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685.連研のための研究会

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  10月21日、山口別院で「連研のための研究会」が開催され、宇部北組の連続研修会担当の正善寺の山本敬住職と一緒に出席しました。また、中央教習の講師でもある宇部北組浄誓寺の鶴山景子住職も出席されました。

 宇部北組では、今年度の活動として2021年から第7期の連続研修会を開始しようとその検討を行っているところですので、この研究会の情報も参考にしたいと思い出席しました。

 研修会では最初に、門徒推進員中央教習の講師でもある山口教区の岩国組西福寺の熊谷正信氏より現状に関する「問題提起」をいただきました。

 熊谷講師から、新型コロナウイルスの感染拡大が、各組での連続研修会の運用に大きな影響を与えているという報告がありました。開催中の連続研修会を中断せざるを得なかったり、開催計画を延期したりという影響です。
 しかも現状では、このウイルスが終息するのか、終息するとしたらいつ頃になるのか、ということが見えていません。そのような環境の中では、コロナウイルスが常態化していることを前提にして、どのように安全を確保しながら活動を行っていくのかというように受け止めることが必要だとされました。

 いわゆる「ウイズ・コロナ」ということになります。日常となったコロナウイルスとどのように付き合っていくのかということになるのですが、これは社会生活一般に共通した課題であり、寺院活動にも大きく関係してくる課題でもあります。特に、連続研修会では「話し合い」が重要な内容となりますので、顔を合わせて行う話し合いの安全確保が重要だということでもあります。実質的な安全確保とともに、参加者が「安全だ」と感じることの両方(双方のレベルが違うこともあるでしょうが)が必要なのだと感じました。

 ご講師からは、このような状況の中でも連続研修会を開催することがなぜ必要なのか、ということについても話がありました。
 一つには、連続研修会に参加していただき門徒推進員となっていただくご門徒さんに、寺院を支えていただく活動をお願いすること、寺院の活性化の中心になっていただくことが、これまで以上に大切だということです。寺院に対する関心が薄れつつある現状で、コロナウイルスはさらにその傾向を強めていっています。そのような中で、ご門徒さんの中心となって寺院を支えていただくことに対する期待はいよいよ大きくなってきます。

 第二に連続研修会は、それを企画運用し、講師を務めることなどを通じて、僧侶の学びの場になることも大切だとされます。コロナウイルスが原因で、連続研修会に空白を生じることは、僧侶にとって大切な学びの場をなくすことになります。私も、これまで組の2回の連続研修会で、講師を担当させていただきましたが、その準備のために勉強したことを思い出しておりました。また、各回の話し合いの中に入って、その取りまとめを行い全体会で概要を報告することも行いましたが、これもよい経験になったと感じております。

 ご講師は、最後に、連続研修会に参加したいと希望している方があれば、様々な工夫をしてそれが可能になるように対応する必要があるとされ、コロナウイルスの現状の中でも連続研修会開催する必要性を改めて指摘されました。
 その後「全体協議」として、各組から現状報告が行われました。宇部北組の連続研修会に関わる課題も他の組と共通のものがある、ということを感じました。

 宇部北組でも連続研修会の運用について企画を始めていますが、今回の研究会に参加して、次のようなことについて検討が必要だと感じました。
 ・コロナウイルスへの対策を行い、安心して参加していただく工夫
 ・参加者を広げる工夫。中央教習を受講可能な人を前提にするのか、あるいは、もう少し幅広く考えるのか、などの検討
 ・教材をどうするのか、定められた『連研ノートE』とその他の教材をどのように組み合わせるのか
 ・その他、開催日時など受講しやすい工夫

(写真は、第6期の宇部北組連続研修会の様子です)

 壽福寺を会場に開催された時の話し合いの様子です。この程度の間隔を確保できればよいのでしょうか?

