983.『一念多念文意』を読む(31)
今回、前回の部分で隆寛律師が取り上げられた御文について親鸞聖人がその内容を説かれます。
聖人は、まず隆寛律師が取り上げられた、「一心専念」について記されました。その御文と現代語訳です。
「一心専念」(散善義 四六三)といふは、「一心」は金剛の信心なり、「専念」は一向専修なり。一向は余の善にうつらず、余の仏を念ぜず、専修は本願のみなをふたごころなくもつぱら修するなり。修はこころの定まらぬをつくろひなほし、おこなふなり。専はもつぱらといふ、一といふなり、もつぱらといふは、余善・他仏にうつるこころなきをいふなり。
(「一心専念」 というのは、 「一心」 とは、 決して壊れることのない他力の信心のことであり、「専念」 とは、 一向に専修することである。 一向とは、 念仏以外の善に心を移さないことであり、 阿弥陀仏以外の仏を念じないことである。 専修とは、 本願の名号を、 二心なくただひとすじに称えることである。 「修」 は心が定まっていない状態をととのえ直して、 念仏するということである。 「専」 は 「もっぱら」 ということであり、 一つということである。 「もっぱら」 というのは、 念仏以外の善を修めたり、 阿弥陀仏以外の仏に心を移したりすることがないのをいうのである。)
前回の部分で、善導大師は正定業(しょうじょうごう)について、次のように説いておられました。
大師はまず、行を正行(しょうぎょう:阿弥陀さまの浄土への往生が説かれている経典に基づく行)と雑行(ぞうぎょう:阿弥陀さまや阿弥陀さまの浄土に関わりのない行)に分け、さらにその正行を次の5つの行として示されます。
読誦正行:経典を読誦する行
観察(かんざつ)正行:心をしずめて阿弥陀さまとお浄土の姿を観察する行
礼拝正行:阿弥陀さまを礼拝する行
称名正行:阿弥陀さまの名号を称える行
讃歎供養正行:阿弥陀さまの功徳をたたえ、供養奉仕する行
そして、これらの5つの正行の中でも「一心専念弥陀名号(一心にもつぱら弥陀の名号を念じる)」ことを正定業(しょうじょうごう:阿弥陀さまのご本願にしたがう行)とされ、その他の4つの行は助業(じょごう)だとされました。
これを受けて、親鸞聖人は「一心専念」の語を釈して、私たちはダイヤモンドのように堅固な信心をいただき、阿弥陀さまだけを念じ、お念仏するのだと、お示しいただいています。
今回の部分、親鸞聖人は私たちに、繰り返し、他のことに心を迷わされず阿弥陀さまだけを念じてお念仏するように、と説かれています。聖人が「理解してくれよ」と分かりやすく話しかけられていることを感じます。
(写真は、「金色のヒガンバナ」です。)
昨日の山口新聞に「金色のヒガンバナが見頃に」という見出しの記事で紹介されていました。寺の近くの南原寺さんで育てられているもので、見に行きました。
ヒガンバナというと通常は赤色、時々白色の品種を見る位なのですが、南原寺さんの境内には14種類ものヒガンバナが咲いているのだそうです。そのうちの一つがこの「金色」なのですが、確かに黄色というよりは金色といってもいいような鮮やかな色合いの花が池の周りに咲いていました。
そのほか、八重の品種や淡い橙色、濃いピンクの花もあって、ヒガンバナのイメージが変わったような思いです。当日出あったヒガンバナの写真はもう一つのブログ「植物ぶつぶつダイアリー」に掲載していますので、こちらもご覧ください。
南原寺さんは「花の寺」とも呼ばれていて、四季を通じて様々な花(植物)を楽しむことができます。振り返ってみますと、このブログでも次のように何度も登場しておりました。
セッコク、紅葉1、紅葉2、シャクナゲ
(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
スポンサーサイト
982.宇部北組慶讃法要実行委員会を開催しました
9月16日、西念寺様で宇部北組 親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要の第4回実行委員会を開催しました。
この実行委員会は、宇部北組としてお勤めする上記の慶讃法要について検討、実施する組織で、これまで次のような形で検討を行ってきました。
2021年9月30日の法中会で、実行委員会を設置することを決定しました。その後、3回にわたって実施内容等について検討を行い、今年8月27日の法中会で法要の概要を決定しました。
