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741.本堂でWi-Fi機能を確認

 
20210507ルーター (2)s 20210507中継器 (2)s 20210507本堂s (2)

 5月3日に母の一周忌法要をお勤めしました。

 母の命日は2月20日なのですが、コロナウイルス感染が拡大していることを考慮し、また2月は降雪も考えられますので、5月の連休に延期することにしました。
 ところがその後コロナウイルス感染状況はさらに悪化し、当日午前に予定していました降誕会も休座することになりました。法事に帰って来る予定にしていた東京の子供2人の一家も帰省を断念することになり、一周忌は当日午後2時からごく少人数でのお勤めとなりました。

 今回初めての試みなのですが、オンラインでお勤めの様子を東京の子供に伝えることとしました。
 もともと、自宅のテレビは山口ケーブルビジョン社のケーブルを使っていて、インターネットもそのケーブル経由で利用していました。その後ルーターを設置して、狭い範囲ですがWi-Fi経由の無線でインターネットやプリンターを使うことができるようにしておりました。

 今回の法事に当たって、本堂でのお勤めの様子をZOOMで東京に伝えようと考えました。しかし、本堂から離れた庫裡に置いてあるルーターの電波が弱いことが分かりケーブルビジョンの担当者に相談したところ、ルーターを新しいものに変えてみよう、ということになりました。
 4月28日にその新しいルーターを設置していただいたのですが、本堂ではまだ十分な電波にならないということが分かりました。工事に来ていただいた方によれば、有線のケーブルを本堂まで敷けば間違いなく本堂でも利用できる、ということでした。しかし、5月3日までに対処が必要ですし、本格的なWi-Fi環境を作ることまでは考えていませんでしたので、一般に販売されている中継器を設置することにしました。ネットで購入した中継器を5月1日に設置し、ZOOMの主催者としての手続までを完了しました。
 5月2日に東京との接続の確認をおこなって、滑り込みで3日の法事に間に合い、当日は、東京からも一家がお勤めに参加することができました。

 このブログでもお伝えしていますが、コロナ感染の拡大は私たちの日常生活に様々な影響を与えています。その中で、リモートワークやオンライン会議なども急速に広がっています。
 本願寺や山口別院でも会議や講演会がオンライン形式で開催されるものが増えています。これは、移動に必要な時間の効率化という思いがけない効果も実感させてくれるものになっていますが、その一方で、当然のことならが直接会って話をするというつながりが薄くなります。

 そのような中で、仏事のオンライン化ということも話題に上るようになってきました。法座の様子を中継するですとか、法事にお参りできない方に遠隔地から入ってもらうなどです。
 今回、図らずもその法事のオンライン化を実験した格好になりました。

 今回感じたのですが、このような技術の進歩は「法事」を始めとした仏事の意味をもう一度問い直す機会になるように思います。情報通信技術により遠隔地からでも一緒にお経を読むことができれば、同じ場に居合わせる必要はないのではないか、という問いにつながります。

 お経を一緒に読むことだけが法事の目的なのだろうか、ということを考えさせられます。それだけだったら、確かにオンラインでの読経でもよいのではないか、ということになります。
 しかし、法事は、お浄土に還られた方をご縁に、阿弥陀さまが私たちを誰一人取り残すことなく救うと願われた所以をお聞きし、報恩の思いを共にする大切な仏事です。いつも見護っていただいている阿弥陀さまとご先祖にお礼申し上げ、その光の中で生活している私たち家族、親戚が、限られた命を一緒に力いっぱい生きていこうと阿弥陀さまのお前に思いを新たにする仏事だと思います。
 そのように考えますと、一同に会しなくてもオンラインで一緒にお経を読めばいい、というのはやはり少し違っていると感じられます。  

 しかし、今回の「実験」で、やむを得ない場合には寺の本堂からオンラインでご一緒に法事をお勤めするというノウハウを得ることができました。またご家庭で法事をお勤めする場合でも、ご自宅と相手先にパソコンがあれば同じようにオンラインでつなぐことも可能だということがわかりましたので、ご門徒さんのやむを得ない状況にも対応することができそうです。

