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739.ご門主のご親教をお伝えします

20210430ご親教s

  4月13日から15日まで、本山御影堂で営まれました「春の法座」でご門主が「『浄土真宗のみ教え』についてのご親教」を述べられましたのでその内容をお伝えします。

 本年も、皆さまと共に立教開宗記念法要のご勝縁(しょうえん)に遭わせていただきました。立教開宗とは親鸞聖人が『教行信証』を著して他力の念仏を体系的にお示しになり、浄土真宗のみ教えを確立されたことをいいます。この法要をご縁として、私たちに浄土真宗のみ教えが伝わっていることをあらためて味わわせていただきましょう。
 さて、仏教を説かれたお釈迦さまは、諸行無常(しょぎょうむじょう)や諸法無我(しょほうむが)という言葉でこの世界のありのままの真実を明らかにされました。この真実を身をもって受け入れることのできない私たちは、日々「苦しみ」を感じて生きていますが、その代表的なものが「生老病死(しょうろうびょうし)」の「四苦」であるとお釈迦さまは表されました。むさぼり・いかり・おろかさなどの煩悩を抱えた私たちは、いのち終わるその瞬間まで、苦しみから逃れることはできません。
 このように真実をありのままに受け入れられない私たちのことを、親鸞聖人は「煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)」と言われました。そして、阿弥陀如来は煩悩の闇に沈む私たちをそのままに救い取りたいと願われ、そのお慈悲のお心を「南無阿弥陀仏」のお念仏に込めてはたらき続けてくださっています。ご和讃に「罪業もとよりかたちなし 妄想顛倒(もうぞうてんどう)のなせるなり」「煩悩・菩提体無二(たいむに)」とありますように、人間の分別がはたらき出す前のありのままの真実に基づく如来のお慈悲ですから、いのちのあるものすべてに平等にそそがれ、誰一人として見捨てられることなく、そのままの姿で摂(おさ)め取ってくださいます。
 親鸞聖人は「念仏成仏これ真宗」(『浄土和讃』)、「信は願より生ずれば 念仏成仏自然(じねん)なり 自然すなはち報土なり 証大涅槃(しょうだいねはん)うたがはず」(『高僧和讃』)とお示しになっています。浄土真宗とは、「われにまかせよ そのまま救う」とう「南無阿弥陀仏」に込められた阿弥陀如来のご本願のお心を疑いなく受け入れる信心ただ一つで、「自然の浄土」(『高僧和讃』)でかたちを超えたこの上ないさとりを開いて仏に成るというみ教えです。
 阿弥陀如来に願われたいのちと知らされ、その暖かなお慈悲に触れる時、大きな安心とともに生きていく力が与えられ、人と喜びや悲しみを分かち合い、お互いに敬い支え合う世界が開かれてきます。如来のお慈悲に救われていく安心と喜びのうえから、仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)の道を歩まれたのが親鸞聖人でした。私たちも聖人の生き方に学び、次の世代の方々にご法義がわかりやすく伝わるよう、ここにその肝要を「浄土真宗のみ教え」として味わいたいと思います。

 浄土真宗のみ教え

 南無阿弥陀仏
 「われにまかせよ そのまま救う」の弥陀のよび声 
 私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ
 「そのまま救う」が 弥陀のよび声
 ありがとう といただいて
 この「愚身(み)」をまかす このままで
 救い取られる 自然の浄土
 仏恩報謝の お念仏
 
 み教えを依りどころに生きる者 となり
 少しずつ 執(とら)われの心を 離れます
 生かされていることに 感謝して
 むさぼり いかりに 流されず
 穏やかな顔と 優しい言葉
 喜びも 悲しみも 分かち合い
 日々に 精一杯 つとめます

 来る2023(令和5)年には親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要をお迎えいたします。聖人が御誕生され、浄土真宗のみ教えを私たちに説き示してくださったことに感謝して、この「浄土真宗のみ教え」を共に唱和し、共につとめ、み教えが広く伝わるようお念仏申す人生を歩ませていただきましょう。なお、2018(平成30)年の秋の法要(全国門徒総追悼法要)の親教において述べました「私たちのちかい」は、中学生や高校生、大学生をはじめとして、これまで仏教や浄土真宗にあまり親しみのなかった方々にも、さまざまな機会で引き続き唱和していただき、み教えにつながっていくご縁にしていただきたいと願っております。
 2021(令和3)年4月15日