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 
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513.連続研修会・第11回「ビハーラについて」

 20190222ビハーラ病院2  20190222ビハーラ病院 

 2月16日、連続研修会の第11回が西念寺さんを会場に開催されました。
 当日のテーマは「ビハーラについて」、ご講師に下松組専明寺の副住職 藤本弘信をお迎えしました。氏は龍谷大学の実践真宗学を卒業後、「あそかビハーラ病院」でビハーラ研修を受けられ、東北大学が養成研修を始めた臨床宗教師研修を修了された方です。

 この「あそかビハーラ病院」は、京都府城陽市にある緩和ケアを目的とした病院で、本願寺ビハーラ医療福祉会が運営しているます。
 「緩和ケア」という言葉をよく耳にするようになりました。ご講師の説明にもありましたが、緩和ケアとは、「生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、痛みやその他の身体的、心理的、社会的な問題、スピリチュアルな問題を早期に発見し、的確なアセスメント(評価)と対処(治療・処置)を行うことによって、 苦しみを予防し、和らげることで、クオリティー・オブ・ライフ(QOL:生活の質)を改善するアプローチ」(WHO世界保健機関による定義)です。
 病院のホームページでは、緩和ケアについて「がんなどの患者さん・ご家族に対し、身体的・精神的・社会的・スピリチュアルな痛みを和らげ、最後までその人らしく、尊厳をもって過ごしていただけるよう支援していくことです。」とされています。

 長寿を望む私たちの願望と科学技術の進歩とが両輪となって、医療技術は目覚ましい進化を遂げてきました。その結果、これまで治すことができないと考えられていた病も治療することが可能になり、これまでにない長寿社会を実現しました。
 しかし、現代の医学をもってしても治すことができない病にかかった場合、医療はどのようなことができるのかという課題が残されています。それでも医療は患者さんの治療に全力を傾けますが、それが本当に患者さんの望む姿なのか、という問題が残されます。

 ここでも、以前別院の公開講座でお聞きしたお話を思い出します。医療は、患者さんが抱える痛み(身体的なものだけでなく、精神的、社会的なスピリチュアルな痛み)を癒すことができるのか、最後までその人らしく尊厳をもって過ごすことに寄与できるのかという問いです。
 「あそかビハーラ病院」にはお坊さんが常駐して患者さんの悩みや心のケアに当たっておられます。また、医師や看護師さんも普通の服装で患者さんに接し、スタッフ全員がミーティングをもって患者さんの一人ひとりについて情報を交換し適切な対応がとられるなど、患者さんの最期を大切に見守っていこうとされています。
 このように、緩和ケアは「医療」がカバーすることができない大切な部分を担うものだと、ご講師はお話しされました。

 ご講師は、話し合いのテーマとして次の問いを提示されました。
 1.自分が最期の時に、何を大切にしたいですか?
 2.最期を過ごす時に、どんな過ごし方を望みます?
   反対に、どんな過ごし方を望みませんか?
   家族や生活環境、また残された人のことを思いながら話し合ってください。

 当日の出席者はA、Bの2班に分かれて話し合いを行いその内容を報告しました。私は、A班の記録と報告を担当しましたが、今回のテーマは、身近に亡くなられた方がおられたり、看護の仕事をされた方がおられたり、さらには自身のこととしてこの問題を考えたり、ということもあって熱心な話し合いになったように思います。

 話し合いの中で印象に残った言葉を記しておきます。
 ・身体的な苦痛がないことを望みたい
 ・「ぴんぴんころり」が理想
 ・自宅で家族に囲まれて最期を迎えたい。集まった家族一人ひとりから感謝や思い出を伝える言葉をかけられるような環境があれば素晴らしい
 ・人として大切にされていると実感したい。医療機器のチューブにつながれる最期はいや
 ・延命治療について自分の希望を伝えておきたい

 この話し合いをお聞きしていて、亡くなられる方と残されるご家族の方の思いが一致していることが大切なことだと改めて思いました。
 どこで、どのような形で最期を迎えたいのか、延命治療についてどう対応するのか、などについて完全にとはいかないにしても、重要な部分で思いが重なるようにしておかなければならないと思います。特に、医師から延命治療について意向を尋ねられた場合にどのように判断するのか、ということは難しい問題だと感じました。ご本人と家族の考えが違ってくる可能性が高い部分のように思われます。

