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35.浄土真宗の教章(3)


20140728阿弥陀如来2
  20140728阿弥陀如来1

 今回」は、「浄土真宗の教章」の「本尊」の項に移ります。「教章」では、次のように記されています。

  本尊 阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)

 この部分は、旧の「教章」と全く同じ内容です。  

 浄土真宗の憲法に当たる『浄土真宗本願寺派宗制』の「第1章(本尊)」の項にも「本宗門の本尊は、阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)一仏である。」と定められています。
 仏教では阿弥陀如来以外にもたくさんの仏さま方がおられますが、浄土真宗では阿弥陀如来ただ一仏のみがご本尊であるとされているのです。

 そのご本尊の「阿弥陀如来」は目に見える形でのご本尊で、木像や絵像としてのご本尊です。
 一方、「南無阿弥陀仏」の方は六字の名号(お名前)ですがこれも浄土真宗の「本尊」とされます。ご家庭のお仏壇にこの六字の名号をご本尊として奉献される場合がありますが、それもこのことによります。 
 「南無阿弥陀仏」といいますと、私たちが日常的に口にするいわゆる「お念仏」ですが、なぜそれが私たちの浄土真宗のご本尊になるのか、という点について見てみます。

 「阿弥陀」という言葉はお釈迦様の時代のインドの言葉「アミタ(無量という意味です)」が語源でこれを音写したもので、無量光(限りない光)と無量寿(限りないいのち)とを表すものだと伺いました。
 空間的にも時間的にも無限に、いつでも、どこでも、だれにでも、等しく救いを届けていただいている阿弥陀如来が私たちの浄土真宗のご本尊ということになります。

 また「(南無阿弥陀仏)」の「南無」は「帰依」という意味と伺いました。ただ、この「帰依」は、一般的に理解されているように私たちが阿弥陀如来に何かを期待して行う帰依ではありません。
 親鸞聖人は南無阿弥陀仏とは、阿弥陀如来から私に向けられた「この阿弥陀に帰依しなさい、まかせなさい」という「呼びかけ」だと示されました。私が「お助けください」と頼むよりも前に、「必ず救う」と呼びかけてくださる阿弥陀如来の声なのです。

 それゆえに、南無阿弥陀仏という名号も阿弥陀如来のお像とともに私たちの浄土真宗の「本尊」 とされます。

(写真は、壽福寺の本堂の阿弥陀如来のお像です)
 阿弥陀如来はご覧のように立ったお姿でおられ、さらに横から見ますと随分と前傾の姿勢で立っておられます。
 これは、私たち衆生のことをいつも心配されていて、なにかあればすぐにでも救いの手を差し伸べることができるようにされているお姿だと伺ったことがあります。 

(お詫びと訂正です)

 先日の7月18日の記事で、親鸞聖人のご往生の年を1163年と記していましたが、これは誤りで正しくは1263年です。お詫びして訂正いたします。

 この記事を読まれた方からご指摘をいただきました。ありがとうございました。
 記事をしっかりお読みいただいている方がおられるということが分かって、嬉しく思いました。

 当日の記事では触れませんでしたが、聖人のご往生について表記の仕方にこれまで変動がありました。
 ご往生の日そのものについて諸説がある、というのではなくて旧暦で示されたご往生の日を新暦でどのように表記するか、ということにかかわることです。

 「浄土真宗の教章」にありますように、聖人のご往生の日は旧暦で表しますと弘長2年11月28日です。これは、新暦に置き換えますと 年が変わって1月16日に当たります。
 これを、かつては新暦で1262年1月16日と表記していたようです。弘長2年を全て1262年と表記するという考え方に従ってそのようにしていたことによるようですが、現在では新暦で年が変わったことで1263年と表記することになったようです。
 現に私の手元にあります、旧版の「浄土真宗 聖典-勤行集-」に掲載されている「浄土真宗の教章」にも1262年と表記されています。

 ということなのですが、私のミスは極めて単純なミスでした。お詫びします。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 
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34.若僧会の総会に出席しました


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 宇部北組に「若僧会」という会があり、去る7月22日に小野の正善寺さんを会場に総会が開催されました。

 「若僧会」という名前からすると若い僧侶の会のように思えるかもしれませんが、規約では、会員は「宇部北組内寺院に属する僧侶のうち、有志の者」とされていまして、50歳、60歳代の「若僧」も参加しております。
 春に実施した「子供花まつり」もこの若僧会のメンバー(の中の若い方)が中心になって、企画されたものです。  