(写真は、今回利用した機器です)

 左は、庫裡のパソコンのそばに設置してあるルーターです。今回新しいものに更新していただきました。
 中は、今回新設した中継器、右は、本堂に設置したパソコンです。パソコンは、左と同じものです。

 今回初めて知ったのですが、Wi-Fiという名称は「無線LAN」の登録商標なのだそうです。そういえばかつては無線LANという言葉が普通に使われていましたが、いつの間にか耳にしなくなったような気がします。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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726.最近の話題:週刊文春「夜ふけのなわとび」

20210315記事  

 今日は、最近の話題として、「週刊文春」に連載されている「夜ふけのなわとび」というエッセイをご紹介します。

 この記事は、作家の林真理子さんが書いておられるのもので、楽しみにしている記事なのです。今週号(3月11日発売)の連載番号が1689回となっていますが、昨年10月でしたか、この連載は「同一雑誌におけるエッセイの最多掲載回数」としてギネスの記録に認定されたと報じられていました。1983年8月に「今宵ひとりよがり」から始まり、その後タイトルに変遷がありましたが、世界的な長寿エッセイだということになります。

 少し前ですが、「週刊文春」2月25日号の「夜ふけのなわとび」の見出しは「森さん的なものについて」というもので、林さんらしい視点から見た内容で印象に残るものでした。この「森さん」とは、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長だった森喜朗さんのことです。
 ご存知のように、森さんは女性蔑視ととられる発言が原因で、会長を辞任し、その後任をめぐってもすったもんだがありました。

 林さんは、この森さんに向けられたごうごうたる非難を、「池に落ちた人を叩く」と表現しています。以下は、林さんの文です。
 「このコロナ禍でギスギスした世の中では、池に落ちた人を叩くのはあたり前。そして誰もが自分は、叩くための石を有していると思い始めた。誰もがこの”祭り”に参加したがっている。」そして「(森さんは)今は池の中であっぷあっぷしている哀れな老人になった。そこに皆が石を投げる様子が、本当に恐ろしい。」

 私も、森さんの発言から始まった会長辞任前後の動きには、なんとなく腹に落ちないというか、お尻がムズムズするような落ちつかない感じを持っていましたが、林さんのこの言葉で、なるほどと合点がいったように思いました。

 今回の騒動は、以前別院で開かれた「同朋運動研修会」で取り上げられていた「世間」というものが表に現れた姿ではないかと思いました。
 その「世間」とは、バラバラではあるが確立した個人によって構成される「社会」とは違って、人々の集団で、伝統的なルールによって律される組織だとされていました。そこでは、「皆で力を合わせて」「自分勝手な行動をしない」「人に迷惑をかけない」ことが重要だとされます。その集団としての動き(研修会では「同調圧力」とされていました)が良い方に働いた場合には、コロナ禍への対応や災害発生時の秩序のある行動、思いやりなど日本人の特徴として称賛される行動となります。その一方で、この集団に同調しないなどの少数の者は非難、攻撃の対象となります。コロナ禍のような厳しい環境の中では、少数の者を非難、攻撃するというこの傾向は増幅され、ネットの匿名性によりその動きはさらに激化していきます。さらに悪いことには、このように集団とは異質の少数者を攻撃することが「正しいことを行っている」という意識で行われますので、そのような場合、快楽物質であるドーパミンが分泌されるのだそうですから、いよいよ制御が効かないという事態になります。

 このようにして見ると、今回、森さんは非難、攻撃される少数者の方になってしまったようです。森さんもこれまでは、少々の失言があったとしても、「森さんだから」として攻撃の対象とならなかった、実力者の森さんに対して当時の「世間」は名乗りをあげて批判するよりは「忖度」する方を選んだ、ということになるのでしょうか。

 しかし、今度は立場が入れ替わってしまいました。というか、「世間」の質が変化したと言えるのではないかと思います。
 今回ネット上の「世間」として森さんを非難した多くの人は、匿名であることに特徴があるようです。匿名は忖度を不要にします。しかし、雪だるま式にエスカレートして過激なものになる、という別の面を持ってます。

