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263.オバマ大統領のスピーチ(5)

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 この切り抜きは、「本願寺新報」の9月20日号のものです。

 今年5月にオバマ大統領が広島で行ったスピーチの中に、広島で被爆死した12名の米軍捕虜の記録を調べた被爆者の男性に触れた言葉がありました。大統領のスピーチは次の通りでした
 「原爆を投下したパイロットを許した女性がいます。本当に憎んでいたのは戦争そのものであることに気づいたからです。この地で命を落とした米国人の遺族を探し出した男性がいます。彼らが失ったものは自分が失ったものと同じだと信じたからです」

 大統領はスピーチの後にこの男性を抱擁し、その映像が世界に伝えられました。

 「本願寺新報」の記事は、この遺族を探し出した男性森重昭さんが広島市の浄土真宗本願寺派の光西寺さんのご門徒さんだということを伝えています。

 以下は、「本願寺新報」の記事とその他の情報によります。

 森さんは歴史が好きで、歴史を教える仕事につきたいと考えられたこともあたのだそうですが、原爆の被害について正確な情報が知りたいと思ったのがその活動のきっかけだったと言われます。原爆の被害者の中に米兵の捕虜がいたという情報を聞き、「どこの国であっても、みんな家族を思う気持ちは同じ。残された者の痛みには敵も味方もない」(本願寺新報)と、1975年、38歳の時に被爆死した米兵の調査を始められたということです。

 米国政府は1983年までは捕虜が広島で犠牲になったことを認めていなかったそうですから、森さんは米国からの支援もなく、日本でもなぜそのような活動をするのかという冷たい目を向けられながら、一人で孤独な作業を始められました。
 犠牲になった12名の米兵の名前を調べるだけではなく、、その遺族に自分が調べた情報を伝えたいと考えられた森さんは、米兵のファミリネームを頼りに遺族を探しだすという気の遠くなるような作業を進められたのだそうです。
 このような大変なご苦労の結果、犠牲になった米兵12名全員の遺族が判明したのは2009年、森さんが活動を始めてから34年が経過していました。
 森さんは、併せて遺族に死没者名簿に登録を申請するように働きかけ、記念碑を設置するなどの活動も行われました。

 森さんの言葉に「残された者の痛みには敵も味方もない」とあります。
 「支配したいという基本的な本能」(大統領のスピーチ)から逃れることができない私たちが、科学技術によって破滅的な力を持つようになったのが現在の戦争の姿だと改めて思います。このような自らを絶滅させることができるような強大な力を持った私たちが、支配したいという基本的な本能、煩悩にとらわれ続けているのだということに思い至ることが必要だと改めて実感させられます。

 この森さんの活動を描いた「灯篭流し(Paper Lantern)」というドキュメンタリー映画が公開されます。この映画を監督したバリー・フレシェット氏は被爆米兵の一人ノーマン・ブリセット氏の親友の甥にあたるのだそうです。

(写真は、「本願寺新報」の記事です)
 字が小さくて読みにくくなっていますが、申し訳ありません。

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235.オバマ大統領のスピーチ(4)

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 5月27日にオバマ大統領が広島で行ったスピーチについてこれまで3回にわたって見てきましたが、今回はこのスピーチに対する反応、論評について見てみたいと思います。
 大統領のスピーチに対しては色々な立場からコメントがなされています。これらの反応を見てみると、核兵器に対する考え方、戦争というものに対する考え方に大きな開きがあって、核兵器を廃絶する、戦争をなくすということ、それに向かって歩を進めることの難しさを改めて感じます。

 まず、大統領が広島を訪問しスピーチを行うことについては、米国内で様々な意見があったと伝えられています。
 大統領自身は広島を訪問したいという強い希望を持っていたといわれていますが、米国内にはそれが原爆投下に対する謝罪を意味するものになるという強固な反発がありました。米国には、原爆投下は第二次大戦を早期に終結させるために必要だったという見方が強ことによります。
 そのような背景でなされた大統領の広島訪問とスピーチは、大統領自身の強い思いと米国内の世論の動向との両方を考慮したのもとならざるを得ず、大統領は日本訪問の直前まで何度もスピーチの原稿を推敲し、スピーチは当初の予想を超える17分間のものになりました。
 この原爆投下に対する謝罪について日本政府はそれを求めてはいませんでしたし、民間の調査でも謝罪を求める声は大きくなかったと伝えられています。