 これは、「死」というものをどのように理解し受けとめるのかということと関わっています。死(や病や老い)は生(や健康や若さ)を否定するもので、受け入れたくない、逃れたいと考えていると、命を少しでも長らえることがよいこととなり、それが患者さん本人の意思とは別の延命治療につながっていくことがあるかもしれません。
 そのためにも、生や死をどのように考えるのか、といったことを日頃から話し合っておくということも大事ではないか、と思いました。今回の話し合いの中でも、そんな話を子供としておきたい、言葉で書きつけておきたい、と言われた方もありました。

(写真は、あそかビハーラ病院のホームページからお借りしてきました。)

 左は病院の建物、右は医師、看護師さんやスタッフの皆さんです。

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476.壽福寺を会場に連続研修会

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 10月13日、壽福寺を会場に連続研修会の第8回の研修会が開催されました。

 当日の研修会のテーマは「信心」でした。市川幸佛氏から問題提起をいただいた後、参加者は3つのグループに分かれて、「信心を獲るにはどうすればいいのか」「信心の生活とは私がどう動くことなのか」というテーマについて話し合いをおこないました。
 その後、参加者は再度集り、各グループから話し合いの内容や話し合いの中で出された質問事項を報告し、それに対して市川講師からコメントをいただきました。

 ご講師からは、浄土真宗の信心の特徴は、他力の信心、祈りの要素が一切ない信心、の2つが特徴であるというお話をいただきました。
 これについて、話し合いの中で、信心に自力、他力の違いがあるということを考えていなかった、聞いていると自力の方が簡単で理解しやすいように思える、そのようなことからよけいに分かりにくくなった、といった意見が出されたという報告が印象に残りました。
 これに対して、ご講師から、浄土真宗の信心というのは、自ら信じる心も功徳を積む力を持たない私たちがいただくことのできる信心なのだから、「話しを聞いて分かりにくくなった、理解しにくい」と感じられることこそ、信心について正しく聞かせていただく入口なのだ、というコメントをいただきました。

 このように、当日は浄土真宗の「信心」について、ご講師の問題提起を受けて、率直な意見交換が行われた研修会になりました。

 研修会の実施に当たっては多くの方々にご協力いただきました。

 壽福寺からの参加者の岩﨑明さん、岩崎賢治さんには集合時刻の1時間前においでいただいて、境内の清掃をしていただきました。折からの風でイチョウの葉がたくさん落ちていたのですが、これを掃いて山門から本堂にいたる経路をきれいにしていただきました。その後、研修会参加者の駐車場の整理や終了後の後始末など研修会の準備と運営にご協力いただきました。

 また、研修会終了後には、壽福寺からのお二人の参加者はじめ、出席されていた法中(寺院)の皆さんにもお手伝いいただいて、会場の後始末を行いました。特に、庫裏から運んでいた13脚の長机(これの本堂へ運び込みには労力を要しました)の収納には、皆さんのご協力をいただき短時間で終えることができました。
 ご協力いただいた皆さんに厚くお礼申し上げます。

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上の写真はグループでの話し合いの様子、左からA、B、C班です。C班は庫裏に話し合いの場を設けました。

(写真は、参加者とご講師の市川幸佛氏です)

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432.第4回連続研修会

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 5月12日、万福寺さんで行われました連続研修会で講師を担当しました。当日は研修会の第4回に当たり、研修内容は「お経」でした。40分の時間でしたが、問題提起として次の内容でお話しをさせていただきました。

1.はじめに
 「お経は誰のため?、何のため?」
 今年3月に終わったNHKの「朝ドラ」の「わろてんか」に登場した寺ギンさんという人物の言葉を紹介しました。
 寺ギンさんは元々はお坊さんだったのですが、その後お笑いの世界に入り芸人さんを寄席に派遣する大夫元(たゆうもと)という仕事をしている人物です。寺ギンさんはドラマの中でお坊さんをやめた理由を、「お坊さんは死んだ人に喜んでもらうためにお経を読んでいるが、おれは生きている人に笑って喜んでもらいたいから、お坊さんをやめてこのお笑いの世界に入ったのだ」と言っていました。
 お経を拝読する、法事をお勤めするのは「誰のため?、何のため?」かご一緒に考えていただきたい、とこの印象に残っている場面を最初にご紹介しました。

2.お経とは?
 お経は本来はお釈迦さまが説かれたみ教えのことで、私たちの浄土真宗では、お釈迦さまが残された8万を超えるお経から『仏説大無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』の浄土三部経を正依の経典としていることをご紹介しました。

3.お経はどのようにして伝わった?
 お釈迦さまが2500年前にインドで説かれたみ教え(お経は)始めは口伝で伝えられ、その後文字で記されるようになり、三蔵法師とお呼びする方々のご苦労によって中国にもたらされた典籍は漢文に翻訳され、遠く時間と距離を隔てて現在の私たちに伝わっていただいていることをお伝えしました。

4.『仏説阿弥陀経』
 浄土三部経の中でもご法事に際して拝読されることの多い『仏説阿弥陀経』について、お釈迦さまが説かれたみ教えを学びました。『仏説阿弥陀経』は「無問自説の経」(お弟子さんなどからの問いかけによるのではなく、お釈迦さまが自ら説き起されたお経)と呼ばれ、お釈迦さまがご生涯で説かれたみ教えの集大成として、どうしても後の世に残したいと思われたことが説かれているお経だとされています。

 お釈迦さまは、このお経の中で、お浄土のうるわしさ、すばらしさを説かれ、そこにおられる阿弥陀さまのお救いの力を説かれます。
 お釈迦さまは、このお浄土に往生するには、様々な雑行を捨てて、信心をいただいてお念仏する(名号を執持する)ことだと念仏往生の道を説かれ、次いで、六方(東西南北、下上)の数限りない仏方が、このお釈迦さまが説かれたことは間違いないことだとされ、阿弥陀さまのお救いの力を讃嘆されます。
 お釈迦さまは、念仏者が恵まれる利益(りやく)を説いて、信を勧められ、諸仏はお釈迦さまの功徳を称賛されます。
 お釈迦さまがこのみ教えを説き終わると、お聞きしていた人々は歓喜し、信受し、礼(らい)をなして去って行かれました。

5.お経を読む
 このように、お釈迦さまは、『仏説阿弥陀』により、お浄土のすばらしさを説かれ、お浄土におられる阿弥陀さまが、私をいつも見護っていただき、私が命終わるときには間違いなくお浄土に迎えると誓っていただいていると説かれ、私に信心をいただいてお念仏申すように勧めておられます。

 そうしますと、お経は「亡くなった人に喜んでもらうため、亡くなった方の供養のため、亡くなった方が迷われないため」にお読みするものではないということが分かります。お釈迦さまは、阿弥陀さまが私を救いたいとご苦労をなさってさとりを開かれた所以を説かれ、阿弥陀さまのお救いのお力にお任せするようにと、この私に勧められていることが分かります。

 お経に書かれていることを理解するということは、反面、お釈迦さまが説法されている姿を第三者的に見てしまう恐れがあるということにもなります。お経の中で、お釈迦さまは「舎利弗、舎利弗」と何度も何度も呼びかけられますが、この呼びかけは2500年の時を超えて私に向けて呼びかけられている言葉だと、受け止めなければならないと、お伝えしました。

 引き続き次のテーマによって班別の話し合いを行っていただきました
 ・お経は誰のため?、何のため?:これまで思っていたこと、今回気づいたこと
 ・お経に関わる思い出:祖父母、両親あるいは周りの方で、お経やお勤めについて印象に残っている姿
 ・次の世代に伝える:子どもや孫にお経やお勤めに対する姿、受け止め方をどのように伝えていくか?

 次いで、話し合い結果を報告いただき、まとめをおこないました。
 報告された感想では、やはり「お経は誰のため?何のため?」に関するものが多いように思いました。
 これまで思っていたこととは違うという戸惑いのようなものがあるように感じられました。ご先祖様に感謝しお礼を申しあげるということは変わりませんが、今現在、私が阿弥陀さまやお浄土におられるご先祖様に見護っていただいているということ、そしてこの世に縁が尽きるときにはお浄土に迎えられることは間違いないとされていることを喜び、お礼申し上げるという大切なことを抜かしてはいけないと思います。

 質問で、お経に向かう姿をどのように次の世代に伝えるのか、ということが出されていました。
 これは、非常に難しい問題だと思っています。核家族化が進展している現在ですので、話し合いの報告にもありましたような、祖母や母のお仏壇に向かう日頃の姿からお仏壇を大切にすることを教わるというような伝え方も難しくなっています。それでも、口に出して、こうしなさい、と言われるよりも日常の行動で教えられたことが印象に残っている、という報告もありましたように、私たちがお仏壇に向かう姿、お念仏する姿、お経をお読みする姿を無言ででも示し続けることが大切ではないかと、お話ししました。

 もう一つの質問は、『般若心経』を読んではいけないのですか、というものでした。
 仏教の他の多くの宗派では『般若心経』が読まれているようですが、浄土真宗ではお読みしません。これは浄土真宗では浄土三部経の『仏説大無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』だけで十分であり、『般若心経』を読む必要がないからです。どうかまず三部経をお読みください、短時間で、ということであれば『讃佛偈』や『重誓偈』などもあります、とお答えしました。
 
(図は『昭和新纂 國譯大藏經』に収められている『仏説阿弥陀経』の最初の部分です)

 研修会の当日ご説明したのですが、お釈迦さまが説かれたみ教え(経)と当時のインドの教団の戒律(律)、お経の注釈書(論)を集大成した大蔵経(だいぞうきょう)が中国や韓国で編纂され、日本でも江戸時代に幕府の支援を得て編纂されました。明治以降は出版社が編纂した大蔵経が出版されましたが、それを日本語に訳したものも出版されます。
 
 寺にあります図のものは『昭和新纂 國譯大藏經』といい、1930年から1939年にかけて東方書院というところから刊行されたものです。その経典部の第2巻が「浄土三部経と他七経」に充てられています。
 面白いなと思いましたのは、三部経の各お経について(真宗所用)と付記されたものとそうでないものの両方が収載されていることです。図は、左が(真宗所用)の『仏説阿弥陀経』、右はそうでないものです。どこが違っているのか調べてみたいと思いますが、まず最初に気づきましたのは、冒頭の「如是我聞」の部分が(真宗所用)では「かくのごとくわれきく」とされていますが、一方は「かくのごときをわれききき」となっています。訓読の違いなのですが、なぜ(真宗所用)とそうでないものがあるのか、訓読だけではなく経文にも違いがあるのか、もう少し調べてみたいと思っています。

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406.連続研修会が始まりました

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 2月10日、第6期の宇部北組連続研修会が始まりました。
 今期の受講者は21名、壽福寺からは岩﨑明さん、吉屋博志さん、岩崎賢治さんの3名の方が受講されることになりました。

 第1回の研修会は小野の正善寺さんを会場に行われました。
 『讃佛偈』のお勤めの後、開会式が行われ、市川幸佛組長から今後の宇部北組の活性化の核になってもらいたいという期待の言葉をいただきました。

 第1回の研修テーマは「仏事・作法について」でした。光安寺の藤永康成氏から、お寺にお参りする流れの中でどのような作法があるのか、それにはどのような意味があるのか、ということについてご説明をいただきました。
 その後、受講者は3つのグループに分かれて、「作法はなぜ必要なのか」「ご法事をする意味」という2つのテーマについて意見交換を行い、その内容を発表しあいました。

 その発表に対してご講師からコメントをいただきました。
 ご講師は、定められた作法は、阿弥陀さまのお救いの力に対するお礼の心を表し、阿弥陀さまのおられるお寺に入る心構えを形にするものとして大切にしてもらいたいとお話しいただきました。
 またご法事は、ご先祖を偲びお礼申し上げ、私の命を省みてお浄土に救われる身であることを改めてお礼申し上げる大切なご縁であり、そのことを親族の皆さんとともに喜び合うというご縁でもある、というお話しをいただきました。

(写真は、当日の研修会の様子です)

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