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136.お釈迦さま(12):説かれた法(7)


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 私たちはこれまでに、お釈迦さまが初めて説かれたみ教えの中で示された「四諦」について学んできました。

 四諦によってお釈迦さま次の4つの真理を私たちのお示しいただきました。
  私たちの人生の真相は苦であり、その苦の原因が煩悩であるということ。
  人生の苦を滅した状態が涅槃であり、その涅槃を実現する道が八正道であること。
  
 そこで今回は、この八正道について学びたいと思います。
 道諦の内容を具体的に表したものが八正道ですが、これは次の8つを指します。また、滅諦という聖なる真理に至るものであるところから「八聖道」ともいわれます。

 正見(しょうけん):正しい見解
  正しい見方、考え方という意味で、仏教の根本原理や理法に従った正しいものの見方ということになります。
  次の正思惟から正念までで、この正見に達するための具体的な実践が示されていると伺いました。
 正思惟(しょうしゆい):正しい思考
  正見に合致するように心に思うことで、正しい意思、正しい思索ということです。
 正語(しょうご):正しい言語活動
  正見にかなう正しい言葉という意味で、うそを言わない、他人の悪口を言わないこと、さらには自他共に喜べる言葉や優しい言葉をなども示すものだと伺いました。
 正業(しょうごう):正しい行為
  身の行いを正見に一致させることで、邪悪な行いをしないということです。  
 正命(しょうみょう):正しい生活
  正見にかなった積極的な生活という意味で、正しく清められた生活に生き抜くこと伺いました。
 正精進(しょうしょうじん):正しい努力
  正見にかなった積極的な努力ということで、智慧(さとり)の理想を実現するための懸命な努力を意味していると伺いました。
 正念(しょうねん):正しい憶念
  正見にかなった正しい意識を持ち、理想目的を忘れないこととされます。常に正しい反省と注意力をもって、その念(おもい)を失わずに生活することと伺いました。
 正定(しょうじょう):正しい精神統一
  「定」というのは禅定座禅(ぜんじょうざぜん)のことだと伺いました。精神をひとところに集中し統一することで、これによって初めて真実の智慧に目覚め、涅槃のさとりを得ることができるのだと伺いました。

 このようにお釈迦さまは、人生の実相をあるがままに見る正見が禅定という実践によらなければならない、ということをお示しいただきました。そして、その正見のために現実の生活の中で展開されたのが正思惟から正念の6つだということになります。

 この8つの道はどの一つをとっても私たちには困難な道だということが実感されます。
 親鸞聖人は、私たちは煩悩に囚われ一生それから逃れることができない存在だとお示しいただきました。そして、そのような私たちでも阿弥陀如来は間違いなく救っていただけるとお教えいただきました。

 そのように煩悩と一体で生活している私たち、自分の力ではどうしてもこの煩悩を断ち切ることができない私たちでも、そのことに甘えることなく、少しでも、一歩でもお釈迦さまが示された道に沿って進めるよう日々努めることが大切なことだと改めて思います。

(写真は、7月14日の霧です)

 寺の周辺では昼前まで深い霧につつまれていました。ただ伊佐の町に「降りて」みましたら霧はありませんでしたので、寺の周辺の山間部だけだったようです。
 寺へ続く道に沿った竹林はバイオマス燃料の実験用に一部が伐採されていますが、霧がかかってこのような風景になりました。
 蜘蛛がかけた巣にも細かい霧がかかって、打ち上げられた花火(?)のような姿を見ることができました。細かい霧がかかってこのような光景が見られたのではないかと思いますが、自然の造形の偶然の出会いでしょうか。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください
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133.お釈迦さま(11):説かれた法(6)


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 お釈迦さまが私たちにお伝えいただいた4つの真理の後2つです。

滅諦(めったい):人生の苦を滅した境地が、涅槃であるという真理
 お釈迦さまは、私たちの苦の真の原因が煩悩にあるとお示しいただきましたが、その苦の原因である煩悩が全て滅した状態が「涅槃(ねはん)」と呼ばれる世界だとお示しいただいています。

 この「涅槃」という言葉は、原語である梵語の「ニルバーナ」(吹き消すこと、吹き消されている状態)を音訳したものだと教えていただきました。一切の煩悩が吹き消されている状態、悟りの世界を表す言葉で、「滅度(めつど)」「寂滅(じゃくめつ)」と意訳されます。
 古い経典に「すべての貪欲の滅尽、瞋恚の滅尽、愚痴の滅尽、これを称して涅槃という」という言葉があるということですので、まさしく3つの代表的な煩悩が吹き消された状態、絶対安住の無苦安穏の状態が涅槃ということになります。