 コロナ禍の中で不満や不安を抱えている多くの人が、「正義の行動として」「石を投げる」ことに喜びを感じているということであれば、それは林さんが言うように「恐ろしい」ことだと思います。

 先の「同朋運動研修会」で講師の佐藤直樹氏が言っておられた次の点について、私自身の行動をもう一度見直さなければならないと思います。
 ・自分が何に縛られているのか⇒「世間」と「社会」の違いを理解する
 ・(新型コロナ)感染者差別の拡大⇒「ケガレの意識」にとらわれていないか⇒「空気を読んでも従わない」小さな勇気
 ・SNSが匿名⇒差別の温床⇒実名でも可能な内容なのか立ち止まって考える

(図は、当日の記事です)

 森さんに向かって男女が石を投げているような図になっています。描かれている人物は4人ともサングラスをつけており、手と石だけが描かれているものもあります。これは「匿名性」を表現しているのでしょうか。
 林さんは、本文で次のように書いていました。
 「ボランティアを辞退した人がテレビであれこれ批判していたが、顔を隠したうえ音声も変えていた。正しいことを言いたいと思うなら、きちんと顔を見せるべきではないか。」
 
 ついでに、林さんのこのエッセイが痛快なのは、それを掲載する「週刊文春」も批判の対象にすることもあるところです。今回もちょっと「文春」批判が感じられる部分もありました・・・が、しかし、これで(私のような読者がいて)「文春」の売り上げが伸びれば、許容範囲内、というところかも。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

719.同朋運動研修会

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  去る2月15日に山口教区の主催で「同朋運動研修会」が開催され、ZOOMによりオンラインで参加しました。

 ご講師は九州工業大学名誉教授の佐藤直樹氏で、「コロナ禍と『同調圧力』」というテーマで講演されました。

 佐藤氏はもともとは刑法を専攻しておられたのですが、1999年に「日本世間学会」を設立されました。そこでは「世間」というものが研究の対象となり、西欧から導入された「社会」とは違った「世間」という「隠された構造」に光が当てられます。

 新型コロナウイルス感染が拡大する中で、「自粛警察」「マスク警察」などという行動が表面化し、感染者や医療関係者に対する差別的な言動、行動も報じられています。このような行動の背景には、「社会」とは別物の「世間」というものが強く働いていると佐藤氏は指摘されます。

 佐藤氏によれば、「社会」というのはバラバラではあるが確立した個人の集合体であって、その結びつきが法律で定められているような人間関係です。言葉としての「社会」は明治時代に日本に移入されたのですが、その後も実際に機能していない、「建前」の関係だと言われます。
 一方、「世間」の方は、確立した個人ではなく集団となった人々とそれを伝統的に規制するルールとによって成り立っている人間関係だとされます。「社会」という概念が入って来てからも、「世間」の方は建前としての「社会」に対して本音として私たちの行動を規制しています。佐藤氏が言われるように、「世間」を適切に表す英語がないこともそのことを象徴しているようです。

 この「世間」は様々な場面でその姿を現します。
 自然災害が発生した場合などに示される日本人の統制のとれた行動や、日本の犯罪率の低さ、清潔な環境などは、人に迷惑をかけてはいけない、集団のルールに従わなければならない、という形で、「世間」が「良い」方に機能した結果だとされます。佐藤氏は、このように「世間」が構成員に対して働きかけ、行動を規制する力を「同調圧力」と命名しておられます。
 今回のコロナウイルス感染に対しても、海外ではロックアウトを実施し、「禁止命令」を出しても感染拡大を抑制することができなかった例が多く見られ、そのような規制に対して反対デモが行われました。この点でも、日本では外出「自粛」、休業「要請」で感染の拡大を抑え込んできたように思われます。ここでも「同調圧力」が効果を発揮したと言えるでしょう。

