FC2ブログ

79.今年最後の記事です


20141229かかし

 今年も残すところわずかとなりました。例年になく早く寒波が来て驚きましたが、みなさんお変わりありませんでしょうか。

 今年は、ご門徒さんに寺や浄土真宗のみ教えについて興味や関心を持っていただきたいと、色々な形で情報を提供すること始めたいと考えていました。
 2月から新聞「壽福寺だより」を始め、4月からこのブログ版の「壽福寺だより」をスタートしました。ご門徒さんが考えておられることについて知りたいとアンケートを行い、その内容を寺の運用に反映することができました。

 この活動を通じで、予想していなかったことも含めて新しいこともありました。

 まず、新聞はできるだけご自宅にお持ちしようと考えました。その結果、ご自宅で顔を合わせて短いながらもお話をすることができるようになりました。寺から遠く離れてお住まいの方も多く、ご法事でもない限り一年に一度も顔を合わさない方もありますので、これはありがたいことだと思いました。
 来年は、総代さんに配布をお願いしている地区についても、時々は直接お持ちすることもやりたいと、考えています。

 お取り越しやご法事などでお宅に伺った際に、新聞を話題にして色々なお話をすることができるようになりました。それをきっかけにさらに質問いただいたり、ご意見をいただくことができました。

 そして何よりもありがたいと思いましたのは、新聞やブログの記事を作るに当たって、私自身が勉強することができたことです。
 「ご存知ですか」や「お正信偈を読む」のシリーズの記事を書く際には、関係する資料に当たり、考えを整理する必要がありました。これまで漠然としていた知識を整理し直し、新しいことも知ることができました。

 このように新聞やブログを通じて新しい体験ができた一年でした。来年も引き続きご意見をいただき、ご支援いただきたいと思います。
 どうぞよい新年をお迎えください。

(写真は、12月14日に杉谷地区で出会った風景です)

 ブログの今年最後の写真を何にしようかと迷ったのですが、これがいいか、と取り上げました。
 複数の家族がピクニックに来ているような光景ですが、これは案山子(かかし)なのです。ほんわかとした感じがあって、ここを通るたびに二コリとさせられます。
 ですが、ある人に言わせると、「夜に通りかかったらこれはシュールな風景だね・・・」そうかもしれませんね、一度夜に通ってみましょう。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
スポンサーサイト



78.お正信偈を読む(10):依経段(6)


20141226夕日
 
 
今回は、十二光の残りの4つの光明に入ります。

 「御文」 不断難思無称光 超日月光照塵刹 一切群生蒙光照 (ふだんなんじむしょうこう ちょうにちがっこうしょうじんせつ いっさいぐんじょうむこうしょう)
 「訓読」 不断(ふだん)・難思(なんじ)・無称光(むしょうこう)、超日月光(ちょうにちがっこう)を放(はな)ちて塵刹(じんせつ)を照らす。一切(いっさい)の群生(ぐんじょう)、光照(こうしょう)を蒙(かぶ)る。
 「訳文」 不断光、難思光、無称光、超日月光とたたえられる光明を放って、広くすべての国々を照らし、すべての衆生はその光明に照らされる。

 前回述べられた8つの光明に続いて、今回は次の4つの光明です。
  不断光:常に照らす光です。阿弥陀如来の救済の働きは絶えることなくはたらいていてくださいます。
  難思光:思いはかることのできない光です。私たち衆生には思いはかることができない光です。
  無称光:説きつくすことができず、言葉も及ばない光です。私たちの言葉では表現することができない光です。
  超日月光:日月に超えてすぐれた光です。私たちが知っている太陽や月の明るい光も超えた光です。

 合わせて12に讃えられる「光明を」前回の御文の最初(「普放」)に戻って、「あまねく・・・をはなちて」と読まれます。

 このような阿弥陀如来の光明は、すべての国々を照らし、すべての人々はその光明に照らされると示されています。

 『仏説無量寿経』には、この阿弥陀如来の光明について次のように讃えられています。
 「この光明に照らされるものは、煩悩が消え去って身も心も和らぎ、喜びに満ちあふれて善い心が生まれる。もし地獄や餓鬼や畜生の苦悩の世界にあってこの光明に出会うなら、みな安らぎを得て、ふたたび苦しむことはなく、命を終えて後に迷いを離れることができる。」