 大統領のスピーチに対する反応ですが、日本での受け止め方は「よく広島を訪問してくれた」「核兵器のない世界を求めるという決意を述べてくれた」と高く評価するものでした。各党から出されたコメントも、共産党も含めて「歴史的な一歩となる行動だった」と評価するものでした。
 原爆投下に対する謝罪についても、「謝罪をしてほしいという気持ちもあったけれど、それよりも広島に来てもらって原爆の悲惨さを実感してもらい、核兵器廃絶に向けての発言があってよかった」という受け止め方が多かったのではないかと思われます。

 米国内の反応も、リベラル派を中心に訪問とスピーチを評価する声が多いという報道が中心でした。ただ、オバマ大統領のこれまでの外交を「弱腰」と批判してきた共和党の保守強硬派にはその延長線上での批判があることも報道されており、「真珠湾攻撃など原爆投下に至る歴史的背景に触れられていない」という見方もあったようです。

 ヨーロッパの各国の反応も、多くは広島訪問とスピーチを高く評価するものでした。その中には、「オバマ氏が『道徳的な革命』という新たな視点を持ち出して核兵器の人道上の問題点に踏み込んだ点で前進」だと評価するコメント(ジュネーブ安全保障政策センター)もありました。

 一方、ヨーロッパ以外の国の評価は少し違ったものになっているようです。
 中国は「日米が核抑止力に依拠した政策を取りながら、核廃絶の理想を主張しているのは矛盾している」というコメントを出しています。
 ロシアではプーチン政権寄りの報道機関からの報道は少なく、政府関係者の目だった発言もなかったようです。日ロ、米ロ間の微妙な現状の反映だと思われます。
 南アジアの核保有国であるパキスタンからは、「謝罪しなかったことで、米国は有事の際に再び核を使う考えがあることを示した」という指摘があったという報道もありました。

 韓国では、韓国政府は「他国の外交日程に関することなので大統領の広島訪問については『理解する』」としていますが、報道機関には、「大統領の広島訪問は日本の『戦争被害国イメージ』を拡大させる狙いがある」として、従軍慰安婦問題などについて免罪符にしようとしているという主張があるようです。
 また北朝鮮は、大統領の広島訪問には「『核なき世界』を改めて力説し、世界最悪の核犯罪者としての正体を隠そうという邪心がある」と非難していると伝えられています。

 このように、今回の大統領の広島訪問とスピーチは、それを実行する側にも、それ受ける側にも、それを外部から見る側にも様々な受け止め方があるものだと、改めて強く感じさせられました。

 中国が言っているように(ただその発言の真意は違うものですが)、大統領の志向には、世界最大の核戦力を抑止力として使っていながら核の廃絶を目指すという(唯一の被爆国である日本もその核の傘の元にあるという)「矛盾」があるということは間違いないことだと思います。現実の政治の中で目指すべき理想を持とうとすると、どうしてもそのような矛盾の中で判断し行動せざるを得ないということは、前回までに見てきたところです。  
 このような矛盾の中にあるということを安易に受け入れるのではなく、常にそれを認識しながら、一歩でも望ましい方向に進むという現実的な行動をとることが必要だと思われます。

 大統領が、人類が互いに争いあうという「本能」をそのままにして核兵器という破壊的な力を持つに至ったことを指摘し、その対策について提言し、核保有国が負わなければならない責任について言及していることに関する報道は余り見られないように思いました。
 その対策については、私たちがこのような「本能」(「煩悩」)を等しく持っていることを認識することから始め、具体的な方策を共同して検討する必要があるように思います。このことも利害が厳しく対立する現実の中では非常に難しいことだと思われますが、一歩でも進むことを目指さなければならないと思います。

(写真は、ノウゼンカズラです。)