今回の実行委員会が第4回となり、細部の詰めを行いました。以下、概要についてご連絡いたしますので、法要の修行にご協力いただきますとともにお参りいただきますようお願いします。
1.日時
2024(令和6)年3月3日(日)午後
2.会所
西念寺様(稚児の準備は常光寺様で)
3.実施内容
・稚児行列(常光寺様から西念寺様まで)
・法要(雅楽奏楽のもと「正信念仏偈作法(第二種)」に依りお勤めします)
・記念法話(ご講師:武田晋和上)
・餅撒き
・法要に併せ、フードドライブ活動に協賛して協力を呼びかけます
4.今後の進め方
次のような実施事項について、設置した担当者を中心に検討、実施します。法中を始め総代会、寺族婦人会、仏教婦人会などの皆さんのご協力をお願いいたします。
・法要の告知 宇部北組広報誌「ご縁だより」(10月に発行予定)で告知を行い、参拝者の募集を行います
・参拝者、稚児の募集 2月中旬締切の予定です。(募集予定:参拝者80名、稚児20名です)
・法中への周知 今後開催する法中会で周知します
(写真は、最近寺の境内で見かけた植物です。)
左から、コナスビ、オオバコ、フウロソウ属の一種(種の同定はできませんでした)だと思われます。
ここ2週間、境内の草引きを行っていて、その際に見かけた花です。小さな花が元気に咲いていました。以前ご紹介しました「身近な雑草の愉快な生きかた」に取り上げられていたオオバコことを思い出しておりました。
(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
979.ご紹介します(41):『夢の街』
今回ご紹介するのは、大山しのぶさんが書かれた『夢の街』という本です。
しのぶさんは、以前このブログでも紹介させていただき、「アクトビレッジおの」で開催された「花フェス2019」にクラフトバンドの作品で参加いただいた方です。その際もご門徒さんの岩崎祥子さんに紹介していただいたのですが、この本についても祥子さんから教えていたいただきました。
この本の中でしのぶさんはご自分の現在までの生活を振り返り、その中での出来事、出会った人々、とりわけご両親とお姉さんについて記されています。
しのぶさんは、お父さんが仕事の関係でおられた倉敷で生まれました。その後、小学校5年生の時にお父さんの転勤で山陽小野田市に戻ってきます。西京高校を卒業後、富士商(株)に就職、ガソリンスタンドで接客の仕事に就いた後、3か月後には本社で営業の仕事をすることになります。
その新しい仕事は空気清浄機の販売をするというもので、しのぶさんは工夫を重ねて営業活動を行います。その後ギフト商品の販売、プラス社の文具の販売と、扱う商品は違いますがそれぞれの特徴に合わせた販売の仕方を考え行動します。
また仕事の合間にはゴルフを始め、大阪や東京、北海道に旅行した楽しい思い出などがつづられています。
しかし、しのぶさんは27歳の時に体調の不良に気づきます。
診察の結果は急性骨髄性白血病で、骨髄移植を受けなければならず、移植しても生存できるのは50パーセントという重篤な状態だということが分かります。
お姉さんの理江さんが骨髄を提供されて移植手術は成功するのですが、後遺症や副作用などに苦しみ、入退院を繰り返す日々が続きました。現在も移植の拒絶症と考えられる症状のために酸素吸入器が離せない状態です。
そのような中、しのぶさんは、プリザーブドフラワー(私は知識がなかったのですが、「生花や葉を特殊液に浸し水分を抜いて作られる」ものだそうです。)に興味を持たれます。興味を持つと真剣に積極的に取り組むしのぶさんです。制作の技術を身につけ資格試験にも合格し、手作りショップ「れいんぼー」を始められます。
それと併せて、プリザーブドフラワーの花器にと考えて始めた紙バンドを使った作品も手掛けられます。これが、最初にご紹介した「クラフトバンド」です。
この本には、しのぶさんのこれまでの生い立ちが記されています。
楽しかった思い出もつづられますが、病気に関すること、そのつらさ、希望と不安、もたくさん記されています。そのような内容の本なのですが、読み終わった後に和やかな気持ちを感じる本でした。ご本人がつらい、苦しい状況を記されているのに、読んだ私が和やかな気持ちになるのは申し訳ないのですが、なぜかほっとする暖かい不思議な気持ちになりました。
