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734.新しい「携行ご本尊」です

20210412ご本尊   20210412ご本尊2

  肌身離さず携行できるご新しいご本尊(ご絵像)が4月1日より交付されています。

 この新しいご本尊は、「阿弥陀さまがご一緒」をコンセプトに本山本願寺が制定されたもので、4月1日の付の『本願寺新報』には次のように紹介されています。
 「核家族化や生活環境の変化に伴い、お仏壇のない家庭が増えたことに対し、また、子どもたちが実家を離れる際、入院などで自宅を離れる際に携行してもらい、常のご本尊とともにある生活を送ってほしいと制定したもの。」

 名刺サイズで、素材は、漆器のような漆黒の美しさを持つ漆プラスチック調バイオプラスチックで、冥加金は一万円です。

 先日交付を願い、この程お迎えすることができました。
 同送されてきた文書には、次のように記されていますので、ご紹介いたします。
 「阿弥陀如来は、誰一人取り残さず救おうを願われ、「われにまかせよ、必ず救う」と常にはたらきかけてくださっています。その阿弥陀如来のはたらきは「摂護不捨(しょうごふしゃ)」ともいわれ、親鸞聖人は、摂め護ってお捨てになることがないとおしめしになっています。
 この度の「携行本尊」の交付は、日常生活でいからる状況に出遭っても、阿弥陀如来のはたらきに包まれていることを実感できるようにとの願いを込めています。
 生かされている尊い人生を、お念仏とともに力強く歩んでいきましょう。」

 併せて、専用のケースや専用のスタンド、ホック付きの携行用袋なども別売されています。
 ご希望やお問い合わせは、寺まで。

(写真は、新しいご本尊の表(左)と裏面(右)です)

 表面は立体感のある彩色のご絵像となっています。
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733.新聞「壽福寺だより」を発行しました

20210409新聞1面s  20210409新聞2面s

  新聞版「壽福寺だより」4月号を発行しました。本日からご家庭にお届けします。

 4月号の内容は次の通りです。

〇1面
 「春の永代経法要をお勤めしました」

 「今年の「花フェス」も中止となりました」

 「降誕会のご案内です」

〇2面
 「携行ご本尊をご紹介します」
  4月1日より交付が始まった「携行ご本尊」を紹介しています

 「仏教婦人会幹部会を開催しました」
  会計報告の概要と併せてご報告しています

 「壽福寺を会場に総代会研修会を開催」

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 

732.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(29):名号の讃嘆(18)

20210405清美寺

  前回からもう一度『唯信鈔』に戻って、親鸞聖人が「如来が弘誓をおこされた様子は、この『唯信鈔』に詳しく示されている」とされた部分について学んでいます。
 前回の部分では、法蔵菩薩が師である世自在王仏に懇請され、世自在王仏はこれを容れて二百十億の浄土の人天や国土の良し悪しをすべてお見せになったということが記されていました。

 引き続き、本日の御文と現代語訳です。

 法蔵比丘これをききこれをみて、悪をえらびて善をとり、粗をすてて妙をねがふ。たとへば、三悪道ある国土をば、これをえらびてとらず、三悪道なき世界をば、これをねがひてすなはちとる。自余の願もこれになずらへてこころ を得べし。このゆゑに、二百一十億の諸仏の浄土のなかより、すぐれたることをえらびとりて極楽世界を建立したまへり。たとへば、柳の枝に桜のはなを咲かせ、二見の浦に清見が関をならべたらんがごとし。これをえらぶこと一期の案にあらず、五劫のあひだ思惟したまへり。

 (説法を聞き諸仏の国土を観た法蔵比丘は、悪をえりわけ善をとり、粗悪なものを捨てて微妙(みみょう)なものを願いました。たとえば地獄・餓鬼・畜生の三悪道のある国土をえりわけてとらず、このようなもののない世界を願ってとりました。そのほかの願いも、これと同じように心がけられました。
 このようにして二百十億の諸仏の浄土のなかからすぐれたところ選びとって極楽世界を建立されました。それは、たとえば柳の枝に桜の花を咲かせ、二見ヶ浦に清見ヶ関をならべたような素晴らしいものでした。こうして極楽世界を選びとった様は、ただ一生という短い間だけではなく、五劫という大変長い時をかけて、深く思いをつづけられたのです。)

