総代会を開催しました」
  「山口教区の行事計画です」
  「春季永代経法要(春法座)のご案内です」

 (2面)
  「本山の御正忌報恩講にお参りしました」
  「伝灯奉告法要についての御消息」
  「ご存知ですか(4)『お仏壇(2)』

 1面の総代会では、総代さんの全員集合の写真を撮る予定にしていたのですが、うっかり忘れてしまいました。
 それで日を改めて、三役(代表総代、会計担当、会計監査担当)の方に集まっていただいて打ち合わせを兼ねて写真を撮ることにしました。この三役の打ち合わせでは、総代会当日に今後の課題とされていた事項について意見交換をおこないました。

 2面では、今回住職がお参りした御正忌報恩講と報恩講に引き続きとり行われました「御消息発布式」の内容をご紹介しました。いずれも、このブログで内容をご報告したものです。

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92.御正忌報恩講でのご親教


20150213本願寺新報

 1月23日の記事で本山の御正忌報恩講のご報告を行いましたが、以下、1月15日午後の逮夜(たいや)法要の後に専如ご門主が行われたご親教の全文を掲載させていただきます。

 「本年も、ようこそ御正忌報恩講にご参拝くださいました。
  全国から親鸞聖人をお慕いする皆さまがご参拝くださり、ご一緒におつとめし、お念仏申させていただく尊いご縁であります。このご縁にあたり、聖人のお徳を偲び、あらためて聖人がお説きになった浄土真宗のみ教えを味わわせていただきましょう。
 親鸞聖人は、比叡山で20年間修行に励まれました。しかし、どんなに修行をしても煩悩はなくならず、さとりを開くことはできませんでした。存覚上人が書かれた『嘆徳文(たんどくもん)』には、比叡山での親鸞聖人の心境を、「定水(じょうすい)を凝らすといへども識浪(しきろう)しきりに動き、心月(しんげつ)を観ずといへども盲雲(もううん)なほ覆ふ」(註釈版聖典107ページ)と著されています。
 心を統一しようとしても、さまざまな思いが浮かんできて、心安まらないという状態でありましょう。そのような中で親鸞聖人は、法然聖人が説かれていた教えに出遇われます。それは、私自身の行為である修行の限界を知り、阿弥陀さまのはたらきの無限性にわが身をおまかせするという教えであります。阿弥陀さまの真実のはたらきに出遇ったとき、同時に、真実に背いた生き方しかできない私であることに気付かされます。親鸞聖人の『正像末和讃』に、「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」(同617ページ)と記されました。
 親鸞聖人が説かれた浄土真宗の教えの特徴の一つは、「虚仮不実のわが身」と言われた、自己中心的で、正しさや清らかさを持たない私が、そのままの姿で受け容れられていくところにあります。しかし、虚仮不実のわが身がそのままでよりということではありません。それは、どこまでも悲しむべき私自身の姿です。
 同じ『正像末和讃』に、「小慈小悲もなき身にて 有情(うじょう)利益(りやく)はおもふまじ 如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき」(同617ページ)とあります。何一つ真実のない私に対して、阿弥陀さまは、「そのままの姿で救い遂げる」とはたらいてくださっています。その阿弥陀さまのはたらきに全てをおまかせする以外に私が救われる道はありません。
 阿弥陀さまのお慈悲を感じるとき、私たちは自分自身の姿を見つめながら、等しく阿弥陀さまの願船に乗せられた者として、他の多くの方々と共に、この限られた命を歩んでいくことができます。
 阿弥陀さまのみ教えをわが事として聞き、ご縁ある方へもみ教えをお伝えするとともに、さまざまな悲しみや苦しみを抱えている方の気持ちに寄り添えるよう努めながら、「南無阿弥陀仏」とお念仏申す日々を送らせていただきましょう。」

(写真は、御消息を伝える「本願寺新報」の2月1日号の紙面です)

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91.ご存知ですか(9):座布団

20150202座布団1   20150202座布団2

 前回に続いての「ご存知ですか?」は座布団についてです。

 座布団はいわゆる仏具やお仏壇の荘厳には当たりませんが、お取越しに伺ったときにご門徒さんから座布団について質問をいたいたことがありました。私も知らなかったことがたくさんありましたので、ここでご紹介しようと思います。
 ただ、「ここで書いたことをお宅に伺ったときにチェックしよう」などとは考えておりませんので安心して読んでください。