(写真は、インド霊鷲山(りょうじゅせん)で出会った夕日です)
 インドの仏跡参拝の途中、夕刻の霊鷲山でお勤めをする機会がありました。
 霊鷲山は、釈尊が『仏説無量寿経』を説かれた場所とされています。当日は岩の上に正座して「讃仏偈」を拝読したのですが、はるか昔に釈尊がここでみ教えを説かれたのだと、強く印象に残る夕日でした。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

77.お正信偈を読む(9):依経段(5)


20141222夕日2
  

 「お正信偈を読む」は、十二光と呼ばれる阿弥陀如来の徳を表す光明に入ります。

「御文」 普放無量無辺光 無碍無対光炎王 清浄歓喜智慧光 (ふほうむりょうむへんこう むげむたいこうえんのう しょうじょうかんぎちえこう)
「訓読」 あまねく無量(むりょう)・無辺光(むへんこう)、無碍(むげ)・無対(むたい)・光炎王(こうえんのう)、清浄(しょうじょう)・歓喜(かんぎ)・智慧光(ちえこう)、(を放ちて・・・)
「訳文」 本願を成就された仏は、無量光、無辺光、無碍光、無対光、炎王光、清浄光、歓喜光、智慧光、(を放って・・・)

 前回で、阿弥陀如来になられる前の法蔵菩薩は、私たち衆生をもらさず救いたいと五劫という想像もつかないような長い時間、思惟を重ねられて48の願を立てられました。
 その後、法蔵菩薩は兆載永劫(ちょうさいようごう)という計り知れない長い間修行を積まれて、本願を成就され極楽浄土を建立されて仏(阿弥陀仏)になられました。
 「兆載永劫」の「兆」は数字の単位として私たちも知っているものですが、「載」も同じく数字の単位なんだそうです。兆は10の12乗ですが、載の方は10の44乗ということですから、これもまた想像を絶する数字です。

 阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏」という名号になって私たちに届いていただいていると同時に、光(光明)となって私たちを照らし救っていただく仏となられたのです。

 今回の3句と次回の3句で、親鸞聖人はこの阿弥陀仏の光明を十二光として讃えられています。ただ、この十二光は12種類の光があるというのではなくて、阿弥陀如来の徳を12の光明で示されたものだと伺いました。

 御文に移りますが、御文は「普」(あまねく)のあとに十二光が述べられて、「放」(を放ち)と戻ってくるという文章になっています。
 初めの3句ではそのうちの8つの光について述べられています。一つ一つ見ていきますと、
  無量光:量ることのできない光。時間的に、過去、現在、未来いつの時代も無限に私たちを照らしていただいています。
  無辺光:際限のない光。物理的空間的にもどこにいても必ず私たちを照らしていただいています。
  無碍光:なにものにも遮られることのない光です。
 この3つの光は「光体」と呼ばれ阿弥陀如来の光明そのものについて示されたものだと伺いました。

  無対光:くらべるもののない光。
  炎王光:最高の輝きをもつ光。
 この2つの光は「光相」と呼ばれ、光明のすがたを言ったものだと伺いました。

  清浄光:衆生のむさぼりを除く清らかな光。
  歓喜光:衆生のいかりを除きよろこびを与える光。
  智慧光:衆生のまどいを除き智慧を与える光。
 この3つの光は「光用(こうゆう)」と呼ばれる光のはたらきを示したものです。私たちの代表的な煩悩として三毒が挙げられます。
  貪欲(とんよく):むさぼり欲しがる心
  瞋恚(しんに):いかり腹立つ心
  愚痴(ぐち):真理を見ることができない愚かな心
 この3つの煩悩を除き仏のさとりに導く光のはたらきをあらわしています。

