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159.ご存知ですか(11):仏前結婚式

20151005仏前結婚 (2)


 先日ご縁をいただいて、仏前結婚式の司婚者を勤めさせていただきました。
 仏前結婚式は、阿弥陀如来の御前でともに敬愛和合の日を持つことを誓う人生の大切な節目の「仏事」です。

 当日は次のような次第で結婚式を執り行いました。

  ○勤行(合掌礼拝、「三奉請」、「表白」、「讃仏偈」)
  ○「司婚・誓いの言葉」
  ○指輪交換、念珠授与
  ○新郎新婦焼香
  ○法話
  ○式杯
  ○合掌礼拝

 この「司婚・誓いの言葉」では次のことばが述べられました。

(司婚者)
 み仏のおん前において      
  新郎 ○○さん
  新婦 ○○さん
 の結婚式を挙行するにあたり 新しい人生の門出に際して
 お二人の誓いを求めます

(新郎新婦)
 本日 阿弥陀如来の尊前におきまして
 わたくしたちの結婚式を挙げますことは
 まことの有難いことであります
 これひとえに両親をはじめ 皆様方のお陰であると
 心から感謝いたします
 この上は み教えにしたがい 夫婦仲むつまじく
 互いに いたわり助けあって
 内にあってはうるわしい家庭をつくり
 外にあっては世のため人のために尽くす
 よき社会人となるよう努力することを 誓います
  (新郎) ○○
  (新婦) ○○

(司婚者)
 ただいまの言葉をもって
 ご両人の結婚がめでたく成立いたしました
 今より後は いよいよみ仏の教えを仰ぎ
 夫婦が力をあわせて 幸せな人生を築き
 明るい報謝の生活を営まれますよう 切に望みます

  平成○○年○月○○日
  司婚者 ○○寺住職 釋○○

 先ほど結婚式を「仏事」といいましたが、仏事という言葉でお葬式や法事のことを想い浮かべられる方が多いのではないかと思います。しかし人生の節目に当たって阿弥陀如来の御前でお礼申し上げ、心を新たにすることは大切な仏事ということになります。
 私たちの周りでは、赤ちゃんが生まれるとお宮参り、結婚式は教会(またはお宮)でお葬式は仏式、と使い分け(?)されることが普通になっているように思われますが、赤ちゃんの初参式にお参りいただいたご門徒さん、息子さんが帰省されたからとご一緒にお参りいただくご門徒さんがおられます。また子供さんが成人したのでお寺にお礼に参ってきましたと仰った方もありました。

 節目ごとに阿弥陀如来の御前でお礼申し上げることは、仏教徒として大切なことだと改めて思ったところです。

(写真は、「司婚・誓いの言葉」の様子です)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

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141.ご存知ですか(10):法名


20150803ネジバナ1
  20150803ネジバナ2

 前回の「ご存知ですか」の記事が今年の2月でしたから半年ぶりのになりますが、今日はテーマは「法名(ほうみょう)」です。

 先日ご門徒さんとお話をしていた時に法名についてご質問が出ましたので、今回取り上げることにしました。
 そのご質問は、「法名とはどのようなものなのですか」「戒名(かいみょう)とは違うのですか」というものでした。

 法名は、「仏法に帰依し、釈尊の弟子となった者の名前」(『浄土真宗辞典』)です。
 浄土真宗本願寺派では「釋」の字に漢字2文字を加えたものを法名としています。かつては「○○居士」とか「○○大姉」といったものを付すことがありましたが、現在は「釋」を冠した2文字のみとしています。

 よく「戒名」と混同されることがありますが、戒名は「戒律を授けられ、持戒して善根功徳を積む者に与えられる名前」(『浄土真宗辞典』)とされていて、戒名は自力の修行を行い戒律に生きる人が受ける名前だといえます。
 私たちの浄土真宗では、私たちは「戒律」ではなく「法」(お釈迦さまがお示しいただいた真理)により生きるのですから法名ということになります。

 で、この「釋」はお釈迦さまの「釈」の字の旧字体なのですが、いわば苗字です。私たちは法名をいただけば、みな同じ苗字をいただいたお釈迦さまの弟子ということになります。
 話が脱線しますが、釈由美子さんというタレントがおられます。調べてみましたらこの名前は本名だということですので、生まれながらにしてお釈迦さまのお弟子さんだった・・・?。

 もう一つ気になりますのは、この法名は故人が亡くなってから受けるものだと思っておられる方が多いことです。
 前にも申しましたように、法名はお釈迦さまの弟子になったこと、仏法に帰依して生きることの証し、なのですから、生前に受けるものです。
 私たちの浄土真宗では、本山本願寺で行われる帰敬式でご門主から「おかみそり」を受けて法名を受けることが基本です。
 ご葬儀に先立って導師である住職が「おかみそり」を行う場合がありますが、これは生前に法名を受けることができずに亡くなられた方のために、やむを得ずご門主にかわって住職が行うものなのです。