 今回の「若僧会」で取り上げられた事項を2つご報告しておきます。

 1.連続研修会の開催
  ご門徒さんを対象にした研修会で、仏教や浄土真宗の基本的な事項をご一緒に学んでいただくことを目的に開催が検討されています。
  (以下の内容は現時点での実施案ですので、今後の検討の過程で変更になる部分もあるかも知れません)

  ○開催期間、頻度
   平成27年9月~平成28年11月の期間とし、1,2月及び8月を除き毎月1回、延べ12回開催
  ○会場
   組内寺院持ち回り  
  ○講師
   組内の僧侶が分担する

  ○先日、壽福寺で実施したアンケートで、「浄土真宗のみ教えやお経などについてご一緒に学ぶ会を持ちたいと考えていますがいかがでしょうか?」という設問をしました。
  これに対して30名を超える方から「参加してみたい」というご回答をいただいています。
  この壽福寺の勉強会は今秋にはスタートしたいと考えていますが、上記の宇部北組の研修会の内容も参考にしながら、内容を検討したいと思います。
  (なお、このアンケートの結果については追って別途ご報告します)

 2.宇部北組念仏奉仕団の実施
  「念仏奉仕団」はこの若僧会の担当事項ではないのですが、情報として連絡がありましたのでご報告しておきます。
  宇部北組としては、新ご門主が就任されてから初めての奉仕団ということになります。

  ○実施予定
   平成27年3月24日(火)~26日(木)の2泊3日
  ○内容
   第1日目 新山口駅集合⇒新幹線、バスで本山に。その後清掃奉仕、本山及び本山周辺の見学⇒本山近くの宿にて泊
   第2日目 晨朝(じんじょう:朝のお勤めです)参拝、清掃奉仕、記念撮影(新ご門主と予定)⇒バスにて丹後方面へ⇒丹後市内泊(温泉とカニを期待)
   第3日目 (以後はバスにて移動)宿泊先⇒姫路市周辺観光(内容は今後検討)⇒山口南IC⇒解散

  ご参加をご検討いただきますようお願いします。内容が固まり次第正式のご案内をいたします。

(写真は、今年1月15日の境内です。暑い日が続いていますので、少しでも涼しさを感じていただければいいのですが・・・)

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33.最近の話題です(7):「ムラサキシキブ」が咲きました


 20140721ムラサキシキブ1   20140721ムラサキシキブ2

 境内にある「ムラサキシキブ」が咲きました。

 この「ムラサキシキブ」は、昨年11月13日にご門徒さんの古川賢治さんにいただいたものです。
 掘っていただいた木を車で運んで、境内の手洗いの前に植えました。高さ90センチほどの木でうまくつくか心配していたのですが、育ってくれました。

    20140721ムラサキシキブ4
写真の黄色で囲んだ木がそうです。秋には紫の実がなると思いますので、楽しみにしていましょう。
 (写真をクリックしていただくと大きな画像を見ることができます)

 このムラサキシキブという名前も優雅でいいですね。
 平安時代の女流作家、紫式部から由来する名前だとされていますが、「ムラサキシキミ」から来たのだという説もあるようです。「シキミ」というのは実が「重なる」という意味なんだそうです。

 実は、同じムラサキシキブの仲間(ムラサキシキブ属)に「コムラサキ」と呼ばれている植物があります。同じ属なのですが別の種で、この境内に咲いたムラサキシキブも、ひょっとしたらこのコムラサキの方ではないかと思います。
 
 植物の解説書によりますと、コムラサキの特徴は次のように説明されています。
  ○ムラサキシキブよりこじんまりした印象がある⇒これはなんとも言えません
  ○葉は先端部分にギザギザがあり元の方にはない⇒右の写真ではあてはまりそうです
  ○花は葉の付け根から少し離れたところから出てくる⇒これもあてはまっているようです
 ということで、どうやらこれはコムラサキの方でしょう。解説書にもコムラサキを(誤って)ムラサキシキブと呼ぶ場合も多い、と書いてありました。

 ご参考までに、「本家の」ムラサキシキブの写真です。手元になかったものですから、ネットから借用してきました。

     20140721ムラサキシキブ3
 葉の付け根までギザギザがあり、花は葉の付け根から出ています。

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32.浄土真宗の教章(2)

20140718聖人像

 前回は、教章の全体の構成を見ましたが、今回(以降)はもう少しくわしくその教章の内容を見て行きたいと思います。
 なお、この記事を作成するに当たっては、教章が改訂されたときに発行された『「浄土真宗の教章(私の歩む道)」を理解するために』という資料を参考にさせていただきました。