 ご門徒さんからいただいたご質問は「座布団のどちら側を上にしてお出ししたらいいのでしょうか?」ということでした。座布団の裏表をどのように見分けて、お客様にお出しするときにどちらを上にして出したらいいのか、というご質問でした。
 私も座布団については全く知識がなく、「帰って一度調べてみましょう」とお答えするしかなかったのです。

 で、ネットを中心に調べてみましたら、これがなかなかおもしろかったのです。

 ○まず、座布団の裏表です。
 座布団の表は、中央の部分に房が出ている方だということです。ただ、中には裏表の両方に房を出した座布団もありますので、その場合はこの判定方法は役にたちません。
 その場合は、座布団の縫い目を見て判断するのだそうです。座布団は2枚分の生地(実は座布団は正方形ではないのだそうです。これも初めて知りました)を中央で折って、残りの3辺を縫い合わせるようにして作られています。その縫い合わせの部分を見ると、上側の生地は端を折りこむ形で下の生地に重ねられていて、その上側が表になるのだそうです。

 ○これで座布団の裏表は分かりましたが、次は、お客さんに座布団を出すときに表裏のどちらを上にするのか、という点です。
 これについては、2つの説があるようです。一般的には上記で判断した表側を上にして出すのがよい、とされているようです。つまり、表側を体に接するようにして出すということです。
 これに対して裏を上にして出すのが良いという説もあって、それは例えば掛け布団や着物は裏側を体に接するようにして使うということが論拠となっているようです。

 ○もう一つは、座布団の前後をどのようにして出すのかという点です。
 これは、先ほどの座布団の折り目(縫い目ではない方)を前にして、つまり膝の方になるようにして出すのが正しいとされています。裏表が正しく置かれて、前後をこの方法で合わせると、座布団に前後のある柄が描かれている場合もうまく合うようになっているようです。

 ○もう一つ面白い話がありましたのでご紹介します。座布団の中央は縫い糸が交差した形になっていますが、これには関東と関西で違いがあるのだそうです。
 関東の座布団はこの部分が×もしくは+の形、関西はアルファベットのYの形になっているということです。それで、裏表を正しくすれば関西の座布団はYの字の足の部分を前にして出すと正しい形になるということです。

 このほかに出された座布団に座る場合の作法などもありましたが、これは省略します。いずれにしても、座布団も奥が深いものだと、感心しました。

(写真は、寺の内陣においてある座布団です)
 左が座布団の表、右が裏になります。裏の交差した糸がY字形になっていますので、この座布団は関西系の座布団だということが分かります。

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90.ご存知ですか(8):お仏壇(3)

  20150206仏壇

 前回の「ご存知ですか」が昨年10月でしたから、3か月以上間が空いたことになります。
 今回は「お仏壇(3)」としてもう一度お仏壇を取り上げました。

 といいますのは、昨年末にお取越しに伺っていろいろなご質問をいただいたのですが、その中でもお仏壇に関するご質問がやはり多かったのです。
 また、こちらから見て「これはどうかな」と感じることもありましたので、3回目のお仏壇の記事を作りました。

 と言ってもそんなに神経質になることはありませんが、あくまでも、お仏壇の中心はご本尊の阿弥陀如来と両脇掛だということを念頭に置いておきましょう。

 ○ご位牌、過去帳など
  白木のご位牌は内容を過去帳に転記して、お仏壇の中には置かないようにします。板の入った「回出位牌」と呼ばれるものや折り畳み式の過去帳を仏壇の中に置かれる場合、下段の方に置くようにします。
  ご本尊や脇掛けの前にご位牌や過去帳が置いてあって、阿弥陀様や親鸞聖人、蓮如上人のお像が陰に隠れているような例がありました が、これは避けるようにしましょう。
  過去帳は折り畳み式のものを使い、見台(けんだい)という台に乗せておくか経卓の引き出しに入れておくことをお勧めしています。
  

