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861.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(85):疑問への回答(7)

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 引き続き、世の人々が抱く疑問として聖覚法印が提示された二つ目のものです。

 業障(ごつしょう)にしなじなあり。順後業(じゅんごごう)といふは、かならずその業をつくりたる生ならねども、後後生(ごごしょう)にも果報をひくなり。されば今生(こんじょう)に人界(にんがい)の生をうけたりといふとも、悪道の業を身にそなへたらんことをしらず、かの業がつよくして悪趣の生をひかば、浄土に生るることかたからんか」と。

 (往生の障害となる罪業にもいろいろなものがある。順後業というのは、必ずしもその罪業をつくった生でなくても、次の次の生にその報いが来ることもある。従って、今の世に人間として生を受けているとしても、前世に悪業を身につけたことを知らずにいるのかもしれない。その業が強く、その果報を引くことになれば、来世にお浄土に往生することは難しいのではないか。」という。)

 阿弥陀さまのお力により往生を遂げることができる、ということについて世の人は、今自分は悪業を犯すことがないようにしているが、前世に重い罪業を犯していても自分で知ることができないのではないか、という疑問を持つと、前回の部分で聖覚法印は記しておられました。
 今回の部分で、前世に犯した罪業の影響により次の次の生である来世で往生が難しくなるのだから、今は人間として生を受けていても前世の罪業が強ければ来世での往生は難しいのではないか、という疑問になります。

 「三時業」という言葉があります。『浄土真宗辞典』にたずねますと、
 「順現業、順次業、順後業の三。現世で為した行為(業)について、その報いを受ける時で分類したもの。順現業(順現受業)は報いを今生において受ける業のこと。順次業(順次受業)は報いを次生において受ける業のこと。順後業(順後受業)は報いを次々生以降において受ける業のこと。」
 とされています。
 今回の問いも、この考え方を踏まえて提起されています。

 安冨信哉氏は、この問いについて、「日本人の精神史を振り返ってみると、いかに仏教の業の思想がその精神生活のなかに深く根を下ろしてきたかが分かる。」と記しておられます。
 普通に言われる「業の思想」というのは、「因果応報」という言葉で表されるもの、「悪いことをしたら必ずその報いが来る」「良いことをしたら必ず良いことがある」といった見方になるのでしょうか。安冨氏はこれを「一因一果」の思想と表現され、これは仏教の「業の思想」とは違ったものだとされます。
 しかし、殺生をしてはいけない、悪を避け、善に励まなければ往生できないとする受け止め方は、古くからの日本人に具わっておりそれが私たちの行動基準となってきたということは間違いないことのように思われます。

 反面それは、当時の人々に大きな不安をもたらすことにもなりました。前世に犯した罪業、自分で知ることができない罪業により次の世で往生できないのではないか、という不安を与えるものでもありました。
 阿弥陀さまのお力で間違いなく救われるのだ、と聞いても、不安を拭うことができずにいる。当時の人々のこのような不安をとりあげたのが、今回の法印の問いということになります。

(写真は、今回もアジサイです)

 このアジサイは、寺から藤ケ瀬に向かう途中で咲いているものです。鮮やかな青色を毎年楽しみにしています。

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860.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(84):疑問への回答(6)

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  今回から、聖覚法印が取り上げられた二つ目の問いに入ります。

 『唯信鈔』の御文と現代語訳です。
 二 またつぎに世のなかの人のいはく、「たとひ弥陀の願力をたのみて極楽に往生せんとおもへども、先世の罪業(ざいごう)しりがたし、いかでかたやすく生るべきや。

 (また、世の人には次のように言う人がいる。「たとえ阿弥陀さまの願力をおたのみしてお浄土に往生したいと願っても、自分が前世でなした罪業について知ることは難しい。そのような私たちはどうしてたやすくお浄土に生まれることができようか。」)

 安冨信哉氏は、聖覚法印は今回の段で、当時罪深いとされていた生業(なりわい)を営む人々が抱く不安を取り上げてこれに答えようとされていると記されます。

 当時、漁業や狩猟という殺生を生業とする人々は、果たして自分は救われるのだろうか、という不安、現代の私たちが感じるよりもはるかに大きな不安を抱えて生活をしていたことが想像できます。また、ここに記されているように、今はそのような生業についていなくても、前世ではどのような重い罪業を犯したのか、ということについては知ることができないのだから、お浄土に往生することができるかどうかはわからないではないか、というのが今回法印が提示された問いです。