 ちょうどこれから花期を迎える植物です。右はアメリカノウゼンカズラという種で、左のものに比べて花は小ぶりで細長いのが特徴です。
 ノウゼンカズラは中国原産の植物で、漢字では「凌霄葛」。凌霄は「霄(そら)を凌(しの)ぐ」の意味で、蔓によって高く伸びるところから来ているということです。

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230.オバマ大統領のスピーチ(3)


20160610くまモン募金箱
  

 さる6月27日、広島で行われたオバマ大統領のスピーチを読んでいて感じることの第一は、氏が、人類が獲得した高度の科学技術とそれを取り扱う人類の姿について深い懸念を持っているということです。
 煩悩という言葉は使われていませんが、氏の言う「支配、征服を欲する本能」はまさに貪欲であり瞋恚です。人類はこの煩悩に取りつかれたままに、核兵器という自らを何度も破滅させることができる兵器を手にしました。そしてそれが現実の姿になったのが広島であり、長崎であるという点です。
 
 ここでも、原爆でひどいやけどを負ったわが子の背を撫でながら母親が「ごうなことよのう」とつぶやいていたという話を改めて思い返しています。
 「業なこと」恨まれるのは原爆を投下したアメリカ兵ではなく、このようの事態を招いた人間の業、煩悩なのだとその母親は私たちに語りかけています。オバマ氏のスピーチに取り上げられていた、原爆を投下したパイロットを許したとされる女性も同じことを思っていたのではないでしょうか。

 広島の平和公園にある原爆死没者慰霊碑に「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文が刻まれています。随分昔の記憶ですが、この碑文について論争がありました。「過ちは繰返しませぬから」の主語はだれなのだ、誰が過ちを犯したのか、という点についてです。
 主語は「日本人」なのか「人類」なのか。「日本人」が主語ならば「過ちは繰り返させませぬから」とすべきではないか、「人類」ならばアメリカ人も含むのか(アメリカ人とすると原爆投下を過ちと認めるのかという別の論争にもつながっていきます)、といったことについて論争がありました。

 現在では、この碑文は「人類全体が再びこのようなことを起こさないことを誓う」ものと理解されるようになっているということです。この碑文は、私も含めた人類全体がこのような悲惨な事態を起こさないとともに決意し、そのことを誓うものです。
 
 もう一つオバマ氏のスピーチで強く印象づけられることは、氏が、核兵器は廃絶すべきだという理想を持ちながら、それとは違った現実の中で判断行動せざるを得ないことを認め、それでもなお一歩でも理想に近づくように努力しようと語っていることです。

 この理想と現実について率直に語った部分に対しては、様々な反応があるようです。
 氏のスピーチに対する多様な受け止めかた、反応については回を改めて見てみたいと思っているのですが、上記の核廃絶に関する「矛盾した」自己認識について、その矛盾ゆえにスピーチが空虚なものに感じられた、とする受け止め方も見受けられました。    
 世界最大の核保有国の大統領として絶大な権限を手にしているのだから、核廃絶をいうのであればもう少し踏み込んだ姿勢を示せるのではないか、という見方もその一つでした。

 この点は、「平和に関する論点整理」が指摘している、殺生を禁止する徹底した平和主義を掲げる仏教の念仏者が、核の傘や武力によって維持されている平和の中で生きざるを得ないという現実をどのように考えるのか、という重い課題と重なるものだと思います。

 再度、「平和に関する論点整理」の次の文章を思い起こします。
 「同じ現実を生きていても、矛盾を忘れて生きることと、矛盾を常に背負っていることを自覚し生きていることには、大きな隔たりがあります。前者は安易な現状肯定であり、後者においては末通らないと自覚しつつも、自らの在り方や社会を問い直す契機が常に生まれ続けています」
 私たちは、矛盾の中で生きるということから逃れることができない存在であることを自覚し、しかしその矛盾を安易に受け入れるのではなく、その矛盾の中身をしっかりと見据えて、一歩でも理想に近づく努力をしなければならない、と改めて思います。

(写真は、この度作った「平成28年熊本地震」義援金募金箱です)