 ところが、日本の「世間」では、その意志からはずれた行動をとる者がいた場合には、法律によってではなく「世間のルール・掟」によって厳しい対応がなされることになります。「〇〇警察」や夜に営業している店にそれを非難する張り紙を貼るなどの行動がそれに当たります。法律の定めに従っているなされるわけではありませんから、どこまでが非難される行動なのかもはっきりしないままに非難、攻撃がなされます。
 さらには、佐藤氏によれば、病や死はけがれとする伝統的な「世間」により、感染者や医療関係者にまで差別的な行動がとられるのも、同じ「世間」の姿だとされます。
 ここに働いているのも、同じ「同調圧力」だということになります。

 しかも、その非難、攻撃、差別的な行動を起こす場合、それは「世間」のルールに従って悪い行動を正しているという意識で行われますから、その行動はエスカレートしていきます。
 佐藤氏によれば、日本のツイッターなどのSNSの匿名率は75%と世界に比して突出して高いのだそうです。これは実名を出して意見を言うと「世間」から非難されるということを恐れた結果であり、一方で匿名を利用して他人の行動に対する容赦ない非難が行われることにもつながっています。
 さらに悪いことには、以前、中野信子さんがその著『人は、なぜ他人を許せないのか?』で言っておられたように、「正義の行動」をとっているという意識を持つと、他人を非難、攻撃することにより快楽物質であるドーパミンが分泌される、ということですから制御が効かない状態になります。

 このように、コロナ禍は日本の「世間」が持っている「同調圧力」というものの両面を明らかにした、と佐藤氏は言われます。
 そのような現状に対して私たちはどのように行動すればよいのか、佐藤氏は次の3点を指摘しておられました。
 ・自分が何に縛られているのか⇒「世間」と「社会」の違いを理解する
 ・感染者差別の拡大⇒「ケガレの意識」にとらわれていないか⇒「空気を読んでも従わない」小さな勇気
 ・SNSが匿名⇒差別の温床⇒実名でも可能な内容なのか立ち止まって考える

 この講演をお聞きして、私たちの属している「世間」の姿を改めて認識した思いがしました。
 私たちが属している集団である「世間」は、「同調圧力」によって穏やかな安定を維持しようとしてきました。その圧力は、老若、男女、地位、昔ならば主従などの様々な関係から生じるもので、当然に必要なものだと考えられ、その圧力に応じない少数の構成員は、安定を脅かすものだと、非難、攻撃の対象となってきました。集団の中に異質の少数派を見つけ、これを非難、排除、差別することが行われ、しかもそれが集団の安定を維持する「正しい行動」とされてきたというのが「世間」の姿だと思われます。

 中野信子さんは、耕作地が限られ、自然災害に見舞われてきた日本では、このように離反者を出さずに集団としてまとまって行動することが生存のための最適の方法だったと言われます。このような形で集団(「世間」)を維持することは、私たちのDNAに刷り込まれた資質でもあるということになりそうです。
 
 これまで私たちが生きてきた「世間」の中ではなく、自立した個人で構成された「社会」の中で、「自他ともに心豊かに生きる社会」を求めていくという視点が必要だと感じました。

(写真は、当日パソコンの画面に写された出席者の映像です。ご講師は右下の人です。私は上中央で、カメラを構えてこの画面を写そうとしています。)

 自宅にいながらオンラインで講演会に参加できるという方法は、コロナ禍への対処として急速に普及してきました。自宅と山口別院を往復する約2時間の時間を節約することができますし、ウイルスへの感染防止にも有効です。一方で、顔を合わせて話し合うというアナログな(?)関係の良さは失われて少し淋しい思いもありますが、新しい形に慣れていくことが大事なのでしょう。
 
(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください) 

704.甲斐尚美さんの演奏会のご案内です

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  前回このブログでご紹介しました、志賀麗子さんの娘さん甲斐尚美さんの演奏会の情報をいただきましたので、ご紹介します。

 この演奏会は、「宇部市アートパフォーマーバンク」が提供する「フィジカルディスタンス公演」の第8回公演として行われるものです。このアートパフォーマーバンクは宇部市が設けているもので、宇部市に縁のある高度な文化的知識や技能を持った個人や団体の活動を支援し、また市民に身近にこのような文化的な活動に触れてもらうことを目的とした制度です。