 聖覚法印が「粗をすてて妙をねがふ。」と記されたこの部分をどのように表現したらよいのか迷うところです。二橋進氏はこの部分を「粗雑なものを捨てて純粋なものを願いました。」としておられます。
 聖覚法印は、「粗」には「あらくわるきなり」、「妙」には「たえによきこと」と左訓を付しておられます。それで「妙」の部分を「微妙(みみょう)」としてみました。「微妙(みみょう)」が仏教語として「仏教の真理・教えやそれを悟る智慧の深遠ですぐれたさまを形容する語」とされていたことを思い出したからですが、難しいところです。

 このように、世自在王仏によって現ぜられた二百十億の仏国の良し悪しをみて、法蔵菩薩はその中の良きものを選びとり、極楽世界を建立されたと聖覚法印は記されました。

 『無量寿経』ではこの様子が次のように記されています。
 「そのとき法蔵菩薩は、世自在王仏の教えを聞き、それらの清らかな国土のようすを詳しく拝見して、ここに、この上なくすぐれた願を起したのである。その心はきわめて静かであり、その志は少しのとらわれもなく、すべての世界の中でこれに及ぶものがなかった。そして五劫の間、思いをめぐらして、浄土をうるわしくととのえるための清らかな行を選び取ったのである。」
 そして、法蔵菩薩は、世自在王仏の勧めに従って、四十八の願を述べられます。

 親鸞聖人は、『正信偈』で前回の部分に続けて次のように記されます。
  建立無上殊勝願 超発稀有大弘誓 五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方
 (この上なくすぐれた願をおたてになり、世にもまれな大いなる誓いをおこされた。五劫もの長い間思惟してこの誓願を選び取り、名号をすべての世界に聞こえさせようと重ねて誓われたのである。)
 
 聖覚法印は、法蔵菩薩が選び取られた極楽世界を私たちが想像しやすいように、「柳の枝に咲いた桜」「二見ヶ浦に清見ヶ関を並べた」という表現で伝えられます。私たちになんとしてでもその素晴らしさを知ってもらいたいと願われていることが感じられる部分です。そして、親鸞聖人が「如来の弘誓をおこしたまへるやうは、この『唯信鈔』にくはしくあらはれたり」とされたのも、このような法印の思いを受けられたものだと思います。

(図は、清見ヶ関ゆかりの寺院である清見寺(せいけんじ)を描いたものです。)

 清見ヶ関というのは、現在の静岡市清水区興津にかつてあった関所のことだそうです。7世紀奈良時代に設けられたと考えられる関所ですが、鎌倉時代になると関所としての役割は低下したようです。しかし、駿河湾に面し、富士山や駿河湾の向こうには伊豆半島の天城連山を遠望するという景勝の地で、その後も清見潟という名前で広く知られていたようです。
 清見寺は奈良時代に創建された寺院で、この清見潟を望む高台にあるお寺です。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(28):名号の讃嘆(17)

20210402リビングストンデージー  20210402リビングストンデージー2

 前回、聖覚法印が、『唯信鈔』の中で法蔵菩薩がご本願をお立てになった経緯を記された部分をこのブログでは端折ってしまったと記しました。もう一度法印が記された御文を読んでおりましたが、やはりご一緒にこの部分を読みなおしたいと考え、もう一度『唯信鈔』の最初の段に戻ってきました。

 『唯信鈔』の該当する部分の御文と現代語訳です。現代語訳は、加藤弁三郎氏の『唯信鈔文意』所載の二橋進氏の訳を参考にさせていただいています。

  そもそも名号をとなふるは、なにのゆゑにかの仏の本願にかなふとはいふぞといふに、そのことのおこりは、阿弥陀如来いまだ仏に成りたまはざりしむかし、法蔵比丘と申しき。そのときに仏ましましき、世自在王仏と申しき。法蔵比丘すでに菩提心をおこして、清浄の国土をしめて衆生を利益せんとおぼして、仏のみもとへまゐりて申したまはく、「われすでに菩提心をおこして清浄の仏国をまうけんとおもふ。 願はくは、仏、わがためにひろく仏国を荘厳する無量の妙行ををしへたまへ」と。そのときに世自在王仏、二百一十億の諸仏の浄土の人・天の善悪、国土の粗妙をことごとくこれを説き、ことごとくこれを現じたまひき。 