 先の法中会のご報告にありましたように、宇部北組は各寺院で義援金を募り年末に組として別院に送付することになりましたので、その募金用の箱です。
 「くまモン」のイラストを使えるようになっていましたので、作ってみました。募金へのご協力をよろしくお願いします。

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228.オバマ大統領のスピーチ(2)

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 オバマ大統領のスピーチ、今回はその後半部分を見ていきます。

 前回の前半部分では、オバマ氏は私たち人類はかつてない高度な技術を発展させ豊かな生活を手に入れてきたが、それと同時に人類を何回でもを破滅させることができる核兵器という破壊的な力も自分のものにしてきたと言います。しかもその技術を保持する人類は、太古の昔と変わらず「支配、征服を欲するという本能」を持ち続けていることに深い危惧を持っていることを述べました。
 広島と長崎で生じた破壊はその象徴的な姿なのだと氏は述べ、私たちは私たちが到達した高度な技術にふさわしく「進化」しなければならないと説いています。

 スピーチの後半部分でオバマ氏は、各国は先の大戦の後にその反省に立って新しい動きをしてきたことを指摘します。
 かつて壮絶な戦いを繰り広げた日米両国が同盟を築き友情を育んできたこと、欧州では長年の対立を克服して新しい連合を成立させたこと、核兵器を規制、削減し最終的には廃絶する方向に動き始めたことをあげますが、「侵略行為やテロ行為、腐敗、残虐な行為、そして抑圧は、私たちの仕事がまだ終わっていないことを示しています」と多くの課題が残されていると言います。
 そして「私たちが築いた国家や同盟は、私たちを守る手段を持たなければなりません。しかし、我が国のように核兵器を持っている国は恐怖の論理から脱し、核兵器のない世界を目指す勇気を持たなくてはいけません。」と核保有国が負うべき責任を提示します。

 そのために、私たちは戦争というもの自体に対する考え方を変えなければならないと言います。
 外交を通じて紛争を防ぎ、終わらせること、相互の依存関係を暴力的な競争ではなく平和的な協力に変えること、国家の機能は破壊したものではなく作り出したもので捉えられなければならないこと、そしてなによりも私たちが人類の一員としてお互いのつながりを思い起すこと、が必要だと説きます。

 氏は「私たちは過去の失敗を繰り返すよう遺伝子で決められているわけではありません」と言い、こどもたちに共通の人間性を説明し、戦争を防ぎ、残虐な行為を遠ざけることができると言います。
  そして、原爆を投下したパイロットを許した被爆者の女性がいること、広島で殺された米国人の家族を探しだした日本人の男性がいるという逸話を紹介します。氏は、その女性は自分が憎むものは戦争そのものだということに気づき、またその男性は米国人が家族を失ったその喪失感は自身の喪失感を同じものだということを感じたのだと言います。
 このように戦争に対する思いが一つなのだということを共有することによって、人類は一つになれるのだとします。

 さらに、全ての人類は生命、自由、幸福追求の権利を奪われることはない、と宣言した米国の独立宣言を引用し、「しかしその理想を実現することは、米国内や米国民の間であっても、決して簡単ではありません。しかし、その物語にあくまでも忠実であろうとすることに価値があります。それは努力しなくてはならない理想であり、大陸と海をまたぐ理想です」と、理想を実現することがいかに困難であっても、理想を掲げ続けること、そして一歩でもその方向に歩むことが大切なのだと語りかけます。

 そして氏は「国家が選択をするとき、国家の指導者がこのシンプルな(科学の驚異を命を奪うのではなく、もっと人生を豊かにすることに役立てるべきだという)英知をかえりみて選択すれば、広島からの教訓を得たと言えるでしょう」と広島を訪れることの意味を再度確認します。
 
 この後半部分で、オバマ大統領は、人類が持っている支配し抑圧したいという本能から一歩先に前に進まなければならないこと、全ての人々はかけがえのない存在であることに気づくことで、戦いを避け最終的には核兵器の廃絶を目指さなければならないことを述べ、「私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが」その理想を持ち続け、一歩でもその理想に近づくように努力し、大切な選択のときに正しい決断ができるようにしようと呼びかけています。