 教章は次の内容で始まっています。

  宗名 浄土真宗
  宗祖 親鸞聖人(ご開山)
      ご誕生 1173年5月21日(承安3年4月1日)
      ご往生 1263年1月16日(弘長2年11月28日)
  宗派 浄土真宗本願寺派
  本山 龍谷山 本願寺(西本願寺)

 ○ご承知の通り、私たちの浄土真宗のみ教えを開かれた「宗祖」は親鸞聖人です。私たちは「ご開山聖人」ともお呼びしています。
  (『領解文』に「ご開山聖人ご出世のご恩、」と記されているのもその例です)
  聖人は800年以上前の平安時代末期にお生まれになり、90年の生涯にわたって阿弥陀如来の本願を私たちにお示しいただいた方です。
  2012年は聖人の750回の大遠忌(聖人の50年ごとの年忌)に当たり、本山への参拝など皆さんのご記憶にも新しいことと思います。

 ○次に「宗名」ですが、「浄土真宗」という宗名は親鸞聖人がお付けになった宗名ではなく、もともとは教えの内容をあらわした名なのです。
  聖人の主要な著書である『教行信証(顕浄土真実教行証文類)』の「教巻」に、聖人は
   「大無量寿経 真実の教 浄土真宗」
  と記されています。つまり、浄土真宗は『大無量寿経(仏説無量寿経)』そのものを表していると示しておられるのです。

 ○私たちの宗派の名称は「浄土真宗本願寺派」といいます。
  この「浄土真宗本願寺派」というのは、宗教法人法に基づく宗派の正式の名称です。
  親鸞聖人のみ教えを受け継いだ宗派として「真宗十派」と呼ばれる宗派があります。
  私たちの浄土真宗本願寺派の外に、大谷派、高田派、仏光寺派、興正派、木辺派、出雲路派、誠照寺派、三門徒派、山元派の九派があり、この十派で真宗教団連合を結成し聖人のみ教えを広めています。
  私たちの宗派は「浄土真宗本願寺派」ですが、他の九派は「真宗大谷派」のように、「真宗」を冠して宗名とされています。

 ○私たちの宗派の本山は、一般には西本願寺の名前で呼ばれることが多いのですが、正式には「龍谷山本願寺」といいます。
  この「龍谷」という山号は、かつて本願寺が最初に聖人の廟所として建立された地、京都東山の豅(「谷へん」に「龍」を付して「おおたに」と読みます)にちなんで命名されました。これは「龍谷大学」や「龍谷大学付属平安高校」など宗門付属の学校の名称としても親しい名前になっています。

 ○宗派の「浄土真宗本願寺派」と本山の「本願寺」との関係は、本願寺(本山)の住職が宗派(宗門)の門主に就任するとされています。今回の法統継承においても、専如さまは本山本願寺の住職に就任されることによって、宗門の門主にも就任されたということになります。
  また、宗派と一般寺院などの関係では、宗派としての「浄土真宗本願寺派」が本山本願寺や直轄寺院(東京の築地別院)、直属寺院(各地の別院など)および一般の寺院(壽福寺もその一つです)を包括するという形になっています。

(写真は、壽福寺の親鸞聖人の御影です。ご本尊に向かって右の厨子にお納めしてあります)

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31.夏法座をお勤めしました


20140714夏法座  

 7月12日、36名のお参りの方を迎えて夏法座をお勤めしました。

 当日はちょうど梅雨の切れ目に当たり、少し曇はありましたが明るい日差しの中お聴聞することができました。
 法座は次の次第でお勤めしました。

  ○勤行:「正信偈」
  ○「真宗宗歌」斉唱
  ○法話(講師は宇部北組 万福寺住職 厚見崇 氏)
  ○「恩徳讃」斉唱
  ○「領解文」唱和

 講師からは、お正信偈の最初の2句、「帰命無量寿如来 南無不可思議光」をご讃題として、お念仏の意味についてのお話がありました。

 「我に任せよ必ず救う」という如来の呼びかけは、「南無阿弥陀仏」の念仏となって私たちに届き、それは時と場を超えていつまでもどこまでも私たちに働き続けていただく、というお話を伺いました。
 救われる私について、講師から紹介のあった次の問答が印象に残りました。

  「(私は)これでいいのですね?」  「いや違う、それでいいのだ」 

 それに対して再度、
 
  「(私は)これでいいのですね?」  「いや違う、それでいいのだ」 と

 私が私の思いこみで「これ」と思っている「私」と、如来の光の中で照らされる「私」との違いのことだと受取りました。
 前回のブログの掲示伝道のことば「念仏は我(が)の壊れる音」とも響きあうお話でもありました。