  
(写真は、先日新聞「壽福寺だより」をお配りする途中山陽小野田市の海岸で出合った夕日です)
 釈尊は、阿弥陀如来のおられるお浄土は「ここから西の方へ十万億もの仏がたの国々を過ぎたところに」あると説かれましたが、夕日を眺めていますと、お浄土が西方にあるとされているのが分かるような気がします。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

76.聞き書き「上宇内地区報恩講」(2)


20141219平山氏著書
      20141219宇内半鐘
 

 前々回に続いて、上宇内地区の報恩講に関して入手した情報をご紹介します。
 平山智昭さんといわれる郷土史研究家がおられます。その平山さんが著わされた『ふるさとの神さま仏さま-郷土のなかに先祖が見えてくる』という著書があります。平山さんは、この書の中で地元の神仏の像を取り上げられて、その由来や地域の方々との関わりを記されています。
 上宇内地区の阿弥陀堂について調べられたことも記されていましので、今回はその内容をご紹介します。

 平山さんによりますと、寛弘3年(1006年)に花山法皇の近臣の津田孫四郎という人が開基となって真言宗のお寺が建立され、これが後の阿弥陀堂の基となったということです。
 時代が下って、嘉永元年(1624年)に浄土真宗に改宗し「教順寺」と称したのですが、3代で廃寺となり、それ以降は地域の方々が阿弥陀如来のお像を守ってこられた、ということです。

 また、別のご著書では「阿弥陀堂は元禄元年(1688)の建立らしく」と述べられていて、これが昭和32年まで阿弥陀如来像を安置していた阿弥陀堂ということになるようです。
 
 また、集会所の軒先にある半鐘には「安政五午二月鋳造」と記されていて、この半鐘もかつての阿弥陀堂に置かれていたものと考えられます。

 以前の阿弥陀堂があった場所に近いところに柴川さんというご婦人がおられて、最初に志賀勇一さんのお宅でお話を伺ったときにもご一緒におられてお話を聞かせていただいた方です。90歳を超えておられるということでしたが、矍鑠とされた方でした。
 この柴川家が、廃寺になった後地域に引き継がれた阿弥陀堂を守ってこられたのだそうです。
 以前にもご紹介しましたように、この地区の浄土真宗のご門徒さんは3カ寺に分かれておられます。
 「どうしてそうなったのかご存知ではありませんか」とお尋ねしたところ、柴川さんは「それは浄土真宗の門徒の力が集まって強くなり過ぎないようにしたのではないか」と、それだと江戸時代のことなんでしょうが、つい少し前のことのように仰っておられました。

 すでに書きましたがこの地域にはかつては40戸余りの方々がおられたのですが、現在は16戸にまで減っています。今より1戸多い17戸時代の家屋の配置図というのを見せていただきました。
 この17戸の内、「志賀」という姓を名乗っておられるお宅が11戸あります。次いで多いのが先程の「柴川」の3戸ということになっていました。このような地域では名字以外の呼び名を使うということをやっていましたが、この上宇内地区でもそうで、かどな(「門名」でしょう)という名前がつかわれていたそうです。
 この柴川さんのお宅の門名は「台(だあ)」というのだそうです。あるいは、阿弥陀堂と関わりのある門名なのかもしれません。
 

 多くの方々からお話を伺い、このような歴史を持った阿弥陀如来のお像を地域の方々が一体になって大切に守って来ていただいたことがよくわかりました。

(写真は、平山さんのご著書の表紙と集会所の軒の半鐘です)
 少し見えにくいですが、「安政五」以下の銘が見えます。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

75.お正信偈を読む(8):依経段(4)


20141215雪景色1
  20141215雪景色2

 「お正信偈を読む」は第8回になります。

「御文」 五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方 (ごこうしゆいししょうじゅ じゅうせいみょうしょうもんじっぽう)
「訓読」 五劫(ごこう)これを思惟(しゆい)して摂受(しょうじゅ)す。重ねて誓うらくは、名声(みょうしょう)十方に聞こえんと。
「訳文」 五劫もの長い間思惟してこの誓願を選び取り、名号をすべての世界に聞こえさせようと重ねて誓われた。