 浄土真宗本願寺派門主 大谷 光淳

 
 ご門主が引用されたご和讃について、そのお心を味わいたいと思い全文と現代語訳を記します。

 「罪業もとよりかたちなし 妄想顛倒のなせるなり 心性もとよりきよけれど この世はまことのひとぞなき」(『正像末和讃』)
 (罪とはもとよりかたちのあるものではなく、誤ったものの見方からつくられるのである。心の本性とはもとより清らかなものであるが、この世にまことの心をもっている人などいない。)

 「本願円鈍一乗は 逆悪摂すと信知して 煩悩・菩提体無二と すみやかにとくさとらしむ」(『高僧和讃』)
 (すべてのものを速やかに完全なさとりに至らせる唯一最上の本願は、五逆や十悪のものも摂め取ってくださると信じるところに、煩悩とさとりは別のものではないと速やかにさとらせてくださる。)

 「念仏成仏これ真宗 万行諸善これ仮門 権実真仮をわかずして 自然の浄土をえぞしらぬ」(『浄土和讃』)
 (念仏により仏のさとりを開くという教えこそが真実であり、さまざまな善い行いによりさとりを開くという教えは方便である。真実と方便をわけることなく、真実の浄土を決して知ることはできない。)

 「信は願より生ずれば 念仏成仏自然なり 自然すなはち報土なり 証大涅槃うたがはず」(『高僧和讃』)
 (真実の信心は弥陀仏の本願から生じるので、おのずと念仏によって仏のさとりが開かれる。そのはたらきは真実の浄土にそなわっているので、間違いなくこの上ないさとりを開くのである。)

 「五濁悪世のわれらこそ 金剛の信心ばかりにて ながく生死をすてはてて 自然の浄土にいたるなれ」(『高僧和讃』)
 (さまざまな濁りと悪に満ちた世に生きるわたしたちこそ、決して壊れることのない信心ただ一つで、永遠の迷いの世界を離れ去って、真実の浄土に往生させていただくのである。)

(写真は、ご親教を述べられるご門主です。)

 写真は、『本願寺新報』5月1日号からお借りしています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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715.御正忌報恩講でのご門主のご親教

 20210205ご門主ご親教2

 本願寺の御正忌報恩講は1月9日より16日まで営まれました。
 今年は、コロナウイルス感染への対応を行っていた上に、期間中の1月13日には京都府を対象に緊急事態宣言が発出されるという事態になり、さらに対策を加えるなど大変なご苦労の中でのお勤めになりました。