 ここでもう一度お釈迦さまが修行されていた時のことを思い返します。
 当時の修行者の目指すところはこの涅槃であったのですが、この涅槃に到達する主要な方法として、「修定」(心の動揺を鎮める修行)と「苦行」(肉体によって心の平安が乱されないように肉体の力をそぐ修行)とが行われていたといいます。
 お釈迦さまはその修定、苦行両方の修行に取り組まれましたが、そのいずれによっても絶対のさとりをえることができないと考えられて、苦行を捨てて新しい道を開かれました。

 この涅槃に至り本当のさとりを得る方法が、4つ目の真理の「道諦」です。

道諦(どうたい):苦を滅して涅槃を実現する道が八正道(はっしょうどう)であるという真理

 これは、苦を滅して涅槃のさとりを得る実践を八正道として具体的にお示しいただいたものです。

 この八正道については次回で学びたいと思いますが、先の医師が患者に対している例でいいますと、この道諦は「病を知って対治する」、滅諦は「病から回復させ再発させない」という働きに当たります。

 また、お釈迦さまが示された4つの真理は、は私たちの苦の原因とその結果、その原因を滅する方法とその結果を表したものということができます。

(写真はまたまたアジサイです)

 神戸市の摩耶山のアジサイです。
 摩耶山という名前は、この山にある「天上寺」にお釈迦さまの母上の摩耶夫人(まやぶにん)の像を安置しているところから名づけられたと伝えられています。
 標高は700メートルほどですが、神戸の市街から近く四季を通じて人気の山歩きコースになっています。

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131.お釈迦さま(10):説かれた法(5)


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 お釈迦さまが説かれた四つの真理「四諦」の2番目は「集諦」です。

集諦(じったい):人生の真相が苦である、その苦の原因は、煩悩であるという真理

 お釈迦さまは最初に「人生の真相は苦である」と示されましたが、その苦の原因は私たちが逃れることが難しい「煩悩」にあると仰います。
 煩悩とは、「心身を煩わせ、悩ませる精神作用の総称で、衆生はこうした煩悩によって業を起こし、苦報をうけて迷界流転する。」(『浄土真宗辞典』)とされます。

 集諦の「集」は「招き集める」という意味で、結果を生じるために集まった原因のことをいうのだとお聞きしました。
 私たちの心身を煩わせ、悩ませる様々な煩悩が集まってそれが私たちの苦につながっているのだということとなります。

 私たちが持つ煩悩の代表的なものとして、「三毒」というものがありました。『浄土真宗辞典』には三毒について次のように記されています。
  貪欲(とんよく):むさぼり・我欲のことで、自己の好む対象に向かってむさぼり求める心をおこすこと
  瞋恚(しんに) :いかり・腹立ちのことで、憎しみ怒り、心が安らかでないこと
  愚痴(ぐち)  :真実の道理に無知なこと
 この3番目の「愚痴」の説明にある「真実」というのは、私たちの分別を超えた絶対の真理、さらには如来の願心やはたらきのことを表します。愚痴というのは「これらについて無知なこと」で「無明」とも称されます。

 この3つの煩悩が私たちの苦の原因だとお釈迦さまは言われます。
 そのいずれにおいても、自分を中心にものを考え、むさぼり、奪い、怒り、不満や不安に囚われ、うごめいていて、私たちを包んでいただいている法(阿弥陀如来の願)に気付くことのない私たちの姿が見えてきます。

 前回と同様に、医師と病める患者の関係に例えると、「苦」という私たちが生きている限り逃れることのできない病いの真の原因が「煩悩」にあるのだと診断されたことになります。

(写真は、今度もアジサイの仲間になりますが、コアジサイという植物です)

 コアジサイ(小紫陽花)も一般のアジサイと同じアジサイ属の仲間ですが、他のアジサイに見られるような「装飾花」と呼ばれる(大きな)花を持たないところが特徴で、「両性花」と呼ばれる小さな繊細な花だけを持っています。
 日本のみに自生する植物で、この時期六甲山でよく見かけられる植物です。

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130.お釈迦さま(9):説かれた法(4)

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 お釈迦さまが示された四つの真理、「四諦」について学びます。本日は最初の「苦諦」です。

苦諦(くたい):人生の真相は苦であるという真理

 四つの真理の最初に取り上げられている真理は、「人生は苦である」ということです。お釈迦さまがお説きになった多くの真理(法)の根底にはいつもこの「人生は苦である」という認識があるように思えます。

 この苦の内容として、生、老、病、死の「四苦」が挙げられています。

 このうち、「老、病、死」の苦は素直に理解できそうですが、最初の「生苦(しょうく)」とはどういったものなのでしょうか。
 この「生苦」は「生まれでる苦しみ」とされています。では、どうして生まれでることが苦しみなのでしょうか。
 お釈迦さまは、私たちの人生は苦しみであるといわれます。その苦しみの原因は、まさしく私たちが生まれたことによるのです。生にともなう様々な苦は、私たちがこの世に生まれでてきたそのことによって背負わなければならないものなのだということになります。
 これは、前回の記事で、私たちが死ぬ本当の死因は「生まれたこと」なのだと講師が言われたことにもつながっているように思います。

