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738.「花フェス2021(花まつり)」は中止となりましたが、

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 4月11日に開催を予定しておりました「花フェス2021(花まつり)」は、コロナウイルス感染を考慮して中止としました。昨年に続けて2年連続の中止ということで誠に残念なことになりました。
 開催に向けて4回の実行委員会(内1回は書面による情報周知と意見交換を行いました)を行い、準備を進めてきていただいていたのですが、3月16日の実行委員会で中止を決定しました。
 新型コロナウイルス感染の状況を見れば、やむを得ない判断だったと思います。

 一般の方には中止のご連絡をしましたが、このイベントで担当を持っているメンバーは、11日に会場に予定していました西念寺さんに集合して予定していた行事内容を実施しました。イベントの様子を動画撮影してユーチューブに載せることを企画していましたので、その撮影を行ったものです。

 法中のお子さんにも加わってもらって「甘茶かけ」を行い、「念珠作り」や「写経と経本作り」を実施しました。
 私は「写経と経本作り」をやってみました。最初に『重誓偈』のお経文を写経し、表紙を作り和綴じで製本をするのですが、それぞれが違った作業で、細かいところもあるのですが楽しい体験でした。
 「念珠作り」と「写経と経本作り」は一昨年の花フェスでも実施したのですが、その時も人気のコーナーだったことが分かるような気がしました。

 当日は、新しく制作したイベントブルゾンのお披露目の日でもありました。「蛍光グリーン」というのだそうですが、鮮やかなグリーンに「浄土真宗本願寺派 山口教区宇部北組」のロゴマークを付したもので、多くの参加者に見ていただければもっと良かった、というところです。

 動画は編集を終えてユーチューブに掲載されています。こちらです⇒「花フェス2021(花まつり)」
 撮影と編集には西教寺の西岡ご住職にご尽力いただきました。有難うございました。

(写真は、「甘茶かけ」と「念珠作り」の様子です)

 左の写真には、「撮影中」の西岡ご住職の姿があります。また、新作のブルゾンも見えます。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

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736.上宇内地区の降誕会をお勤めしました

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 昨日18日、上宇内地区の集会所で降誕会(誕生講)とお盆のお勤めを行いました。

 以前にもお話ししていましたように、上宇内地区の集会所には阿弥陀さまのお像が安置されています。
 地区には本願寺派の3か寺(壽福寺、正恩寺さん、法栄寺さん)のご門徒さんがおられ、毎年春には降誕会と盆会、秋には報恩講のお勤めを3か寺の住職が順番にお勤めしています。

 今回は、壽福寺の担当でした。
 いつもはお正信偈をお読みするのですが、当日は阿弥陀さまとお浄土についてお取次ぎをしたいと考えておりましたので、仏説阿弥陀経をご一緒にお勤めしました。

 これも以前お伝えしましたが、上宇内地区のご門徒さんは毎朝順番にこの集会所の阿弥陀さまにお仏飯とお花をお供えしておられます。かつては40軒を超えるご門徒さんがおられたのですが、現在では15軒にまで減少しています。また、高齢者のご門徒さんも増えて、この朝のお給仕(語源はよく分からないのですが「おぶき様」と呼ばれています)の負担も以前より重くなっているのが実情です。
 このような実態を背景に、これまでのやり方を見直そうという声も上がっているとお聞きしています。

 これからも、居住者が増えることは見込まれず減っていくことなどを考えますと、さらに負担は大きくなっていくことが予想されます。
 しかし、戦前からの長い間阿弥陀さまを大切にして地域の中心に置いてこられたこの地区の伝統も、一度途切れてしまっては取り戻すことはできないと思われます。負担の軽減をはかりながら、阿弥陀さまを大切にする生活を続けていただきたいと思い、誰一人取り残すことなく救いたいと願われた阿弥陀さまのお誓いについてお伝えしました。

(写真は、当日の様子です)

 当日は、14名の方がお参りいただきました。左の写真の左後ろに阿弥陀さまのお像が安置されています。

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725.春季永代経法要をお勤めしました

20210312報恩講集合写真

  3月6日、春季永代経法要をお勤めすることができました。寒さも少し緩んで、時々空気の入れ替えをすることもできました。コロナウイルス対策として、マスクの着用をお願いし、昼食はお持ち帰りいただくなどの対応をとりました。

 ご講師の河野宗致師は、阿弥陀さまのお救いについてお話しいただきました。

 今から2500年前にインドで阿弥陀さまのお救いについて説かれたのがお釈迦さまです。ご講師はそのことを、お釈迦さまは、阿弥陀さまのお救いの力について、いわば初めて「発見」されて私たちに示されたのだとされました。お釈迦さまがおいでいただいたことによってはじめて、私たちは阿弥陀さまの、誰一人残さずに救いたいという願いについて知ることができました。
 またご講師は、万有引力の法則はニュートンがこれを発見して私たちに伝えられたものだと説明されました。ニュートンは、それまでも厳然としてあったのですが知られていなかった万有引力というものを「発見」して、私たちに示した人ということになります。