 演奏会の概要は、次の通りです。ぜひご来場を。

1.日時
 2月17日(日)14:00~

2.場所
 宇部市渡辺翁記念会館

3.出演者
 甲斐尚美さん(サキソフォン)、山根一彦さん(パーカッション)、原田礼子さん(ピアノ)、Ototumugiのみなさん(サキソフォン)
 (ゲスト出演者) 安永めぐみさん(バイオリン)

4.演奏曲目
 「リベルタンゴ」、「オブリビオン」、「天の剣」、「マイケルジャクソン・メドレー」 など

5.入場料
 無料ですが、事前予約が必要です。
 予約先:0836-37-2051

(案内のチラシです)

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695.お取越しをお勤めしています

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  11月に入ってからお取越しのお勤めにご家庭に伺っています。
 お取越しは、ご家庭でお勤めする親鸞聖人のご法事です。先日の報恩講でご講師からお伝えいただいたように、親鸞聖人のご遺徳をしのぶお勤めは、本山や寺院では御正忌報恩講として毎年勤められていますが、ご家庭で勤められるものはお取越しと呼ばれています。聖人のご命日の1月16日(新暦)より前に(取越して)勤められることからこの名前になったものです。

 ご門徒さんとは、法座にお参りいただくか、法事のお勤めに伺うことがないと、一年間に一度も顔を合わせないということになります。従って、このお取越しのお勤めでご家庭に伺ってお話をすることは、大変貴重な時間だということにもなります。
 お取越しの当日は、お正信偈をご一緒にお勤めし、御文章をお読みします。そのあと限られた時間ですが、ご家族のお話を伺い、寺の様子をお話しするようにしております。かつては子供さんだったお孫さんが、高校生になり、社会人になられたというお話を伺うと、ご一緒に成長をみているようでうれしくなります。またお互いに年を重ねましたねえ・・・というような話題にもなります。

 そんな中での今年の話題の中心は、やはり新型コロナウイルスです。
 ご家族や知人に感染した方がおられるという話はありませんが、仕事や学校、地域で様々な影響が出ており、日常生活が従来とは違ったものになったということをここでも実感させられています。

 それともう一つ大きな話題は、トビイロウンカによる稲作への被害です。
 ちょうど米の収穫期にトビイロウンカという害虫が大量に飛来(中国から飛来したのだそうです)し、イネに甚大な被害をもたらしました。前日には元気に稲穂を輝かせていたイネが翌日には被害にあって中心部で円形に倒れているという姿をあちらこちらで見ました。
 被害は西日本で多く、山口県でも西部に多く発生しているということです。苗を購入し、田植えをし、肥料を与え、水を管理してようやく収穫期になったその最後でこの被害に遭われたことになります。

   20201127米被害s
  9月下旬に万倉地区で撮影した田の様子です。右に円形にイネが倒れているのが見えますが、これがトビイロウンカの被害に遭った部分です。例年ですと、イネが実った田の周りを鮮やかなヒガンバナの花が縁どって、この時期を象徴するような風景になるのですが。

 ご門徒さんには稲作をしておられる方が多く、お話ししていますと、飯米(自家で使われるお米のことです)もとれなくて初めてお米を買ったよ、と言われた方もありました。この被害がなくとも、稲作をやめようか、と考えられている方が多い中、この傾向に拍車がかかるのではないかと気がかりです。
 そのような中、報恩講でお鉢米をお供えしていただき、お取越しでもお米や野菜をいただきました。ありがたく、もったいないことです。

(写真左は今回お取越しで出会った御絵伝の軸、右は以前掲載した御絵伝です。)

 今回の御絵伝は、開が迫地区の今橋政雄さんのお宅のもので、右の御絵伝(宇内地区の志賀慎次さん宅のものです)をご紹介した際、もう一つ御絵伝があります、と言っていたものです。描かれた図柄は同じもののように見えます。

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