 15日の午後のお勤めに際してご門主からご親教(ご法話)をいただきましたので、以下その内容をお伝えします。

 本年も1月9日よりおつとめしてまいりました御正忌報恩講は、本日、大逮夜をお迎えいたしました。新型コロナウイルス感染症の拡大により、 1月7日に首都圏の1都3県に、 13日には京都を含む7府県が追加され、1都2府8県に緊急事態宣言が出される中での御正忌となりました。
 例年のように多くの皆さまにご出勤ご参拝いただくことができず、関連行事も多くを取りやめることとなりました。感染拡大が続く中で、私たちの命を守るためのやむを得ない決断ですので、ご理解いただきたいと思います。
 世界で最初の新型コロナウイルス感染症による死者が確認されてから1年がたちました。新型コロナウイルス感染症により、お亡くなりになられた国内外のすべての方々に謹んで 哀悼あいとうの意を表しますとともに、 罹患りかん されている皆さまに心よりお見舞い申しあげます。また、治療・対策にあたられている医師、看護師をはじめとする医療従事者の方々、ライフラインの維持に努めておられる方々に深く敬意と感謝を表します。
 さて、これまで本願寺での報恩講は、全国から多くの僧侶、寺族、門信徒の方にご出勤ご参拝いただき、おつとめしてきました。御影堂の親鸞聖人の 御真影ごしんねい の 御前おんまえ で浄土真宗のみ教えを聞き、ご参拝の皆さまとともに報恩のお念仏を称えるという、まさに私が阿弥陀さまのおはたらきに出 遇あ うことができたことを、いつも以上に味わわせていただく喜びの時間でありました。
 しかし、今年は多くの皆さまとともにそのご縁を持つことができず、特に緊急事態宣言発出後は皆さまに御影堂でゆっくりとご参拝いただくことができなかったことは、誠に 遺憾いかん に 堪た えません。 諸行無常しょぎょうむじょう の世を生きる私たちであることを改めて実感するとともに、親鸞聖人が『 教行信証きょうぎょうしんしょ 』に書かれている「ああ、 弘誓ぐぜい の 強縁ごうえん 、 多生たしょう にも 値もうあ ひがたく、真実の 浄信じょうしん 、 億劫おくこう にも 獲え がたし。たまたま 行信ぎょうしん を 獲え ば、遠く 宿縁しゅくえん を慶べ。もしまたこのたび 疑網ぎもう に 覆蔽ふへい せられば、かへつてまた 曠劫こうごう を 経歴きょうりゃく せん。誠なるかな、 摂取不捨せっしゅふしゃ の 真言しんごん 、 超世希有ちょうせけう の 正法しょうぼう 、 聞思もんし して 遅慮ちりょ することなかれ」 (註釈版聖典132ページ)とのお言葉が深く胸に迫ります。しかし、どのような状況にあっても、これからも阿弥陀さまのおはたらきを聞き、お念仏の中に日々を過ごしてまいりましょう。
 なお、宗派、本願寺、築地本願寺や全国のお寺では、パソコンやスマートフォンを利用してみ教えをお伝えしたり、法要にご参拝していただく取り組みを行っていますので、ご自宅でも浄土真宗に触れていただく機会にしていただき、また、ご縁ある方へもお勧めいただきたいと思います。
 1月8日の「京都府感染拡大警報」では、「感染者の多くが無症状・軽症であることを考えれば、より多くの方が感染していても自覚がなく、通常の日常生活を送ることで知らず知らずのうちに感染を広めている可能性も否定できない状況である。これ以上感染を拡大させず、通常の医療が停止するような事態を招かないためには新規感染者の発生を抑えることが第一であり、府民一人ひとりの行動の 自粛じしゅく ・自制を強く要請する」とされ、また、テレビでは医療従事者の方が「医療従事者への最大の支援は、感染しないことです」と語られていました。
 このような状況の中、私たちは一人ではなく、社会の中で、すべての人々と手を携えて共に歩む念仏者であるということに改めて思いを致し、日々を過ごしてまいりましょう。

(写真は、ご親教を述べられるご門主です。本願寺のホームページからお借りしました。)

 ご門主のご親教は感染防止のアクリル板ごしにされています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

505.ご消息「親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年 慶讃法要」

20190128本願寺新報号外s 

 去る1月9日、本山本願寺の御正忌報恩講の初日にご消息発布式が行われました。ご門主は「親鸞聖人御誕生850年 立教開宗800年についての消息」を親読され、2023年に慶讃法要をお勤めすることを示されました。
 ご消息にもありますように、2023年が親鸞聖人ご誕生850年に、また2024年が立教開宗(『教行信証』の完成)800年に当たることから、それを慶讃して法要が勤修されるものです。

 以下、ご消息の全文をお伝えいたします。
 
 来る2023年には、宗祖親鸞聖人のご誕生850年、また、その翌年には立教開宗800年にあたる記念すべき年をお迎えするにあたり、2023年に慶讃法要をお勤めいたします。

 親鸞聖人は承安3年(1173年)にご誕生となり、御年9歳で出家得度され、比叡山で修行を重ねられましたが、29歳の折、山を下りて法然聖人の御弟子となられ、阿弥陀如来の本願念仏の世界に入られました。その後、専修念仏停止によって越後にご流罪になられ、赦免の後は関東に赴かれて他力念仏のみ教えを人々に伝えられるとともに、『教行信証』の執筆にとりかかられました。他力念仏のみ教えがまとめられた本書は、浄土真宗の根本聖典という意味でご本典と呼ばれています。そして、そのご本典の記述によって、その成立を親鸞聖人52歳の時、すなわち元仁元年(1224)年とみて、この年を立教開宗の年と定めています。