これはなぜだろうか、と考えていたのですが、しのぶさんはこんなにつらい闘病を続けながら、決して自分の置かれた状況について不満を述べるところが見られませんでした。他のだれかに不平を言ったり、だれかを非難をするということもありませんでした。それどころか、ご自身が大変な状況にありながら、周りの人に対してはいつもやさしい思いを持って接してこられました。
病室で一緒だった人との交流の様子がたくさん紹介されています。その人が退院した後にも会いに出かけ、ケーキを作って入院中の人に持参したり、とたくさんの人と交流を続けられました。
周りの人にいつも「ありがとう」と感謝の気持ちを持っようになった経緯も記されていました。
少し年長の女性が「やってもらって当たり前と思っていることが、実は、とてもありがたいことなのだということ」だと話しておられたことで気づいたと書いておられます。この本には、しのぶさんの周りの人に対する感謝の気持ちがたくさん記されています。それはご両親を始めお姉さん、会社の人、医師や看護師さん、そして病室で知り合った人などで、「ありがとうの力はすごいと思った。まずは、自分が先にありがとうということだなと思った。すると自然と相手もありがとうと声に出して言ってくれるようになるのだろうと思う。」と記されています。
振り返って私たちがしのぶさんとおなじような状況に置かれた場合を考えますと、なんで自分はこんな目に遭わなければならないのだ、と不平、不満を持ってしまいそうです。時にはそれを周りの人のせいにし、そうすることによって少しでも不満が癒されたように思いこみます。私はこんなにつらいのだから、他の人に何かをやってもらうのは当たり前だ、と考えてしまいます。
しかし、しのぶさんは周りの人に対するやさしさと感謝の気持ちを持ち続けておられたことが、この本の全体を通じて感じられます。そして、そのことが今度はしのぶさんを支える力にもなっているのだと感じました。
(図は、『夢の街』の表紙です。)
このイラストは、しのぶささんが「家族と仲間と毎日楽しく遊んで暮らす」「夢の街」を描いたものです。裏表紙には、「手作りショップれいんぼー」も描かれています。
本の奥書の部分に「作品出店歴」があって、「2019年(H31)花まつり(4月)」という記事があります。これは、「花フェス2019」のことだろう、と当時のことをなつかしく思い出しておりました。
(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
980.秋法座をお勤めしました
昨日9月10日、ご講師に船木の願正寺の山名真達師をお迎えして秋法座をお勤めしました。
山名師にご出講いただくのは7年ぶりということになります。ご講師ともお話していたのですが、色々な場所で顔を合わせていましたので、ご出講がこのように久しぶりだということに気づかずにいました。
ご講師は、法事やお勤めの意味についてお話になりました。法事をお勤めするのは何のため、だれのためなのでしょうか、という問いかけから始まりました。この問いかけについては、私もご門徒さんのご家庭での法事でのお取次ぎや、葬式の後のお取次ぎのなかでもお話しているテーマでもあり、今回のご法話はその確認をさせていただくという思いでお聞きしました。
ご講師は、ご門徒さんからかかって来た電話を紹介されました。そのご門徒さんの叔母に当たる方から「姉(そのご門徒さんのお母さんに当たります)の25回忌の法事はいつやるのか」という電話があったのだそうです。そこで、ご住職の山名師への電話となったわけですが、そのご門徒さんは、なぜ法事をしなければならないのか、だれのために法事をするのか、というようなことについて尋ねたいということでだったそうです。
ご講師は、多くの方が、法事は亡くなった方のためにお勤めするのだ、というふうに理解されていると言われます。その背景として、命が終わった後の姿をどのように理解しているのかという次の3つの形を紹介していただきました。
「無」命尽きたらそれでおしまい。あとは何もなくなる:今がよければ生きている間何をしてもよいという無責任な生き方につながる
「悪」命が尽きた後に地獄の苦しみを受ける:苦しむご先祖を救うために供養がいる。霊感商法もその一つ(?)