 殺生をしてはいけない、という仏教の教えは一般の人々にもひろく共有されており、またそれゆえに人々はそれを犯すことに大きな恐れを感じていました。
 また、ここに記されているように、今そのような罪業を犯していなくても、前世に犯した業が原因で来世に往生の障りになる、という考え方もあったようです。
 そういう意味では、当時の人は前世と現世(今生)という二世の罪業について恐れを抱きながら生活をしていたということになります。
 
(今回の写真もアジサイです。)

 京都市の伏見区深草の藤森神社で撮影しました。

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859.宇部北組の研修会スタート

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 宇部北組の2022(令和4)年度の活動が始まりました。
 6月19日には仏教婦人会連盟の大会が、そして6月23日には総代会の総会・研修会が開催されました。

 以前にもご紹介しましたが、私が組長の担当させていただいた2020(令和2)年度以降の2年間では、2021年3月25日に開催しました総代会研修会で映画「ドキュメンタリー沖縄戦」を鑑賞したのが最初で最後の研修会でした。
 以後は、新型コロナウイルス感染の拡大を受け、研修会は軒並み中止とし、会合も中止したり、書面で決議していただく、極力短時間で開催するなどの対応を取らざるを得ませんでした。

 これまでそのような対応を行ってきましたが、今年度からは、新型コロナウイルス対策はしながらですが、研修会も開催しようということになって各教化団体でその計画を作成していただいていました。

 6月19日の仏教婦人会連盟の大会は、東万倉の明山寺さんを会場に、ご講師に下関市の常元寺の伯浄教氏をお招きして開催されました。参加者を1か寺当たり3名以内にし、検温を行うなどの対策がとられました。壽福寺からは住職と坊守、仏教婦人会会長の井上愛子さんが参加しました。
 会に先立ち、組長としてご挨拶しました。仏教婦人会連盟としては、2019(令和元)年6月11日以来ですから3年ぶりの大会ということになります。久しぶりのお聴聞の機会を持つことができたことを喜びたいとお話ししました。
 仏教婦人会連盟は、去る4月17日に開催された役員会を総会を兼ねたものにして活動報告や会計報告を行っておりましたので、今回は研修会のみの開催でした。

 6月23日の総代会の総会・研修会は堀越の萬福寺さんを会場に開催されました。
 こちらの会合も、感染対策として参加人数を1か寺当たり2名以内に減らすことなどが実施されました。
 組長挨拶では、同じく久しぶりに研修会を開催できることを喜び、今後も感染対策に工夫をしながら活動していきたいとお話ししました。
 総代会は、活動報告や活動計画、決算・予算の審議も行う総会が開催され、その後宇部北組の市川幸佛氏にご法話をいただきました。(住職は、葬儀があり、総会とご法話は退席しました)

 両方の研修会を通じてちょっと残念なことがありました。
 それは、以前にご紹介した宇部北組のブルゾンを着用してもらうことにしていたのですが、このところの猛暑で無理だろうと諦めたことです。活躍の場は、寒冷期の行事ということになりそうです。

(写真はシチダンカという花です。「六甲山森林植物園」で撮影しました。)

 漢字で書くと「七段花」。八重咲のヤマアジサイです。江戸時代にシーボルトがその著書で紹介していたのですが、発見例がなく、「幻のアジサイ」とされていたのだそうです。その後、1959年に六甲山で発見されたものがそのシチダンカだとされました。

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858.ご紹介します(33):『秋陽さんさん』

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 今回は、『秋陽さんさん』という本をご紹介します。

 この本は、ご門徒さんの故三隅規匝(きそう)さんが書いておられた文章や俳句、短歌をご遺族が「三隅規匝掌品集」としてまとめられたものです。
 規匝さんは、1924(大正13)年に生まれられ、2010(平成22)年にご往生された方です。終戦後、教員生活に入られ、1985(昭和60)年の退職後は山陽小野田市に住まわれましたが、2000(平成12)年に奥様を亡くされ、その後はお一人で生活をしておられました。
 