 本願寺では原則として毎日、帰敬式が行われご門主から「おかみそり」を受け法名を受けることができます。また、京都まで出かけることが難しいという方のために、別院(山口別院)でも帰敬式を行っていて、法名を受けることができます。
 今年の別院の帰敬式は次の要領で行われます。

 ○日時 11月25日 13:30~
 ○場所 山口別院

 法名についてのご希望やご質問がありましたら、寺までご連絡ください。
 
(写真は、7月中旬の秋吉台で撮ったネジバナです。)

 ネジバナはラン科の植物らしく可憐な花を持っています。らせん状に花をつけるのですが、左の写真にありますように右巻きと左巻きがあって両方が仲良く並んで咲いている場合もあります。 

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91.ご存知ですか(9):座布団

20150202座布団1   20150202座布団2

 前回に続いての「ご存知ですか?」は座布団についてです。

 座布団はいわゆる仏具やお仏壇の荘厳には当たりませんが、お取越しに伺ったときにご門徒さんから座布団について質問をいたいたことがありました。私も知らなかったことがたくさんありましたので、ここでご紹介しようと思います。
 ただ、「ここで書いたことをお宅に伺ったときにチェックしよう」などとは考えておりませんので安心して読んでください。

 ご門徒さんからいただいたご質問は「座布団のどちら側を上にしてお出ししたらいいのでしょうか?」ということでした。座布団の裏表をどのように見分けて、お客様にお出しするときにどちらを上にして出したらいいのか、というご質問でした。
 私も座布団については全く知識がなく、「帰って一度調べてみましょう」とお答えするしかなかったのです。

 で、ネットを中心に調べてみましたら、これがなかなかおもしろかったのです。

 ○まず、座布団の裏表です。
 座布団の表は、中央の部分に房が出ている方だということです。ただ、中には裏表の両方に房を出した座布団もありますので、その場合はこの判定方法は役にたちません。
 その場合は、座布団の縫い目を見て判断するのだそうです。座布団は2枚分の生地(実は座布団は正方形ではないのだそうです。これも初めて知りました)を中央で折って、残りの3辺を縫い合わせるようにして作られています。その縫い合わせの部分を見ると、上側の生地は端を折りこむ形で下の生地に重ねられていて、その上側が表になるのだそうです。

 ○これで座布団の裏表は分かりましたが、次は、お客さんに座布団を出すときに表裏のどちらを上にするのか、という点です。
 これについては、2つの説があるようです。一般的には上記で判断した表側を上にして出すのがよい、とされているようです。つまり、表側を体に接するようにして出すということです。
 これに対して裏を上にして出すのが良いという説もあって、それは例えば掛け布団や着物は裏側を体に接するようにして使うということが論拠となっているようです。

 ○もう一つは、座布団の前後をどのようにして出すのかという点です。
 これは、先ほどの座布団の折り目(縫い目ではない方)を前にして、つまり膝の方になるようにして出すのが正しいとされています。裏表が正しく置かれて、前後をこの方法で合わせると、座布団に前後のある柄が描かれている場合もうまく合うようになっているようです。

 ○もう一つ面白い話がありましたのでご紹介します。座布団の中央は縫い糸が交差した形になっていますが、これには関東と関西で違いがあるのだそうです。
 関東の座布団はこの部分が×もしくは+の形、関西はアルファベットのYの形になっているということです。それで、裏表を正しくすれば関西の座布団はYの字の足の部分を前にして出すと正しい形になるということです。

 このほかに出された座布団に座る場合の作法などもありましたが、これは省略します。いずれにしても、座布団も奥が深いものだと、感心しました。

(写真は、寺の内陣においてある座布団です)
 左が座布団の表、右が裏になります。裏の交差した糸がY字形になっていますので、この座布団は関西系の座布団だということが分かります。

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90.ご存知ですか(8):お仏壇(3)

  20150206仏壇

 前回の「ご存知ですか」が昨年10月でしたから、3か月以上間が空いたことになります。
 今回は「お仏壇(3)」としてもう一度お仏壇を取り上げました。

 といいますのは、昨年末にお取越しに伺っていろいろなご質問をいただいたのですが、その中でもお仏壇に関するご質問がやはり多かったのです。
 また、こちらから見て「これはどうかな」と感じることもありましたので、3回目のお仏壇の記事を作りました。

 と言ってもそんなに神経質になることはありませんが、あくまでも、お仏壇の中心はご本尊の阿弥陀如来と両脇掛だということを念頭に置いておきましょう。

 ○ご位牌、過去帳など
  白木のご位牌は内容を過去帳に転記して、お仏壇の中には置かないようにします。板の入った「回出位牌」と呼ばれるものや折り畳み式の過去帳を仏壇の中に置かれる場合、下段の方に置くようにします。
  ご本尊や脇掛けの前にご位牌や過去帳が置いてあって、阿弥陀様や親鸞聖人、蓮如上人のお像が陰に隠れているような例がありました が、これは避けるようにしましょう。
  過去帳は折り畳み式のものを使い、見台(けんだい)という台に乗せておくか経卓の引き出しに入れておくことをお勧めしています。
  