 ここでは、法蔵菩薩は48の願を立てられるに先だって、五劫の間思惟を重ねられたと述べられています。
 五劫という数字が登場しましたが、この時を計る単位の「劫」については次のような説明がされています。二種類の説明をご紹介します。
 芥子劫:一辺が1由洵(由洵は古代インドの距離の単位だそうで、約60キロメートルだと言われています)の入れ物の中に植物の芥子の種を一杯に入れます。百年に一度、その芥子の一粒の種を持ち去って種が無くなってもまだ劫は終わらない・・・
 盤石劫:同じく一辺が1由洵の巨大な石があります。百年に一度その石を白い布で撫で払うのですが、そのことによって石が磨滅してもまだ劫は終わらない・・・

 いずれにしても、1劫というのは想像もつかないくらいに長い時間なのですが、それが5劫です。法蔵菩薩がそのような長い間、思惟を重ねなければならなかったのは、私たちの煩悩が余りにも大きいからだと聞かせていただいたことがあります。

 そして、その48の願を重ねて誓われたのが「重誓名声聞十方」の部分です。
 『無量寿経』には48願の後に「重誓偈」と呼ばれている偈文があります。この偈文では、法蔵菩薩は次の三つの誓を述べられています。
  「必ずこの上ないさとりを得よう」
  「力なく苦しんでいるものを広く救いたい」
  「わたしが仏のさとりを得たとき、その名を世界のすみずみまで届かせたい」
 そしてこの願を成し遂げられないならば、自分は誓って仏にならない、と誓われたのです。

 この三つの願は48願の肝要の部分なのですが、特に三番目の「その名(=名号)を世界に届かせて救いたい」という誓は阿弥陀如来の大切な願ですので、親鸞聖人は特にこの部分を「重誓名声聞十方」として取り上げられたのだと聞かせていただきました。

 少し話が脱線しますが、私が「五劫」という言葉の意味を初めて知ったのは、落語からでした。
 落語に「寿限無」というお話があります。生まれてきた男の子に名前をつけてもらおうとお寺の住職に頼みに行くのですが、丈夫で長生きできる名前にしてもらいたいというので、縁起のよい言葉をつないだ名前になってしまうというお話でした。
 そこでつけられた名前が、「寿限無寿限無五劫のすりきれ・・・」で始まる長い名前でした。

 落語の解説本にこの「五劫」が時間の長さだという説明がありました。「すりきれ」と言っているところをみると、前記の二つの「劫」のうち、「盤石劫」の方になるのでしょうか。
 その後、この「五劫」と「お正信偈」の「五劫」とがつながって、ああそうだったのか・・・ということになりました。

(写真は、一昨日12月13日に降った雪です)
 昼過ぎから降り始めました。例年に比べて早い雪です。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

74.聞き書き「上宇内地区報恩講」


20141212阿弥陀堂1
   20141212阿弥陀堂2
 先日、上宇内地区の集会所(前回「集会場」と書きましたが、正しくは「集会所」です)で勤められた報恩講についてご報告しましたが、その前後でお聞きしたことや資料で分かったことをご紹介します。

 前回の記事でもご紹介しましたように、元々この集会所の少し上に阿弥陀堂という阿弥陀如来像を安置したお堂があったのだそうです。

 去る12月10日に、この阿弥陀堂の跡地を見たいと思って現地に出かけてきました。
 その前に地元の壽福寺のご門徒さんの志賀勇一さんと志賀英治さんにお願いして関連する資料をお借りしていましたので、それをお返しするのも目的だったのです。
 資料をお返しした後に阿弥陀堂の跡地を見るつもりだとお話していましたら、勇一さんの奥さんと英治さんが待っておられて集会所と阿弥陀堂の跡地を案内していただきました。