(写真は、後拝での集合写真です)

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30.夏法座に向けて掲示を変えました


20140711夏法座準備1
   20140711夏法座準備2

 12日の夏法座に向けて準備を行いました。

 7月10日、折から台風の影響で強い風が吹く中、仏教婦人会の杉山会長と井上副会長においでいただいて、本堂の清掃と椅子のセッティング、廊下の清掃をしていただきました。
 蒸し暑い中、ご苦労をおかけしました。

 また、本堂の中および屋外2か所の掲示の内容を入れ替えました。

 今回の掲示は、秋の法座のご案内と併せて「念仏は、我(が)の壊れる音」という「ことば」をいただきました。
 この「ことば」は、壽福寺のご門徒さんで平成21年(2009年)にご往生された岩﨑美治さんが作られたものです。

 本願寺出版社から刊行されている本に、「ブックレット・基幹運動」というシリーズがあるのですが、その1冊に「掲示伝道」という本があります。
 2000年6月に発行されたこの本に岩﨑さんのこの「ことば」が取り上げられていました。この本は当時の門徒推進員の方々から寄せられた掲示伝道用の「ことば」から選んで編集されたものです。

 岩﨑さんは壽福寺の門徒推進員として活躍された方で、ご自身で「壽福寺門徒通信」という新聞を発行されるなど、ご門徒さんに浄土真宗のみ教えを広めようとご尽力いただいた方です。

 「念仏は、我(が)の壊れる音」

 ここで言われている「我」は、私の姿、欲や怒り、愚かさ(この3つが代表的な煩悩とされます)に縛られている私、いつも自分を中心に物事を考える利己的な私のことです。 
 南無阿弥陀仏という「智恵の光」に照らされたときこのように煩悩にさいなまれている私自身の姿に気づかされ、南無阿弥陀仏という「慈悲の光」がそのような私を煩悩から解き放ち、包みこんでいただくのだと味わわせていただきました。

(写真は、準備の終わった本堂です。お参りをお待ちしています)

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29.最近の話題です(6):ナンテンが咲いています


20140707ナンテン1
  20140707ナンテン2  20140707ナンテン3

 しばらく梅雨の中休みでしたが、台風の接近も予想されて再び雨が強まりそうです。
 こんな時期、雨の中で咲いているナンテンの白い花をみるとほっとします。ナンテンは秋から冬にかけてつける赤い実を楽しむことが多いようですが、この時期の花もなかなかいいものです。

 先日初めて知ったのですが、ナンテンは石灰質の土壌でも生育できる植物なのだそうです。
 秋吉台の白い石灰石の間にも生えているのを見ることができました。野鳥が食べて運んだ種がそこで成長したのだろうという説明がありました。

 
 ナンテンは薬用植物としても知られています。「南天葉」という名前の生薬だそうで、健胃、解熱、鎮咳などの効用があるということです。そういえば「南天のど飴」というのもありました。
 また、昔は赤飯などにナンテンの葉を載せたりしていました。これはナンテンの防腐効果を利用したものだったようです。

 (写真は、寺のナンテンです。右の1枚は少しピンクがかったナンテンで、中庭にあるものです。
  中央の写真の花の周りにあるのは、開く前のガクに覆われた状態の花です。このガクがばらばらと落ちると、一気に花が開きます)

28.夏法座に向けて除草を行いました


20140704除草2
   20140704除草1

 7月1日、夏法座の準備として境内周辺の除草を行いました。

 梅雨の晴れ間となった当日、総代さん7名(岩崎昌彦さん、井上啓志さん、今橋庄二さん、野村荒熊さん、吉屋博志さん、岩崎則彦さん、志賀智さん)と橋羽正祐さんの8名が8:30に集合し、駐車場、石段の周辺、寺への参道の周辺を手分けして除草しました。

 当日威力を発揮したのは、橋羽さん持参のブロワー(というのでしょうか)。農薬を散布するのにも使われるということですが、これで刈り取った草を吹き集めました。
 前回の除草では、石段周辺で刈った草を箒で集めて処理するのが大変だったのですが、今回はこのブロワーであっという間に完了することができました。まさしく、「文明の力」です・・・・

 蒸し暑い日でしたが、終了後は缶コーヒーと岩崎昌彦さん差し入れのドリンクで一息入れて解散しました。

 みなさん、お疲れさまでした。これで夏法座のお参りの方々をお迎えすることができます。

(写真は、今回の除草の様子です。右の写真で橋羽さんの「ブロワー」が活躍しています)

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