(そもそも南無阿弥陀仏の名号を称えるのは、阿弥陀仏の本願にかなうといわれるが、それはなぜなのでしょうか。
 そのことのおこりは、阿弥陀仏がいまだ仏になられる以前の昔、法蔵比丘ともうされました。その時、世自在王ともうされる仏がおられました。法蔵比丘はすでにさとりを求める心をおこし、この上なく清らかな国土を得て人々の迷いと苦しみのもとを除きたいと思われたのです。
  そこで世自在王仏のみもとにまいって申し上げました。「私はすでにさとりを求めて、仏道を修めるこころをおこし、穢れのない清らかな仏の国を建立しようと思います。願わくは、私のために、仏の国を広く荘厳することのできるよう、限りない正しい行をおしえてください。」この願いを聞かれた世自在王仏は、二百十億の諸仏の浄土の人びとや天人たち、またその国土の良し悪しのすべてを説き、すべてを現出してくださいました。)

 因位にあった法蔵菩薩がなぜ人々を救う願をたてたいと思われ、どのようにしてそれを成就され、どのように私たちを救っていただいているのか、を「仏願の生起本末」と申しますが、聖覚法印はそのことをこの段で私たちに伝えいてただいています。

 『無量寿経』には、詳しくその経緯が記されています。
 最初に法蔵菩薩は、世自在王仏のお徳を讃える偈(「讃仏偈」)を称えられます。次いで、世自在王仏に、速やかにさとりを開き、人々を迷いから救う道を教えてもらいたいと述べられますが、世自在王仏は、どのような修行をして国土をととのえるのかはそなた自身で知るべきだろう、とその望みを断られます。これに対して、法蔵菩薩は、それは広く、深いものですから、どうか私のためにお説きいただきたい、と重ねて申し上げられます。そのように、法蔵菩薩の志が尊く深いものであることを知られた世自在王仏は、この段に記されていますように、法蔵菩薩に二百十憶の様々な仏の国についてその人天、国土の良し悪しを見せられることになりました。

 親鸞聖人は『正信偈』の最初の部分で次のように記されています。
  法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所 覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
 (法蔵菩薩の因位のときに、世自在王仏のみもとで、仏がたの浄土の成り立ちや、その国土の人間や神々の良し悪しをご覧になって)

 この部分、あるいはそれに続く御文を読んでおりますと、聖覚法印が言葉を尽くして法蔵菩薩が立てられた誓願を讃え喜ばれ、またそうするようにと私たちに呼びかけておられることを感じます。そして、その法印の思いを親鸞聖人が受け継がれ、人々に『唯信鈔』を読むようにと何度も呼びかけられたことも、遠く時代を隔ててなお実感することができます。

 今回気づいたことがありました。
 それは、「荘厳」という言葉です。法蔵菩薩は世自在王仏に「ひろく仏国を荘厳する無量の妙行ををしへたまへ」と願われたと記されています。
 この「荘厳」ということばを『浄土真宗辞典』にたずねてみますと、「うるわしく身や国土を飾ること。身・口・意の三業をととのえて清浄にすること」と「仏壇や寺院の本堂などにおいて尊前を装飾すること」の2つの意味が記されています。
 私は「荘厳」というと、まず2番目の意味を思い浮かべてしまうのですが、元々は「身や国土を清浄に整える」という意味だということに気づいた次第です。
 『阿弥陀経』には、「成就如是 功徳荘厳」という言葉が何度も出てきますが、これも目に見える美しさだけではなく、すべてが整った清浄な状態を示しているのだと、再度確認した思いです。

(写真は、リビングストンデージーです。)

 2月中旬にご門徒さん(昨年ご紹介した方です)から苗をたくさんいただきました。ところがその直後に大雪となって、苗は深い雪の中に埋もれてしまいました。その後に苗を植木鉢などに植え替えたのですが、育ってくれるだろうか心配しておりました。しかし、このようにきれいに咲いてくれ、その生命力には感心しました。
 ネットの情報によりますと、花弁のように見えるカラフルな部分は蕚片が変化したものだそうで、中心部の白とのコントラストが鮮やかです。

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730.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(27):無碍の一道(3)

20210329リキュウバイs 20210329リキュウバイ2s

  今回から、聖覚法印の2番目の偈頌について、親鸞聖人が『唯信鈔文意』で説かれた内容を学びます。最初に聖覚法印が取り上げられた2番目の偈頌を示します。太字で示した第1句が本日学ぶ句です。

  彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来
  不簡貧窮将富貴 不簡下智与高才
  不簡多聞持浄戒 不簡破戒罪根深
 この第1句について親鸞聖人が記された御文とその現代語訳は次の通りです。

 「彼仏因中立弘誓(ひぶついんちゅうりゅうぐぜい)」、このこころは、「彼」はかのといふ。「仏」は阿弥陀仏なり。「因中」は法蔵菩薩と申ししときなり。「立弘誓」は、「立」はたつといふ、なるといふ、「弘」はひろしといふ、ひろまるといふ、「誓」はちかひといふなり。法蔵比丘(ほうぞうびく)、超世(ちょうせ)無上のちかひをおこして、ひろくひろめたまふと申すなり。
 超世は余(よ)の仏の御ちかひにすぐれたまへりとなり。超は、こえたりといふは、うへなしと申すなり。如来の弘誓をおこしたまへるやうは、この『唯信鈔』にくはしくあらはれたり。


(「彼仏因中立弘誓」について、この文の意味は、「彼」は「かの」ということであり、「仏」は阿弥陀仏のことである。「因中」というのは、法蔵菩薩であった時ということである。「立弘誓」というのは、「立」は「たてる」ということであり、成立するということである。「弘」は「ひろい」ということであり、「ひろまる」ということである。「誓」は「ちかい」ということである。法蔵菩薩が、この上ない超世の誓いをおこして、広くおひろめになるということである。「超世」とは、他の仏がたのお誓いよりすぐれておいでになるということである。「超」は「こえている」ということであり、それより上がないということである。如来が弘誓をおこされた様子は、この『唯信鈔』に詳しく示されている。)

 親鸞聖人は、聖覚法印が取り上げられたこの偈頌について懇切丁寧に私たちに説いていただいています。

 聖人は、「立弘誓」の「立」という語に対して、「たつ」と「なる」の二つの意味があるとされます。私たちは「立つ」というと「建てる」という意味にとりますが、聖人はそれと同時に「成る」の意味もあるのだと示されています。
 普賢晃壽師は「建立」の2文字を「初起を建と曰い、終成を立と為す」とする一文を紹介し、「家をたてはじめるところが「建」の字のこころであり、家をたておわって成就したところが「立」のこころである。」とされ、「立」を「なる」と訓じられ本願が成就されたとされる聖人の思いを受け止めておられます。

 聖人は、次いで「弘」についても、「ひろし」と「ひろまる」の二つの意味を示されています。梅原真隆師はこれを「広弘」と「弘通」の心だとされます。あらゆる衆生を一人として漏らさないという「ひろし」であり、ご本願の救いが遍く遠く「ひろまる」であるとされます。
 
 そして、聖人は法蔵菩薩が立てられた誓いは「超世無上のちかい」だとされ、重ねてこの「超世」について「他の仏方の誓いよりすぐれていて、それよりも上がない」という意味だとお伝えいただきます。
 「重誓偈」の最初の「我建超世願(われ超世の願を建つ)」という句も、法蔵菩薩がこの最上無比の誓いを「立てられた」ことを示されたものです。

 聖人は、続けて「如来が弘誓をおこされた様子は、この『唯信鈔』に詳しく示されている。」と記されます。これは、聖覚法印が一つ前の最初の段で法蔵菩薩がこの願を成就されたことを詳しく述べられた部分に当たります。

 このブログでは、『唯信鈔』のこの最初の段がかなりの長文だったこともあって、この「如来が弘誓をおこされた様子」については「法印は、法蔵菩薩があらゆる衆生を救いたいと願われ、五劫という長い時間思惟を重ねられた所以を述べられます。」とだけ記して終わりにしておりました。実際は、聖人が仰っておられる通り、聖覚法印は言葉を尽くして詳しく説いておられます。
 梅原真隆師師によれば、親鸞聖人は、この『唯信鈔』の本願に関する釈義を尊重され、『尊号真像銘文』にも「この本願のやうは唯信鈔によくよくみえたり」と記しておられることを紹介しておられます。

 今回このようなことを見返して気づいたのですが、最初の段では『唯信鈔』で聖覚法印が説かれた内容をあまりに簡略化して取り上げてしまっていました。これからは、『唯信鈔』について御文全体を学ぶことにしたいと思っております。

 (写真は、リキュウバイです。)

 リキュウバイ(利休梅)は、中国原産の植物で、今頃白い花を咲かせます。名前は茶花として使われることに由来しているそうです。 右は花後の実です。

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