 阿弥陀堂の跡地は、現集会所の横手の坂を上った所にありました。11月23日(その報恩講の次の日です)に地域の方が出られて草刈りをされたということで、当日の跡地は草刈りも終わってすっきりした一区画になっていました。地面を見ると刈り取られた笹の茎の跡がたくさん見えましたから、草刈りをされる前は相当な笹の藪だったことが想像されます。

 うしろに雑木林(この雑木林も以前はそんなに樹高がなかったようですが)を持ったこの土地の一角に茅葺きの阿弥陀堂があったということです。お堂は10メートル四方もあったのでしょうか、2部屋を備えたていたということですが、礎石は見当りませんでした。
 お話によれば、地域の様々な行事がこのお堂の前で行われたそうです。葬式や盆踊り、戦中は出征する兵士を送り出す場所でもあったようです。また戦後は若者がバレーボールをやった場所でもあったと懐かしそうに話しておられました。

 その阿弥陀堂に安置してあった阿弥陀如来のお像は、昭和32年現在の集会所を新築した際にこちらにお移ししたのだそうです。 
 現在の集会所は、前回の記事の写真にもありますように控えの間も備えた堂々とした建物です。炊事をする設備もあり、やはり地域の行事の会場に利用されてきたことが窺えます。

 阿弥陀如来のお像がこちらの集会所に移ってからも、地域の方はこの阿弥陀如来像を大切にお守りしてこられました。

 前回にも書きましたが、16軒のご門徒さんは毎日順番に阿弥陀さまにご仏飯とお花を供えられています。かつて多いときには40軒を数えた住民の方も現在では16軒までに減少していますので、そのご負担は増えていますが、それでも毎日のご奉仕を続けていただいています。本当にありがたいことだと改めて思いました。

(写真は、集会所の阿弥陀如来のお像とかつての阿弥陀堂の跡地です)
 立派な荘厳を備えたお仏壇です。うしろの金箔を使った壁紙は地元の2人の方が還暦のお礼に補修されたのだそうです。
 右の阿弥陀堂跡地は、かつてお堂があったことを偲ぶよすがもありませんでした。刈り取られた草が積まれていました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

73.新聞「壽福寺だより」を発行しました


20141208新聞2
  20141208新聞1
 

 新聞版「壽福寺だより」を発行しました。

 今回の「壽福寺だより」は、1面は12月号、2面は2015年新年号という構成にしました。
 記事の内容は次の通りです。

 2014年12月号
  「報恩講をお勤めしました」
  「今回もお世話になりました」
  「ジャズのライブを楽しみました」
  「宇部北組念仏奉仕団のご案内です」

 2015年新年号
  「あけましておめでとうございます」
  「上宇内地区の報恩講をお勤めしました」
  「壽福寺の平成27年の行事計画です」
  「ご法事のご予定を連絡しています」

 今回の配布は次により、総代さん経由、直接持参あるいは郵送の方法でお届けしますので、内容をご確認いただきますようお願いします。

 ○次のものは皆さんにお届けします
  新聞「壽福寺だより」        
  「宇部北組念仏奉仕団団体参拝募集」
 ○該当されるお宅にお届けします
  「4月以降の年忌のご案内」
 ○総代さん経由あるいはお取り越しでお渡ししたお宅以外にお届けします
  「2015年法語カレンダー」 

72.お正信偈を読む(7):依経段(3)


20141205雪景色1
  20141205雪景色2

 昨日に続いてお正信偈(7)です。

「御文」 建立無上殊勝願 超発稀有大弘誓 (こんりゅうむじょうしゅしょうがん ちょうほつけうだいぐぜい)
「訓読」 無上(むじょう)殊勝(しゅしょう)の願を建立(こんりゅう)し、稀有(けう)の大弘誓(だいぐぜい)を超発(ちょうほつ)せり。
「訳文」 この上なくすぐれた願をおたてになり、世にもまれな大いなる誓をおこされた。

 前回、法蔵菩薩の師である世自在王仏は、菩薩のために二百一十億もの浄土の成り立ちやその国々に住んでいる人々の善悪と国土の優劣を説き、それらの全てをお見せになりました。