 お釈迦さまとニュートンのお二人は、それまで知られていなかったことを「発見」し、私たちに示されたという点では似ているように思えます。しかし、このお二人が伝えられたことには大きな違いがある、とご講師は言われます。

 それは、ニュートンの発見は、私がいてもいなくても法則としてあり続けます。しかし、お釈迦さまが示された阿弥陀さまのお救いの力は、私に向けて示された真理であって、私の命がなければ、私がいなければ、それはないのと同じなのだ、とされます。私の命があって、苦しみ悩んでいる私がいるから、その私に向かってお釈迦さまが説かれた阿弥陀さまのお救いのみ教えなのだ、と話されました。
 ご講師は、目当てとしての私がある、ということがこの二つの「発見」の間の違いなのだとされます。

 法蔵菩薩は、48の願のうちの第十八願で、「若不生者 不取正覚(もし生ぜずは、正覚を取らじ)」と誓われています。「(お前が)もし生まれることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません」、お前が救われてお浄土に生まれることができないならば、自分は決してさとりを開かない、と誓っておられます。
 ご講師は、この第十八願は阿弥陀さまが私に「お前と私は一緒、子であるお前が救われるのでなければ、親である私も救われることはない」と呼びかけられる呼び声なのだと、お伝えいただきました。そこでのお目当てはこの私以外のだれでもない、ということになります。

 お釈迦さまが阿弥陀さまのお救いの姿について説かれたのが『浄土三部経』です。

 ご家庭でお勤めいただくご法事では『浄土三部経』の内の一つ『仏説阿弥陀経』をご一緒にお読みしています。このお経で、お釈迦さまはお浄土の素晴らしい姿を目に見えるように示され、私たちがそのお浄土に救われて往く姿を示していただいています。
 ご法事はご往生されたご先祖をご縁にお勤めしますが、よくこのお勤めはご先祖のために、あるいはご先祖に喜んでもらうためにお勤めするのだ、と誤解しておられる方があります。
 しかし、このお経では、お釈迦さまが私が救われる姿をお説きになっているのですから、そのお経はご先祖様に喜んでもらうためにお読みするものではありません。私はお経を拝読することによって、私が救われる姿、阿弥陀さまのお救いの力についてお聞きする、最初の言葉にもどりますと、お釈迦さまの「発見」についてお聞きすることになります。
 ご先祖が願われていることは、ご法事を縁にお釈迦さまがお伝えいただいた阿弥陀さまのお救いを聞き、私が救われる姿を喜ぶことなのだと、改めて思い起こすことが大切だと思います。
 
 ご講師の残された印象に残る言葉です。
  阿弥陀如来の「願い」は3つ、「・私の親心を信じてくれ ・お念仏してくれ ・悪いことはするなよ」
 そして、
 「お仏壇に、缶ビールやワンカップ、スルメイカなどを供えるなよ・・・」でした。 

(お参りいただいた方との集合写真です)

 マスクを外して笑顔で写真におさまる日が早く来てほしいものです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)


724.掲示を変えました

20210308掲示s 20210308こども新聞s

  5月3日にお勤めする降誕会のご案内と「一言」の掲示を変えました。

 今回の言葉は、「嫌いなあの子も 仏の子」です。この言葉は、本願寺から発行されている「仏教こども新聞」の3月号に掲載されている言葉をお借りしたものです。図にありますように、新聞の表表紙にこの言葉が記されていて、記事のページに「今月のことば」としてこの「嫌いなあの子も 仏の子」について次のように書かれていました。全文をご紹介します。

 今日、席がえでA君のとなりになった。言ったらいけないと分かっているけれど、私はA君が嫌い。A君の服はいつも汚れていて不潔な感じがする。いやな気分で帰り、そのことを家で話すとママが教えてくれた。
 「A君のところは、お母さんが昨年病気で亡くなったのよ。お父さんはお仕事で毎日遅いから、A君が一人で料理や洗濯、弟たちの面倒を見ているんですって」
 私はビックリした。そしてA君を嫌っていたことがなんだか申し訳ない気持ちになった。
 以前、お寺の住職さんが言っていた言葉を思い出す。
 「私たちはみんな仏の子。親であるアミダさまは、一人一人の痛みを自分の痛みとし、『必ず助ける』とよんでいらっしゃる」
 A君も私も仏の子なのだ。私はA君の悲しみを知りもしないで嫌っていた。私の心の汚れが、アミダさまの光に照らされたようで、なんだか恥ずかしい。


 この文章を読んで、他の人を好きだ、嫌いだと言っているときの構造について考えさせられました。2つのポイントがあるように思います。

 その一つは、好悪の感情の中心には間違いなく「私」があるということです。その私は、「自分を中心にして」好きだ嫌いだと考えます。「私」が好きだ嫌いだ、「私」のためになるかならないか・・・という判断です。一般的な判断、客観的な評価とは別の「私」を原点にした座標軸に基づいた判断です。