 ○お供え
  お仏壇にお供えするものとして次のようなものがあり、この順番に重要なものだとされています。
   お仏飯、餅、菓子、果物
  お仏飯は前回の記事に書きましたように仏飯器に盛ってお供えします。餅・菓子、果物はこの順番に内側から通常は1対でお供えします。
  その場合、寺の仏壇(お内仏)では餅・菓子は供笥(くげ)という仏具に盛り、果物は高坏(たかつき)という仏具を使っています。

 ○仏具の置き方
  仏具の足が3本などの奇数のものは、その足を正面に向けて置くようにします。

(写真は、寺の仏壇です。前回の写真より変えてあります。)
 上の丸の部分はお供えです。中の2つが供笥、外の2つが高坏です。通常、置くことができるのは4つまでだと思われますので、餅(または菓子)と果物という組み合わせになるのではないかと思います。
 下の丸は、見台に置いた折り畳み式の過去帳です。

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60.ご存知ですか(7):領解文


20141024ウメバチソウ1
 20141024ウメバチソウ2 20141024ウメバチソウ3

 今日は、「領解文(りょうげもん)」とお呼びしているご文について学びたいと思います。
 前回からお正信偈に入ったところで行ったり来たりのようで恐縮ですが、11月9日の報恩講でもご唱和しますので、内容を見ておきたいと思いました。

 「領解文」は「もろもろのぞうぎょうざっしゅう・・・」で始まるご文で、寺の法座では「領解出言(りょうげしゅつごん)」の言葉に続いて皆さんで唱和いただいているご文です。

 この「領解文」は第八代宗主の蓮如上人がお作りになられたと伝えられています。
 簡潔な文章なのですが、浄土真宗の教義を口に出して陳べることができるようにまとめられ、またみ教えについての誤解に対して正しい理解を示していただいているご文です。

 ご文全体は「安心(あんじん)」、「報謝(ほうしゃ)」、「師徳(しとく)」、「法度(ほっと)」の4つの段に分かれています。

 もろもろの雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅう)自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生(ごしょう)、御たすけ候(そうら)へとたのみまうして候(そうろ)ふ。(安心の段)

 たのむ一念のとき、往生一定(いちじょう)御たすけ治定(じじょう)と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。(報謝の段)

 この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山(ごかいさん)聖人御出世の御恩、次第(しだい)相承(そうじょう)の善知識(ぜんぢしき)のあさからざる御勧化(ごかんけ)の御恩と、ありがたく存じ候ふ。(師徳の段)

 このうへは定めおかせらるる御掟(おんおきて)、一期(いちご)をかぎりまもりまうすべく候ふ。(法度の段)

 内容を見てみますと、

 「私たちは、阿弥陀如来のお力(本願力)におすがりする以外、どのような自力の行によっても往生を得ることはできないとお示しいただきました。そのことをお受けして、私の往生浄土という一大事については、「間違いなくおまえを救う」と願っていただいた阿弥陀如来のお力にお任せします、と、おすがり申し上げます。

 このように阿弥陀如来にお任せするという信心をいただいたとき、如来のお救いの力により私の往生浄土は間違いないものとありがたく承り、これから後のお念仏は、阿弥陀如来のこのご恩に対する報謝として、喜びのうちにお称えいたします。

 このみ教えをお聞きすることができるのも、開祖の親鸞聖人がこの世にお出ましいただいたおかげであり、またその後代々み教えを受け継いでいただいたご門主方がお勧めいただいたおかげであるとありがたく存じております。

 このように念仏申す身になったからには、私は浄土真宗の門徒として定められた掟を生涯を通じてお守りする所存です。」

 「領解文」の中に「たのむ」という言葉が2回出てきます。この「たのむ」という言葉は誤解されやすいように思います。
 「たのむ」は現代語では「依頼する、お願いする」といった語感で使われることが多いように思われますが、「領解文」で使われている古語の「たのむ」は「信頼する、たよる、まかせる」という意味だと伺いました。「お願いする」のではなくて、「お任せする」ということです。

 「自力」という言葉は、浄土真宗のみ教えの中心をなす「他力」という言葉に対する言葉です。
 「自力」「他力」については、また改めて考えさせていただきたいと思っていますが、親鸞聖人の次のお言葉を記しておきます。ここにも「たのむ」という言葉が使われています。

 「自力といふは、わが身をたのみ、わがこころをたのむ、わが力をはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり」
 このご文は、聖人が著わされたされた『一念多念文意』という書物からいただきました。聖人は、「自力の心」を「阿弥陀如来の本願を疑う心」だとされています。

 (写真はウメバチソウという植物です)

  前回のムラサキセンブリと同じ10月11日に秋吉台で出合いました。右は蕾と独特の形をした葉です。
  ウメバチソウという名前は、花が梅鉢という家紋に似ているところから付けられたという説明を読んだことがあります。そういえば、梅鉢という名前のお菓子もあります。

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