 ○お供え
  お仏壇にお供えするものとして次のようなものがあり、この順番に重要なものだとされています。
   お仏飯、餅、菓子、果物
  お仏飯は前回の記事に書きましたように仏飯器に盛ってお供えします。餅・菓子、果物はこの順番に内側から通常は1対でお供えします。
  その場合、寺の仏壇(お内仏)では餅・菓子は供笥(くげ)という仏具に盛り、果物は高坏(たかつき)という仏具を使っています。

 ○仏具の置き方
  仏具の足が3本などの奇数のものは、その足を正面に向けて置くようにします。

(写真は、寺の仏壇です。前回の写真より変えてあります。)
 上の丸の部分はお供えです。中の2つが供笥、外の2つが高坏です。通常、置くことができるのは4つまでだと思われますので、餅(または菓子)と果物という組み合わせになるのではないかと思います。
 下の丸は、見台に置いた折り畳み式の過去帳です。

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89.総代会を開催しました


20150202仏壮

 去る1月31日10:00より寺の定例総代会を開催しました。

 定例の総代会は毎年1月31日に開催することになっていまして、前夜から雪の降る悪天候でしたが、16名の総代さんのうち13名の方にご出席いただきました。

 当日は、本堂で賛仏偈のお勤めののちに、庫裏で会議を持ちました。内容は概略次の通りでした。(お名前の敬称を略します)

 1.住職挨拶
  ○1年間の振り返り(ご門主交代、両堂の国宝指定、新聞「壽福寺だより」・ブログのスタート、アンケートの実施、  
勉強会のスタートなど)
  ○今年の寺、宇部北組、山口教区の行事計画、課題等

 2.自己紹介

  
 3.議事
  ○平成26年度会計報告(井上会計担当)
   決算の概要は次の通りです。(単位:千円)
    ・年度会計
     前年度繰越金:112
     今年度収入 :584
     今年度支出 :541
     次年度繰越金:155

    ・基金会計
     前年度繰越金:4,049
     受取利息  :    1
     次年度繰越金:4,050

     
  ○平成26年度会計監査報告(今橋会計監査担当)
  ○役員人事
   協議の結果、次の方々に役員をお願いすることになりました。
    責任役員:井上啓志(新任)、会計担当:徳田順久(新任)、会計監査担当:今橋庄二(留任)

 4.その他意見交換等
  次のような意見が出されましたので、今後検討していくことになりました。
  ○女子トイレの改善水洗化
   経費を確認して対応を検討することになりました。
  ○長期的な設備計画等
   今後の本堂や庫裏の補修などを考慮した少し長い視点での計画を作成し、それに対応する門徒講金の運用について  も検討することになりました。
  ○法座への参詣者増加のための方策
   公共バス利用者をバス停まで迎えに行くなどの方策を検討することになりました。
   5月の降誕会への子供さんの参加を増やす方策を検討することになりました。
  ○勉強会
   内容について、門徒としての基礎知識のようなものも入れて欲しいという声がありましたので、検討することにな りました。

 なお、今年度の地区ごとの総代さんは次の方々です。ご苦労をおかけしますが、よろしくお願いします。

  地下:岩崎昌彦、大河内:三上敏秀、藤ケ瀬・吉部:清水孝義、河中所:埴生利光、山中:井上啓志、長谷・黒川:山本千代子、開ヶ迫・森広・新入道:今橋庄二、根越:金子富士夫、伊佐:榊原廣志、内川:金子睦博、河原:吉屋博志、宇内:志賀勇一、徳坂:志賀智、万倉:斉藤晃治、西宇部:徳田順久、厚狭:杉本准海

 また当日、昼食の準備などで、仏教婦人会の杉山会長、井上副会長にご協力をいただきました。記してお礼申し上げます。

(写真は、当日夜に宝林寺で行われた宇部北組仏教壮年会研修会の様子です)
 総代さんの集合写真をここに載せる予定にしていたのですが、写真を撮るのを忘れていまして、当日夜の行事の写真で代えさせていただきます。
 研修会には井上新市さんにもご参加いただき、ご講師の宇部北組正善寺若院の山本敬氏より、「仏の大悲心を学ぶ」というテーマでお話を伺いました。

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