「善」命終わったのちは、お浄土に迎えられて仏となり新しい命をいただく。命終わることは決して悪ではない
ご講師は、この「悪」の認識があるこにより、法事は亡くなった人のために、ご先祖を苦しみから救うためにお勤めするという理解につながるのだとされました。
ご講師は、親鸞聖人が説かれた浄土真宗のみ教えは、「善」の理解に基づいているとされます。
私たちは命あるうちにご信心をいただき、阿弥陀さまのお救いにより命終わる時に間違いなく、お浄土に迎えられ、私たちが仏となります。そして再びこの世界に戻り、残された人々を見守るのだとされます。
ご法事でお勤めする『阿弥陀経』には、お浄土のすばらしさととそこにおられる阿弥陀さまのお姿が説かれ、そこに救われていく私たちの姿が説かれていると、ご講師はお経の内容をご紹介していただきました。
こうしてみますと、法事でお経(阿弥陀経)をお読みするのは、阿弥陀さまに見守られ、命終わったのちにはお浄土に救われる私たちの姿を聞かせていただくことになります。それは亡くなった方をご縁として、その方に導かれてお勤めするのですが、決して亡くなった方のために、亡くなった方を地獄の苦しみから救うためではないのです。
ご講師は最後に仰いました。
亡き方を偲び、お浄土に向けて歩ませていただきましょう。阿弥陀さまからの「南無阿弥陀仏(私にまかせなさい)」という呼び声を聞き、自らのこととして「南無阿弥陀仏(すべておまかせします)」と喜ばせていただく、日々にしましょう。
今回も多くの方にお世話になりました。
先にご報告しましたように総代会の皆さんには2日に駐車場、石段周辺などの草刈りを、また、代表総代の岩﨑明さん、総代の吉屋博志・金子富士夫さんには当日の受付をお願いしました。
仏教婦人会の井上愛子会長、松本京子さんには前日9日に本堂、回廊、トイレなどの準備をお願いし、お二人と山中、長谷地区の山本信子・山根紀子・稲田佳子さんに昼食のお弁当と一緒にお出しするそうめんを準備していただきました。
おかげさまで滞りなくお勤めすることができました。有難うございました。
(写真は恒例の集合写真と昼食の準備をお願いした皆さんです。)
(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
979.『一念多念文意』を読む(30)
今回の部分は、再び隆寛律師の『一念多念分別事』に戻ります。
御文と現代語訳です。
これらの経によりて善導和尚も、あるいは「一心専念 弥陀名号 行住座臥 不問時節久近 念々不捨者是名正定之業 順彼仏願故」(散善義)と定めおき、あるいは「誓畢此生 無有退転 唯以浄土為期」(同)とをしへて、無間長時に修すべしとすすめたまひたるをば、しかしながらひがことになしはてんずるか。
(これらの経によって、善導和尚も、あるいは「一心専念 弥陀名号 行住座臥 不問時節久近 念々不捨者是名正定之業 順彼仏願故」と定めおき、あるいは「誓畢此生 無有退転 唯以浄土為期」と教えて、ひまなく長きにわたり修しなさいと勧めておられることを、それにもかかわらず、間違ったことにしてしまおうというのか。)
隆寛律師が取り上げられた二つの御文を見てみます。いずれも善導大師の『観経疏』の「散善義」に記された文です。
「一心専念 弥陀名号 行住座臥 不問時節久近 念々不捨者是名正定之業 順彼仏願故(一心にもつぱら弥陀の名号を念じて、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に時節の久近(くごん)を問はず念々に捨てざるは、これを正定(しょうじょう)の業(ごう)と名づく、かの仏の願に順ずるがゆゑなり。)」
(一心に弥陀の名号を称え、行住坐臥に時間の長短をいわず相続してすてないのを正定業という。 かの阿弥陀仏の本願に順したがうからである。)
善導大師はこの文の前の部分で、行には正行(しょうぎょう)と雑行(ぞうぎょう)の二つがあると説かれます。そして、その5つの正行の中に今回説かれる正定業(もっぱら阿弥陀さまの名号を念じて絶えることなくそれを相続すること)とそれ以外の助業(じょうごう)とがあり、その正定業だけが阿弥陀さまの本願にかなうものだと説いておられます。
「誓畢此生 無有退転 唯以浄土為期(誓ひてこの生を畢るまで退転あることなし。ただ浄土をもつて期となす。)」
(誓ってこの一生を終わるまで退転することなく、 ただ浄土を願うのである。)
善導大師はこの文の前で、「一生涯から一日、一時、一念にいたりあるいは一念、十念、から一時、一日、一生にいたる間、一たび発心した後には、」と記されて、退転することなく浄土を願うのだ、と説かれます。
隆寛律師は善導大師のこの2つの御文を取り上げ、多念を間違いだとしてはならない、と重ねて説かれます。
(写真は、今年も咲き出したミヤコジマスイセン(宮古島水仙)です)
夏の終わりのこの時期に、黄色の花が少し涼しさを感じさせてくれます。秋法座をお勤めする10日にも咲いていてくれるといいのですが。
(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
隆寛律師は善導大師のこの2つの御文を取り上げ、多念を間違いだとしてはならない、と重ねて説かれます。
(写真は、今年も咲き出したミヤコジマスイセン(宮古島水仙)です)
夏の終わりのこの時期に、黄色の花が少し涼しさを感じさせてくれます。秋法座をお勤めする10日にも咲いていてくれるといいのですが。
(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)