 次回では、先に取り上げた「平和に関する論点整理」の視点からこのオバマ大統領のスピーチを見てみたいと思います。 

(写真はもう一度セッコクです)

 庭のウメの木に着生しているセッコクです。こちらは前回のカイヅカイブキのものより少しピンクがかっています。

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227.オバマ大統領のスピーチ


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 オバマ大統領は、5月27日に広島を訪問、原爆資料館を見学し原爆慰霊碑に献花した後にスピーチを行いました。

 TVでの中継は見ることができなかったのですが、そのスピーチの内容を見てみたいと思います。これまでご一緒に「平和に関する論点整理」について学んできましたが、この論点整理に取り上げられた「論点」について大統領がどのように考えているのかというようなことについても考えてみたいと思います。
 
 今回は、スピーチの前半の部分を見ていきます。なお、日本語訳は毎日新聞社のものを使っています。

 最初に、オバマ氏は「私たちはなぜここ広島に来るのでしょうか。」と問いかけます。広島が私たちに問いかけているものは何なのかという問いです。
 それは「それほど遠くない過去に恐ろしい力が解き放たれたことを考えるために」また、あの原爆によって命を奪われた多くの「死者を悼むため」だとし、犠牲者の魂が「心の内を見て私たちは何者なのか、私たちはどのようになれるのか、振り返るように語りかけてきます」という言葉が続きます。
 ここで氏は、広島の地に立って、このような多くの犠牲を出した原因について、私たち自身の「内」に眼を向けることが必要だと言っています。

 続いて「広島を際立たせているのは戦争という事実ではありません。」という言葉があって、次のように語りかけます。
 ・太古の昔から人類は戦いを行ってきた。「どの大陸においても文明の歴史は戦争に満ちています。」
 ・その一方で、人類は科学技術を発展させてきたが、それは同時に比類のない破壊力を生み出した。「そうした発見が、効率的に人を殺す機械になり得るのです」
 ・先の世界大戦は、「最も豊かで強い国々の間で戦われました。その文明は素晴らしい都市や美術を生み」「思想家は正義や調和、真実という進んだ考えを見いだしてきました」しかし、「支配、征服を欲する本能という(古くからの)同じ根本から戦争は起きてきました。」
 ・私たちの支配、征服を欲する本能はそのままで、「古いパターンが制約が働くことなく、(近代技術の)新しい能力により増幅されてきました」

 そして、次のように述べます。
 「技術のみの発展ではなく、同様に人間社会が進歩しなければ、我々を破滅させる可能性があります。原子を分裂させた科学の革命は私たちに道徳的な進歩も要求しています。」
 「これが私たちが広島を訪れる理由です」

 このように、私たちは原子を取り扱う技術に象徴されるように、科学技術の発展によりかつてない豊かさを手にしましたが、それと同時に、私たち自身を破滅させるほどの破壊的な力も手に入れました。
 オバマ氏は、その一方で支配、征服を欲するという根本の部分では私たちは太古のままであると言っています。氏は、このような破壊的な力を手に入れた私たちは、それにふさわしい私たち自身の進化をなさなければ、破滅的な結果に至るのだと警告をしています。 

 ここまでの部分を読んできて、3つの煩悩のことを思い浮かべていました。
 「支配、征服を欲する本能」とはまさしく、貪欲(むさぼり、我欲)であり瞋恚(怒り、腹立ち)です。この煩悩をそのままにして、私たちはかつてない強力な破壊的な力を手中にしたということになります。

 こうした現状では、「煩悩」に突き動かされてこの破壊的な力を行使することをどのようにして抑止するのか、対立する当事者がそれぞれこの力を持って対峙している現状で、破滅的な事態を生じないようにするにはどうしたらよいのか、そのような力を持っていない者(我が国がそうなのですが)はどのような行動をとることができるのか、といったことが重要な課題となります。

 それはまさに、「平和に関する論点整理」が取り上げていた「論点」と重なるところでもあります。

(写真は、セッコクです。)

 玄関横のカイヅカイブキに着生していて、ちょうど今頃が見頃です。

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