 法蔵菩薩はこれらのたくさんの浄土の姿を詳しく見て、その中から善なるものを選びとり最高の浄土を作ろうとされました。

 『無量寿経』には、次のように記されています。
 「そのとき法蔵菩薩は、世自在王仏の教えを聞き、それらの清らかな国土のようすを詳しく拝見して、ここに、この上なくすぐれた願を起こしたのである。その心はきわめて静かであり、その志は少しのとらわれもなく、すべての世界の中でこれに及ぶものがなかった。」

 こうして立てられたのが、私たちが四十八願とお呼びしている四十八の願なのです。
 その四十八の願の一つ一つは、「私が仏になったら、これこれのことは実現させます。それができないようなら、私は仏になりません」という法蔵菩薩の誓が込められています。
 この誓が、「稀有の大弘誓」すなわち「世にもまれな大いなる誓」です。

 法蔵菩薩は、この世のあらゆる者を救いたいと願われて、この四十八の願をお立てになりました。
 この四十八の願、とりわけ私たちがご本願とお呼びしている第十八願については、別に学びたいと思います。

(写真は、12月3日の境内の様子です)
 前回と同じくすりガラスに映った戸外の様子とガラスを開けたところです。3日には今年の初雪が降り、秋の風景から一変しました。本堂の屋根から滑り落ちた雪も積もっています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

71.お正信偈を読む(6):依経段(2)


20141201紅葉1
 20141201紅葉2

「お正信偈を読む」の6回目、今日は5、6句です。

「御文」:覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪 (とけんしょぶつじょうどいん こくどにんでんしぜんまく)
「訓読」:諸仏の浄土の因(いん)、国土人天(にんでん)の善悪を覩見(とけん)して、
「訳文」:仏がたの浄土の成り立ちや、その国土の人間や神々の善し悪しをご覧になって、

 前回の「お正信偈を読む」では、後に阿弥陀如来になられる法蔵菩薩が師の世自在王仏を讃嘆されたことをご紹介しましたが、その後菩薩は師に次のように申されます。
 「どうぞ、わたしのためにひろく教えをお説きください。わたしはそれにしたがって修行し、仏がたの国のすぐれたところを選び取り、この上なくうるわしい国土を清らかににととのえたいのです」

 これに対して、世自在王仏は、「どのような修行をして国土を清らかにととのえるかは、そなた自身が知るべきであろう」と、菩薩の願いをお聞きになりません。 

 法蔵菩薩は、重ねて「いいえ、それは広く深く、とてもわたしなどの知ることができるものではありません。世尊、どうぞわたしのために、ひろくさまざまな仏がたの浄土の成り立ちをお説きください」と申されます。

 そのようなやり取りで世自在王仏は法蔵菩薩の志が尊く深いものであることを知られて、菩薩のために二百一十億の仏がたの浄土の成り立ちや、その国々に住んでいる人々の善悪と国土の優劣を説かれ、それらの全てをお見せになりました。
 それが今回の2つの句に当たります。

 二百一十億の浄土とありますが、お浄土は阿弥陀如来のおられるお浄土だけではないということです。
 本来お浄土というのは、さとりの境地に入った仏、菩薩が住んでおられる「清浄な国土」のことで、仏がたの数だけお浄土もあるということになります。薬師如来、大日如来などの仏がたもそのお浄土を持っておられるのです。

 二百一十億というと想像を絶する大きな数字ですが、お経の中にはこのように大きな数字がよく登場します。
 このような想像を絶するような大きな数字は、私たちの相対有限の世界と、絶対無限のさとりの世界の相違(質的な相違)を表現しようとして使われるのだということです。

(記事の中で御文の読み方も( )にひらがなで入れて記すようにしました。既に掲載した記事にも追加しました)

(写真は、先日の本堂の様子です)
 朝のお勤めを終えて外陣の方を見ると、すりガラスの一部が赤くなっているのに気付きました。一瞬、「火事か?」と思ったのですが、よく見ると境内の紅葉したモミジが映っていたのです。
 ホッとすると同時に一人で笑ってしまいました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 
カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR