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513.連続研修会・第11回「ビハーラについて」

 20190222ビハーラ病院2  20190222ビハーラ病院 

 2月16日、連続研修会の第11回が西念寺さんを会場に開催されました。
 当日のテーマは「ビハーラについて」、ご講師に下松組専明寺の副住職 藤本弘信をお迎えしました。氏は龍谷大学の実践真宗学を卒業後、「あそかビハーラ病院」でビハーラ研修を受けられ、東北大学が養成研修を始めた臨床宗教師研修を修了された方です。

 この「あそかビハーラ病院」は、京都府城陽市にある緩和ケアを目的とした病院で、本願寺ビハーラ医療福祉会が運営しているます。
 「緩和ケア」という言葉をよく耳にするようになりました。ご講師の説明にもありましたが、緩和ケアとは、「生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、痛みやその他の身体的、心理的、社会的な問題、スピリチュアルな問題を早期に発見し、的確なアセスメント(評価)と対処(治療・処置)を行うことによって、 苦しみを予防し、和らげることで、クオリティー・オブ・ライフ(QOL:生活の質)を改善するアプローチ」(WHO世界保健機関による定義)です。
 病院のホームページでは、緩和ケアについて「がんなどの患者さん・ご家族に対し、身体的・精神的・社会的・スピリチュアルな痛みを和らげ、最後までその人らしく、尊厳をもって過ごしていただけるよう支援していくことです。」とされています。

 長寿を望む私たちの願望と科学技術の進歩とが両輪となって、医療技術は目覚ましい進化を遂げてきました。その結果、これまで治すことができないと考えられていた病も治療することが可能になり、これまでにない長寿社会を実現しました。
 しかし、現代の医学をもってしても治すことができない病にかかった場合、医療はどのようなことができるのかという課題が残されています。それでも医療は患者さんの治療に全力を傾けますが、それが本当に患者さんの望む姿なのか、という問題が残されます。

 ここでも、以前別院の公開講座でお聞きしたお話を思い出します。医療は、患者さんが抱える痛み(身体的なものだけでなく、精神的、社会的なスピリチュアルな痛み)を癒すことができるのか、最後までその人らしく尊厳をもって過ごすことに寄与できるのかという問いです。
 「あそかビハーラ病院」にはお坊さんが常駐して患者さんの悩みや心のケアに当たっておられます。また、医師や看護師さんも普通の服装で患者さんに接し、スタッフ全員がミーティングをもって患者さんの一人ひとりについて情報を交換し適切な対応がとられるなど、患者さんの最期を大切に見守っていこうとされています。
 このように、緩和ケアは「医療」がカバーすることができない大切な部分を担うものだと、ご講師はお話しされました。

 ご講師は、話し合いのテーマとして次の問いを提示されました。
 1.自分が最期の時に、何を大切にしたいですか?
 2.最期を過ごす時に、どんな過ごし方を望みます?
   反対に、どんな過ごし方を望みませんか?
   家族や生活環境、また残された人のことを思いながら話し合ってください。

 当日の出席者はA、Bの2班に分かれて話し合いを行いその内容を報告しました。私は、A班の記録と報告を担当しましたが、今回のテーマは、身近に亡くなられた方がおられたり、看護の仕事をされた方がおられたり、さらには自身のこととしてこの問題を考えたり、ということもあって熱心な話し合いになったように思います。

 話し合いの中で印象に残った言葉を記しておきます。
 ・身体的な苦痛がないことを望みたい
 ・「ぴんぴんころり」が理想
 ・自宅で家族に囲まれて最期を迎えたい。集まった家族一人ひとりから感謝や思い出を伝える言葉をかけられるような環境があれば素晴らしい
 ・人として大切にされていると実感したい。医療機器のチューブにつながれる最期はいや
 ・延命治療について自分の希望を伝えておきたい

 この話し合いをお聞きしていて、亡くなられる方と残されるご家族の方の思いが一致していることが大切なことだと改めて思いました。
 どこで、どのような形で最期を迎えたいのか、延命治療についてどう対応するのか、などについて完全にとはいかないにしても、重要な部分で思いが重なるようにしておかなければならないと思います。特に、医師から延命治療について意向を尋ねられた場合にどのように判断するのか、ということは難しい問題だと感じました。ご本人と家族の考えが違ってくる可能性が高い部分のように思われます。

 これは、「死」というものをどのように理解し受けとめるのかということと関わっています。死(や病や老い)は生(や健康や若さ)を否定するもので、受け入れたくない、逃れたいと考えていると、命を少しでも長らえることがよいこととなり、それが患者さん本人の意思とは別の延命治療につながっていくことがあるかもしれません。
 そのためにも、生や死をどのように考えるのか、といったことを日頃から話し合っておくということも大事ではないか、と思いました。今回の話し合いの中でも、そんな話を子供としておきたい、言葉で書きつけておきたい、と言われた方もありました。

(写真は、あそかビハーラ病院のホームページからお借りしてきました。)

 左は病院の建物、右は医師、看護師さんやスタッフの皆さんです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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512.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (22):上巻第六段(4)

20190218伝絵第六段専修寺本



 『御伝鈔』の第六段の御文は前回までの3回で終わりなのですが、今回もう一度第六段を学びたいと思います。

 第六段のポイントになっていたことに「信不退」と「行不退」とがありました。
 親鸞聖人は師の法然聖人に「お弟子さんたちが師の教えをどの程度理解されているのか確認したい」と提案され、了解を受けられて翌日お弟子さんたちに「信不退と行不退のどちらの座に着かれるか」と問いかけられました。その結果、多くのお弟子さんが迷っている中、親鸞聖人と他の3人のお弟子さんが信不退の座に着かれることを表明され、法然聖人もまた信不退を支持されました。

 この「不退」は「不退転」とも称され、「菩薩の修道が進んで仏になることが定まり、(中略)さとったところの菩薩の地位や法を失わないこと」(『浄土真宗辞典』)とされます。「不退転の決意」などと現在でも使われる仏教語ですが「後戻りすることがないさとりの状態」をいいます。
 従って、「信不退」とは「阿弥陀仏の本願を信じる一念に浄土往生が決定(けつじょう)する」とする立場、「行不退」とは「念仏の行をはげみ、その功徳によって浄土往生が決定する」とする立場となります。つまり、親鸞聖人が問いかけられたのは、往生の因は信心なのか念仏の行なのか、ということになります。

 また、赤松俊秀氏は、この「信行両座」の逸話は当時法然聖人の門下にあった、「一念義」、「多念義」の論争を反映しているものだとされていました。
 『浄土真宗辞典』によれば、「一念義」とは「浄土往生は信心ひとつで決定する、または一声の称名で決定するとし、その後の称名を軽視する」立場であり、「多念義」とは「一生涯、数多くの念仏を称え、臨終来迎をまって浄土往生が決定する」とする立場だとされています。
 念仏を称えることにより往生を得ることができると説かれた法然聖人の教えは、混乱の時代に光を投げかけるものでした。その念仏が一声でよいとするのか、生涯を通じて数多くなければならないとするのか、ということが法然聖人のお弟子さんの間で深刻な論争と対立の原因になっていたということです。

 「一念義」の立場からは、信心を獲た後には念仏は不要とする者から、少々の軽い罪を犯しても念仏一つで救われるとする者まで現れたそうです。このような一般の社会規範から外れる傾向がとがめられて、後に法然聖人の念仏の教えに対する反発と弾圧の原因にもなりました。
 一方、多念義の立場は、念仏の数は多ければ多いほどよい、念仏の行が大事だとされる方向に展開されていきます。これは、どんな人でも念仏で救われると説かれた法然聖人の教えから外れ再び聖道門の修行の道に戻る方向を示すものといえると思います。

 親鸞聖人は、「信不退」の立場に立たれましたが、平松令三氏は「一念義」は阿弥陀さまの本願を信じる一念を重視することから「信不退」につながるものだとされています。
 親鸞聖人は後年、「一念」、「多念」の論争について『一念多念文意(いちねんたねんもんい)』という書を著されました。その中で、聖人は一念、多念のそれぞれについて間違いではないことを示され、次のように一念多念の争いなどあってはならないと記されています。
 「一念多念のあらそひあるまじきことは、おしはからせたまふべし。浄土真宗のならひには、念仏往生と申すなり、まつたく一念往生・多念往生と申すことなし。これにてしらせたまふべし。」(一念多念の争いなどあってはならないことであり、浄土の真実の教えでは、念仏往生というのであって一念往生ということも、多念往生ということもない)

 (図は、専修寺に伝わる伝絵の「信行両座」の段です)

 専修寺は真宗高田派の本山で、三重県津市にあります。この専修寺本の伝絵は、描かれている人物の名前が書きこまれているのが特徴です。

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511.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (21):上巻第六段(3)

20190215伝絵信行両座西本願寺本

 「信行両座」の段の3回目になります。御文と訳文です。

 「そのとき三百余人の門侶(もんりょ)みなその意(こころ)を得ざる気あり。ときに法印大和尚位聖覚、ならびに釈信空上人法蓮、「信不退の御座(みざ)に着くべし」と云々。つぎに沙弥法力[熊谷直実入道]遅参して申していはく、「善信御房の御執筆(ごしゅひつ)なにごとぞや」と。善信上人のたまはく、「信不退・行不退の座をわけらるるなり」と。法力房申していはく、「しからば法力もるべからず、信不退の座にまゐるべし」と云々。
 よつてこれを書き載せたまふ。ここに数百人の門徒群居すといへども、さらに一言をのぶる人なし。これおそらくは自力の迷心に拘(かか)はりて、金剛の真信に昏(くら)きがいたすところか。人みな無音(ぶいん)のあひだ、執筆(しゅひつ)上人[親鸞]自名(じみょう)を載せたまふ。ややしばらくありて大師聖人仰せられてのたまはく、「源空も信不退の座につらなりはんべるべし」と。そのとき門葉(もんよう)、あるいは屈敬(くっけい)の気をあらはし、あるいは鬱悔(うつけ)の色をふくめり。」
 
 「それを聞いた三百余人の門弟たちは、一瞬その意図がよくわからないようでしたが、そのとき聖覚法印と法蓮房信空とが「信不退の座にすわりましょう」と言いました。そこへ遅参してやって来た熊谷直実入道(法力房蓮生)が「善信房は何を書いているのですか」と尋ねましたので、聖人が「信不退の座と行不退の座とに分かれてすわってもらっています」と答えますと、法力房は「それでは私も仲間に入れてください。信不退の座の方へ参ります」と申しました。
 それで聖人はそのように記録されました。その場に数百人の門徒が群集していましたが、一言も言葉を発するものがありません。これはおそらく自力の迷いにこだわって、他力金剛の信心に暗い結果からこうなったのだろうか、と思われました。人びとがみな黙っているので記録係をしていた親鸞聖人は自分の名を信不退の座の方に書き載せられました。
 そしてしばらくすると、法然聖人がおっしゃいました。「私も信不退の座の方にならびましょう」と。そのとき門弟たちは、ある者は敬いの様子を表し、ある者は後悔からふさいだ様子を見せたのでした。」


 前回、親鸞聖人は法然聖人のお弟子さんに対して、「弥陀の本願を信じる信と称名を励む行のどちらが往生を遂げる因なのか、考えを示してください」と問いかけられましたが、今回、その問いに対するお弟子さん方の動きが記されています。
 覚如上人の記されたところでは、法然聖人と親鸞聖人を除くと、3人のお弟子さんが信不退の座につかれたということです。300人を超えるお弟子さんの中で、信不退についたひとが3人だけだったのかどうかは分かりませんが、お弟子さんの多くはその問いかけの意図がよく分からなかったようです。そのような中で、聖覚法印と法蓮房信空、法力房蓮生の3人がはっきりと意思を表明されたということになります。

 この聖覚法印という方は、比叡山の僧で『唯信鈔(ゆいしんしょう)』という書を著された方です。親鸞聖人はこの書を高く評価されご自身何度も書写され、『唯信鈔文意(もんい)』という注釈書を書かれて門弟にこの書を学ぶように勧められたと伝えられています。
 次の法蓮房信空という方は、法然聖人の門下の最長老だった方だと伝えられています。法然聖人の念仏の教えに対して在来の仏教から攻撃を受けた際に、法然聖人は「七箇条制誡(しちかじょうせいかい)」というという文書を提出されました。平松令三氏によりますと、法然聖人に次いで、190人のお弟子さんの筆頭として署名した人がこの法蓮房信空で、このことからも門下の中でも特に重要な位置におられたことが伺えます。
 法力房蓮生という方は、元は熊谷直実という武士で源頼朝に仕え源平の戦にも戦功を立てた人です。兵庫一の谷の合戦で17歳の若い平敦盛を討ち取ったのですが、そのことで世の無常を感じたことが後の出家の機縁だとされています。

 親鸞聖人とこの3人が信不退の座につかれた後に、法然聖人も同じ信不退の座を支持されます。
 この推移をみて、お弟子さんたちは尊敬の念や後悔の念を表したと、覚如上人は記されました。
 前段の「選択付属」の段に次いで今回の「信行両座」の段を置かれたことからも、覚如上人は、親鸞聖人が、法然聖人の門下で師の教えを正しく受け止められ、師から厚い信頼を寄せられていたことを示そうとされていることが分かります。

(図は、伝絵西本願寺本の「信行両座」を描いた部分です。ネットからお借りしています)

 この図では、親鸞聖人が信不退と行不退について問いかけをしておられる場面が描かれていますが、法然聖人にそうしたいと申し出ておられる場面ないようです。

 画面中央奥が法然聖人、筆をとって書きつけておられるのが親鸞聖人で、親鸞聖人の隣に座っておられるのが、聖覚法印と法蓮房信空のお二人です。
 親鸞聖人の前で頭を掻いている人が、遅参してやってきた法力房蓮生(熊谷直実)で、笠を放り出して慌てた様子が描かれています。前回の図では、履物が脱ぎ散らかされているように描かれていましたが、今回の図では揃えられているようにも見えます。いずれにしても、大慌てで走り登った様子が伺えます。

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510.新聞版「壽福寺だより」を発行しました

20190211紙面2  20190211紙面

 新聞版「壽福寺だより」2月号を発行しました。今回は、「花フェス2019(花まつり)」の案内も一緒にお手元に届けます。
 今月号の記事をご紹介します。

 ○1面

 「総代会を開催しました」
  1月29日に開催しました総代会のご報告です。あわせて門徒講会計の決算の概要もお知らせしています。

 「山口教区(別院)の行事計画」
  今年の行事をご案内しています。

 「春季永代経法要のご案内です」

 ○2面

 「ご消息『2023年に慶讃法要』」
  このブログでもご紹介しました、「親鸞聖人ご誕生850年 立教開宗800年についての消息」について情報をお伝えしています。

 「境内の陥没を補修しました」
  これもブログでご報告しました、境内で見つけた陥没個所の補修に関するものです。

 「花まつりに出店、出演しませんか?」
  花まつりのご紹介と、フリーマーケットへの出店、ステージへの出演の呼びかけです。

 「ご存知ですか(18)『ご消息』」
  2面の最初の記事で「ご消息」を取り上げましたので、「ご消息」についてご説明しています。

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509.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (20):上巻第六段(2)

20190208御絵伝第六段自坊s  

 『御伝鈔』の第六段の前回に続く部分です。

 善信聖人(親鸞)、あるとき申したまはく、「予、難行道(なんぎょうどう)を閣(さしお)きて易行道(いぎょうどう)にうつり、聖道門を遁(のが)れて浄土門に入りしよりこのかた、芳命(ほうめい)をかうぶるにあらずよりは、あに出離解脱の良因を蓄へんや。よろこびのなかのよろこび、なにごとかこれにしかん。しかるに同室の好(よしみ)を結びて、ともに一師の誨(おしえ)を仰(あお)ぐ輩(ともがら)、これおほしといへども、真実に報土得生(とくしょう)の信心を成(じょう)じたらんこと、自他おなじくしりがたし。かるがゆゑに、かつは当来の親友(しんぬ)たるほどをもしり、かつは浮生(ふしょう)の思出(おもいいで)ともしはんべらんがために、御弟子参集の砌(みぎり)にして、出言(しゅつごん)つかうまつりて、面々の意趣をも試みんとおもふ所望あり」と云々。
 大師聖人(源空)のたまはく、「この条もつともしかるべし、すなはち明日人々来臨のとき仰せられ出(いだ)すべし」と。しかるに翌日集会(しゅうえ)のところに、上人(親鸞)のたまはく、「今日は信不退(しんふたい)・行不退(ぎょうふたい)の御座(みざ)を両方にわかたるべきなり、いづれの座につきたまふべしとも、おのおの示したまへ」と。

 そこである時親鸞聖人が法然聖人に申しあげました。「私は困難な修行を必要とする聖道門をやめて、やさしい易行道の浄土門に入れていただいたのですが、先生のお教えがなかったなら、どうして生死の世界から離れる因をたくわえることができたでしょうか。喜びの中の喜びはこれに過ぎるものはありません。ところが同門として交際をし、一緒に先生の教えを受けている仲間は多いけれども、本当に報土に往生しえる信心を成就しているのかどうか、どうもよくわかりません。そこで、一つには誰がお浄土での親友であるかを知るために、さらに一つにはこの世での思い出ともするために、お弟子たちが集会した際に、私が質問を申しあげて、参集者たちの心の内を試してみたいと思いますが如何でしょうか」と。法然聖人はこれを聞いて、「よろしい、結構でしょう。明日人びとがやって来たときに、言い出してみなさい」とおっしゃいました。
 そこで翌日の集会の場で親鸞聖人は、「今日は、阿弥陀仏の本願を信ずる一念に浄土往生が決定すると信ずる<信不退>の座と、念仏の行をはげむことによって、その功徳により浄土往生が決定すると信ずる<行不退>の座と、二つの座に別れてすわってください。どちらにすわるか、おのおのの態度をお示しください」と申されました。


 前回、覚如上人は、法然聖人を慕って老若男女、身分を分かたず多くの人びとが参集したこと、しかし法然聖人の周りにいた多くのお弟子さんの中に本当に法然聖人の教えを理解し、それを守り通そうとする者が極めて少なかったことを述べられました。
 そのような状況の中で、親鸞聖人は師の法然聖人に、お弟子さんのうちだれが正しく教えを受け止めているのか知るために質問をしたいと進言されました。法然聖人は了承され、親鸞聖人はお弟子さんに、<信不退>と<行不退>のどちらの座に就かれるか示してもらいたい、と問いかけをされます。

 『浄土真宗辞典』によりますと、この<信不退>とは「阿弥陀仏の本願を信じる一念に浄土往生が決定(けつじょう)するとする立場」、<行不退>とは「念仏の行をはげみ、その功徳によって浄土往生が決定するとする立場」とされています。
 法然聖人はどのような者でも念仏一つで救われると説かれたのですが、その念仏が、本願を信じる一念の姿なのか、あるいは往生の功徳を求める行として行われるものなのか、という違いを問われたのだと思います。

 この第六段については、様々な論議があるとお聞きしました。
 この段に記されているようなことが実際にあったのかどうか、というのもその論議の一つです。といいますのは、このようなエピソードを記した記録は、覚如上人が記されたこの『御伝鈔』以外には見当たらないのだそうで、そのようなことから、この出来事は覚如上人が創作されたものだという説もかつてはあったようです。
 この議論について、赤松俊秀氏は『人物叢書 親鸞』で、親鸞聖人が法然聖人に帰依された頃、門弟が一念義、多念義の両派に分かれて対立していたこととの関連を指摘されています。念仏の多寡にかかわる論争から発し、一念義は信を、多念義は行を重要視することとなり、法然聖人の教団を二分する対立になったとされています。今回の「信行両座」の出来事はその教団内の対立を反映したものであって、覚如上人が作り出されたものではないとされ、この見解が広く支持を得るようになっているようです。

(図は、自坊の『御絵伝』の第六段です。)

 この第六段も2つの情景が一つの図として描かれています。
 右の場面は、親鸞聖人が法然聖人に、お弟子さんのうちだれが教えを正しく理解されているか質問したいと提言された場面で、手前に親鸞聖人、奥に法然聖人が描かれています。右の3人はお弟子さんです。

 左の図は、その翌日親鸞聖人がお弟子さんに<信不退><行不退>のいずれの座につかれるか、と問いかけられた場面です。

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