 仏教は今から約2500年前、釈尊が縁起や諸行無常・諸法無我というこの世界のありのままの真実をさとられたことに始まります。翻って私たちは、この執われのないおさとりの真実に気づくことができず、常に自分中心の心で物事を見て、悩み、悲しみ、あるいは他人(ひと)と争ったりしています。釈尊は、このような私たちをそのままに救い、おさとりの真実へ導こうと願われたのが阿弥陀如来であることを教えてくださいました。そして、親鸞聖人は、この阿弥陀如来の願いが、南無阿弥陀仏のお念仏となってはたらき続けてくださっていることを明らかにされたのです。

 ありのままの真実に基づく阿弥陀如来のお慈悲でありますから、いのちあるものすべてに平等にそそがれ、自己中心的な考え方しかできない煩悩具足の私たちも決して見捨てられることはありません。その広大なお慈悲を思うとき、親鸞聖人が「恥づべし傷むべし」とおっしゃったように、阿弥陀如来のお心とあまりにもかけ離れた私たちの生活を深く慚愧せざるをえません。しかし、この慚愧の思いは、阿弥陀如来の悲しみを少しでも軽くすることができればという方向に私たちを動かすでしょう。

 それは、阿弥陀如来の願いを一人でも多くの人に伝え、他人(ひと)の喜び悲しみを自らの喜び悲しみとするような如来のお心にかなう生き方であり、また、世の安穏、仏法弘通を願われた親鸞聖人のお心に沿う生活です。み教えに生かされ、いよいよお念仏を喜び、すべてのいのちあるものが、お互いに心を通い合わせて生きていけるような社会の実現に向け、宗門総合振興計画の取り組みを進めながら、来るべき親鸞聖人ご誕生850年ならびに立教開宗800年の慶讃法要をともにお迎えいたしましょう。 

平成31年(2019年)1月9日
                                               龍谷門主 釋 専 如

(図は、当日配布された『本願寺新報』の号外です。)

 住職は当日お参りすることができませんでしたので、図は本願寺のHPからお借りしました。

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491.ご親教「私たちのちかい」

20181207ご門主

 去る11月22、23日に本山の阿弥陀堂で「秋の法要(全国門徒総追悼法要)」が営まれました。住職はお参りすることができませんでしたが、以下『本願寺新報』および本願寺のHPの情報をご紹介します。

 その法要の後に、ご門主はご親教を述べられ、その中で「私たちのちかい」を示されました。
 この「私たちのちかい」は、平成28年10月1日の伝灯奉告法要の初日に示された「念仏者の生き方」の要点を四か条にまとめられたもので、中学生や高校生、大学生を始めこれまで仏教や浄土真宗のみ教えに親しみのなかった方々にも唱和していただきたいと示されたものです。
 (以下の内容は、12月1日付けの『本願寺新報』より引用させていただきました。)

 私は伝灯奉告法要の初日に「念仏者の生き方」と題して、大智大悲からなる阿弥陀如来のお心をいただいた私たちが、この現実社会でどのように生きていくのかということについて、詳しく述べさせていただきました。このたび「念仏者の生き方」を皆様により親しみ、理解していただきたいという思いから、その肝要を「私たちのちかい」として次の四ヵ条にまとめました。

私たちのちかい

一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
  穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
  微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように

一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
  しなやかな心と振る舞いを心がけます
  心安らかな仏さまのように

一、自分だけを大事にすることなく
  人と喜びや悲しみを分かち合います
  慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように

一、生かされていることに気づき
  日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
  人びとの救いに尽くす仏さまのように

 この「私たちのちかい」は、特に若い人の宗教離れが盛んに言われております今日、中学生や高校生、大学生をはじめとして、これまで仏教や浄土真宗のみ教えにあまり親しみのなかった方々にも、さまざまな機会で唱和していただきたいと思っております。そして、先人の方々が大切に受け継いでこられた浄土真宗のみ教えを、これからも広く伝えていくことが後に続く私たちの使命であることを心に刻み、お念仏申す道を歩んでまいりましょう。