 もう一つは、好きだ嫌いだと言っている私は、絶えず変化する存在です。そして、好悪の対象となっている相手もまた常に変化し続けます。変化し続ける私が、これまた変化し続ける相手を評価し、好悪の感情を形成するのですから、その関係性は刻一刻変わらざるを得ません。しかし、それでも私は私が一度持った好悪の感情にとらわれ固執します。その感情から解放されることが難しい状態に陥ります。

 このように、私は私の判断にとらわれ、そこから抜け出すことができずに苦悩しています。

 上記の文では、お母さんの言葉でハッと気づかされ、「私たちはみんな仏の子」、「親であるアミダさまは、一人一人の痛みを自分の痛みとし」という住職の言葉から「A君も私も仏の子なのだ」と気づくことができました。

 阿弥陀さまが悲しまれ憐れんでおられるのは、自分中心にしか周りを見ることができずにいる「私」、主体も相手も変わり続けている関わりであるにも関わらず、固定した観念にとらわれ続けている「私」なのだと気づかされます。そして、「私の心の汚れが、アミダさまの光に照らされたようで、なんだか恥ずかしい」と、すなおに自分を振り返ることができるようにならなければならないと改めて思います。

(図は、新しい掲示と「こども新聞」の表紙です)

 今回の掲示は字数が少なかったもので、イラストをいれました。あるいは、言葉を「好きな子も 嫌いなあの子も 仏の子」としてもよかったかも。

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696.山口別院の報恩講にお参りしました

20201130別院報恩講s 

  11月28日、山口別院でお勤めになりました報恩講にお参りしました。
 今年の報恩講は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて、次のように例年とは違った形となりました。
 ・例年は日中(午前)・逮夜(午後)の2座のお勤めが、今年は午後のみになり、これに伴い、お斎(昼食)接待も中止となりました。
 ・参拝者の数も、3密を避けるために170人程度(例年は約500名)に抑えることとなり、各組あたり15名の参拝数となりました。
 ・その他、勤行(お勤め)へ各組からの出勤や、受付などの担当も中止になりました。

 今回のご講師は北豊教区行橋の正山寺の生土昌行師で、親鸞聖人のご生涯についてお取次ぎをいただきました。当日は、3日にわたる報恩講の最後の日に当たりましたので、ご講師は、聖人が京都に戻られてからご往生されるまでのお姿についてお話しになりました。

 ご講師は、最初に「自然(じねん)」という言葉について、親鸞聖人が「自」は「おのづから」ということであって、私たちのはからいによるものではないこと、「然」は「しからしむ」ということで、これも私たちのはからいではなく如来のちかいによるもので、聖人が私たちの示していただいたのは、「阿弥陀さまの方から私たちを仏にさせる」ちかいだったということを示されました。

 ご講師は、「阿弥陀さまの方から」ということは、「私たちが願うから」すくわれるのではないことだとされます。赤ちゃんは願うこともお念仏することもできません、私たちは命終わる時にはお念仏をする力もなくなっているかもしれません。阿弥陀さまの方からどのような者でも救うとちかわれたのだからこそ、お念仏することができない人も、お念仏を知らない赤ちゃんも等しくすくわれるのだと、親鸞聖人は私たちに示していただきました。

 ご講師は、京都に帰られた62歳のころから後の親鸞聖人のご活動を、書物、手紙、面談という形で紹介されました。ご講師は『教行信証』が完成を見たのは聖人75歳の時だったとされ、それから後の多くの著述についてご紹介いただきました。聖人は、75歳から90歳代までの期間に多くの重要な書を著され、ご門弟に手紙を送られ、遠く「身命を賭して」来られたご門弟に親しくみ教えを伝えられました。

 親鸞聖人のみ教えを伝えたいというご活動と、その後の門信徒の方々の大変なご苦労がなければ、「阿弥陀さまの方から私たちを仏にさせる」というみ教えは800年もの後の私たちに伝えられることはなかったのです。
 本願寺第3代の覚如上人以降、連綿と勤められてきた親鸞聖人のご法事である報恩講は、このような聖人のご一生を偲び、ご苦労いただいたことに対する報恩の思いでお勤めすることを改めて思い起こすことができました。

 『御伝鈔』の親鸞聖人示寂の段です。
 「聖人弘長二歳仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。それよりこのかた、口に世事をまじへず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらはさず、もつぱら称名たゆることなし。しかうしておなじき第八日午時頭北面西右脇に臥したまひて、つひに念仏の息たえをはりぬ。」
 最後にご講師はこの段をお読みいただき、私たちはお念仏を申しながらお聞きすることができ、印象残るご法話でした。

(写真は、当日のお勤めの様子です)

 当日は、「大師影供作法」によりお勤めがなされました。このお勤めは、中央仏教学院の勤行習礼でお勤めして以来初めてで、懐かしくご一緒にお勤めすることができました。

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