 規匝さんは新聞の投稿欄に文章を投稿しておられ、『秋陽さんさん』に載せられた文章には毎日新聞の「はがき随筆」(山口県版)や「男の気持ち」(西日本版)に掲載されたものだと付記されています。

 規匝さんが投稿された文章は、このように多くのものが紙面に掲載されました。それでも、投降したけれど「没」になったものも多かったようです。「ごぶんしょう」と題された文章がありました。曰く、
 「出しては没、出しては没。我や先、人や先、待てど暮らせど去り行きし恋人に似たるがごとし。無常の風ひとたび来りなば、山なすはがき、たちまちにして炎と化し白き灰のみぞ残れり。」「わずか五十円のはがきにて無限の夢を追う幸せに思いを致し、ひたすらに精進を重ぬべきものなり。あなかしこ。」
 と「白骨の御文章」に仮託したほほえましい(ご本人にとってはそうではないでしょうが)文章が載っています。この文章が「はがき随筆」平成12年11月の入選3位に入って盾をもらわれたそうですので、ご本人は苦笑されたかも。

 そんな中に「2本のはたき」と題された文章があります。2001(平成13)年9月30日の「男の気持ち」に掲載されたとのことですので、奥様を亡くされて1年と少し過ぎたころのものです。文章は次の会話で始まります。

 「(奥様)「ねえ、女竹を2本伐ってきて」、(規匝さん)「何に使うの?」、「ヨウ子にはたきを作ってやるの」、「う、うん、わかったよ」・・・その体で?と一瞬ためらった。が、余命長からぬと悟ったのか、妻のたってのベッドからの頼みだった。」
 こうして奥様は、残された力を絞るようにして娘さんのヨウ子さんのためにはたきを2本作られ、その2か月後に亡くなられました。
 
 こうして作られたはたきでしたが、奥様が亡くなられてすぐに娘さんに届けられなかったのだそうです。一周忌が過ぎて、訪ねてきた娘さんが押入の中にあるはたきを2本見つけます。
 (娘さん)笑いながらはたきを手に取って「これ、お父さんが作ったの?」、(規匝さん)「いや、お母さんがあんたにと、亡くなる少し前に作ったのよ」
 「「ええーツ」。娘はほおを伝う涙を拭おうともせず、何度も何度もはたきの頭をなでた。娘にとっては、イヤリングや指輪などより、何物にも代えることができない母の遺品となったことだろう。」

 6月17日に、規匝さんの13回忌法要を、その娘さんご夫妻、規匝さんのご長男と一緒にお勤めしました。
 読経の後でみ教えをお取次ぎするのですが、その中で「亡くなった方は、お浄土で仏さまになられた後に残された方のもとに戻られ、いつも残された方々を見守っていただいています。どうかすると私たちの方がそのことを忘れてしまいます。私たちが独りぼっちだと思うときも、阿弥陀さまや亡くなった方はいつもそばにいていただいて、私がそばにいますよ、決して一人ではないよと言っていただいています。」というお話をしました。
 お母さんが残されたはたきは、残されたご家族に対する思いを伝えるものだったのだと感じながらお話ししました。

(図は、『秋陽さんさん』の表紙です。)

 最後のページに斎藤茂太氏の次の言葉が記されていました。
 「「心の中に生きている人」は、誰のものでもない。すべてが自分のものであり、どこかで落としたり、誰かに盗まれる心配もない。いつまでも自分を幸せにしてくれる人である。」

 規匝さんはこの本によって、残された方々にとって、間違いなく「いつもそばにいてくださる人」になっておられると感じることができました。

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857.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(83):疑問への回答(5)

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 前回、法然聖人、聖覚法印が平生の念仏が臨終の念仏と等しく大事なものである、ということを説かれたことを学びました。
 今回、親鸞聖人がこのお二人の教えをどのように受け止めておられたのかについて学びたいと思います。

 安冨信哉氏は『唯信鈔 講義』の中で、「臨終の念仏にこだわらず、また来迎の神秘を期待する臨終の行儀をまたず、ただ平生の念仏を大事にせよ、との法然の指教は、このように聖覚に受けとめられたが、私たちは、この立場が親鸞聖人にさらに深く掘り下げられていいるのを知る」と記されて、『親鸞聖人御消息』の次の御文を取り上げておられます。 
 (文中のアンダーライン部は、同書では(中略)とされています)

 「来迎(らいこう)は諸行往生(しょぎょうおうじょう)にあり、自力の行者なるかゆゑに。臨終といふことは、諸行往生のひとにいふべし、いまだ真実の信心をえざるがゆゑなり。また十悪・五逆の罪人のはじめて善知識にあうて、すすめらるるときにいふことなり。真実信心の行人は、摂取不捨(せっしゅふしゃ)のゆゑに正定聚(しょうじょうじゅ)の位に住(じゅう)す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則(ぎそく)をまたず。」

(来迎は諸行往生すなわちさまざまな行を修めて浄土に往生しようとする人についていうのであり、それは、自力の行者だからです。臨終の時に往生が定まるということは、諸行往生の人についていうのであり、それは、まだ真実の信心を得ていないからです。また十悪・五逆の罪を犯した人が、臨終の時にはじめて善知識に出会い、念仏を勧められる際にいうことなのです。真実の信心を得た人は、阿弥陀仏が摂め取ってお捨てにならないので正定聚の位に定まっています。だから、臨終の時まで待つ必要もありませんし、来迎をたよりにする必要もありません。信心が定まるそのときに往生も定まるのです。来迎のための儀式を当てにするする必要はありません。)

 親鸞聖人は、平生に信心が定まれば往生もその時に定まるのだから、臨終の時を待つ必要はない、来迎のために五色の糸を手にするといった儀式も必要ないのだと記されます。一方、自力の人は様々な行を修めるのですが、それで往生を遂げることができるのかということは、臨終の時までわからないのだとされます。

 以前、報恩講で伺ったお話を思い出しました。
 もう3年前になりますが、ご講師の尾寺俊水師は「自力の救いは、入学試験の結果を待っているようなものだ」とたとえられました。試験の結果は発表の時(臨終の時)までわからないのですから、不安を感じて発表(臨終)までのあいだ様々なまじないをしたり仏さまにつないだ五色の糸を手にする、というようなことに頼ることになります。
 一方、阿弥陀さまからさし向けられた信心をいただいた人は、もうその時に往生が定まります。従って不安はありませんから、「来迎の儀則」を当てにする必要もないということになります。入学試験にたとえれば、「推薦入学」が決まったようなもの、でしょうか。

 親鸞聖人のこの御文を読んで気づいたことがあります。
 それは「念仏」という言葉です。聖人の今回の御文では、「念仏」は十悪・五逆の人について出てきますが、それ以外では使われていません。聖人は「信心定まるとき往生また定まるなり」と記され、往生が定まるのは信心が定まった時だとされます。

 法然聖人は、お念仏によってどんな者でも往生を遂げることができると説かれ、お念仏が往生の因だとされました。もちろん、「名号には三心もおのずから具足する」とされるなど信心も大切なものだとされましたが、やはりお念仏によって往生は定まるのだと説かれました。
 法然聖人の教えを承けられた聖覚法印は、『唯信鈔』の今回の部分で同時代の疑問に答える形で、平生に信心をいただいて称える念仏も臨終の念仏と同じ力があり往生の因となると示されました。

 今回学びましたように、親鸞聖人はお二人の教えをさらに深められて、臨終の時ではなく平生にいただく信心こそが往生の因なのだと説かれました。お念仏は阿弥陀さまの信心をいただいた私たちの口から出る報恩の言葉なのだ、と説かれています。

(図は、法然聖人のご臨終の場面を描いたものです。)

 前々回にこの場面の一番右の図を拡大して載せましたが、今回は、横長の全体を見ます。左の阿弥陀さまから聖人に向けて光がさしています。聖人は五色の糸を手にとることはされなかったのですが、臨終に際して来迎を受けられたという図になっています。また、図の上部には彩雲がたなびいている様子が描かれています。

 以前学びました『御絵伝』の親鸞聖人のご臨終の場面を思い出しておりました。この場面は「専修寺本」からお借りしたものですが、阿弥陀さまの来迎や彩雲なども描かれていません。屏風の後ろでは棺を調製する姿が描かれるなど、親鸞聖人のご臨終を迎えた様子が「淡々と」描かれているように思えました。
 親鸞聖人が説かれた「平生業成(へいぜいごうじょう):「臨終に往生が決定(けつじょう)するのではなく、平生に決定する」ということです)の姿がそのまま描かれたのだと、感じることができます。

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