 この四苦に加えて、私たちは次の四つの苦とも向き合わなければならないとされています。

  愛別離苦(あいべつりく) :愛するものと別離する苦しみ。
  怨憎会苦(おんぞうえく) :逆に、怨念や憎しみを抱いている人とも会わなければならない苦しみ。
  求不得苦(ぐふとっく)  :求めてもそれが得られない苦しみ。
  五蘊盛苦(ごうんじょうく):私たちが生きているだけで湧き上がってくる苦しみ。
   この「五蘊」というのは、「色(しき)」、「受(しゅ)」、「想(そう)」、「行(ぎょう)」、「識(しき)」という私たちの身体や感覚、概念、認識などのはたらきを表しているとお聞きしました。「五蘊盛苦」というのは、私たちがそのはたらきの結果や内容に執着して離れることができない苦ということになるのでしょうか。

 私たちが行っている社会生活のことを考えてみても、特に最初の3つの苦は普通に直面する苦だということが分かります。人が人生で出会う苦というのは遠く時代を超えて変わらないものだということができますが、2500年前に、お釈迦さまは現在にまでつながる人間の苦というものを的確に指摘されたのだと思います。

 先の四苦と合わせて合計八つの苦、文字通り「四苦八苦」が私たちの人生だということになります。

 お釈迦さまは、この「苦諦」の中で、私たちの生そのものの根底に苦があるということをお示しいただきました。お釈迦さまは、ちょうど医師が病める患者の様態を診察されるように、私たちの生の実態を示されたということになります。

(写真は今回もアジサイです。)

 防府の「阿弥陀寺」のアジサイです。
 「阿弥陀寺」は、源平の戦で焼失した東大寺を再建するために西下した重源上人が建立されたと伝えられるお寺で、約80種、4000株もあるアジサイでも有名なお寺です。ウイークデーでも多くの人出がありました。
 アジサイは梅雨の鬱陶しさを忘れさせてくれますが、それにしても、その花の複雑繊細さはどうしてこのような造形が可能なのかと不思議な思いになります。

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128.お釈迦さま(8):説かれた法(3)

20150619飯盛山夕日

 前回、「中道」の実践により私たちは両極端を排して正しいものの見方を得ることができるということを学びました。
 この中道は、そのような状態に「身を置く」ことを示しているというのではなくて、そのような「実践を行う」ことと理解することが必要だと思います。あくまで正しい実践の道、真理の実践の道、だということです。

 お釈迦さまはその内容を5人のお弟子さんに初めて説かれた「初転法輪」でお示しになりました。これはお釈迦さまのみ教えの根幹にあたるもので、私たちは「四諦八正道(したいはっしょうどう)」とお呼びしています。

 まずその「四諦」について学びたいと思います。

 漢和辞典で調べてみますと、この「諦」という字は「つまびらかにする」「つまびらか(審)」「まこと(真理)」「さとり(悟)」という意味を表す字とあり、「てい」「たい」「だい」と読まれます。
 現代では「諦念」「諦める」など「あきらめる」という意味に使われていることが多いようですが、「あきらめる」という意味に使用するのは日本だけなのだそうです。これは初めて知りました。

 「四諦」の「諦」は上記の意味の中では「真理」「悟」の意味で、「四つの真理」という意味になります。お釈迦さまは、その四つの真理を次のように示されました。
  「苦諦(くたい)」 :人生の真相は苦であるという真理
  「集諦(じったい)」:人生の真相が苦である、その苦の原因は、煩悩であるという真理
  「滅諦(めったい)」:人生の苦を滅した境地が、涅槃であるという真理
  「道諦(どうたい)」:苦を滅して涅槃を実現する道が八正道であるという真理

 この「四諦」は、お釈迦さまの当時の医師が病める患者に対する姿を表したものだ、とお聞きしたことがあります。
 それは、この四諦が医師の次のような働きに対応しているということです。
 1.医師は、まず診察によって患者の病状を正しく把握します
 2.次に、その病の根源となる原因を明らかにします
 3.その結果により、適切な治療を施して病からの回復を図ります
 4.最後に、病の再発を防ぐ手立てをおこないます

 まさしく、お釈迦さまはこの四つの真理をお示しいただき、病み苦しむ私たちに、その原因を明らかにしそれに囚われることなく生きていく道を示していただいたことになります。

(写真は、大阪府の飯盛山から見た夕日です。)

 飯盛山という名前の山は全国にたくさんあるのだそうですが、この飯盛山は大阪府大東市にあります。標高は314メートルで余り高くないのですが、河内平野に落ちる夕日がきれいだと人気のある山です。近くには楠正行(まさつら)が最後を遂げた四条畷の古戦場があり、山頂には正行の像が建てられています。

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