2018(平成30)年11月23日

                           浄土真宗本願寺派門主 大谷 光淳


(写真は、ご親教を述べられる専如ご門主です。本願寺のHPからお借りしました。)

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403.本山御正忌報恩講でのご門主のご親教


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 本山の御正忌報恩講で、1月15日にご門主がご親教(ご門主のされるご法話です)されましたので、以下その内容をお伝えします。

 本年もようこそ御正忌報恩講にご参拝くださいました。全国から親鸞聖人をお慕いする皆さまがご参拝くださり、ご一緒におつとめをし、お念仏申させていただく尊いご縁であります。このご縁にあたり、あらためて親鸞聖人がお説きになった浄土真宗のみ教えを味わわせていただきましょう。
 親鸞聖人は、比叡山で20年間、さとりを求めて修行をされましたが、我執、我欲の心である煩悩が無くなることはありませんでした。明日おつとめいたします『嘆徳文(たんどくもん)』には、親鸞聖人のおこころを「定水(じょうすい)を凝(こ)らすといへども識浪(しきろう)しきりに動き、心月(しんがつ)を観(かん)ずといへども妄雲(もううん)なほ覆(おお)ふ」と記されています。平らな水面を見ると波が立ち、月を見ると雲に覆われてしまうということです。
 親鸞聖人だけではなく、仏教を説かれたお釈迦さまの時代から、私たち人間の姿は変わりません。それは、この世界の真実をありのままに受け止めることができず、自分の思いやとらわれの中で悲しみ苦しむ姿であります。親鸞聖人は、そのような私たちを救おうと阿弥陀さまがはたらきかけてくださっていると明らかにされました。阿弥陀さまのおはたらきの中で、私たちは真実を聞き、真実に気付くことができます。そのことによって、自分自身のありのままの姿、自己中心的な姿を知ることができます。

 地球環境と暮らし 持続可能なものへ

 さて、科学技術が発達した現代社会ですが、それゆえにさまざまな問題も起こっています。今のままでは人間が存在することのできない地球になってしまうという強い危機感が世界で共有されています。そのことを背景として、2015年に国連で全会一致で採択された「SDGs 持続可能な開発目標」は、地球環境と人々の暮らしを持続的なものとするため、深刻化する地球規模の課題にともに取り組み、人類の未来を切り開いていくことを目指したものです。
 「誰一人取り残さないーNo one will be left behind」を理念として、そこで取り上げられた課題には、2030年までに達成する「貧困」「教育」「ジェンダー」「不平等」「平和」なと世界を変革するための17の目標が掲げられています。そして、日本においても未達成とされている目標が多くあります。
 先ほども述べましたように、私たち念仏者は、阿弥陀さまのおはたらきの中で、自分自身のありのままの姿、自己中心的な姿を知ることができます。そして、阿弥陀さまの救いのおこころを知らされた私であるからこそ、他の方の悲しみや苦しみに無関心ではいられません。さまざまな社会の問題に関心を向け、私にできることから解決への取り組みを始めていきましょう。
 今年の報恩講にあたり、浄土真宗のみ教えを依(よ)りどころとする念仏者の生き方を共々に考え、今日からの日々を過ごしてまいりましょう。 
 本日はようこそご参拝くださいました。

(図は、『本願寺聖人親鸞伝絵(ほんがんじのしょうにんしんらんでんね)』(御絵伝)の「洛陽遷化(らくようせんげ)」の段です。寺の御絵伝を撮影しました。)

 親鸞聖人は、弘長2年11月28日(1263年1月16日)にご往生なさいました。お年は90歳になっておられました。
 図には右から順に3つの場面が描かれています。
 ・右は、病床から起きてお念仏のご法義に出遭えた喜びを語っておられる聖人のお姿と伝えられるものです。
 ・中は、ご往生の場面です。「頭北面西右脇に臥して、念仏の息ついに絶えおわんぬ」と『御伝鈔』に伝えられています。
 ・そして、左は遺骸をお納めした棺を見送る人々を描いたものです。薪や松明を運ぶ人も見えますが、ご往生の場面とともにお弟子さんたちの嘆き悲しむ姿が描かれています。

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